21 サラ、心の呪縛から解き放たれる
まさか本当に部屋に来るとは思わなかった、というのがカリクスの本音である。
サラの言葉に嫉妬し戦地帰りで昂ぶっていたこともあってあのように誘ったが、こうも平然と部屋に来るとは誰だって思わないだろう。
自室で目の前のソファに腰掛けるサラに対し、カリクスは髪をくしゃくしゃと乱した。
「どうされました?」
「いや、大丈夫。何でもない」
最近少しサラは自分を意識してくれていると感じていたカリクスだったが、こうも平然とされるとそれは自惚れだったのだと悟る。
結論に至ったカリクスは理性を胸に、向かい合う形から隣へと席を移した。
「早速だが……今日、私が行く前に何があったのか説明してほしい」
「それは……えっと」
サラは口籠って目をキョロキョロとさせる。おそらく家族の印象が悪くなることを懸念しているのだろう。
早急に理解したカリクスは、サラの言葉を待たずに口を開く。
「正直、今更家族を庇うことに意味はない。私はこの目で母親が君に手をあげようとしているところを見たんだ」
「…………はい」
「だから教えてくれ、サラ。辛いかもしれないが、私は君一人に辛い思いはさせたくない」
「分かり、ました……」
戦地に赴く前、サラは家族に酷い目に合わされていたことを認めなかった。
それは家族の為でもあり、ひいては自分の心のためでもあった。サラは、家族から愛されていないと自覚したくなかったのだ。
口に出してしまうと、もしかしたら、という可能性がついえてしまう気がして言えなかった。
そして何より、自身の顔を見分けられないという症状で家族に迷惑をかけたという負い目があったからだった。
けれど結局、最悪の状況を大勢の前で、そしてカリクスの前で見られることになってしまったサラはようやく認めることができた。
負い目が完全に消えたわけではないが、それでも今回のことはそれ程にサラにとって家族に愛されたい感情を断ち切る大きな分岐点となる。
──私は、家族に愛されていなかったのだと。
「──ということがありました……。私はどうしても許せなくて、初めてあんなふうに、言い返したのですが……結局は…………。今まで家族に対して感じていた愛情が一気に冷めました……私がもっと早く家族への思いを断ち切れていたら……」
全貌を全て明らかにし「カリクス様を傷つけることになってしまって悔しい」と俯くサラ。
それは家族に対してあそこまで身を削って、自身の首を絞めるように傷付け続けてきたサラが、事実を受け入れた瞬間だった。
何故今回に限って受け入れることが出来たのか。言い返し、大事になったのか。
その理由がカリクスの悪口を言われたから許せなかったから、だという。
「サラ…………」
カリクスはそっとサラの横髪を掬い上げて耳に掛ける。
やや光が差し込んだ視界に、サラはちらりとカリクスの顔を見る。
不安げな瞳のサラの手をそっと掴むと、カリクスは自身の頬へと誘った。
確か初めて会ったときもこうやって──サラはそんなふうに思いを馳せて、指先に意識を集中する。
「私が今、どんな顔をしているか分かる?」
「えっ、と……もしかして笑ってますか……?」
「うん。不謹慎だが笑っている。済まない」
「理由を聞いても……?」
数秒の沈黙の後、カリクスは頬に繋ぎ止めているサラの手にギュッと力を込める。
「現実を受け入れられるくらい強くなってくれたことが嬉しい。本音を話してくれたことが嬉しい。──君が初めて家族に怒った理由が、私のためだというのが嬉しい。……ああダメだ……口にすると余計にニヤける……済まない」
「……っ」
破顔の一言に尽きるカリクスの表情。頬が盛り上がっていることや、目尻にシワが出来ていることからサラにはそれが感じ取れる。
顔を見るよりも肌から感じるカリクスの気持ちに、サラはカァっと顔が赤くなるのが分かった。何かに纏われているみたいに顔の周りが熱くて、手に汗が滲む。
触れていたい、離れたくない、笑っていてほしい、この気持ちが何なのか、知りたいけれど、知るのは怖いとも思うのは一体どうしてなのだろう。
サラはそう考えて、直ぐにその疑問を胸にしまう。
今はただ、この幸せに浸っていたかった。
「あの……カリクス様」
「何だ? 離れてほしいというのは無理だが」
