30 サラ、奇跡を信じる
「いやっ、……嫌です……! カリクス様と婚約解消もこの家に戻るのも……絶対嫌ですわ……っ!」
「お前に拒否権などない。これは当主の私に一任されていることだ」
「そんな……っ」
ようやくカリクスへの気持ちを自覚したというのに。ようやく自分の居場所が出来たというのに。こうもあっさりとそれは奪われてしまうのか。
サラは下唇をギュッと噛んでピクピクと震えていた。
ここで泣いてはいけない、泣いたって解決はしない。どうにか目の前の男の考えを変えなければいけないのだ。
自分自身を奮い立たせサラは落ち着きを取り戻すと、頭の中で男が、家族が望むものが何なのかを必死に手探りで探す。
「……領地経営が傾いているのは知っています……私の力が必要ならばお手伝いします……! ですから」
「お前ごときがどうこうなどと調子に乗るなよサラ!! 経営は……ほ、ほんの少しだけ! 今は少しだけ調子が悪いだけだ! 立て直す算段ならある! お前のことなんて要らんが仕方がないから家に戻してやるんだ!」
「ではどうしてなんですか!! 理由を教えて下さい……!」
どうやら男は、家族には経営が傾いているとは言っていないらしい。
サラは『算段』の詳細は気になったものの、今はそれどころではないと追及することはなかったが、改めて考えても男の考えが読めなかった。
男はふんっと嘲笑うように笑うと「簡単なことだ」とぽつりと呟いて、視線をサラからミナリーへと移す。
同時に女も2歩ほど横に動くとミナリーの肩にそっと手を置いてぴたりと頬と頬をくっつけた。
男は先程までとは全く違う穏やかな目でミナリーを見つめると、サラを横目に口を開いた。
「そりゃあ勿論、ミナリーのためさ」
「ど、どういう……意味ですか……?」
「お前はそんなことも分からないの? 本当にどうしようもないクズね。ミナリー、優しくて可憐で聡明な貴方が教えてあげなさい?」
「はぁい、お母様」
コツ、コツ。軽やかな足取りで、ミナリーは倒れ込んでいるサラの傍まで歩いていく。
ぐいと腰を曲げ、サラの顔をじーっと見ると、それはもう花が咲くような満面の笑みで微笑んだ。
「ねぇお姉様、ミナリーにカリクス様をちょうだい?」
「──何を、言っているの……?」
蘇る、数ヶ月前の記憶。サラはそれを昨日の事のように、鮮明に覚えている。
──ねぇお姉様、ミナリーの代わりに嫁いでくれない?
「ミナリー……貴方、いくらなんでもそれは酷すぎるわ……っ」
『悪人公爵』の異名を持ったカリクスのことを、一度たりとも会うことなく、拒絶したミナリー。
その代わりに、そして家族のために自分を犠牲にして嫁いだサラ。
結果的にカリクスは噂とは全く異なる人物で、傍にいることでサラが心惹かれたのは事実だ。
けれど、それは相手がカリクスだったからだ。カリクスでなければ、身代わりになったサラはどんな酷い扱いを受けていたのか分からない。
ミナリーは、それを想像する頭を持っていないのか、それとも分かっていながら当たり前かのように言っているのか。
──いや、今はどちらでも良い。ミナリーの言葉に、サラは腹を立てているのだ。
「ぬいぐるみやアクセサリーとは違うのよ!? カリクス様は人間で……あげるあげないの話じゃないわ……!」
「どうしてそんなに怒っているの? お姉様は昔からミナリーがお願いしたら何でもくれたじゃない」
「だからそれは──」
「一緒よ? 物も、人も。お姉様は優しいから、なーんでもミナリーにくれるでしょう? お姉様のものはね、全部ミナリーのものになるの。そう決まってるの」
サラは何も好きで色んな物をミナリーに譲っていたわけではなかった。勿論可愛い妹に、と思わなかった訳ではないが、中には譲りたくないものだってあったのだ。
それでも良しとしてきたのは、両親がそれくらいあげなさいとミナリーの我儘を許容し続けていたから。
サラもそうしなければいけないと、当時思い込んでいただけだ。社交界では役に立たない自分の代わりに表に出てもらっているという罪悪感も、それを助長させた。
それでもここまで当たり前のようにおかしな言い分を言うミナリーに、サラは一種の恐怖を覚えた。
「いやっ……だめなの……あの方だけは、カリクス様だけは……っ」
