15 サラ、王族には刃向かえない
幼少期に一通り淑女としてのマナーや教養を学んだときに、これだけは覚えておきなさいと言われたのが紫色の薔薇──王家の紋章。
この紋章が付いている招待状、手紙、品物には王族からの強制力があり、貴族社会で生きていきたければ従わなければならないと強く言われたことを思い出す。
そうして今、その紋章が付いた手紙が公爵家へと送られ、サラの手元にあった。
「本来ならカリクス様と一緒に見るべきだけれど、状況が状況だし仕方がないわね……」
サラは再びナイフを使って封筒を切り、薔薇の香りがふんわりと広がる便箋を開く。
上から順に読んでいき、読み終わると丁寧にその手紙を机の端に置く。
サラは両手で顔を覆うと、ハァ……と大きくため息をついた。
「どうされたのですか?」
「王族主催のお茶会に出ないかって内容だったけれど……」
「ほお? つまりはお茶会への招待状ですな」
「それが……招待状とは少し違うの」
「……違う?」
王族は関係なく、本来招待状というのは行われる一ヶ月前には届き、可能な限り直ぐに返事を書くのが一般的だ。王族が関わる規模が大きいものなら尚の事だ。
参加する側がスケジュールを抑える問題があることと、主催する側が人数を把握して準備をする時間が必要だからである。
それなのにこのお茶会の日時は5日後で、しかも必ず参加するようにと最後に念押しをしてある。
何より不思議なのが、このお茶会の主催者と手紙の送り主の名前が違うということ。
「メシュリー第一王女が主催されるお茶会だというのに、手紙の最後に書いてある送り主の名前はダグラム第三王子……。こんなこと普通あり得るのかしら……」
「それは何やらおかしいですな」
「そうよね!? けれど……この紋章が王家のものなのは間違いないわ。カリクス様は今戦地に居るから致し方ないとしても、その代わりに私だけは行かないと……王家を敵に回してはいけないもの」
ニコリ、サラはヴァッシュに向かって笑って見せる。
(社交界か………本当は嫌だな…………けれど殿下には2度も失礼なことをしてしまったし……行かないわけにはいかないわよね……)
サラの内心は乗り気じゃない、なんてどころの話ではなかった。
昔大失敗を犯し、家族から完全に見放されたのも王族主催のお茶会だったからだ。完全にトラウマだった。
サラの瞳に影が落ちる。ヴァッシュはふむ、と考えるように顎に手をやった。
「サラ様。旦那様は元より、アーデナー公爵家は昔から国に対して力のある家です。もしも行きたくないのであれば、行かなくとも構わないでしょう。それだけで公爵家に火の粉がかかるようなことはございません」
安心感を与えるように優しく微笑むヴァッシュ。
サラには表情は分からなかったが、ヴァッシュの言葉から自身の境遇について知っているのではないかと悟った。
カリクスは多忙のためヴァッシュが調べて報告した、と考えれば合点がいく。
何より実家からの手紙を読まなくても良いと言ったのが何よりの証拠だった。
(知ってるのに知らないふりしてくれるんだ……。ん? けど待って? やけに実家からの手紙粉々にしたがってなかったかしら? ……まあ、そんなのどっちでも良いか)
サラが自己完結すると、ほほほ、と笑い声を上げてから、ヴァッシュが再び口を開いた。
「それにご存知ですかな? 旦那様は相手が王族だろうが他国の貴族だろうが、ここ数年社交界には顔を出していないのですよ。商談や戦地に向かうとなれば話は別ですがね」
「そうなの……?」
「はい。サラ様も旦那様が『悪人公爵』だと言われていることはご存知でしょう? お顔の火傷痕のこともありますし、変に注目を浴びることを避けているのですよ」
「……そう、なのね」
確かにカリクスが貴族達から忌み嫌われているだとか、冷酷残忍な性格だと言われていることをサラは知っている。
しかし公爵家へ来てからはカリクスが噂とは全く違った人物であることと、使用人たちがカリクスを慕っていることから、その悪評の存在をすっかり忘れていた。
社交界へ出向かないのも、単に忙しいからなのだと思っていたくらいだ。
(あれ……? そういえば私、カリクス様のことあまり知らない……火傷痕の理由も、ご両親が亡くなった理由も……。って、あ、れ? お義父様は3年前に亡くなられたって言っていたけれど、お義母様は……?)
疑問を持ったサラは、ふと口に出してしまう。
「カリクス様の火傷痕って……。なっ、何でもないわ! ごめんなさい、忘れて……!」
「…………。仰せの通りに」
サラは慌てて言葉を取り消して、もう一度確認するように封筒を眺める。
(ダメダメ……! こんな大事なことを他の人に聞くなんてそんなこと……っ!)
