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西宮、鳴尾が舞台のモデルになっている小説

車椅子を押す少年

作者: 恵美乃海
掲載日:2018/09/09

書いた当初のタイトルは「車椅子の少年」だったのですが、読んでいただいた友人から、内容からいって「車椅子を押す少年」ではないか、との感想をいただきました。

当サイトの投稿にあたって、タイトルは、その友人のご助言にしたがうことにしました。


               1


 夏休み前の最後の日曜日の朝、まもるは阪神武庫川駅に向かって車椅子を押していた。衛は中学二年生。車椅子に座っているのは小学二年生の弟、ひとしである。

厳しい暑さ。衛はTシャツを一枚着ているだけだが、いくらも歩かないうちに、体中から汗が噴き出した。

衛は頸に巻いたタオルをはずして、同じく汗だくになっている斉と自分の顔の汗を拭いた。車椅子の後ろに懸けた手提げ袋には、冷蔵庫で冷やした水道水を入れたペットボトルが三本入っている。

「斉ちゃん、お水飲む?」衛が尋ねると「うん」と斉がうなづいた。

衛は、手提げ袋からペットボトルを一本取り出しキャップを開けると斉に渡した。

斉は左手で受け取り、自分の口に持っていく。衛もペットボトルを支えた。斉は三口ばかり飲むとボトルを口から離した。

「もういいの?」

「もういい」

そのペットボトルをそのまま自分の口に持っていき、衛はごくごくと飲む。500mL入りのペットボトルの中の水がたちまち半分くらいになった。


武庫川駅に着くまでの七分程度の時間の中で、もう一度同じように二人で水を飲み、早くもペットボトルが一本空いた。


駅の西改札口にある三機並んだうちの、向かって左端の券売機の前に中年の女性が立っていた。阪神電鉄以外の別路線への連絡切符を買おうとしているようで、とまどっているようだ。衛は黙って、その後ろに並んだ。前にいた中年女性が振り返った。他の二機の券売機が空いているのに、そちらで買おうとしない衛を怪訝そうに見たが、言葉に出しては何も言わなかった。衛も黙っていた。


「お母さんだったら、こういうときは、きちんと理由を言って券売機を変わってもらうだろうな」


と衛は思う。三機の中で身障者用割引切符が買えるのはその一機だけなのである。実際、母がそういう声をかけるシーンには過去に何度か遭遇している。衛より気が強いというわけではない。世間の人にそういうことを少しでも知ってもらえる機会をできるだけ逃さないようにしているのだ。


券売機がようやく空いた。衛は「大人ひとり」と「子供ひとり」と「身障者マーク」のボタンを押し、「180円」のボタンを押した。チャイムが鳴り、券売機の横の小窓が開き、駅員さんが顔を出した。衛は、斉の身障者手帳を示した。

「あ、はい」駅員さんが答えると券売機から二枚の切符が出てきた。切符を取ると、衛は再び車椅子を押し、自動改札機を通る。


「お手伝いは」と駅員さんが衛に尋ねる。

「なくて大丈夫です。ありがとうございます」衛が答える。


衛はエレベーターで、先ず二階に上がり、神戸方面行側のホーム下から大阪方面行側のホーム下への通路を車椅子を押し、もう一基設置されたエレベーターで三階に上がった。

エレベーターが三階に着き、扉が開くとそこは大阪方面側のホームの西端である。


阪神武庫川駅は、ホームが川の上にある。ホームの西端から、電車の停車位置まではかなりの距離がある。衛はゆっくりと車椅子を押した。途中で武庫川駅に止まる急行電車が衛たちを追い越していった。すぐに全速力で走り出したら、乗車に間に合いそうだったが、衛は駆け出さなかった。今日は家を出たのがいつもよりは早い時間だったので、その急行に乗ったら、目的地で待ち時間ができそうだったからである。


