29 サラ、カリクス救出大作戦へ
一部暴力の描写があります。ご注意ください。
見慣れた屋敷の前に着く頃には、もう日が落ちかけていた。
太陽は沈みかけ、月の姿の現れる瞬間はなんて神秘的なのだろう。サラは馬車から降りて空を見上げながらそんなことを思う。
「ここまで送ってきてくれてありがとう。もう遅いから今日は近くの宿で泊まっていって? これ、少ないけれど……」
急に駆り出された公爵家の馭者に、サラは自身の小遣いから宿に泊まるには十分なお金を支払う。
とんぼ返りは体がつらいだろうし、夜も更けてくると危険も伴う。急ぎだったので疲労も溜まっているだろう。
それなりに良い宿で体を休めてほしかった。
「サラ様、私はここでお待ちしていますよ?」
「ううん、大丈夫よ。近くの宿までなら歩いて行けるから、カリクス様がいるなら二人で、居なかったら私一人で宿に向かうわね。そうしたら明日の朝また送ってちょうだいね」
「かしこまりました」
瞬く間に遠くなっていく馭者を見つめ、姿が見えなくなるとサラは振り返って門番に声をかけた。
当時門番たちの間で噂になっていた、家族に嫌われ、みすぼらしい格好をしていた惨めな姉の面影は何処へと。
──サラの堂々とした佇まい、清楚な水色のドレス、白くてハリのある肌と艷やかな髪、これ程美しかったのかと惚れ惚れする美貌に、門番たちは開いた口が塞がらなかった。
「言われたとおりに一人で来たわ。開けてくれる?」
「はっ、はいいぃ……!!」
◆◆◆
久々に実家に足を踏み入れると、出迎えは一人も来なかった。
(おかしいわ……いくらなんでも閑散としすぎてる)
それなりの数の使用人を雇っている伯爵邸のエントランスはガラリとしている。そろそろ夕食どきなので準備が忙しいのかともサラは考えたが、それにしたって物音一つ聞こえなかった。
(カツィル……カツィルはどこかしら。あの子ならばカリクス様がここに居るかどうか教えてくれるはず)
一人で正面から屋敷には来たものの、サラはカリクスがこの場にいないのならば家族に会うつもりはなかった。
否、正確には会いたくなかった。気分を害することは想像するに容易いからだ。
しかし誰もいないのでは確認のしようもなく、とりあえず夕食の準備をしているだろうキッチンへ向かおうとすると、カツンカツンと近付いてくる甲高いヒールの音にサラは足を止める。
「あら、もう来たのね。ノロマのくせに今日はえらく早いじゃない」
「……お母様」
聞き間違えるはずのない母親の階段の踊り場で足を止めた見下ろす女は、小馬鹿にしたように笑う。
サラは一切不要な反応は見せず、芯の通った瞳で女を見つめた。
「何よその生意気な目は……!!」
「カリクス様はどこです」
「っ、私はその生意気な目は何なのかって聞いてるのよ!!」
「──カリクス様は、どこです」
「……っ! うるっさいわよ! サラのくせにぃ!」
顔を真っ赤にして足をどんどんと地面に叩きつけるようにして憤慨する女に、サラはほとほと呆れてしまう。
(私は……どうしてこんな人たちの言いなりになっていたんだろう)
淑女のしの字もないその姿を、恥ずかしいと思わないのだろうか。サラは内心そんなことを考えていた。
「それで、本当にカリクス様はこの屋敷にいるのですか?」
「当たり前じゃない……!!」
「それなら会わせてください」
「………良いわよ? 付いてらっしゃい?」
思わずサラは「え……」と声が出る。きっとキーキーと怒るか焦るかの二択だと思っていたからだ。
だというのに女は簡単にサラの頼みを受け入れ、そうして二階へ歩き出していく。
サラもそれに続くように歩くと、そこはダイニングルームだった。
「ここにカリクス様がいるのですか……?」
「ふふ、さあ入りなさい」
ニッと女が口角を上げた含みのある笑みを浮かべたことを、サラは症状により気が付かなかった。
何を言われても絶対にこの家には帰らない。何を言われてもカリクスは屋敷に連れて戻る。
サラはその覚悟を持って、珍しく女が扉を開いてくれたのでその後に続くと。
「残念だったなぁ、この大馬鹿者が」
「っ……!?」
──ドゴッ!!
