24 サラ、恋バナを初めて体験する
季節は夏本番になり、7月半ばのこと。それはサラが、カリクスと早めの夕食をとっていたときのことだった。
「旦那様、サラ様、お食事中失礼します」
今日のメニューは色とりどり新鮮な野菜が使われたサラダに、胃に優しいトマトベースのスープ。白身魚のムニエルには香り高いバジルソースがかかっている。
毎日少しずつメニューを変えて提供してくれるシェフにサラは感謝しながら食べ進めていたが、ヴァッシュの登場により手を止める。
「何のようだ。急ぎじゃないなら後にしろ」
「それがまことに急ぎの案件でして」
「……ヴァッシュ、お前最近仕事を入れすぎだ。こうやってサラとゆっくり食事をするのは3日ぶりなんだが」
お茶会にカリクスが登場し身を持って婚約者を庇う姿に、一定数の貴族がカリクスに対する印象が変わったらしい。
それに気が付いたのは、今まで関わりを持っていなかった貴族たちからの手紙や取引が急激に増えたからだった。
カリクス曰く「王族に秘密の花園に誘われた影響」らしいが、サラにはそれだけだとは思えなかった。
(噂が独り歩きしていただけで、カリクス様は元から誠実で気遣いもできて優しいお方……。もっとこのことが広まれば良いのに)
サラはそんなことを思いながら、カリクスとヴァッシュの会話に耳を傾ける。
「マグダット子爵から緊急事態だと……何者かに狙われて怪我をしたらしく助けてほしいと。身動きが取れないため伺えそうにないので足を運んでくださらないかと」
「……! 襲撃だと……。分かった。直ぐに準備に取り掛かれ。見舞いの品も忘れるな」
「かしこまりました」
和やかな晩餐の雰囲気から一転して重々しい雰囲気になる部屋で、急ぎ出ていくヴァッシュの背中をサラは目で追うと、次はカリクスに視線を移す。
「サラ、済まないが三、四日は帰れないかもしれない」
「はい。分かっています。マグダット子爵はカリクス様が懇意にされている方です。助けを求められたのですから、直ぐに行ってあげてください。その間は私が……微力ながら、この屋敷をお守りします……!」
アーデナー家へ来た頃、サラは自信の欠片もなく、できる限りのことは頑張ろうと決意したものの、卑下することも多々あった。
周りを頼ることもできず、うじうじと悩むこともあったが、最近は誰が見ても変わりつつある。
サラはそんな自分が案外好きだった。
自信を持ち、誇りを持って仕事をし、屋敷の者たちと一緒にカリクスを支えられることがこんなにも嬉しいことだなんて、家族に執着していた頃には考えられなかっただろう。
サラの心強い言葉に、カリクスは安堵の表情を浮かべてから立ち上がる。
「頑張ることを、頑張りすぎないでくれ。……だが頼んだ」
「はい……! お任せください……!」
そうして部屋を出ていくカリクス。
ものの1時間で諸々の準備を終えた一行を「行ってらっしゃいませ」と送り出せば、カリクスはサラの頬をするりと撫でてから「待っていろ」とだけ告げて屋敷を後にした。
サラはカリクスを送り出してから湯浴みを終えると、珍しく仕事も読書もせずに自室のソファで寛いでいた。
「食後のお茶はいかがしますか? 本日のお茶はダージリンをご用意しておりますが」
「頂くわ。いつもありがとう。あ、2つ用意してくれる?」
「2つですか……? 僭越ながら旦那様は今日は」
「ふふ、カリクス様にじゃないわ。セミナさえ良ければ、一緒にお茶したいなぁと思って」
「だめかしら……?」と不安そうな目で見つめられたセミナは無意識に首を縦に振ろうとして、ハッとする。
いくらなんでもメイドの立場で未来の公爵夫人と席を共にするなどあり得ない。
心を鬼にしてでも断らなければ、とセミナは内心意気込むものの。
「この前のお茶会では誰ともきちんとお話できなくて……セミナが立場を重んじるしっかりした女性っていうのは分かっているんだけど……今日だけ、どうしても、だめかしら?」
「喜んで。実は喉がカラカラでございましてどうやったらこのダージリンにありつけるか考えていた次第です」
「もうっ、セミナったら! 優しいんだから」
気を遣わせないためにそう言っていることくらい、サラは簡単に理解できた。
初めて顔合わせをしたときには「よく怒っているのかと言われる」と言っていたセミナだったが、そんなことはないとサラは声を大にして言いたい。
セミナは冷静沈着で、少し早口で、たまにダジャレを言う心優しい女性なのである。