吹きさらしになっている武庫川駅のホーム。冬は寒いが、この季節は、川面を吹き渡る風を受けて気持ちがいい。


次に武庫川駅に到着するのは各駅停車の普通であることは、経験上分かっていたから、

衛はホームの地面にペイントされた数字の「6」をやりすごし「普通車両はここから先に止まります」とペイントされた数字の「5」が始まる場所に車椅子を止めた。

 斉は列車最後方の乗務員室、車掌さんがいるその前の席に座りたがるのだ。


「斉ちゃん、今日は各駅に乗って、尼崎で急行に乗り換えようね」

「はい、分かりました」


ほどもなく普通電車が到着した。電車の扉が開く。衛は車椅子をやや後方に倒して前輪を浮かしながら押して電車に乗った。車掌さんのすぐ前の座席は優先座席だが、埋まっていることも多い。だが今日は空いていた。衛は車椅子を乗務員室に向けてからストッパーをかけ、その横の優先座席に座った。


斉は車掌さんの動作や持ち物を食い入るように見る。

衛は背負っているリュックサックに入れていた文庫本を取り出した。


斉は色々と尋ねてくる。


「かばんが後ろに置いてあるね。あれは自分のかな」

「うん、そうだろうね」

「今、何を見ているんだろう」

「運行表だろうね」

「今、何にさわったんだろう」

「予備非常スイッチと書いているね」


衛は斉が話しかけてくるたびに、短い言葉で返す。

会話を弾ませればいいのだろうが、車掌さんが大好きで電車の仕組みにも興味を持っている斉に対して、衛はそういったことにたいして興味はない。

斉に生返事をしながら、衛は文庫本の文字を追った。


尼崎駅で乗り換えた急行が終点の梅田駅の地下ホームに到着した。

開いた扉から後ろ向きになって車椅子を降ろして、歩はホームの西端から東端の自動改札口に向かった。自動改札口を通ったら、すぐ右に折れ、ホームと同じフロアにあたる阪神百貨店の地下二階に入った。


地下二階は食堂街である。和食、蕎麦、寿司、お好み焼き、カレー、中華、ファーストフード、パスタ・・・・・・色々なお店がある。


でも衛と斉が行くお店は決まっている。中華料理の「幸来662」だ。とにかく斉がそこの食事が好きなのだ。衛は、たまには違うお店で食べてみたい、とは思うが、「幸来662」の料理は、衛にとっても美味しいので、いつも斉の希望に合わせている。


衛は店内には入らず、「幸来662」のお店の前にある共有スペースの丸テーブルのひとつを囲む三脚の椅子のうちの一つを通行の邪魔にならない場所にどかせた。そこに斉の座る車椅子を押し入れてから、隣の椅子に座った。


店内にいるお店の配膳掛の女性の視線をとらえて、衛は軽く右手を挙げた。

女性が衛と斉のところへ注文を聞きにやってきた。

「朝定食ひとつと餃子一皿。あと別にお椀もひとつお願いします」


ほとんど毎週、日曜日の朝、同じ注文をしているが、衛は律儀に繰り返す。朝定食はご飯、卵とじ、焼売、搾菜、スープという内容である。

「斉ちゃん、トイレはある?」

「ある」


衛は、お店の人に断ってから、車椅子を押して食堂街の奥の一角にあるトイレに連れて行った。

トイレの前で車椅子を停め、斉を後ろから抱え上げ、手すりのついた小便器の前に連れて行った。斉を立たせ、手すりを持たせ、ズボンと下着を降ろしておしっこをさせた。


別に付けてもらったお椀に、ご飯と卵とじを入れて、斉に自分で食べさせる。


斉は脳性の四肢麻痺である。病名は、未熟児で生まれたことによる脳への血流低下が起因の脳室周囲白質軟化症(PVL)。麻痺の具合は上肢よりも下肢が強く、斉は歩くことも自分で立ち上がることもできない。また斉は上肢では左手よりも右手の麻痺が強い。


斉は左手で蓮華を持ち、こぼしながらも自分で食べる。衛は餃子をひとつ取って、箸で半分に割ると、息を吹きかけてから、斉のお椀に入れた。


約三十分かけて朝食を済ませると、他のどの場所にも寄ることなく、衛は帰りの切符を買って、四番線に到着した高速神戸行の普通電車に乗った。武庫川駅に戻るには、三番線の急行に乗るのがよいのだが、電車に乗ることが好きな斉の希望で帰りは各駅停車の普通電車に乗るのである。