──大事なことだからこそ、本人の口から聞きなきゃ。
そうしてサラはぼんやりと文字を見つめながら、カリクスが戦地から戻って来てから聞いてみようかと思案する。
カリクスの知らない部分に触れたいと、彼をより理解したいと、思ったのだ。
そこでサラは、カリクスの伝言を思い出して、覚悟を決める。
「ヴァッシュさん」
サラはそろりと視線をヴァッシュに移す。
瞳に落とされていた影はすっかり姿を消し、光が宿っている。
「私、お茶会に参加するわ」
「おそらく当日までに旦那様はご帰還されないと思いますが良いのですか?」
「ええ。私一人で行くと書くつもり。急いで書くから、後はお願いね?」
未来の女主人として、社交界との繋がりは必須になる。カリクスが苦手ならば尚の事だ。
サラはこの日このとき、過去のトラウマと戦うと決めたのだった。
◆◆◆
同時刻、ヴィジストとの国境にて。
「ア、アーデナー公爵閣下、少しよろしいでしょうか……!!」
とある新米騎士が天幕の中で筆を執っているカリクスにおどおどとした様子で話し掛ける。
冷酷残忍な『悪人公爵』の名は騎士たちの間にも広がっており、誰も近付こうともしないので、どうやら嫌な役を押し付けられたらしい。
カリクスは小さくハァ、と浅く息を吐くと、その騎士へと視線を移した。
俯いていたときと違ってはっきりと見える火傷痕に、騎士は大きく目を見開く。
「てっ、てて……定例報告に参りました! ヴィジストは兵を待機させているものの、未だ攻めてくる様子はないようでふっ……です……!」
「分かった。ご苦労」
急ぎ招集され、初日に顔を出した以降この定例報告の内容は変わらなかった。
おそらくヴィジストは攻めてくる気はないのだろう。今回の件はキシュタリアに対して戦意はなく、ヴィジストの鉱物兵器を相手にしたくなければ今後攻めてくるなよ、という意志表示に過ぎない。
それはカリクスではなく末端の騎士まで理解はしているが、ヴィジストが国境付近から退散しない限りはこの場を離れるわけにも行かなかった。
そもそも今回ヴィジストがこのような行動に出たのは理由がある。
『自己中王子』こと、ダグラムが先のヴィジストとの外交を行ったときに、余りにも威圧的な態度を取ったからである。このままでは平等な取引ではなくいつか搾取されるかもしれないとヴィジストは危機感を持ち、現在に至っている。
戦地に着いてから騎士団長からその話を聞いたカリクスは、頭を抱えた。
「全く、面倒だ」
「ヒィ……! すみませんすみません!」
「独り言だ。君に言ったんじゃない。済まなかったな」
「い、いえ!! って、え!?」
カリクスの噂には尾ひれがついたものが数多く存在するが、一つに絶対謝罪しないというものがある。
それを聞いたことがあった騎士は、あまりにも平然と謝罪の言葉を口にしたカリクスに驚き動揺が隠せなかった。
──この方は、噂ほど怖い人ではないのかも?
確かに火傷痕はあるし、親しみやすい方ではない。しかし噂ほどの悪人ぶりは感じられないし、いきなり切りつけてくるなんてこともない。
新米騎士の中で噂のカリクスではなく、目の前にいるカリクスは一体どういう人物なのだろうという興味を持ち始める。
「あの公爵閣下、一つ質問よろしいでしょうか?」
「……? 何だ」
どうやら質問にも答える気はあるらしい。騎士の中でカリクスのイメージはどんどん良い意味で普通になっていく。
「そのお手紙は、大切な方に、ですか?」
「これは──」
カリクスはそう言って長い脚を組み替える。
明後日の方向に視線を向け、それはそれは穏やかそうな笑みを浮かべたのだった。
「未来の妻にだ。──頑張りすぎるなと念押ししたくてな」
「……? 無理をなさる方なのですか?」
「そうだ。だから本当はもっと甘やかしたいんだがどうにも──いや、今のは忘れろ。……早く持ち場に戻れ」
「ハッ、はいぃ!! 失礼します!」
ギロリと迫力のある瞳で睨まれた気がしたので、慌てて逃げ出す。
しかし騎士の内心はそれ程恐れで膨れ上がって居なかった。
──公爵閣下は婚約者のこと大好きなんだなぁ。
騎士はそんなことを思いながら持ち場に戻る。
同期の騎士から大丈夫だったか? と声を掛けられたので、噂とは違うカリクスを知ってもらうために「次はお前が行ってみろよ」と話したのだった。
余談だが、この騎士の発言は湾曲して広がる。
新米騎士がカリクスを恐れ「もう行きたくないから代わってくれ」と漏らしたという噂が流れたとか。
読了ありがとうございました。
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サラに早く幸せになってほしい! という方もぜひ……!