10 カリクス、大いに反省する
「あっちには雑貨屋さん! こっちの通りは飲食店が多いのね……!」
デートではなく完全に視察と化した今回の外出は、サラにとっては人生で一番楽しいと思えた瞬間、と言っても差し支えないだろう。
そんな楽しそうな姿に、サラから少し後ろを歩くカリクスは隣を歩くセミナにポツリと呟く。
「私と二人でデートという意識を持てば、正直サラはあそこまで楽しめないだろう」
「…………と、言いますと」
「今回のことはサラに免じて不問とする。……次は付いてくるなよ」
目を伏せ気味にしたまま「御意」と応えたセミナ。表情は一切崩れていないが内心は緊張と安堵で混沌としていた。
一方カリクスといえば、初めて町に出ることを許可された幼き子供のようにサラが喜んでいる姿に、薄っすらと目を細める。
ワンピースの裾をひらりと靡かせながらにこにこと笑う姿はまるで妖精のようだと思いながら、隣にまで足早に向かうとその手をそっと掴んだ。
「カリクス様……?」
「その様子だとまた転ぶ。大事な婚約者が怪我でもしたら大変だから手を繋いでも良いだろうか」
「……も、もう繋いでいるではありませんか」
「これは失敬。しかし君には言葉より態度で示したほうがまだ伝わるだろ」
「? …………何の話ですか?」
きょとん、とまんまるの目で見つめ返してくるサラに、カリクスは前途多難であることを再認識する。
しかしこれで良いのだ。カリクスはもう既にサラを手放すつもりなど毛頭ないのだから。
カリクスはサラの手に熱を渡すように、それでいて壊さないようにギュッと力を込めた。
「どうだ町の印象は? ファンデッド家の領地との大きな違いはあるか?」
「活気に溢れていて、街の人々が商売を楽しんでいることは私が見ても伝わります。商品が良質なことは一目瞭然ですし、物価も日々の生活を圧迫するほどではありませんから上手く経済が回っている印象です。……ファンデッド家の領地との違いは──」
饒舌に話していた口が半開きのままピタリと動きを止めたかと思えば、サラの黒目が左右に行ったり来たりして何かを考えている様子だった。
これは探ってみるか、とカリクスはサラの様子の変化に気付いていないふりをする。
「どうした。ファンデッド家にいた頃はあまり町に出なかったか?」
「あまりというか……ここ数年は一度も屋敷の外には出してもらえなかったので……その……」
「一度も、だと──」
カリクスの声に不快感が混ざる。ハッとそのことに気が付いたサラは、自身の失言に慌てて例の『技』を発動させた。
「なーんちゃってーー。冗談ですわーー。私は伯爵家の令嬢ですからーー。呼べば誰でも家に来ましたものーー。おほほほーー」
頭の片隅の記憶を引っ張り出し、咄嗟に嘘を付く。嘘のモデルは家族だ。
何か欲しい物がある時、家族は行商人を家に呼んで買い物をしていた。もちろんサラは一度もそんな経験は無いが、よく使用人の格好でその様子を部屋の隅から見ていたので、それが貴族の普通だと思ったから咄嗟に口に出たのだ。
そんな家族だったので、サラが領民の様子や商売している様子を実際に見たいと言っても理解されることはなかった。仕事をサボろうとするなとさえ言われる始末だったのだ。
それに比べてカリクスは領主として、公爵家の当主として、その身を捧げるくらいには領地と領民のことを考え、責務を果たしている。
伯爵家でのことを言えば家族への悪印象を持ち、余計な軋轢を生むことをサラは避けたかった。
それから暫く歩きながら市場を見たり流行りの飲食店に入って小腹を満たす。その最中にカリクスが話を掘り起こすことをしなかったことがサラの救いだった。
しかしサラがそう思っているだけで、カリクスの中ではサラの実家──ファンデッド伯爵家に対する不信感はどんどん大きくなってきている。
ヴァッシュの報告はまだだが、セミナからの情報といい、サラの様子といい、今の発言といい、正直気付かないほうがおかしいというくらい、それは明々白々だった。