梅田から武庫川まで、福島、野田、淀川、姫島、杭瀬、千船、大物、尼崎、出屋敷、尼崎センタープール前、と停車駅がある。


帰りもやはり最後方の乗務員室の前に車椅子を停め、斉は車掌さんの様子をずっと観察していた。


「ずっと見られているというのは、いやなものだろうな」


と衛は車掌さんに対してすまない気持ちになるが、その気持ちは抑え込んで、斉の好きなようにさせる。


武庫川駅に着いた。衛は斉の乗った車椅子を後ろ向きに降ろした。しばらくホームにたたずむ。

斉が車掌さんに向かって左手で敬礼する。車掌さんの中には、敬礼を返してくれる人。笑顔を向けてくれる人。特に表情を変えることのない人と様々だが、今日のまだ二十代と思われる若い車掌さんは、斉と衛に笑顔を向け、敬礼を返してくれた。


たまにこのあと武庫川駅から海側に向かって出ている武庫川線に乗り、三駅めの終点の武庫川団地駅に行くことがある。

エレベーターを降りて少し歩くと右は駅の出口、真っ直ぐ進めば、武庫川線接続の改札口である。


「今日は、武庫川線には乗れますか」

斉が衛に尋ねる。

「ごめんね。今日はこのまま帰ろうね」

「わかりました」


家に着いた。衛が物心ついた時は、同じ市内の団地に住んでいたが、斉が生まれてしばらくしてから引っ越した祖父母の家の近くの中古のマンションが衛の今の家である。


居間のテレビで、録画している教育テレビの工作番組を流した。斉はこの番組が好きで、繰り返し何度でも見る。


衛は少しの時間、同じ居間で教科書を読んで勉強した。しばらくして、三人分の昼食を作った。

母は、

「日曜のお昼はお母さんが作るよ」

と言ってくれているが、近所のスーパーマーケットでパートをしている母の日曜日の勤務は十二時まで。

勤務が終わった後、そのお店で買い物をしてくることが多いので、帰宅はだいたい十二時半くらい。

衛が所属している中学のソフトテニス部の日曜日の練習開始時間は一時なので、母の帰宅と入れ替わるように衛は出かけることになり、その時間には、もう昼食をすませておく必要がある。

ひとり分作るのも、三人分作るのも手間はたいして変わらないので、日曜の昼食は、だいたいは衛が作ることになる。


朝食が九時過ぎだが、成長期なので、十二時過ぎるとちゃんとお腹が減る。ソフトテニス部の練習は六時半までなので、しっかりと食べる。

今日は、鯵の開き一枚、豆腐と揚げのお味噌汁。大根の浅漬けという献立である。手伝いながら斉にも食べさせる。衛はご飯をお茶碗に二杯食べた、


食事が終わったら、母の典子が帰ってきた。居間に出したお膳の上に並んだ昼食を見る。


「斉ちゃんと私の分も作ってくれたのね。いつもありがとう」

母が喜ぶのが衛には嬉しい。


母が斉に話しかける

「また、「作ってあそぼ」見ているのね。今日も梅田に行ってきたの」

「はい、行きました」

「そう、お兄ちゃんがいつも連れて行ってくれるから、斉ちゃん、嬉しいね」

「はい、嬉しいです」


典子は三十二歳である。衛の同級生の母親たちの中でも一番若い。若いだけではない。やや小柄で、ややぽっちゃり体型だが、母は綺麗な顔をしている。それも庶民的とか親しみやすいといった形容詞よりは、貴族的とか近寄りがたいといった形容詞がむしろ似合いそうな顔立ちだ。

小学生時代から、衛の母親を見た同級生に

「西口のお母さん、若くて綺麗だな」

と何度も言われ続けてきた。衛の自慢の母である。


一度、何かの時に

「お母さん、美人だね」

と言ってみたことがある。


「あらあ、どうもありがとう。衛くんにそう言ってもらえると嬉しいわ。でもがんばってお化粧していますからね」

というのが母の答えだった。


たしかに忙しい毎日でも、母は手際よくきっちりとお化粧している。だが、素顔の母も何度も見ているが、充分に綺麗だと思う。


「じゃあ、クラブに行ってきます」

母と弟に声をかける。

「はあい、がんばってね」

「いってらっしゃい」


衛が所属する中学のソフトテニス部は、顧問の先生が熱心で、地域では強豪と目されている。土曜日、日曜日も練習はあり、年間で休みなのは、大晦日と正月三が日。八月中旬の十日間である。


