1 サラ、妹の代わりに嫁ぐ
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「お姉様、このブレスレット可愛いね! ミナリーにちょうだい?」
「うん、良いよ」
「お姉様、ミナリー足が痛いの。書庫からいくつか本を持ってきてくれない?」
「うん。分かったわ」
「ねぇお姉様、ミナリーの代わりに嫁いでくれない?」
「──とつ、ぐ?」
サラはぐわりと、視界が歪んだ気がした。
時刻は夕方。
夕食の時間になり、使用人たちが慌ただしく準備を進める中、まるで理路整然とそう告げられたサラは、過去の記憶に思いを馳せた。
幼少期、年子の妹のミナリーは多少人のものが欲しがる癖が強かったけれども、まだ可愛かった。
ブレスレットをあげれば「嬉しい嬉しい」と喜んでいたし、次の日には興味が失せたようで雑にしまわれていたとしても、しょうがないよねとサラは思っていた。
サラが14歳のときには、ミナリーと両親からまるで使用人のような扱いが始まったが、それも別に構わなかった。
サラは貴族としてのマナーや教養は既に学び終わっていたし、貴族同士の駆け引きや自慢話、足の引っ張り合いがどうも苦手だったので、代わりにファンデッド家の令嬢として表に立ってくれる妹の役に立てるならそれで良かった。
むしろこんな姉でごめんね、とさえ思っていた。
普段のサラの食事といえば、いつの間にか自室と化した屋根裏部屋で細々と行うものだった。
家族の命令により使用人は誰も面倒を見てくれないので、サラは自ら台所に立った。
食材といえば残り物ばかりだったけれど、ありがたいことに伯爵家の残り物はそれなりに食べられるものが多かったし種類も豊富だ。
野菜の皮しか無いならほんのり甘いスープにしてしまえばいい。肉や魚の切れ端がある日はご馳走が作れると、飛び跳ねるほど喜んだものだ。
もちろん洗濯に掃除。母と妹に指示され招待状や手紙を代筆したり、贈り物の選定をしたり。
父の仕事である領地経営の概算を見積もりしたり、他の領地との差別化を図るための資料集めをしたり。
(あら? これは使用人の仕事に入れて良いのかしら?)
とりあえず、サラは今の生活にそれなりに満足していた。
そうして話は冒頭に戻るのだが。
使用人としての生活が続いて家族と共に食事をすることなんて暫くなかったサラの元へ、使用人がやって来て何年ぶりかに簡素なドレスを着せてくれた。最後に貴族たちの前に出たのは13歳のときだったので、それ以来になる。
そのまま案内されて家族が普段食事をするダイニングルームに通され、椅子が4つあることにサラは驚きを隠せなかった。
(え! もしかして今日って私の誕生日だったかしら? いえ違うわね……だって半年前に一人で残り物のパンにお肉の切れ端を挟んだサンドイッチを食べて18歳になったお祝いをしたもの)
しかしあれよこれよと考えているのも束の間、ミナリーのあまりにも無茶な発言にサラは目を開いて閉じてを繰り返す。
とっさのことで返事ができずに口籠ると、程なくして両親も現れ、昼食をとるべく同じテーブルへと着いた。
「早く座らんか」
「はっはい……! 申し訳ありません……きゃっ」
使用人に椅子を引かれるが、そんな当たり前のことさえも数年ぶりだったのでもたついてしまう。
はしたないわ、とぼそりと呟いた母に、サラはおずおずと頭を下げてから席に着いた。
「それで、ミナリーから話は聞いたか?」
「えっと……はい。ミナリーの嫁ぎ先に、私が代わりに嫁いでほしい、と」
「ほしいじゃないわよ! 嫁ぎなさいと言っているの。……全く、ミナリーったら優しいんだから。そんなことだからサラが調子に乗るのよ?」
「ごめんなさぁいお母様? ふふふ」
「あ、あの、お聞きしたいのですが……そもそもミナリーに来た縁談を、代わりに私を、となった理由を知りたいのですが……」
サラの疑問はもっともであった。
そんなことも分からないのか、と父は叱責するつもりだったが、嫁いでから有る事無い事を言われたり下手をされては困るのは自分たちだと、サラの疑問に答えることにした。
「お前は我が領地の状況を細かく知っているな」