「だめって言ったって、まだ結婚してないんでしょう〜? カリクス様、本当はお姉様との結婚嫌なんじゃないかしら。だから先延ばしにしてるんじゃないの?」
「っ、そ、れは、手続きに時間がかかるからって」
「アハハッ!! お姉様知らないの? 結婚の手続きだけならね、一週間もかからないのよ?」
「……!! そんな──」
信じられないというように、瞳に絶望を浮かべるサラに対してミナリーは満足気に笑みを浮かべる。
ミナリーは昔から、サラの苦痛に歪む顔が堪らなく大好きだった。
「可哀想なお姉様……。カリクス様はミナリーが貰ってあげるから、お姉様はこの家で前みたいにお仕事に励めば良いのよ〜。ね? きっとそのほうがお姉様も、それにカリクス様も幸せになれるわ。いい加減、カリクス様に愛されてないことを自覚するべきよぉ?」
悪魔の囁きがサラの耳に纏わりつく。
ミナリーが嘘をついている可能性だってあるが、もしも本当ならば、カリクスに嘘をつかれていたことになる。
それ即ち、結婚を先延ばしにされたということ。この結婚を、望んでいないということ。
サラのカリクスへの想いが、独りよがりなものだったことを意味してしまう。
────けれど。
「確かに……私はカリクス様に愛されていないかもしれない……」
「うんうん、やっと分かってくれたのね!」
「けど、良いの……たとえ私じゃなかったとしても。だけどねミナリー。──貴方じゃだめよ」
「は?」
「貴方では、カリクス様を幸せには出来ないわ」
「なんですって……!!」
──バシンッ!!
「いっ、……たぁ…………」
ふーふーと肩で息をして激昂するミナリーに左頬をぶたれたサラの頬は痛々しい程赤色に染まっている。
男に殴られたのと同じところを叩かれたのだ、無理はない。
それでもサラはミナリーに言った言葉に後悔はなかった。
自分の気持ちがどうとかカリクスが嘘をついたのかなんてどうでも良いのだ。──ただサラは。
「カリクス様に愛されなくても……っ、私はあの方を愛しているわ……! 誰よりも幸せになって欲しいの……! だから何度でも言ってあげる。ミナリーじゃカリクス様を幸せにはできないわ!!」
「うるさいわよ……! ちょっとお父様お母様! 早くこの女黙らせてよぉ!! ミナリーに酷いこと言うの!!」
二人もサラの生意気な態度には相当腹を立てていたので、迷わずサラに近付いていく。
拘束されていて逃げることが出来ないサラは、芋虫のように這うことしかできない。
「なっ、何をするつもりなんですか……!!」
「なぁに、この布でその生意気な口を塞ぐだけだ。これ以上騒がれたら面倒だ」
「安心なさい? ちゃんと反省したら手足も自由にしてあげますからね? それまでは……そうね。あの屋根裏部屋で一人で反省すればいいわね」
「やっ、いや……! やめて……!!」
少しずつ後ろに這うもののドン、と体が壁に当たる。
男のポケットから完全に布が取り出されると、逃げ場がなくなったサラは瞳に涙を浮かべ、それはつぅ……と頬を伝い、床にシミを作った。
ポタ、ポタ、ポタ──。
「カリクス様……! カリクス様ぁ……!」
ポタ、ポタ、ポタ、ポタ──。
来ないと分かっていても、その名を呼んでしまう。いつも助けてくれたカリクスは眠らされているというのに。
男の布を持つ手がサラに伸びる。必死に顔を左右に振るが女の手によって固定されれば、もう本当に成すすべはなかった。
(もうカリクス様にも……公爵家の皆にも会えなくなっちゃう……! カリクス様の奥さんに、もうなれないんだ……っ)
未来の展望が暗い中で、サラはカリクスの顔を思い浮かべる。
──好きって、ちゃんと伝えておけば良かった。
「カリクス様ぁぁぁ…………っ!」
──バタンッ!!!
重々しい扉が力強く開く音に、その場にいた一同が扉に視線を移した。
「サラ…………!!!」
顔の左側にある赤くて優しいオーラのように見える火傷痕に、サラは嗚咽を漏らした。
「かっ、かりく、す、さまぁ……っ」
読了ありがとうございました。
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サラに早く幸せになってほしい! という方もぜひ……!
やっと……やっとここまで来ました……




