28 サラ、思いを胸に立ち上がる
ふぁ……と欠伸が漏れたことで時間を確認すると、午後3時になっていた。
昼食をとった直後から仕事に精を出していたサラは、切の良いところで休憩しようと席を立つ。
家臣たちから「働きすぎです!」「仕事の鬼2号になりますよ!」なんて言われたので、皆はまだ仕事をしているのに……と後ろ髪を引かれることはなかった。
執務室から一旦自室に戻ってお茶でも飲もうと思っていると、ノックの音がサラの耳に入る。
「サラ様、失礼致します」
「セミナ! 良いところに、もし手が空いていたら──」
「その、申し訳、ありません。急ぎ報告を、しなければいけないことがあるの、ですが……」
歯切れの悪いセミナの声。表情が読めないサラはその時、何かあったのかしら……? くらいにしか思っていなかったのだが。
次の瞬間、セミナの口から発せられる言葉にサラは視界がぐわりと歪むような感覚を覚えた。
「今、早馬でサラ様のご実家から手紙が届きました。ヴァッシュから、サラ様のご家族からの贈り物は全て事前に確認するよう指示を受けておりましたので中を確認しましたら──アーデナー公爵は預かった、と。助けたくばサラが一人で屋敷に来なさい、と」
「…………!?」
サラは直ちにソファから立ち上がると、入口付近のセミナの元へと小走りで向かう。
セミナの左手にある手紙を譲り受け、食い入るようにそれを見つめた。
(これは……お母様の字だわ……!)
どう考えても敬意を払う相手には送れないような崩れた字に、教養の低さが滲み出ている。
セミナは脳内で補完して読んだようだが、文字が足りていない部分まであった。
何より手紙の所々にインクが付着しており、書いているときに文字を掠ってしまったことが窺える。
これは普段文字を書かない人間か、文字を練習し始めた子供によくある現象だ。貴族の淑女ならば有りえないことである。
「セミナはこれを届けに来た人の姿は見た……?」
「いえ。門番に押し付けるようにして直ぐに帰っていったそうです」
「そう、なのね……。けれどどうしてカリクス様が……マグダット領に行ったはずなのに……」
届けに来た人が居るのならば詳細を問い質そうと思っていたサラは肩を落とす。
頼みのヴァッシュもカリクスについて行って不在の状態で、サラはお手上げだった。
(けれどお母様の字なのは間違いないもの……私を誘き出すための嘘って可能性は高いけれど……)
以前一度帰還するよう手紙が来たことを思い出し、今回はカリクスの名前を出せばと考えたのか。
その可能性は極めて高いのに、もしも本当にカリクスの身がファンデッド家にあったらと思うと、サラは不安に駆られた。
実際のところ、あのカリクスが家族にどうこうされる未来がサラにはあまり想像出来なかった。
頭も切れて腕っぷしも強く、冷静さも兼ね備えている。向かうところ敵なしのように思えた。
とはいえカリクスだって人間である。もしも油断しているときに襲われたら、薬や毒を盛られたら、そんな可能性だってないわけではない。
家族の異常さを、このときサラは誰よりも理解していた。
サラはきゅっと唇を噛み締めて、それから覚悟を決めたように口を開いた。
「セミナ、今から屋敷の皆を一箇所に集めてほしいの」
「……。かしこまりました」
「……何も聞かないの…………?」
「これでもサラ様のことは、カリクス様の次に理解していると自負しておりますので」
「……もうっ、セミナありがとう……っ」
それからセミナは、瞬く間に使用人や家臣たちを緊急招集と言ってエントランスに集めてくれた。
その場はざわざわと落ち着きがなく、何事かと慌てる者がほとんどだ。
そんな中でサラは不安を抱えながら皆の前に現れると、サッとセミナが用意してくれた高さ約30センチの台に登り、ゆっくりと全員を見渡す。
顔が見分けられないので、誰がどこにいるのかも分からない。一体どんな表情をしているのかも分からない。言葉が飛び交う中では、声だけで判別することも難しい。
幾度となく、サラはこの症状を恨んだことだろう。
(怖い……怖い…………っ)
何となく大量の視線は感じるのに、それがどんなものなのかが分からなくて、サラは背中にじっとりと汗をかいて、息が浅くなる。
「あ…………あの、…………えっと」
伝えたいことはちゃんとあるのに、言葉が上手く出てこない。声は震え、サラは少しずつ俯く。
──それが起こったのは、サラが完全に俯く寸前のことだった。
「サラ様ー!! 庭師のトムだ! ゆっくりでええからなー! ちゃんと皆待つからのー!」