「? はい。財政のことや物流のことでしたら全て」
「なら今後より安定して領地経営をするにあたって一番必要なものは何だ?」
「……お金、です」
「そうだ。……そういう、ことだ」
そういうことという抽象的な表現だったが、サラにはこの縁談の意味が簡単に理解できた。
(相手先はきっと我が家より裕福なのね……金銭を融通してもらうための政略結婚で、ミナリーはそれが嫌だったと)
この貴族社会において政略結婚は珍しくない。
使用人としてずっと屋敷に閉じこもっていたサラでもそれくらい分かる。
それに小さい頃はそれなりの教育を受けていたし、自分も将来は家のために政略結婚のだと思っていた。
「ではお父様、そのお相手と言うのは……?」
「カリクス・アーデナー公爵だ」
「!? 伯爵家の我が家に、公爵家からの縁談が……? それはとても良い話に聞こえるのですが……」
フッと母が馬鹿にしたように笑う。
「何も知らないのね?」と言ってからワインをゴクリと飲み干した。
「確かにアーデナー公爵家は古くから王に仕える名家よ。けれど現当主のカリクス公爵は残忍で冷酷、目を背けたくなるくらいの大きな火傷痕が顔にあるの。貴族たちには忌み嫌われて『悪人公爵』なんて呼ばれてるわ。──そんな男に、ミナリーをお嫁に行かせるのは可哀想でしょう?」
「お父様お母様……! ミナリー怖い……!!」
「大丈夫だミナリーお前をそんな野蛮な男の元には行かせないさ」
顔を両手で隠して肩を震わせるミナリーを両親は後ろから包み込むように抱きしめた。
大丈夫よミナリー泣かないで、と励ましている。
経験上、嘘泣きなのだろうとサラは分かっていた。
けれどそんなことは些細な問題、ですらないのだ。ミナリーが願うこと、それ即ち決定事項なのである。サラは諦めたように、苦笑を見せる。
「──分かりました。私が代わりに参ります」
「おお! よく言ってくれた。お前をここまで育てたことに感謝する日が来ようとはな」
「本当ですわね。……まあ、腐っても貴方も伯爵家の人間ですから殺されたりはしないでしょう」
「良かったわねお姉様! 不細工なのに結婚できるなんて」
声に悪意の全てが集約されていることが分らないほど、サラは鈍感ではなかった。
この縁談がファンデッド伯爵家にとっては良縁なもので、嫁ぐ本人のサラにはそうではないもの、というのが如実に現れていた。
明らかに蔑ろにされている。しかしサラはそれほど両親と妹を恨んでもいない。
再三になるが、サラは今までの使用人紛いの生活が苦では無かったから。
どんな扱いをされても別に大したことは無かった。
相手方には指名されたミナリーではないので悪いとは思うものの、サラは縁談にはそう後ろ向きではなく、どうにか貴族の娘としての役目を果たせて良かったとさえ思っていた。
「出発は明日だ。急だが持参金も輿入れの品も要らんと言われているからな! 有り難いことだ」
「本当ね〜。サラは晴れて公爵夫人。我が家はより潤沢になる。皆幸せになれるわね! ささ、今日が最後の我が家での晩餐よ! たーんと食べなさい?」
「うちのことは心配しないでね? 私が素敵な殿方を婿に迎えるから!」
貴族らしい食事が目の前にあるのに、全く喉を通らない。ははは、と乾いた声が漏れた。
ここ数年、家族とこれだけ会話らしい会話をしたことがあっただろうか。笑顔を向けられたことがあっただろうか。
──否。けれどサラは家族への感謝を忘れずに嫁ごうと思った。きちんとファンデッド家に資金が送られるよう、良き妻にならなければと思った。
どうせなら──役に立ちたい。
明日ファンデッド家を旅立つサラは、そう決意し、拳をギュッと握り締める。
「ああ、そういえばサラ。貴方よく人の顔が分からないって嘘をつくけどあれ止めなさいね? 貴方が殺されるだけならまだしも、そんなくだらない嘘でファンデッド家に被害が及んだらただじゃおきませんから」
「………………はい」
ただ一つ心残りがあるとすれば、あらゆる人の顔が認識できないと打ち明けたことを、嘘つきの一言で片付けないで欲しかった。
これは顔が見分けられない伯爵令嬢の蛹──サラが『悪人公爵』ことカリクスに見初められ、世界に羽ばたく蝶となる、そんな物語である。