26 カリクス、サラのためなら手段を選ばない
カリクスは開いた口が塞がらない。何故ここでファンデッド伯爵家──サラの実家の名前が出てくるのか。
「どういう、ことだ。私の婚約者の実家がお前に危害を加えたって」
普段あまり焦りを見せないカリクスの動揺する姿に、マグダットは言いづらそうに俯いた。
「実は……四日前に屋敷の外にある植物園で研究をしていたとき、急に何者かに襲われたんだ。身なりは平民そのものだった。何か鈍器で殴られそうになったから抵抗したら左手がこんなことに……。それで痛みで倒れたら頭を打ってね、意識が朦朧としたとき、その男が言ったんだ。これでファンデッド家から金がもらえる、って。……それで、目が覚めたら植物の研究データが盗まれてることに気づいて……僕の、今までの努力の成果が……」
マグダットの植物の研究データには価値がある。キシュタリアで売買するのは危険だが、他国に売り付ければリスクなく一生遊んで暮らしてもお釣りがくるくらいには、それは貴重だった。
つい最近カリクスに援助金を切られたファンデッド家は無い頭で考えたのだろう。どうやって無いお金を作り出すのか。
そして思い付いたのがファンデッド領地の隣りにあるマグダット領地──その領主である彼の研究データだったのだろう。
辻褄は合う。寧ろこうとしか考えられない。
まさかあの義家族が犯罪にまで手を染めるとは予想していなかったカリクスは天を仰ぐ。流石に直ぐには認めたくなかった。
カリクスはゆっくりとした動きで顔を正面へと向き直し、そのまま頭を垂れた。
「済まない……マグダット」
「なっ、何故君が謝るんだアーデナー……! 君は何も悪くないじゃないか!!」
「私はサラの婚約者だ。そして君を傷付け、データを盗むよう指示したのは彼女の家族だ。──私の家族と言っても差し支えない」
「それは……そうかも、しれないけど……けど、君が謝るのは話が違う……! 僕はそんなことのために君を呼んだんじゃない……っ」
「マグダット……」
マグダットの言葉に、カリクスはもう一度頭を下げてから向き合った。
瞳に光が戻った友人に、マグダットは安堵する。ふぅ、と息を吐いた。
「僕はね……返してほしいだけなんだ。……大切なものだから。何も刑罰なんて求めてないんだよ……それこそ、アーデナーの大事な婚約者の家族だ」
いくらこの事件にサラが関係していなかったとしても、この犯罪行為が公になり罰が下れば、サラにも被害が及ぶだろう。
家族が犯罪者と知られれば、貴族社会においてのサラの立ち位置は絶望的なものとなる。
せっかく前を向き始めた愛しい婚約者を、カリクスはどうしても守りたかった。
「マグダット、本当にデータが戻ればそれで良いんだな?」
「ん? う、うん」
「………………感謝する」
「アーデナー……? 何を考えてる?」
再三だがマグダットがカリクスに直接会ったのはこれが二回目だ。僅かな癖や声色で意図を読むことなんて出来ない。
だというのに。今のカリクスの表情ときたら。
「私が直接行って返すよう話してくる」
「!? 犯罪に手を染めるような人間が……頼まれて返すなんて……こと…………」
「あり得ない」マグダットはそう言葉を続ける気だったのに、喉まででかかった言葉が声になることはない。
カリクスが、恥ずかしそうに顔をゆがめて笑っていたから。
「大丈夫だ。──私はサラのためなら何だって出来る」
ゴクン、とマグダットは乾いた喉を潤すように唾を飲み込む。喉仏がぐわりと動くのが分かる。
目の前の男に、こんな顔をさせるサラとはどんな女性なのだろうかと、マグダットは初めて自分から誰かに会ってみたいと思った。
◆◆◆
同時刻、ファンデッド伯爵家では。
「ねぇお父様?」
怠惰な生活を送るサラの父親の朝は遅い。
ミナリーがひょこっと扉から顔を出して声をかけたとき、男はまだ朝食をとっていた。