部屋に一歩足を踏み入れた瞬間、サラは右に体が吹き飛んで倒れ込む。
ズキズキと痛む左頬は殴られたのだと気づくのに十分だった。
殴った男はドシドシ、と音を立ててサラに近付くと、しゃがみ込んで前髪を思い切り掴み上げる。
引っ張られる形で顔を上げたサラは、目の前の男の顔を見えないはずなのに、まるで悪魔のように思えた。
「本当にのこのこ一人でやってくるなんて馬鹿だなお前は!!」
「おとう、さま……っ」
「ミナリー、早く縄を渡しなさい」
「はぁい。ふふ、お姉様ったら可哀相に」
突如として父親から左頬を殴られ、倒れたところに前髪を掴み上げられ、両手を背中の後ろで束ねるようにして拘束される。
すると肩を押されてもう一度倒されると、そのまますぐに両足首を拘束され、自由が効かなくなった。
クスクスと笑うミナリーの声、苦労かけさせやがって、と愚痴る父親の声、うまくいきましたわね、と嬉しそうな母親の声がダイニングルームに響く。
これが幸せなホームドラマのワンシーンだったならばどれだけ良かっただろう。
現実はこんなにも、サラに対して残酷だというのに。
「どうして……! 私は手紙に書いてあった通り一人で来ました……!」
「だからなんだ!! 口答えするな!!」
(っ、正気じゃないわ……! ここまでするなんて……!)
サラは横になった状態で手足に力を入れるが、縄は全く外れる様子はない。
それでもなんとかしなければ、とジタバタと身体を動かして見るのだが、その姿が余程無様だったのか、ミナリーが鼻で笑う。
少し遠目で見ていた女がカツンカツンとヒールの音を鳴らし近付いてくる。
サラは体が思うように動かないので顔だけでそちらを見る。
バシン、と音を立てて、女は扇子を開いた。
「今日は前みたいに助けてくれる公爵様は居ないわよ? 今は別のお部屋でぐっすり眠っているもの」
「眠る……? っ、何か飲ませたのですか!?」
「ええ。販売が禁止になったつよーい睡眠薬を紅茶に混ぜて飲ませたわ。ちっとも警戒せずに飲むんだもの、笑いを堪えるのが大変だったわ!」
「ふふふ、お母様ったら〜!」
サラはぞくりと全身が粟立つ。
女が言うそれは、つまり安全が担保されていない薬ということ。
そんなものをカリクスに飲ませ、あまつさえ愉快そうに喋る姿は異常という他ない。
「カリクス様に会わせてください……! 無事を確認させてください……!」
「良く眠ってるだけよぉ。母の言葉を信じられないのかしら?」
「信じられませんわ……こんな暴挙に出る貴方達のことなんて、信じられ──ッ!!」
──ドカッ!!
今度は女に腹部辺りを蹴られ、サラは一瞬呼吸が止まる。ヒールのせいで稲妻のような鋭い痛みが走る。
ふっ、ふっ、と小刻みに息をすることで精一杯になり、痛みで額には汗が滲んだ。
「生意気な子ね……! 本当に可愛くない!!」
「まあまあお母様落ち着いて? ほら、大事な話があるでしょう?」
「ふっ、っ、…は、なし……?」
(ミナリーは一体何を……?)
痛みのせいで頭が回らず、サラは答えにたどり着くことが出来ないでいる。
そんなサラを横目に見てから、男はダイニングテーブルの上に置いてあった一枚の紙を手に取ると、再びサラの近くまで歩いてくる。
しゃがみ込んでその紙をサラを見えるようにぴしりと腕を伸ばした。
「おい、これを見ろ」
「!? ……何です……これ……っ!」
「ふはははっ!! 嬉しいだろう? また家族と一緒に暮らせるんだ」
頬の傷にもお腹の痛みにも勝るほどに、心臓がドクドクと飛び跳ねて痛い。恐怖の色がその目の中に光っていて、世界が違う色に見えた。
サラは小さく、拒絶に示すように首を左右に振った。
「サラよ……この婚約解消を求める書類にお前の名前を書く。そうしてお前は一生──この屋敷で家族の為に働いて過ごすんだ」
読了ありがとうございました。
少しでも面白い、続きが気になると思っていただけたら、ブックマークや評価【★★★★★】でぜひ応援お願いします。感想もお待ちしております。執筆の励みになります……!
サラに早く幸せになってほしい! という方もぜひ……!