「っ、トムさん……っ」
「コックのマイクですー! 大丈夫ですから顔上げてください! 皆、サラ様の話ちゃんと聞きますからねー!」
「マイクさん、まで……」
二人が声を上げてから、それは波紋のように広がっていく。
「サラ様ー! 頑張ってー!」「サラ様ー! 落ち着いてー!」そんな声がエントランス全体に広がり、サラは自然と顔を上げた。
こちらを見る目が温かいことくらい、顔が見えなくたって分かる。
「サラ様、皆サラ様のことが大好きなんですよ。ですから大丈夫です。ありのまま、思ったことを話したら良いんです」
横で控えるセミナにそう言われたら、サラはもう怖いものなんてこの世には無いんじゃないかとさえ思えた。
公爵邸に来てから、おそらくカリクスよりも長い時間を過ごしたセミナは、こういう場面で必ず欲しい言葉をくれる。
サラはコクリと頷いて、今度は堂々とした姿で再び前を見据えた。──もう声は震えなかった。
「今さっき、私の実家、ファンデッド伯爵家からカリクス様を預かったという脅迫文が届きました。──助けたければ私に一人で、来るようにとも。
…………恥ずかしい話ですが、家族は私のことを一切愛しておらず、自分たちの利益のためならば手段を選びません。あのカリクス様とはいえ、万が一の可能性も、無くはないです」
思いもしなかったサラの発言に、一同は言葉を失う。
カリクスの件についてはもちろんだが、使用人や家臣たちの前では極めて明るい態度をサラはとっていたので、まさか家族と確執があるだなんて夢にも思わなかったのだ。
「この屋敷に来て、私は人に大切にされることを知りました。自分の顔を見分けられないという症状を、受け入れてもらえました。
カリクス様が居ない今、将来カリクス様の隣に胸を張って立つために私はここに残り──屋敷を守ることが、最善なのだろうと思います。事実私は、カリクス様を送り出すときにお任せくださいと言いましたから」
サラはぐっと、拳に力が入る。
どうか上手くこの思いを言葉に出来ないか、とそう思ったとき、頭に浮かんできたのはカリクスがマグダットに旅立った日の夜のこと。
あのときサラは込上がってくる感情を押し込めた。そんなはずはないと否定した。
叶わないと分かっているのに口に出してしまえば、苦しいだけだと知っていたからだ。
サラはがばりと腰を折って頭を下げる。さらりと、髪の毛が揺れた。
「どうか、お願いします……! 手紙に書いてあることは全て嘘という可能性は高い、けど……それでも万が一があるなら、私はカリクス様を助けに行きたいのです……っ! こんなちっぽけな私にできることなんて限られているけれど……それでも、それでも私はあの方が、カリクス様のことが────」
◆◆◆
それから直ぐに馬車に乗ってサラは屋敷を後にした。
使用人たちがサラの背中を押すことは予想済みだったので、セミナが事前に準備をしておいたのだった。
「さて、皆さん」
パンパン、とエントランスに集まったままのセミナが手を叩く。
サラの気持ちの籠もった言葉に、一同は余韻に浸るようにぼんやりとしていたからだ。
「旦那様もサラ様もきっと無事戻られます。それはもう見ている方が恥ずかしくなるくらい、仲睦まじい姿をまた直ぐに見せてくださいます。そうなったら我々も胸焼けして仕事にならないかもしれませんね。つまり、さっさと働きますよということです」
「ガハハ!! 違いねぇ!!」
庭師のトムが大きく笑って見せる。それにつられて一同も「確かに確かに〜」「今のうちに仕事するぞ!」なんて言葉を漏らしながらぞろぞろと持ち場へと戻って行った。
そんな一同の背中を見つめながら、残っているのは自分だけよねと確認したセミナは、サラが乗っていた台を片付けようと持ち上げる。
元の場所に直そうとゆっくり歩き始めて廊下に差し掛かると、サラの最後の言葉を思い出してはたと足を止めた。
「──大好きだから、なんて、こんな大勢の前で言うなんて……サラ様は変なところで大胆なんだから。……ふふ、直接聞けなかったと知ったら旦那様、さぞ悔しがるのでしょうね」
二人の姿を想像して、セミナはポーカーフェイスを崩すと穏やかな笑みを浮かべる。
キッチンから漂ってくる苺の香りに、しばらくは苺のジャムが朝食で出るのかな、なんて。
──ああ、なんて甘酸っぱい。
読了ありがとうございました。
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サラに早く幸せになってほしい! という方もぜひ……!




