27 カリクス、いざ義家族の元へ
「旦那様、本当に一人で行かれるのですか?」
「そうだと言っている。ヴァッシュ、お前は私に何回同じことを言わせるつもりだ」
急いては事を仕損じる。カリクスはこの言葉が割と好きだ。物事を有利に進めたいときは対策を練るに限る。
いくらサラのためになんでもすると言っても、もしアーデナー領地や、その権限を寄越せと言われても首を縦には振れない。あんな義家族に領民を任せることは出来ないからだ。
私財を渡して事が丸く済むのならば良いとも考えたが、それだとファンデッド伯爵家がまた散財してサラに何かを要求したり、金が尽きればサラを家で囲おうとする可能性がある。根本的な解決にはならない。
カリクスはデータを取り返すことしかり、今後一切サラに関わらないような確約を取り付けたかった。
「しかし相手はゴロツキを雇って襲わせるような……、お一人で何をされるか分かりませんぞ」
「私はこの国で一番強いと自負している。──で、他に何かあるか」
「……いえ。出過ぎた真似を申しました」
けれどヴァッシュが言うことは一理あり、カリクスは常識の範囲内で様々な対応を考えるが全てしっくりこないでいた。
(あの義家族のことだ、常識なんて持ち合わせていないだろう)
カリクスは緩んだ襟元を整えると、おどおどした様子のマグダットを瞠る。
「マグダット、少し良いか」
腹が減っては戦はできぬ。
その言葉通り昼食をとってからカリクスを送り出すため一同は屋敷のエントランスに集まっている。
カリクスは怪我人は休んでいろと事前に伝えたのだが、友人の出陣にマグダットは休んでなんていられなかった。
カリクスに呼ばれたマグダットは数歩、彼に近づく。
「な、なんだい……?」
「お前将来結婚の予定はあるか」
「な! 何さ急に……っ」
「良いから答えろ」
「な、無いよ……! あるわけ無いだろ!! 僕の恋人は植物だけさ……!」
一体このタイミングで何故この質問を? とマグダットは理解できない。
しかしカリクスはそんなマグダットに立て続けに問い掛けてくる。
「ならお前が将来跡取りに養子を取る可能性は」
「それもないよ……! マグダットの平民には優秀な人が多いんだ! 領主の仕事は任せて僕は引退するさ! 本当は今すぐでも引退したいんだ!」
「お前らしい。……よく分かった。ああ、あと最後に」
「ま、まだあるのかい……?」
今から修羅場に向かうというのに、どうしてこの男はこうも関係のないことを言ってくるのだろう。
マグダットはカリクスの質問の意図が一向に読めない。
「──私たちが初めて出会った日、お前の代わりに代金を支払ったこと覚えているか」
「え? う、うん……あのときはありがとう」
「それと今日私が来てお前の仕事の手伝いの算段をしたこと、借りができたと言ったよな」
「? それは……もちろん」
(午前中に話したばかりなのに、もう忘れてしまったのだろうか。意外と忘れっぽいのか? ぶつぶつ……いやでも、昔の立替は覚えていたし……。ぶつぶつ……ってあれ? 僕あのときのお金返したんだっけ?)
マグダットは疑問に疑問を重ねるが一つも解決しない。
仮説と実験を繰り返す研究に身を置くものとしては気持ち悪いことこの上ないのだが、口には出さなかった。本能的にカリクスから答えが返ってこない気がしたからだ。
カリクスの口角がニッと上がったことに、マグダットは気づくと背筋がぶるりと粟立つ。
まさに『悪人公爵』の評判通りの表情である。
「つまりマグダット、お前は私に借りが2つあるということだ」
「そ、そうなるね……? だ、大丈夫さ! 借りはいつか返すから……!」
「その言葉──よく覚えておけ」
ふ、とカリクスは小さく笑って身体を反転させると「では行ってくる」と一瞥をくれて出ていく。
マグダットが急ぎ用意した馬に乗って、カリクスは一人で敵地へと向かったのだった。
馬を走らせて30分程度、馬車の半分の時間で目的地に辿り着いたカリクスは、屋敷近くの馬小屋にマグダットから借りた馬を預ける。
初めて訪れた婚約者の実家──ファンデッド伯爵邸の二人の門番の片方に声をかけると、顔に大きな火傷痕があるカリクスに驚いたのか、ヒィ……! と悲鳴を上げる。慣れたものだとカリクスは顔色一つ変えないのだが。
「カリクス・アーデナー──サラの婚約者が話があると伝えてくれるか。済まないが急ぎのため約束は取り付けていない」
「わっ、分かりました……! おい! 俺が行くからお前はここで待機してろ!」
おそらくカリクスの火傷痕が恐ろしかったのだろう。声を掛けられた門番が脱兎の如く逃げるようにして屋敷の中に入っていき、もうひとりにカリクスのことを任せていく。
義家族たちはどうあれ、別に門番たちには何の不満もないカリクスは、相手に余計な恐怖を与えないために少し離れたところで連絡を待った。
「カリクス・アーデナー公爵閣下! 旦那さまから許可が降りましたのでどうぞ入ってください!」
許可が降りたことでギギ……と不快な音を鳴らしながら門が開く。
数メートル先にある入り口へ向かうと、ドアノブに触れる前に扉は開いた。
「カリクス様ようこそ伯爵邸へ……! もしかしてミナリーに会いに来て下さったんですかぁ?」
鼻を塞ぎたくなるほど甘ったるい香水の匂いに、耳を塞ぎたくなるほどの猫なで声。許可をしていないのにカリクス様と名前で呼ばれ、婚約者でもないのにぎゅっと腕にしがみつかれた。
カリクスは言いたいことが有りすぎて頭がパンクしそうだったが、まずは痛くない程度にミナリーの手を掴んで腕から引き離す。
無礼者、と怒っても許される場面だろうが、カリクスは冷静な態度のままミナリーに視線を寄せる。
「突然の訪問失礼する。──ミナリー嬢、君の両親に話があるんだが」
「えー? ミナリーに会いに来たんじゃないんですかぁ? 残念! けど分かりましたわ? ミナリーがご案内しますから付いてきてくださいね?」
本来ならば使用人に案内してもらうところだが、急な来訪によりエントランスには使用人たちの姿はなかった。
「…………ああ、よろしくたの──!?」
「うふふっ、隙ありですわっ!」
──ギュッ!!
