18 カリクス、悪人公爵を発揮する
誤字脱字報告、感想、ブクマ、評価、いいね、レビューありがとうございます。
「どうしてここにカリクス様が……手紙にはまだ帰れないと……」
それなのに一体どうして、とサラが疑問を口にすると、カリクスは前を向いたまま答える。
「今朝方ヴィジストの兵が国境付近から去っていったから、馬を走らせて屋敷に帰ってきた。サラが居ないから何事かと思えばお茶会に行ったと聞いてな。ヴァッシュに渡されたあのおかしな手紙を読んで急ぎ来てみれば……まさかこんなことになっているとは思わなかったが」
「申し訳ありません……」
「謝るな。サラは何も悪いことなんてしていないだろう。見れば分かる」
カリクスは振り向いて、サラを安心させるようにニッと笑って見せる。サラには表情は読めなかったが、声だけで十分伝わっている。
しかしサラがカリクスの顔をじっと見ると、火傷痕とは反対側の頬に赤いものが見える。それはつぅ……っと顎をつたい、地面へとぽたりと落ちた。
「カリクス様……! ち、血が出ていますわっ! 私を庇ったから……っ」
「平気だ、痛みはない。サラを守れたなら名誉の負傷だな」
「冗談を言っている場合じゃありません……!」
「本気なんだが」としれっと言うカリクスと「どうしましょう……!」と慌てた様子のサラに、ミナリーたちは自分たちの目を疑う。
カリクスは『悪人公爵』と呼ばれていて、火傷痕があって、冷酷残忍で、どうやったってサラは不幸になっているはずだというのに。見れば見るほどカリクスがサラを見つめる目は慈愛に満ちている。
その一方で、ギロリとこちらに向けられた目は噂通りの恐ろしいものだった。
そんな環境に慣れているはずのないミナリーたちはガクガクと歯が音を立てるくらいに唇を震わせ、母の方はカリクスと距離を取ろうと後ずさる。
足がもたついたのか、ドスンと尻餅をついた母のもとにミナリーが駆け寄ることは無かった。
ミナリーもまた、カクンと膝から崩れ落ちたからだ。
「──それで、この傷だが。どうしてくれる、ファンデッド伯爵夫人」
「もっ、申し訳ありません!! アーデナー公爵閣下の治療代はお支払いします! しかしこれは不慮の事故ですわ……!」
「違う。私が庇ったから良かったものの、サラに傷一つでも付いたらどうするつもりだと聞いている。……ああ、あと、これだけ多くの見物人がいるんだ。意図的にサラに危害を加えようとしたことは明白。私の大切な婚約者を傷つけようとしたこと、例え家族であれど許されるものではない」
ドスの利いた低い声、言い訳を許さない物言いに、カリクスの背に隠されたサラはビクリとする。
(カリクス様……本気で怒ってる……)
サラはちらりと座り込んだ二人を見る。
表情は分からなかったけれど、きっと二人共蛇に睨まれた蛙のようになっているに違いない。
(さすがに……これ以上は…………)
自分より怒っている人を見ると冷静になるというのは本当のようで、怒りを露わにしているカリクスにサラは小さな声で「あの」と話し掛けた。カリクスは体を半身にして振り返る。
「カリクス様……もう大丈夫ですから」
「……サラは優しすぎる。私はまだあの愚か者たちから君に何をしたのかも聞いていない」
「それでしたら後でお話しますから……っ、本当に私はもう大丈夫ですわ……! 人も集まっていますし……カリクス様と、早く屋敷に帰りたいです。手当もしないと、化膿したら大変です……ね?」
「サラ…………」
ただ単に怒りが落ち着いただけではない。このままここに居て、家族がカリクスに対して余計なことを言うのではないかということがサラは心配だった。
優しいカリクスが傷付けられることなど、あってはならないのだ。
本当はカリクスを中傷したことを訂正し謝罪させたかったが、もはや今はそれどころではない。
お茶会で公爵のカリクスに叱責されたことで二人の評判は落ちるだろうし、それで少しでも反省してくれたら。
サラはそう思ってカリクスの手をギュッと握るのだが、同時に周りの貴族たちが動き出した。
それは誰かが通る道を作るようにして移動し、そこから現れた二人の人物。
サラはカリクスに「どなたですか?」ヒソヒソと尋ねる。
「主催者のメシュリー第一王女と……君に手紙を送りつけた張本人のダグラム第三王子だ」
「…………!」
騒ぎを聞きつけてやって来たのだろう。
このお茶会の行いは全て主催者のメシュリーが取り仕切ることになっているので、いざこざもその内だ。
貴族たちはそのことが分かっているので、言わずとも道を開けたのである。
ダグラムの存在は謎であったが、王族に余計な口出しをするものなどいるはずもなかった。
