32 カリクス、自嘲気味に云う
「そういえばカツィル、他の屋敷の者たちの姿が見えないのだが、何か知っているか」
カツィルの涙が落ち着いたのを確認してから、カリクスは問いかける。
カリクスの質問に、カツィルはハッとして頭を下げた。
「あ、あの、そもそもなのですが、奥様が公爵様の紅茶に睡眠薬を入れていたと他のメイドが話していたのですが……! 大丈夫なのですか!?」
「結論だけ言うと問題ない」
ちら、とカリクスの顔を見上げると本当に問題なさそうなので、カツィルは姿勢を正す。
「か、かしこまりました……。では今からこの屋敷の現状を説明いたします」
「頼む」
この屋敷の女主人──サラの母親が紅茶に睡眠薬を混ぜるところを見ていたのは、応接間に共についてきていたメイドだった。
彼女は以前から伯爵家の経営不審を感じ取っていたので、そろそろ田舎に戻ろうかと考えていた。
サラの婚約者であるカリクスに薬を盛るという暴挙も見てしまったことで、伯爵家に先はないと見限るのはおかしな話ではなかった。
それから彼女は場所を移してダイニングルームで何やら楽しそうに話す雇い主たちに気付かれないように、カリクスに薬を盛って犯罪を起こすかもしれないことを使用人たちに触れ回った。
そうして伯爵家に不満を持っていた使用人たちは簡単な準備を済ますと、一目散に屋敷を出ていったのだった。
「──と、言うことです」
「分かりやすくて助かる。では何故君はまだここに居るんだ? 一緒にいかなかったのか」
「……私は、なぜ今公爵様がこの屋敷に訪れたのか知りたかったのです。もしも旦那様たちと手を組んでサラお嬢様に何かしようなどと考えているならば、サラお嬢様にそのことを伝えなければと。私の見当違いだったのですが……」
「そうか」
「それに、その…………どうしても引っ掛かることがありまして……その、植物のデータが」
「!? 君はマグダットの植物データの存在を知っているのか……!」
その植物データを返してもらうために来たことをカリクスが伝えると、カツィルは目を見開く。
そこからはお互いの情報を惜しむことなく出し合うと、カリクスは大きな手がかりを得ることになる。
「まさかあの方たちがそこまでクズ──コホン、失礼致しました」
「いや、どんな言葉でもあの義家族には生ぬるいだろう。それで、君はどこでマグダットの植物データを見たんだ。あんな貴重なもの、おそらくどこかバレないところに隠して──」
「あ、それなら大丈夫です! 旦那様、自室のテーブルに雑に置いておりました」
「本当に馬鹿な男だ」
「はい、そのとおりでございます」
ここまで愚かだと怒りを通り越して笑えてくる。
普通犯罪を犯してまで手に入れた貴重なものを雑に置かないだろう。
それを他の者に見られるなんて馬鹿にもほどがある。相当脳内花畑らしい。
とはいえいくらなんでも部屋には鍵が掛かっているだろう。無理矢理開けることも出来なくはないが、どうするか。
カリクスが腕組みをして考えていると、カツィルは恐れながら、とずいと手を差し出した。
「これを」
「これは……まさか伯爵の部屋の」
「はい。旦那様の部屋の鍵は執事長がスペアを持っているのですが、もうすでに使用人は私以外もぬけの殻ですので、念の為に拝借しました」
「君は──優秀だな」
まるでセミナを彷彿させる。カリクスはそんなことを思いながらそれを受け取ろうとすると、悲鳴のような声が聞こえた気がしてぴたりと手を止めた。
「今、何か──」
──カリクス様……! カリクス様ぁ……!