物凄い力で再び腕に抱きつかれ、カリクスは怒りよりも嫌悪感で頭がおかしくなりそうなのを必死に耐える。
もはや振り解いてもまた抱き着かれてる未来しか見えない。叱責して泣かれでもしたらこの後の話し合いがスムーズにいかなくなるだろうし、何より鬱陶しい。
(我慢だ我慢……サラのことを考えよう)
この腕に絡みついてくる女がサラだったなら、どれだけ心躍るだろうか。
恥ずかしそうに顔を真っ赤にして、弱々しい力でしか腕を絡ませないのだろう。顔を見るのは恥ずかしいと俯いて、つむじさえも愛おしいと思うのだろう。
(サラ……さっさと終わらせて君の元へ帰るよ)
脳内をサラで満たしたことで、カリクスは気持ちを落ち着かせる。
もちろん完全に隣のミナリーへの嫌悪感が消えたわけではないが幾分かマシだった。
愛しの婚約者に思いを馳せればこの苦行もあっという間というもので、とある部屋の前につくとミナリーに続いてカリクスは足を止めた。
「こちらですわ〜。どうぞ!」
「…………失礼する」
通されたのはローテーブルを挟んで三人がけのソファが2つ置いてある応接間。
上座のソファの真ん中にどっしりと座るのはかなり肉付きの良い男。初対面ではあったが、なんとなく目元にはサラの面影があることから、父親だということをカリクスは即座に理解する。
「急な訪問、受け入れてくれたこと感謝する」
「いやいや、それはもちろんですよ。娘の婚約者のアーデナー公爵閣下ですからな」
「夫人は?」
「今茶を入れに行っております」
「……使用人にさせないのか」
「以前公爵閣下に怪我をさせたお詫びをしたいと、とびきりのお茶を準備すると言っておりました。ま、そんな話は置いておいて、ささ、どうぞ」
ようやくミナリーが離れて男の隣に座ったので、カリクスは言われたように向かい側のソファに腰を下ろす。
(あの女が詫び? 今更?)
疑念は持つが口にも表情にも出さない。
目の前にいる男は気持ち悪いくらいにニヤニヤと笑っていて不快だが、ペースを持っていかれないためにもカリクスは平常心を装わなければならなかった。
「入りますわ」
そんな中、現れたのはサラの母親だった。手にはティートレーを持ち僅かに湯気が立っているそれは、どうやら既に中身が入っているらしい。
女のティートレーを持つ右手の小指側が黒く擦れていることにカリクスは気付いたが、さほど気にすることではないかと指摘することはなかった。
「ようこそおいでくださいました公爵閣下。怪我のことお詫びが遅れてしまって申し訳ありません〜」
女は見るからに反省していない様子で軽く頭を下げると、テーブルにティートレーを置く。
だいたいこういう場合はメイドがワゴンの上にお湯と茶葉とティーカップを乗せ、客人の前でお茶を入れることが多いのだが──カリクスはそう思いながらも、沈黙を貫く。
パタン、と後をついてきていたらしい使用人が扉を閉めると、女がそれぞれの前にお茶を置いていく。
ガチャガチャとうるさい音を立てるので、普段から人をもてなすということをしていないのは見るより明らかだった。
配り終わった女はミナリーとは反対側の男の隣に座り、カリクスを見て男と同様に気持ち悪いほどにニヤニヤと笑みを浮かべる。つられるようにしてミナリーも口角を上げ、カリクスは何を思ったのか、ふ、と微笑を見せた。
「さてと、先ずは冷める前にお前の入れてくれたお茶をいただこうかな。さあ、公爵閣下も遠慮せずに」
「ああ、折角だからいただこう」
カリクスが優雅な手付きでティーカップを持ち、ゴクリと喉が音を鳴らす。
それを確認した三人は頬が引き攣りそうなほどに口角を上げ歯を見せる。
その約20秒ほど後だった。
カリクスはテーブルに伏せるようにバタンと倒れたのだった。
読了ありがとうございました。
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サラに早く幸せになってほしい! という方もぜひ……!




