14 カリクス、戦地へ向かう
「カリクス様が……戦地へ赴いた?」
「はい、早朝に出発されました。サラ様に一言お声掛けをしてはと提案したのですが、疲れ切って良く寝ているから起こさず行く、と」
「…………そう、だったの」
起きたのは午前9時。何時もより3時間も起床が遅かった。寝るのが少し遅かったということを踏まえても、こんな時間まで熟睡することなんて今まで無かったというのに。
久しぶりに泣いて、どっと疲れたせいなのかもしれない。
良く眠ったはずなのに、泣いたせいか瞼が重い。
手間を掛けさせて悪いけれど温かくしたタオルを用意してもらおう、とサラがベルを鳴らすとセミナが現れる。
そうして開口一番に告げられたのは朝の挨拶ではなく、カリクスが戦地へ赴いたということだった。
「場所はどの辺りなの……?」
「隣国、ヴィジストとの国境です」
「ヴィジストって確か──」
昨日の夕方、第三王子──ダグラム・キシュタリアとの会話にも出て来た隣国。
数年前までは小国であったが、鉱物を使った戦闘兵器での戦闘は負け知らずで、軒並み戦争に勝利し、国土を拡大していった。
そこに目をつけたのはキシュタリア王国の第三王子、ダグラムだ。
ダグラムは今のうちにヴィジストを味方につけたほうが良いと国王に進言し、こちらは果物や加工品を、あちらは鉱物を輸出入することを取り決め、友好国となったのはつい先日のはず。
(それなのにどうして……カリクス様は大丈夫なのかしら…………)
公爵家に来てからカリクスと共に過ごしてきたサラは、カリクスが国一番の剣の使い手であることを知っている。毎朝欠かさず鍛錬をしていることも、国の騎士団から加入してくれないかと誘われていることも。
だから戦地に赴く、という事実にはそれ程驚くことはなかった。
しかし昨日の今日で出陣というのは余りに早い。つまり事は急を要するということで間違いないのだろう。
サラは思考を巡らせながら、顎あたりに手を持っていく。
「詳細は聞いたかしら」
「いえ。だた念の為の守備を強化するために来てほしいと言われたと」
「なるほど……」
であるとすれば、まだ戦いは行われていないがいつそうなるかは分からないので、国一番の強者を派遣し、ヴィジストに対して牽制すると──。
「期間は聞いている?」
「はい。早ければ一週間、遅ければ二ヶ月ほどかかるかもしれないと」
「……分かったわ。ありがとうセミナ」
その確認を最後に、サラは普段通りの笑顔に戻ると朝の支度を始める。
将来のアーデナー公爵家女主人になる身なのだ。使用人たちの前で動揺するわけにはいかなかった。
「サラ様、実は旦那様から伝言を預かっているのですが」
しかし、セミナがそう切り出したことでサラの瞳は僅かに揺れる。
セミナは目を閉じて、ゆっくりと口を開いた。
「私が居ない間、屋敷や使用人たちを頼む。無理はするな。──君に、早く会いたい」
「…………っ」
カリクスはいつも欲しい言葉をくれる。
これまでのカリクスの言葉や行動、昨日の出来事を思い出し、サラはまた泣いてしまいたくなった。
それでもサラはずずと鼻を啜り、涙をこらえた。涙腺を緩ませるのはいつもカリクスだ。
◆◆◆
カリクスが戦地へ赴いてから3日が経つ。
自分の仕事の一段落が付いたので、午後からの空き時間、サラはカリクスの仕事を処理していた。
もちろんカリクスの許可がいるものには手を付けないが、ここ最近ではサラの独断で決断しても良いと言われている案件がいくつかあるのだ。
「この税は下げて…………東通りは──」
「サラ様。ヴァッシュでございます」
「……! ヴァッシュさん、こんにちは」
ガラリと扉が開いてヴァッシュが目の前に立っている。どうやら集中しすぎてノックの音に気が付かなかったらしい。
サラはペンを置き、資料からヴァッシュへと視線を移した。
「どうしたの?」
「サラ様宛に手紙が2通ほど届きまして……」
「私に……? 2通も?」
はて? サラは小首を傾げる。
再三になるけれど、サラは伯爵家にいた頃はほとんど屋敷で使用人以下の扱いを受けてきたので、友達だと呼べる存在はいなかった。