衛が中学に入学したとき、ソフトテニス部に入部した新入生は十九人だったが、二年生になったとき、残ったのは九人だった。


今年、七月の上旬に行われた市内の大会は、衛たちの学年の部員が初めて公式試合に出場することになる大会である。だが、中学二年の部員で、出場した四ペア八人のメンバーの中に衛はいなかった。


二年生の中でただひとり試合に出ることができなかったのである。


母の運動神経はよい。

四年前に亡くなった父は、あまり運動神経はよくなかったようだ。衛はその部分では父に似てしまったようである。


ついでに言えば容姿の面でも、父は、衛はお母さんに似ていると生前よく言っていたが、客観的に見れば、衛は、美男と呼ぶにはかなり苦しかった父に似たようである。


斉は母に似て綺麗な顔立ちをしている。


同期の中で自分だけがはずれてしまったということに忸怩たる思いはあるが、それでも衛はクラブの練習に行く。


 練習が終わって、帰宅するのは七時前。

 この時間は、斉は家にいない。近所に住んでいる祖父母の家で、祖父に遊んでもらっているのだ。

夕ご飯も祖父母の家で食べてくる。それは毎日のことであったから、衛は夕食はいつも母と二人で食べることになる。


ただし、土曜日だけは母も衛も祖父母宅で一緒に夕食を食べる日、と決めていて、斉も土曜日だけは、九時までお祖父ちゃんと一緒に遊んでもよいことになっている。


衛は、母と二人だけで過ごす一時間ばかりのこの時間が好きだ。


クラブでのつらかった出来事も、大会当日のこの時間に母に話した。

母は、

「衛くん可哀想。毎日あんなに熱心に練習に行っているのに」

と涙ぐみかけたので、衛は、大丈夫だよ、と平気さを強調せざるをえなかった。


母はそれからもしばらく心配そうに衛を見守っていたが、その後も休むことなく練習に行っている衛を見て安心したようだ。


 斉がお祖父ちゃんに遊んでもらうのは、八時までと決めている。その時間が近づき、衛は歩いて五分ばかりの祖父母の家に斉を迎えに行った。祖父はNHKの大河ドラマを楽しみに見ているから、日曜日は特に五分前には着くようにしている。


 玄関に着いた。斉の大きな笑い声が聞こえてくる。

 「斉ちゃん、迎えに来たよ。」

と声をかける。


 祖父と斉は、玄関から伸びている廊下をはさんで、向かって右側の部屋で遊んでいる。

その部屋は今ではすっかり斉の遊び部屋になっている。


斉は、好きな工作番組で作っていたものや、自分が関心のある仕事に関するものを作るように、祖父にせがむ。

手先が器用な祖父は、リクエストに応じて、大概のものは工夫して作ってあげている。

今は、その部屋には木工で作った、電車の模擬運転席もあるのだ。


斉が工作好きなのは、祖父からの遺伝であろう。祖父の父も、祖父の祖父も大工だったそうだから、元々、西口家は、そういう家系のようである。


だが、父の清は、突然変異だったのか、手先が不器用で、ものを作る、ということには全く興味を示さなかったそうである。

清の少年時代、夏休みの宿題の工作は、ほとんど祖父が作ったそうだ。

 斉は、もし健常児であったなら、きっと祖父と一緒に色々なものを自分で作ったことだろう。

一方の衛は、この部分でもはっきりと父の遺伝が色濃く出たようである。


 向かって左側の居間から、テレビを見ていた祖母が出てきた。


「衛ちゃん、いらっしゃい。今日もテニスの練習に行っていたの。」

「うん」

「朝は斉ちゃんを電車で、梅田に連れて行ってくれているし、忙しいね」

「大丈夫だよ。若いから」


それに電車の中では自分の好きなことをしているわけだし、適当に手は抜いている。


斉を抱えて祖父も部屋から出てきた。


「おう衛、迎えに来てくれたか。」

「今日は、何をしたの」

「今日は車掌さんだったなあ。日曜日は電車に乗せてもらうせいか、だいたい車掌さんになるなあ」


斉はごっこ遊びが好きである。祖父と遊ぶときは、斉は何かの仕事をしている大人の真似をする。祖父は斉が車掌になれば乗客の、医師になれば患者の、教師になれば生徒の役をする。


