11 サラ、可愛いは困惑する
サラが家族に言った最後の願いという名の我儘は。
記憶に残っているのは13歳のとき、サラがお茶会で第三王子に声を掛けられたのに第二王子と間違えたことで激怒され、恥晒しとなり屋敷に戻ってきたときのこと。
──私の言うことを信じて。本当に顔を見分けられないの。ねぇ、信じて。
サラはふとその時のことを思い出した。
伝えても信じてもらえず、存在を受け入れてもらえない辛さ。残るのは虚無感だけで、サラはこの頃から悲しいという感情をひた隠しにするようになった。
まるでそれは心に薄い氷を纏ったようで。もう傷付かなくても良いようにと、自分を守るために出来たもの。
──そうして今。
サラはカリクスに我儘を言い、驚くくらい簡単にそれを受け入れてもらえた。
まだ出会って2ヶ月、顔が見分けられないという症状も受け入れてくれたカリクスは、サラの必死の言葉をまたも簡単に受け入れる。
ピキッ、と薄い氷にヒビが入る音がした。
「今日はもう帰ろうか。それでサラの仕事に対する給与をいくらにするか家臣たちと話し合う。明日には報告するから待っていてくれ」
「は、はい。……その、本当に良いのですか?」
「当たり前だ。家臣たちも誰も反対しないよ。私が保証しよう。寧ろ遅すぎたくらいだ。本当に済まない」
「いえそんな、ありがとうございます……!」
サラは腰を折って、カリクスに感謝の意を表した。
馬車は町の外れに待機させてあるので、暫く二人で歩く。
綺麗な町並みを堪能し、お腹は程よく満たされ、視察はとても有意義なものだった。
町をもう少し見たいとは思っていたが、カリクスのことだ。実家にいた頃のように外に出してもらえないなんてことはないはずだ。
それなのにどうしてだろう。サラは何故かあまり帰りたくなかった。
今までだってカリクスのことを優しい人だとか、気遣いができる人だとか、サラは彼に対して好印象を持っていた。
伯爵家に援助金を送ってくれるということを差し引いても、自分には勿体ない相手だと思っていたのだ。
しかし、今日のことがあったからなのか、それとも出会ったときからの彼の行動によるものなのか。サラにとって、カリクスという存在が今までとは大きく変わり始めている。
緊張でも恐怖でもない心臓の脈打つ高鳴りの理由を、サラはまだ知らなかった。
「また仕事が落ち着いたら町に来よう」
「はい! もちろんですわ」
「今度は初めから二人だと言ってもか?」
冗談とは程遠い、ズン……とした低い声だ。
今日の午前中にデートに、と誘われたことを思い出して困惑するサラだったが、何故か言葉だけはスッと出てきた。
「はい」
「……! そう、か。なら近いうちに誘う」
「は、はい…………」
(さっきから『はい』しか言ってない気がするわ……! だって、なんて言ったら良いか、分からないんだもの……)
サラは無性に恥ずかしさが込み上げてきては、カァっと赤くなった顔を隠すように俯いてスタスタと歩いて行く。
「……下を向いているとまた転ぶぞ」
「……っ!?」
普段通りではいられない。何だか隣りにいてはいけない。
そんな気がしたサラは足早に前に進もうとするが、その手はカリクスによりするりと絡み取られる。
少し前のめりになったサラは足を止め、自分の心臓の音が煩いと脳内で嘆いた。
「サラ、話がある」
先程までまだ高い位置にあったはずの太陽が、気が付けば沈み始めている。
空がほんのりと赤く染まり始めた頃、カリクスの申し出にサラは震えた声で返事をした。まるで壊れた玩具のように「はい」としか言葉が出ず、サラは振り返ることはおろか顔を上げることもできない。
触れた指先から熱が伝わっているかと思うと、サラは余計に恥ずかしさが増した。
(何これ……何でこんなに、急に……)
セミナと三人でいたとき、サラは手を繋がれても転ばないように手を差し伸べてくれている、という程度にしか思わなかった。
頭を撫でられたり頬を触られたりして照れることはあっても、それで困惑することはなかった。
薬を飲ませるためにキスをされたと知ったときも、恥ずかしさよりカリクスに対する申し訳無さが勝っていた。
──はずだった、のに。
「頼むから、顔を見せてくれないか。サラと向き合って、話したい」
「〜〜っ」
グイ、と引き寄せられ身体が向き合う。そのままカリクスの腕の中におさまる形になると、耳元に生暖かい吐息がかかる。
(午前中の私なら……こんなのどうってことなかったのに……!)