公爵家に来てからもサラ宛に届いた手紙はなく、もちろん家族から近況報告だったり、労るような言葉が綴られた手紙が来ることもなかった。
「まずはこちらになります」
「ありがとうヴァッシュさん」
とりあえず一通を手渡される。
なんの変哲もない封筒を手に取るとサラは「あ…………」と言葉を漏らし身体を硬直させる。
その様子にヴァッシュは申し訳無さそうに眉尻を下げた。
「そちらの手紙は、破棄なさいますか? ──差し出がましいようですが、読まずとも良い気がしますが」
「…………」
それは一瞬で、宛名の文字を見ただけで分かった。
(どうして実家から手紙が…………)
無意識に手が震え始める。書かれている内容が自分自身を傷付けるものだろうと安易に予想出来たからだ。
こんなとき、カリクスが傍にいてくれたなら──サラは無意識にそんなことを考える。
(……いつの間にこんなに弱くなったの…………)
サラはぶんぶんと頭を振ると、ナイフを手に取り封筒に差し込む。
便箋を取り出し広げ、震える手をどうにか抑えながら読み始めた。
「…………なんて、ことを」
手紙は家族から、というよりは父親からだった。
伯爵家を陥れて楽しいかという事実無根の虚言と、援助金を増やせということだけがつらつらと書かれている。
サラは小さく、ため息を吐き出した。
「大丈夫ですかな? 今すぐその手紙、このヴァッシュが粉々にしてしまいましょうか」
「……ふふ、大丈夫。私もびっくりしているの。あ、手紙の内容じゃないわよ? もっと悲しさとか虚しさが込み上げて来るのかなぁと思っていたんだけど、……思っていたより平気だったわ。呆れた……ってまずそう思ったんだもの」
もちろん、ショックが無かった訳ではない。
父親が領地経営が傾き出した原因を、サラがカリクスに対し、ファンデッド家の経営に圧力をかけるよう指示したのだろうという内容だったのだから。
サラは今まで領地のため、民のためにできるだけのことは尽力してきたつもりだったので、戦力になっていたかはどうであれ、その気持ちさえ分かってもらえて居なかったことは悲しみを禁じえない。
──何より家族、領地、領民のためにミナリーの代わりに嫁いだというのに、どうしてそういう思考回路になるのか。
今まで自分の境遇や、浴びせられる言葉に妥協や我慢しかしてこなかったサラは、ここで初めて疑問を持つ。
昨日流した涙の中に、家族への罪悪感がほんの少しでも含まれていたのか、それともカリクスという優しい人間の傍にいることで、自分の価値をほんの少しでも見出だせるようになったからなのか。
「ヴァッシュさん、この手紙は破棄してください。……今後カリクス様が見つけたりしたら、嫌な気持ちになるかもしれないわ。あの方はとてもお優しいから……」
「かしこまりました。私の名誉においても粉々にしてから塵にも残らないほど燃やしておきます。……して、返事は書かれますか?」
「んー……そうね…………」
とはいえサラは、未だに家族というものに縛られている。ほんの少し緩んだだけで、それは硬く複雑に絡み合っていた。
「ええ、書くわ、後で一式用意お願いできる?」
「かしこまりました」
もちろん事実無根だと告げるつもりだ。援助金もこれ以上は不可能ということを書かなければ。
サラがどうこうできる問題ならば手助けをしただろうが、援助金はアーデナー公爵家から出ているものだ。サラの一存でどうにか出来るものではない。
「ヴァッシュさん、もう一通の方も今読むわ」
「はい。ではこちらを。ちなみにこちらは旦那様とサラ様に連名でのお手紙となっています」
「私たちに?」
次に手渡されたのは、先程とは違い上質で艶のある仕上がりだ。宛名も美しく、上位貴族であろうことが簡単に想像できる。
そして差出人を確認しようと裏を向けると、サラは再び身体を硬直させる。
差出人の名前の代わりに、そこには紫色の薔薇──王家の紋章が刻まれていたからだ。
読了ありがとうございました。
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サラに早く幸せになってほしい! という方もぜひ……!
カリクス早く帰ってこーい! という方もぜひぜひ!