同じ席に着く嬉しさで、サラは破顔の表情を見せる。
その姿を見たセミナはティーカップを口元に運びながら、今日中にマグダット領地に到着するであろうカリクスのことを思い出した。
「私がこうやってサラ様と楽しくお茶をしていると知ったら旦那様ヤキモチ妬きますね」
「!? そ、そんなことはないわ……!?」
「一年分のお給金を賭けても良いです。絶対当たっています。知ってましたかサラ様。実は私、この屋敷で働くまではギャンブルを生業にしていまして、右に出る者はいなかったんですよ?」
「えっ! 嘘…………」
「はい嘘です」
「セ、ミ、ナ〜〜!!」
キャッキャッと、そこには未来の女主人と使用人の壁を超えた旧友のような空気が流れる。
騙されたわ! と笑うサラに、セミナは無表情のままそっと目を逸らした。
──まあ本当は嘘、じゃないんですけどね。
これは今語る必要はないだろう。セミナはそう思って話題を変える。
こんな機会滅多に無いのでどうしても聞いてみたかったのだ。
初めは同席を断ったセミナだったが、案外同じテーブルに着いてしまえば気にならない、というよりサラがいい意味で貴族らしくないことが大きかったのかもしれない。
「単刀直入にお聞きしますが……サラ様は旦那様のことを恋愛対象として好いておられますよね?」
「ゴボッ……なっ、何を急に……っ!」
(聞くって言ったのによねってほぼ断言してるじゃない……!)
むせてびちゃり、と机に飛び散ったサラの唾液混じりのダージリンを、セミナはすぐさま布巾で拭う。あまりの早業にサラは瞬きの数が異常に増えている。
「あ、ありがとう……」
「いえ、お気になさらず。して、どうなのです? いつからお好きになったのですか?」
「その話まだ続くの……!?」
好きなのか、から、いつから好きなのかに話が切り替わったことにサラは気付いていない。セミナの話術に完全に飲まれていた。
サラは逃げ道を塞がれ、考えをあぐねる。
「それは……その…………」
サラにとってカリクスは初めて自分の症状を信じて受け入れてくれた人だ。人並み以上の生活を、人との関わりを、自由を、やりがいのある仕事を与えてくれて──家族からの呪縛を解いてくれた人だ。
正直そんなカリクスを好きだなんて言葉で片付けても良いのか。確かに好き、で間違いはないのだが、もっとこう、サラにとっては大きな存在で──。
「あ、分かったわ……! 神様! そう、神様みたいな存在なのよ! だから好きっていうより崇拝してるって感じかしら?」
「………………左様でございますか」
まるで悩んでいた問題が解決したように、スッキリした様子で語るサラに、セミナは頭を抱える。
これで冗談でも錯乱している訳でもないのだから余計に厄介だ。サラの鈍感具合は日に日に増している気がする。
いくらなんでもこれでは余りにも可哀想だ、鈍感にも程があると、カリクスへの同情を禁じえない。
セミナは左口角が引き攣った。
夜も更けてきたのでベッドに横になったサラは、ゴロゴロと寝返りを打つが上手く寝付けないでいた。
原因は先程のセミナとの会話だ。それは自覚していた。
サラはカリクスを神のような存在だと思ったのは嘘ではなかった。それくらいにカリクスの存在は劇的にサラの人生を変えたのだ。
しかし少し時間が経っていざ思い出すと、違和感を覚えるのも確かだ。
神様相手に触れたいだとか離れたくないだとか、ましてや笑っていてほしいなんて、思うだろうかと。
(神は……少し違うかもしれないわ。それなら──)
なんて言葉で表せば良いのかを考えた瞬間、思い浮かんだのはセミナが言った二文字だった。
サラは芋虫のように体を縮こませて枕を抱えると、顔を埋めて小さく頭を振る。
(違う違う……そんなわけないわ……)
認めてしまえば、声に出してしまえば、それは心に絡みつくものだとサラは感覚的に分かっている。
叶わない思いならば持たないほうが良いのだと、既に家族のことで学んだのだ。
(私たちは、政略結婚なんだもの。カリクス様は結婚相手は誰でも良いって……そう……はっきり仰ってたんだから……)
きっと大丈夫。今度は上手く心を制御できる。
サラは数日後に帰ってくるであろう婚約者のことを頭に思い浮かべながら、そっと瞳を閉じた。
読了ありがとうございました。
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サラに早く幸せになってほしい! という方もぜひ……!