ペチャクチャと音を立てながら優雅さの欠片もない食べ方に、本日の給仕担当のカツィルは後ろで控えながら手をワナワナと震わせる。
「どうしたんだいミナリー」
「あのねぇ? お姉様は呼び出しても来なかったけれど、アレは手に入ったじゃない? 早く高値で売ってお金にしてほしいなぁって! ミナリー今度は赤いドレスが欲しいの! この前のお茶会でお姉様が着てたのより可愛いの! ね? 良いでしょう?」
着席している男の後ろに回り込み、抱きつくようにそういうミナリー。
甘えてくる姿に何でも買ってやりたくなるが、男はぐっと堪える。
「まあまあ少し待ちなさい。バレないルートで他国に売りつけるには多少時間がかかるんだよ」
「え〜〜もう! 早くしてよねお父様!」
実際は多額のお金が入っても、領地の赤字返済と今後の領地運営に優先的に回さなければいけないのだが。妻とミナリーは領地経営が赤字になっていることを知らないので完全に浮かれるばかりだ。
喜ぶ二人の顔は見たいと思ったが、男は破産して爵位を失うことだけは避けたかった。
ぷく、と頬を膨らませたミナリーだったが、一応納得はしたようでさっそうと部屋を出ていく。
ドタドタと足音を立て、バタンと雑に扉を閉めるミナリーに、カツィルは呆れ顔だ。
(どうしてあんな女が可愛がられてサラお嬢様が……公爵様には一応丁重な扱いを受けていると同僚から聞いたけれど、本当かしら……。それにアレって一体……)
バレないルート、他国、アレという言い回し。なにか良くないものなのだろう、それは容易に想像がつく。
しかしそれが何なのかは、カツィルには一切分からなかった。
それからカツィルは執務室で仕事もせず、見苦しいほどに膨らんだ腹を摩りながらソファで横になる当主をちらりと見る。
カツィルは今日は雇用主たちと関わらずに済む掃除が担当だったのだが、そんな日に限って同僚が風邪を引いて男の担当になってしまったことにため息を吐きたくなった。
「おいそこの」
「……! は、はい。何でございましょう」
足をピンと伸ばして目だけをこちらに向ける男に、足で指すなと思いながらもカツィルは職務をまっとうする。
「私のテーブルの上に書類の束があるだろう。取れ」
「……かしこまりました」
そうやって動かないからブクブク太るんでしょうが! と言ってやりたかったが、カツィルはそんな自分を諌める。
言われた通りの書類を手に取れば、表紙に書いてある名前に違和感を持った。
(プラン・マグダットって……これがどうして……)
「おい! 早くせんか!」
「……! はい、直ぐに」
カツィルは幼い頃はマグダット領地の人間だった。
商人だった父の影響でファンデッド領地に移り住んだのはかなり昔のことだ。
記憶の片隅にあるマグダットは暮らすには不自由はなかったが閉鎖的な領地だった。
当時の領主が研究好きで屋敷に籠もっていて、外交をあまり行っていなかったからである。
その息子プラン・マグダットも同じ穴のムジナのようで研究熱心だという噂はよく耳にする。
前当主と少し違うのは研究で成果を残していることくらいだろう、と同僚同士が話していたのをカツィルは思い出した。
カツィルはソファに寝転ぶ男に頼まれた書類を手渡す。
感謝の言葉一つもなく奪われるようにしてそれは男の手元に渡ったのであった。
「これがあれば……私はまだまだやれるぞ。金さえあれば私の手腕で立て直すことは造作無い」
(これって今渡したの資料よね……じゃあアレってもしかして……他国に売りつけるって……)
カツィルはハッとして自身の口を手で覆う。
カチャリ、と大事そうに頑丈そうな鍵を胸ポケットにしまう男を凝視しながら。
読了ありがとうございました。
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サラに早く幸せになってほしい! という方もぜひ……!