メシュリーは座り込む二人の近くにまで歩いて行き、ダグラムは少し離れた位置でサラとカリクスをじっと瞠る。
パシンッ! と大きな音を立ててメシュリーの持つ扇子が開かれる。
紫の薔薇が描かれたそれは、王族にしか持つことを許されない代物だ。
「さて、ファンデッド伯爵夫人、その娘ミナリー嬢。このガーデンに数多く待機させている騎士が貴方達の蛮行を全て報告してくれました。言い逃れは出来ませんよ。もちろん言い訳も結構」
「そ、そんな……! 殿下これは違うのです……! これは全て我が娘のサラが企てた陰謀なのです……!」
「そうですわ!! お姉様が全て悪いのです! 信じてくださいませ……!」
扇子で口元を隠したメシュリーはふぅ、と一息。
すっと細められた瞳で見下されたミナリーたちは、カリクスにギロリと睨まれたのとはまた違う恐怖を肌に感じて息が浅くなる。
メシュリーのそれはカリクスの怒りとは違い、そもそも感情を向けることさえ呆れたというような虚無の瞳だ。二人は背筋がゾクリと粟立つようだった。
「言い訳は結構という私の言葉、お二人には聞こえていなかったのかしら? そんなお飾りの耳なら要らないのではなくて?」
「……!? 申し訳ありません……! ほらミナリーも頭を下げなさい!!」
「キャッ、ごふ……っ」
母に頭を押さえつけられおでこが地面にぶつかるミナリー。所謂土下座は、罪人がするものと言われていて、ましてや貴族が人前でするようなものではないのだが。
しかしそうしてでも王族に許しを請うのは、この国において王の一族というのは桁違いに権力を有しているから。
一般貴族と王族の間には、決して埋められない境界線のようなものがある。
「どうか、どうかお許しを……!」
「ふぇっ、ごめんなさいぃ……っ」
「ハァ、もう結構です。まあ、確かに家族同士のことですし、そう大事にしなくても構わないでしょう」
「あ、ありがとうございます……!」
成り行きを見守るサラとカリクス。そんな二人をじっと見つめるダグラムは沈黙を貫く。
「けれど、アーデナー卿に怪我をさせたことは話が別だわ」
「そっ、それは…………」
メシュリーは開いた扇子を再び閉じ、ゆっくりと二人に近づく。
目の前まで行くと緩やかに腰を折り、その扇子を母親の顎の下にピタリとくっつける。クイ、と上に動かし、無理やり顔を上げさせた。
「今後一切、社交場には出られないと思いなさい。これがどういう意味か……いくらこんな醜態を晒す貴方にも分かるでしょう?」
ファンデッド伯爵家の夫人と娘のミナリーは、社交界においてかなり目立つ存在であった。見た目の美しさもそうだが、一番は社交場以外での気遣いが素晴らしいという評判のためだ。
相手を思い遣った丁寧な手紙に、品の良いプレゼント。ファンデッド伯爵家で行われるお茶会のテーブルコーディネートはいつもセンスが良く、お茶やお菓子の質や組み合わせも上級貴族から一目置かれているほどだった。
その全てはサラが行っていたのだが二人が自覚しているはずもなく、あるのは過度な自信とサラによって得られていた優越感。
そしてそれらを一瞬にして奪われたという意味くらいは、簡単に理解できた。
メシュリーの言葉に座りこんで動かなくなった二人を騎士たちが立ち上がらせると、ガーデンの外へと連れて行く。
「許さない……許さないわよサラ……」
ボソボソとそう呟いていた母と、見えなくなるまでじーっとカリクスを凝視していたミナリーに、サラは気付かなかった。
そうして二人が去っていったガーデンでは。
「さて皆様、不届き者は退散しましたわ。今一度ごゆるりとお茶会を楽しんでくださいね」
ニッコリと微笑んだメシュリーの言葉に一同は賛同し、散り散りになっては話に花を咲かせ始める。
サラとカリクスは屋敷に戻りたいというのが本音だったが、騒ぎに主催者が仲介に入ったため、今すぐにそれは叶わないと悟った。
「お礼に……伺わなくてはいけませんよね?」
「……そうだな。私一人でも構わないが──」
「カリクス、サラ様」
こちらから出向かなければという話をしていると、サラとカリクスのもとにメシュリー自らがやって来る。サラは慌てて頭を下げた。
「この度は騒ぎを起こしてしまい申し訳ありません……!」
「貴方は被害者でしょう? 謝らなくても良いの。むしろ主催者として監督不行きだったわ。……それで、償いと言っては何だけれど……今からお時間あるかしら?」
「え……?」
読了ありがとうございました。
少しでも面白い、続きが気になると思っていただけたら、ブックマークや評価【★★★★★】でぜひ応援お願いします。感想もお待ちしております。執筆の励みになります……!
「サラに早く幸せになってほしい!」「もっともっとザマァ見せて!」「カリクスよく来た!」 という方もぜひ……!