25 カリクス、マグダット領に到着する
誤字脱字報告ありがとうございます。
鳥の囀りとレース調のカーテンの隙間から差し込む朝日にサラは薄っすらと目を開ける。
それほどまだ暑くないことから察するに、まだ起きるには早い時間なのだろう。
(ふぁ〜……ねむ、たい)
昨日は考え事をしていたせいで寝付くのが遅かったサラは、目をとろんとさせたまま上半身を起こした。
二度寝をしたら気持ちが良いだろうが、そうしたら今度は寝坊をする未来しか見えない。両頬を軽く掌でぱちんと刺激し、サラはスリッパを履くと起き上がる。
最近で言うとサラは仕事を熟し朝まで熟睡ということが多かったので、セミナに起こされて朝の支度をするという流れが多かった。
寝起きの渇いている喉に適温の紅茶を流し入れ、髪をとかしてもらったりドレスを着せてもらったり、大分と慣れたものだ。公爵家に来た当時は朝の支度はいつも自分で行ってしまい、よくセミナに「私に仕事をください」とぼやかれたのを思い出す。
(ふふ、セミナ……久しぶりにぼやくかしら。……けれどせっかく早く起きたし、朝の鍛錬をしているカリクス様を見に……って、私の馬鹿……! 今はマグダットに行っているのよね……)
有意義な朝のはずが、ズシンと沈む気持ちにサラはハッとして口元を手で覆う。
今日はカリクスに会えないのだと分かっていたはずなのに、改めて実感すると感情を制御しきれない自分に驚くばかりだ。
サラは口元にやっていた手を胸に置く。トクトクと波打つ早い鼓動に切なさが募った。
「無事に……帰ってきてください……」
◆◆◆
アーデナー領地からマグダット領地までの道のりは割と短い。王都を抜け、内地へと馬車で向かって約2時間で着く。
昨日の夜マグダット領に到着したカリクスは、急ぎとはいえ怪我人に対して夜分に出向いては迷惑だろう、とヴァッシュを含めた四人で適当に宿を取ったのだった。
朝日が昇ると直ぐに支度を始めたのは執事のヴァッシュだ。カリクスの分はもちろん、マグダット家と主にやり取りを行っている家臣二人の分も慣れた手付きでこなしていく。
カリクスは南側にある小窓から外を覗き、大通りの様子を確認するとヴァッシュたちに視線を寄越す。
「街も賑やかになってきた。そろそろ行くぞ」
「かしこまりました」
マグダット家は大通りを南に進んだ森の入口の手前にある。
手紙とともに送られてきた地図を頼りに辿り着くと、カリクスは門番へと声をかけ、屋敷へと足を踏み入れた。
「お越し頂きありがとうございます。お待ちしておりましたアーデナー公爵閣下。私はこの屋敷の管理を任せられております執事のグルーヴと申します」
「カリクスだ。世話になる。……それで、マグダットは」
ぐるりと簡素な屋敷を見渡せば、グルーヴ以外の使用人の姿がない。マグダットが人と関わることが苦手で周りに使用人を置かないからである。コックさえ雇っていない。
グルーヴがすべての雑務を担っているので有り難いと、以前手紙に書いてあったことを思い出し、カリクスはこの静かな屋敷に違和感を覚えることはなかった。
「既に応接間でお待ちになっております。こちらです」
屋敷の入口付近にある部屋へと通され、グルーヴの後に続いて足を踏み入れるとそこにはソファに座っているマグダットの姿がある。
左手は包帯でぐるぐると巻かれていて、添え木で固定されている。たしかにこれでは長時間の馬車移動は身体に響くはずだ。
「や、やぁ……! アーデナー! 元気だったかい!? 実際会うのは二回目だね! 嬉しいなあははは! わざわざ来てもらってごめんよ……いたたっ!! 見ての通り左腕が……いいい!!」
「痛いなら押すな。あと座れ。それといつからそんなに明るくなった? ──襲われた恐怖でおかしくなったか」
カリクスの言葉に、マグダットはぴたりと硬直した。
マグダットと初めて出会ったのは、カリクスが2年ほど前、自領を視察していたときだ。
その日は主に薬草や野菜の仕入と売上の状況を確認しに行ったのだが。
──こっ、この野菜は出来は素晴らしい……。こっちのも負けてない……ブツブツ……こっちの薬草なんてなかなか出回らないのに凄い……ブツブツ……凄いぞ……。
通り過ぎる人が引くほどにぶつぶつと独り言を話す男──マグダットを見つけ、店の迷惑になるのではとカリクスが「済まないが……」と声をかけると、マグダットは腰を抜かして地面へとへたり込んだ。