遅めの昼食を終えてから暫く店を回ると、今日の視察は十分だろうと切り出したのはカリクスだ。
サラは充実感と、もう終わってしまったという寂寥感の相反する感情を持ちながら頷くと、カリクスはある提案をするのだった。
「サラ、今からは二人で町を見て回らないか? 視察ではなく完全にプライベートだ」
「えっ、セミナは…………?」
「私はそろそろ屋敷に帰って諸々の準備がありますので、今日のところはここまでとさせていただきたく存じます」
「そう、なのね。分かったわ、今日は付き合ってくれてありがとう、セミナ」
セミナが帰ってしまう寂しさはあったものの、正直もう少し街を見て回りたいと思っていたサラは、カリクスの提案を快く受け入れる。
プライベートという部分は一切深く考えていないようで、それはカリクスとセミナも何となく勘付いたのか、何とも言えない顔で目が合ったのは言うまでもない。
セミナと解散し、サラはカリクスと二人で街を歩く。手は繋いでいないものの、歩くたびにツン、と触れるくらいには二人の距離は近い。
「どこを見たい? ドレスでもジュエリーでも、何でもプレゼントさせてくれ」
「え!? いっ、要りませんわ……! この前仕立て屋さんに何着も見繕っていただきましたし、宝石商の方でもいくつか……」
「それは君が私に恥をかかせないようにしたに過ぎないだろ。私はサラの欲しい物を与えてやりたい」
「何故それを知って……!? そっ、それなら先程のご飯で十分ですわ……!」
「それは無しだ。当然のことだから」
この2ヶ月、サラは一生分の贅を尽くしたと感じている。ドレスにジュエリー、豪華な食事に何不自由のない生活、優しい婚約者に優しい使用人たち。仕事を任せてくれるだけでなく有り難いと凄い知識だと褒めてくれる家臣たち。
これ以上何かをねだってはバチが当たると、サラは本気で思っていた。
そもそもサラに豪華なものに対する物欲は微塵もないのだが。それでも物を贈りたいと言うカリクスは、引いてくれそうにない。
それならば──サラは何か欲しい物を、と考えて一つだけ思い当たった。
「物ではなく……お金がほしいです」
「……何故だ? 何かほしいならば私が」
「違います……! そうではなく……!」
珍しく口調を強めるサラ。その必死な様子に、カリクスは耳を傾ける。
「私は公爵家に来てから、これ以上ないくらい大切にしてもらっています。毎日毎日ありがとうと、思っています。その感謝の気持ちを、皆さんに伝えたくて、こんなにも良くしてくれる皆さんにほんの少しでも恩返しが……したくて。それでささやかでも何か贈り物をと思ったのですが、持参金も持たない私には……その、自由に使えるお金が無いのです」
サラは言いづらそうな様子で、胸の前で両手の指をもじもじと擦り合わせる。
カリクスはサラの言葉にハッとして、眉尻を下げた。
「その、少し、ほんの少しで良いので、お仕事をした給与……というのでしょうか、その、お小遣い、みたいなものでも良いので……頂きたいのです……」
(良い生活をさせてもらっている上に金銭の要求なんて、どれだけ私は貪欲なんだろう。……伯爵家で生活している頃は、こんなこと思いもしなかったし、もし思ったとしても口には出さなかったはずだわ……)
零したお願いに対し、自分自身が驚きを隠せないサラは、おずおずとカリクスの顔を見る。
表情は分からないので不安になったが、そっと胸の前にやっている両手を彼の手に包み込まれ、サラはフッと肩の力を抜く。
「済まない。欲しい物を与えてやりたいなんて、ただの私の傲慢だったな」
「そんな……! カリクス様は傲慢なんかじゃ」
「君に正当な対価を支払わず、何かをしてやりたいなんて傲慢も良いところだ。今伝えてくれなければ、私は気付かずにもっと君を傷付けるところだった。……伝えてくれてありがとう、サラ」
読了ありがとうございました。
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サラに早く幸せになってほしい! という方もぜひ……!
次回、ちょっと重要回です。