5話 アンデッド少女
このドンゴラスの街で、静かに、大きな恐怖が生まれようとしていた。
出店の裏路地。そこでのやりとりは、通りの賑やかさでかき消される。
「お前、ふざけてんのか?」
男数人が白いマントを羽織った人物を囲む。白いマントを羽織った人物はフードを深く被っており、顔は見えない。
「ふざけてるわけないじゃん。私はいつだって真面目だよ……クーククククッ……!」
白いマントを羽織った人物は音だけで笑う。話す声から女である事がわかる。
「なあ……俺たちの事知らねえか?『大いなる意思』ってんだけどぉ、今まで20人は殺してるんだぜ?さっさと謝った方が身のためだ」
脅迫する男に対し、白マントの女は微塵も恐怖を感じずに言う。
「はぁ?知らないって。20人殺したぐらいで私より強い、なんて考えてる方がよっぽどおかしいよ」
「何…!?」
「調子に乗りやがって!今すぐ殺してやる!」
男の1人は短刀を腰から引き抜き、女に斬りかかった。
「フフハッ!」
女は手のひらで短刀を受け止める。短刀の柄の部分が女の手のひらに着く程、短刀は深く刺さった。
「ははは!痛いだろう!!……は?」
女はそのままナイフの柄を握り、ニヤリと笑うと短刀を握り潰した。
「残念でしたぁ!!痛みなんて感じませえぇん!!フハッ!フフハハハッ!!」
京矢は買い物を終え、右手に果物を持っていた。
「何か聞こえた……」
「ん?どうしたんだキョウヤ」
京矢は目を閉じて耳に意識を集中させた。
(あれ、前にもこうして感覚を研ぎ澄ました事があるような気がする……)
女が高笑いすると男たちは大きな恐怖を感じる。恐怖を搔き消すために、男たちは目の前の女を倒そうと考える。
「こいつ!死ね!!」
1人の男は火の玉を女に向かって飛ばす。女に直撃し、女のマントは燃え上がる。
「無詠唱か〜、やるねぇ。あ!あ〜あ、せっかくのお気に入りが……フッフフフッ!!さっきの言葉、何だっけ〜?ああそうだった、今すぐ殺してやる!!フハハハッ!!」
マントが燃え、地面に落ちる。マントがなくなった事により、女の顔は鮮明に見えるようになる。女、いや、少女の目は見開かれ、口角をこれでもかというくらいに釣り上げてニヤリと笑う。
「ヒッ」
男たちは恐怖の息遣いで一瞬硬直する。その隙に少女は、短刀を刺してきた男の腹に、槍のように尖らせた手を貫通させる。
「あがっ……」
「胃を破壊した……生き残っても何も食べられずに死ぬからね!ザマァミロ!!」
「うあぁ……!」
逃げ腰になる残った男達。
「寄ってたかって女の子を虐めようとする奴らは、1匹残らず死ぬべきじゃない?フッフフ……ッハ!!」
少女は高速で動き、僅か数秒で全ての男を殴り、気絶させる。
「ま、胃を破壊したのは嘘。私がお前らみたいなクズを殺すと思った?じゃ〜ね。フハハッ!」
少女が裏路地から出ようとすると、京矢が立ち塞がった。
「なんぞこれ……大ごとやがな」
「ちょっと、そこどいてくんない?」
少女は顔を顰めて京矢を見る。
「これ、お前がやったのか?」
「そう。だって先喧嘩売ってきたのあいつらだし。私が悪い事なんて何一つないでしょ」
「流血はよくねえだろ」
「緩い。悪は総じて滅びるべきじゃん?これぐらいで済ませてやってんだから感謝して欲しいし」
「正義故にってやつか。悪かった。こいつでももってけ」
京矢は果物を渡して道を開けた。
「おっ、サンキューお兄さん」
女は果物を受け取ると、ニヤリと笑い、果物を嚙りながら去っていった。
「ハラハラしたよキョウヤ。あいつとんでもない魔力だ。しかも体の中心にだけ。あれは人間じゃない」
「ああ。そんな気はしていた。目があった一瞬気圧された。あれは何十人も殺して来た奴の目だったな」
「体の全体には魔力は無い、その上魔力濃度が高い。恐らくアンデッドだろう。だが何故、人間と同等の思考を持ってるんだ。普通はただ襲って来るだけの雑魚に過ぎないのに」
「アンデッドか。あいつみてえのは珍しいのか?」
「珍しいなんてもんじゃない。アンデッドは、人間や生物の死体が魔力によって動くようになったものを指す。魔力だけで自我が生まれる訳がない。だって死んでるんだから。あれは、この世界の法則を完全に無視している。本能的には関わりたくないが、あれがなんなのか知りたい。京矢、追っていいか?」