「違います……むしろ、その逆です」
「──は」
刹那、サラの発言に驚いたカリクスの全身の力がふっと抜ける。
名残惜しかったが致し方ないとカリクスの頬に触れていた手を離すと、サラはそのまま両手を伸ばす。
カリクスの背中にギュッと手を回すようにして抱き着くと、反対にカリクスの手は宛もなく彷徨うように宙でピクピクと動いた。
「カリクス様のお手紙の最後に……我儘を聞いてほしいって書いてありましたよね……?」
「あっ、ああ、私はただ帰ってきたらサラに」
「はい。お帰りなさいカリクス様。……私も、早くお会いしたかったです」
「…………!?」
『最後に、私の我儘を一つ聞いてほしいんだが──
帰ってきたら、サラのお帰りが聞きたいんだ』
手紙の最後にそう書いたことを、たった今カリクスはしっかりと思い出した。
カリクスは戦地へ向かうとき、いかに相手が弱かろうが、いかに自軍が有利な状況だろうが、もしかしたら今日死ぬかもしれない、屋敷には戻れないかもしれないと思って過ごしている。それが当たり前だとさえ思っていた。
しかしサラと出会い、心惹かれたことで、サラが待つ屋敷が以前とは比べられないほど恋しくなった。あのお帰りなさいを聞くために、カリクスは絶対に死ねないと思うようになったのだ。
カリクスは胸にしまったはずの理性が少しずつ漏れ出していることをはっきりと自覚し、諦めた。
宙ぶらりんになっていた両手で、ギュッとサラを包み込む。
「サラ……ただいま」
「はい。お帰りなさいカリクス様」
「……まさか、ここまでしてもらえると夢にも思わなかった。……今日が私の命日かもしれない」
「じょ、冗談はおやめください……!」
「そうだな。早く会いたかったなんて言われたら死ぬわけにはいかない」
「復唱するのもおやめください……っ!」
(可愛い、可愛い、可愛い……どうしてこの子はこんなに可愛いんだ)
腕の中でもぞもぞと動き始めるサラに、カリクスは余計に力を込めてずっと抱き締めていたくなる。
なけなしの理性でそんな自分に喝を入れカリクスが腕を解くと、サラは抱きついたまま見上げる。
必然的に上目遣いの状態のサラと、カリクスは見つめ合った。
「もう離してしまうのですか……?」
「……!? …………悪いが私は、流石にここまでされて我慢できるほど出来た人間じゃない」
「えっ!?」
優しい手付きで背中に回していた腕を取られたかと思うと、サラの体は瞬く間に宙に浮く。
膝裏と腰辺りに腕を回されたそれは、所謂お姫様抱っこというものだ。人生で経験のないその行為に、サラは慌てているのか「あっ、あっ、え?」と言葉にならない声を漏らす。
「サラ、君は私を信用しすぎだ」
そう言って性急にベッドへと向かうカリクスだったが、コンコン、と扉から聞こえるノックの音に、ピタリと足を止める。
「旦那様、もう夜更けです。お話ならば明日にしたほうが宜しいかと思いますが」
扉越しに聞こえるヴァッシュの声。カリクスが返事をする前に話し出したところをみると、部屋の中で主人が暴走しているのではないかと危惧していたようである。
「……分かっている。直ぐにサラを部屋へ帰らせるからそこで少し待て」
カリクスは一度天を見上げてふぅ、と息を吐くと、壊れ物を扱うように丁寧な動きでサラをおろした。
ヴァッシュのおかげで完全に理性を取り戻したのは良かったが、そのせいでサラの顔を見るのは少々気まずい。
「サラ、今日はもう部屋に戻ったほうが良い」
「は、はい……! そうさせていただきますわ」
「済まないが部屋まではヴァッシュに送ってもらってくれ」
「分かりました……お休みなさいませ、カリクス様」
「ああ、おやすみ」
バタンと扉が閉まり、一人になった部屋でカリクスはズシンとベッドに腰を下ろす。
「危なかった……」とぽつりと漏らしてから再び天を見上げた。
◆◆◆
一方その頃、ファンデッド伯爵家では。
「アーデナー公爵には怪我をさせて社交場には参加できなくなるだと!? お前たちは一体何をしたんだ!!」
読了ありがとうございました。
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「サラに早く幸せになってほしい!」「サラよく乗り越えた……!」 という方もぜひ……!