ああ、どうせこの火傷痕を怖いだとか気持ち悪いだとか思っているのだろうと思っていたカリクスだったが、マグダットの発言に目を見開くことになる。
──イケメェン……凄い美形だ……どうしてこんな僕なんかに……あ、僕が邪魔だったのか……? それともこの人も植物に興味が……だったら話を聞いてみても……いやいや……僕話すの苦手だし……人も苦手だし……。
おそらく口に出していることには気づいていないのだろう。
普通ならば火傷痕に目がいくはずだというのにおかしなやつ、だとは思いながらも悪い人間ではないと分かったカリクス。
その日は目星のつけた店を見終わっていたので、気まぐれで植物が好きなのか、と問いかけてみる。
するとあれよあれよとマグダットは植物に対しての愛を語りだし、実は子爵だということまで明かしてくれた。今日は遠出してアーデナー領地で販売及び栽培されている植物を見に来たのだとか。
出会ったことのないタイプの面白いマグダットに、カリクスも身分を明かしたことで交流を持つことになったのだった。
余談だがその日、植物を大量購入したマグダットの持ち合わせが少なかったので、カリクスが代わりに払ったとか。
あれからしばらく、特にカリクスは多忙だったので手紙のやり取りしかしていないが、お互いにそれなりのことは知っている。
カリクスに婚約者ができたことも、マグダットの『植物博士』という異名が貴族たちに広まりつつあることも。
マグダットは襲撃の件を思い出すと、嗚咽を漏らしながら目尻に涙を浮かべた。
「うっ、うっ、怖かったよぉ……何で僕なんかを襲うんだよぉ……酷いよぉ」
「普段通りに戻ったな。見舞いの品としてアーデナー領地で取れた植物を大量に持ってきたから元気を出せ」
「!? それは本当かい……!?」
涙は一瞬にして引っ込み、玩具を前にした子供のように目をキラキラさせるマグダット。
カリクス曰く『植物博士』には植物の現物支給が一番らしい。
「ああ。で、怪我は?」
「全治一ヶ月、その間は畑やプランターを弄るなと言われたんだ……ぶつぶつ……そんなの……ぶつぶつ……」
「それは置いておいて仕事のほうは良いのか。お前一応領主だろう、領地のことは? それに子爵としてアーデナー家以外にも色々繋がりがあるだろ。滞ったら不味いことがあるんじゃないのか」
「それは……」と言い淀むマグダットに、カリクスは呆れたように溜め息を吐く。 この男は本当に植物以外のことは割とどうでも良いのである。
とはいえマグダットという男は何も植物が好きというだけで『植物博士』なんて呼ばれているわけではない。
それぞれにあった栽培方法の模索、新たな植物の品種改良など手広く研究し、結果を残しているのだ。
今やマグダット家と懇意になりたい貴族の殆どは、この植物の将来性、つまりはマグダットの頭脳をかっていると言っても良い。
研究熱心なことは素晴らしいのだが、領民に負担をかけるわけにはいかない。カリクスはこの事態を放ってはおけなかった。
「ダイス、カミラ、」
「「はい」」
カリクスが連れてきた家臣たちの名を呼ぶと、ソファの後ろに待機していた二人は一歩前に出る。
「マグダット。彼らは私の家臣でありマグダット領地を担当していた文官だ。本人たちは納得しているから怪我が治るまで仕事は任せたら良い」
「ありがとうアーデナー……っ、流石持つべきは優秀な友だ。一つ借りが出来たね」
「──お前は元からこのつもりだったろ」
ヴァッシュが口頭で読んだマグダットからの手紙の助けての意味をいち早く見抜いたカリクスは、良くもぬけぬけと……と思いながら腕を組み直す。それでも直ぐに様子を見に来るぐらいにはカリクスにとってマグダットは大切な友人だった。
「まあ、それは良い。──それで」
マグダットの痛々しい左手を凝視しながら、カリクスは低い声で尋ねた。
「その怪我、誰にやられた」
「………………これは、多分なんだけど……」
怪我をしていない方の手でマグダットは自身の癖のある髪の毛をぐしゃぐしゃと搔き乱す。
ゴキュ、とマグダットが息を呑む音が応接間に響いた。
「ファンデッド伯爵家に雇われたゴロツキ」
「──!?」
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サラに早く幸せになってほしい! という方もぜひ……!