サラは掴まれていない方の手で、カリクスの胸辺りを押し返すように雀の涙程度の力でポンポンと叩いた。
「それで、拒絶しているつもりなのか。……やっぱり君は可愛いな」
「!? かっ、かわ……!?」
「やっとまともに耳に届いた。嬉しいよ。──ああ、サラ。多分私は今、表情が緩みきっている。君に見られなくて良かったと安心するくらいにはね」
「あっ、……っ」
クスリ、頭上から聞こえる楽しそうな声。
サラは顔が沸騰しそうなくらい熱くなって再び離れてほしいとカリクスの胸辺りを叩き続けていると、カツンカツンと、誰かが近付いてくる足音に半分意識を持っていかれる。
それでもカリクスは離してくれそうにないので、視線だけそろりとそちらに向ければ、その人物は5メートル程の距離からこちらを見ていた。
「貴方が──どうしてこちらに」
(えっ、誰……?)
カリクスが相手を認識した瞬間、意外な程に簡単に腕の中から開放されたサラはじっとその人物を見据える。
カリクスの言葉遣いにより、公爵家よりも上位の貴族か、もしくは年配の人物なのか。
服装を見る限りかなり年配といった感じではないのだが、男性の服は年齢が出にくく分からない。
ただカリクスの反応がなくとも、身に着けているもので高貴な身分だということは察しが付きやすい。
サラはいつでも挨拶が出来るようにと、姿勢を正した。
「アーデナー卿、久しいな。視察か」
「お久しぶりでございます。殿下もその様子ですと視察ですか? そういえば、お噂はかねがね耳に届いております。確か隣国──ヴィジストからの鉱石の輸入に尽力していらっしゃるとか」
「ああ。キシュタリアはあまり鉱石が取れぬ国だからな。私がやらねばなるまい? ……して、そちらの女性は?」
二人の会話に注視していると、意識がサラへと向く。
まさかこんなところで殿下──現国王の子息と対することになろうとは思わなかったサラだったが、洗練された動きでワンピースを軽くつまむと、優雅に頭を下げる。
「殿下、彼女は私の婚約者のサラ・ファンデッド伯爵令嬢です」
「ご紹介に与りましたファンデッド伯爵家長女、サラと申します。正式な場での挨拶ではないこと、お許しください」
「──サラ・ファンデッド、だと」
「え……?」
まるで名前を知っているかのような口ぶりに、サラは笑顔は崩さないが内心焦り始める。
13歳以降公の場に立っていないサラを認知する王族、貴族は限りなく少ないはず。もし知っているとすれば──。
「貴様、私のことを覚えているか」
「あ……えっと、その」
「やはり覚えていないか。あのときも名前を間違えたくらいだしな」
「……!!」
ただ事とは思えないほど険しい顔つきに、カリクスはまずいと思い仲裁に入ろうとする。「貴様はこの話に関係無い」と一刀両断され一瞬口を閉じるが、隣のサラを見てそれは愚かな行いだったと分かる。
サラの瞳は素早い瞬きを繰り返し、唇は僅かに震えている。
行き場の無い両手はピクピクと痙攣しているような反応を見せ、カリクスはサラを庇うように半歩前に出て、彼女の前に腕を伸ばした。
「殿下、恐れながらサラは私の婚約者です。何か不敬をしたのでしたら私にも責任はあります」
「……チッ、もういい。今更罪がどうこうと話をするつもりはない。ただな、サラだったか。今一度この名前は覚えておけ。私の名前はダグラム・キシュタリア──このキシュタリア王国の第三王子である」
読了ありがとうございました。
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