目を輝かせてそわそわするパインを見て、京矢は少しの焦りと苛立ちを覚えた。
「おい!お前の親がどうやって消えちまったのか忘れた訳じゃねえだろうな。好奇心とは時に自らの命を危険に晒す、だろ?」
京矢の言葉で正気に戻ったパインは下を向いて謝る。
「ああ。済まない。危うく僕も好奇心に呑まれる所だったよ」
「お前がいなくなっちまったら俺は寂しいぜ。この世界で出来た初めての友達だからな……」
「キョウヤ……」
京矢は自分の言葉が恥ずかしいと感じ、話題を変える。
「よ、よし!今日は帰って筋トレだ。明日は休みだからな、超回復する時間は十分にある!訓練所に帰るぞ、パイン」
「ふっ、分かった」
2人は訓練所に向かう。道中、京矢は空を見上げて口を開く。
「あんま意識した事無かったが、雲っておもしれえな。魚の鱗みてえなやつ、綿飴みてえなやつ、火花みてえなやつ。日本にいたら気付かなかったかもしんねえな」
「雲なんだからそういうものじゃないのか?」
「日本は雰囲気がちょっとな。目の前の事にしか頭が回らなくなるような忙しさだからな。基本的に上を見上げることは中々無えんだよな。こうして心に余裕がなきゃ、自然を楽しむってのも出来ねえ。あ、もうどうでもいいが、レポートがあったのすっかり忘れてたぜ」
パインは微笑んで京矢に言う。
「楽しそうだな。もうこの世界に住んでしまうか?」
「そんな事言うのはよせよ。いつかは帰らなきゃなんねえ。どれだけ生きにくい世界でも、俺の故郷であり、俺の家族がいる。まだ大学に行ってる途中だったし、親に金も返せてねえ。親の保護下はまだ抜けてねえんだよ。親父とも母さんとも、何度も喧嘩してきたが、俺にとっちゃ換えの効かない唯一の存在なんだ。だから、生きて帰らなきゃなんねえ。それに大学を除籍される訳にもいかねえ。親に申し訳ねえからな」
「その大学というのはどれだけ行かなかったら除籍されるんだ?」
「俺の通ってる大学では出席が30%、試験で60%、提出物で10%だ。出席と提出物は不可能だが、試験さえ頑張れば60%は手に入る。あっ、そうか……よくよく考えてみれば、1年もこっちで学んでたらアウトだな。タイムリミットは半年がいいところだ。なあ、期間を短縮する方法は無えのか?」
京矢がパインに問いかけると、パインは少し視線を逸らして言う。
「ん、あるにはある。だがお勧めはしないぞ」
「そんな事言わずに教えてくれよ」
パインは小さく溜息を吐いて言う。
「これは偶然聞いた話なんだが、何でも1ヶ月後の大会で優勝すれば、それから2ヶ月間、冒険者4人による授業が受けられるらしい。それを終えると冒険者資格が手に入る」
「マジか!」
「ただ、その話には続きがあってだな。去年と一昨年の優勝者は、その授業を受けて精神を病んだらしい」
「何があったんだよ何が!!」
「詳しくは知らない。ただ立ち聞きしただけだからな。それはそうと、君はそもそも、1ヶ月じゃ優勝できるレベルの実力を付けられない筈だ。最初の訓練すら酷い結果だったんだろ?だから関係の無い話だと思うんだが」
京矢は少し顎に手を当てて考えると、パインに言う。
「いいや、大会の詳細が分かれば何とかなるかも知れねえ。パイン、大会について詳しく」
「大会の名前は初戦祭。冒険者の大会と同じく、魔法使い、剣士、関係なく出場出来る。初戦祭では真剣の使用や殺傷能力の高い魔法の使用は禁止。制限時間は無く、どちらかが負けを認めるか、どちらかが戦闘不能になる事で勝敗が決まる。傷は治癒魔法で治してもらえる」
「なるほど。他に持ち込めない物はあるのか?」
「いや、特に無かったと思う。魔石の持ち込みも禁止されてないしな」
「魔石ってなんだ?」
「魔石は自分の魔力を効率的に引き出せる道具だよ。君には使えないと思うけど」
「俺は剣士だから関係ないな」
「……え?」
「え?」
訓練所の前まできた辺りで、2人は数秒間沈黙する。
「キョウヤ、剣士も魔力を使った自己強化を行うんだけど、もしかして知らないのか?」
「なん…ぞ…」
「これは魔王まで辿りたくのに、何10年かかることやら」
京矢は衝撃的な事実を聞き、両膝を地面に付けた。