「……! この声はサラ……っ!!」
どうしてここにサラが、今の悲鳴は何だ。
恐ろしいほど脈が早くなり、カリクスの額には汗が浮かぶ。
「あの方向はダイニングルームです! おそらくそこかと!」
「分かった…! 危険かもしれないから君はここで待て!」
「それなら私は先にデータを取ってまいります……! サラ様のこと、どうか……!」
「分かっている……!」
◆◆◆
「──大体こういうわけだ。声を上げてくれていなかったら君を助けられなかったと思うと──気が狂いそうだ」
「カリクス、さま……っ」
涙は止まったものの赤くなった瞳も又痛々しい。
さっさと話を済ませて全てを終わりにしなければと、地面に響くような低い声で「おい」とカリクスは目の前の三人を呼び掛けた。
余りにもドスの利いた声にビクリ、と三人は肩を竦めてカリクスをおどおどした様子で見つめる。
「まず私に薬を盛り、婚約者であるサラに危害を加えたこと、どう責任を取るつもりだ」
サラにはカリクスがどんな表情をしているかは分からなかったが、沸々と込み上げてくる怒りを抑えきれていないことだけは分かる。
家族の顔も見えないが、正しく蛇に睨まれた蛙とはこのことなのだろう。
「っ、全て状況証拠だろう!? 睡眠薬はここにはないしサラを殴ったところを見たのですか!?」
「この期に及んでまだそんな戯言を言うのか」
「当たり前です! 無実の罪など洒落にならん!」
「「そうよそうよ……!!」」
サラは頭を抱えたくなる。
実の父親の無様な言い訳に、それに同調する母親と妹。
情けなさがぐるぐると胸を渦巻いた。
カリクスはサラの心情を察してか「愚かな」とぽつりと呟く。
「残念だが証拠なんて私の手に掛かればどうとでもなる」
「いくら公爵閣下でもそこまでの力があるわけ──」
「なるんだ、私なら」
ふ、とカリクスは笑う。馬鹿にしたような笑いではなく、自嘲的なそれに、男は何故か背中を這うような恐怖を覚えてヒュッと喉から音が漏れた。
「それにマグダットの研究データをゴロツキに盗ませ、怪我を負わせたことも分かっている。そうまでして金が欲しかったか。──ファンデッド伯爵、サラが居なくなったこの領地は、経営がガタガタだっただろう?」
「………くっ」
「貴方どういうことですの!?」
「お父様はそんなこと一言も……あ、さっきお姉様に指摘されたときちょっとだけ、って……」
「ちょっとどころか明日も怪しいレベルだ。その様子からして、領地経営が上手くいっていないことは隠していたらしいな」
男は顔を真っ赤にして目をキッと釣り上げ、カリクスではなくサラを睨む。サラには見えていないとはいえカリクスにはそれは非常に不愉快だった。
カリクスはサラを自身に寄り掛かるよう、腰に回す手に少しだけ力を込める。
立っているのが辛くなってきたのか、それとも今までの話で心がすり減っているからなのか、サラは抵抗することなくカリクスへと体重を預けた。
カリクスは空いている方の手でサラの頭を優しく撫でてから、アッシュグレーの瞳が三人を映し出す。
「この屋敷にその盗まれたデータがあることも、どの部屋にあるかも調べは付いている」
「!? なっ、なんのことだか!!」
「しらを切るのも──」
いい加減に、とカリクスが言おうとしたのと同時に、廊下からドタバタと走る音が近付いてくる。
カリクスはニッと口角を上げ、サラに「会うのは久しぶりだろう?」と耳元で囁いた。
サラは扉を食い入るように見つめる。すると。
「マグダット子爵の研究データ持ってまいりました!」
「その声──カツィル……! カツィルよね……!?」
「サラお嬢様!! 良くご無事でっ……って無事じゃありませんわ!!」
サラの頬の腫れを見たカツィルは感動の再会をじっくり味わうことなく、資料をカリクスに手渡すと即座に踵を返す。
それから反転して再び扉の方に向かうと、大きな声で叫ぶのだった。
「救急箱を持ってまいります!! サラお嬢様の顔に傷が残っては大変ですから!!」
ピューン。まさにそんな効果音がしっくりくるほど機敏な動きで走っていくカツィルに、サラは呆気にとられてからふふ……と久々に笑みを零す。
この笑顔をもっと見ていたい、こんなふうにずっと笑っていられるように守ってやりたい。カリクスは、強くそう願う。
「さて、これでもう言い逃れはできない。終わりだ」
まるでそれは、地底にスッと吸いこまれて行くような絶望感。
3人の瞳は、真っ暗な影を落とした。
読了ありがとうございました。
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サラに早く幸せになってほしい! という方もぜひ……!