「もうすぐ大河ドラマが始まるね。じゃあ連れて帰ります。どうもありがとう。」


祖父の抱える斉を受け止めて車椅子に乗せ、玄関を出た。


衛の一か月のお小遣いは母からもらっているが、それとは別に祖父母が、

「斉ちゃんと遊んでくれている分」

との名目で、毎月一万円渡してくれる。


斉と乗る電車の運賃や食事代はそれを使っているが、毎月、一万円までは使わないので、残った分を返そうとしても祖父母は

「お小遣いの足しにして」と言って受け取らない。

 

衛には自分で好きなように遊ぶ時間というのは、今のところほとんどないので、お小遣いはかなり余る。


 衛の家は、母がパートで働いているだけだが、斉に一級の障害者としての手当が出る。

それに、今住んでいる中古のマンションは、斉が生まれた数か月後に、まだ二十六歳だった父が頭金を工面して、相当に苦しいローンを組んで購入した物件だが、その際、加入を義務付けられた生命保険は、四年後に降りることになってしまった。だから今は住宅ローンの負債もないので、贅沢をしなければ、特に生活に困ることはない。


 父は、生前母に

「たいして保険料を払った訳でもないのに、保険屋さんには申し訳ないことをしたな。でもこのマンションだけでも残せてよかった」と言っていたそうだ。


 その夜、衛は、四年前父に渡され、直後は毎日何度も読んでいた手紙を取り出し、久しぶりに読んだ。



西口衛 様


衛、どうやらお父さんはあと一か月か二か月くらいしか生きられないようです。まさかたかだか三十歳で自分の人生が終わってしまうとは想像していませんでした。やりたいことはいっぱいあったけれど、お父さんにはもう時間がありません。


お父さんはこの手紙をあなたに書き遺すべきかどうか迷いました。あなたに伝えたいことはたくさんあるけれど、それをそのまま書いてしまったら、もしかしたらあなたのこれからの人生を縛ってしまうことになるかもしれない、と考えたからです。


でも、ごめんね衛。お父さんは寂しいのです。自分がどんな人生を歩んできたのか。どんな夢を持っていたのか。どんなことをやりたかったのか。そして今、どんなことを思っているのか。それをあなたに知っておいてほしいのです。伝えておきたいのです。本当だったら、あなたがだんだんと成長していくにしたがって少しずつ伝えていけばよいのですが、お父さんにはもうそんな時間はありません。


 お父さんが病気になり、そしてそれが死を免れない病気だと分かったのは一年ちょっと前です。

そのときお医者さんに

「余命は一年程度だと思います」

と告知されました。


宣告された余命より少しでも長く生きようと思ったけれど、お医者さんの診断は、悲しいほどに正確だったようです。


「余命一年」

それは、そのことを宣告されてから始まる日々は、その毎日が、お父さんの人生が迎える最後のその季節ということです。


それからも季節は、それまでと同じように移ろい過ぎ去っていきました。

万朶と咲き誇る桜。

目にあざやかな新緑。

雨に打たれる紫陽花。

灼熱の太陽と入道雲と日暮しの声。

清涼な大気。

道端に積もる落葉。

そしてお父さんの人生最後の大晦日。新年。

 

「これが最後」

その覚悟で眺める季節と世界は、たまらなく豊かで美しかったです。

そしてお父さんは同時に深く後悔しました。

「俺はなんてもったいない人生を送ってしまったのだろう」

と。


 お父さんは、この世の中のもつ、様々な不正や色々な悪に敏感な少年でした。

そのため、この世界をそのままに受け入れることができず、いつしかそういった正しくないものが存在しない世界に憧れるようになりました。

この世ならぬものを求めるとなれば、宗教に関心を持たざるをえません。

お父さんは何か特定の宗教を信仰することはありませんでしたが、様々な宗教が描く理想の世界に憧れる、そんな少年でした。


そして、いつかその思い描いている世界を文章で書き表してみたい、文章を書くことで身を立てることができたら、そんな夢も持っていました。


 病気になって、この世界とさして遠くない時期に別れなければならない、ということが分かったときにお父さんが思ったことは、俺はなぜもっとこの世界を愛さなかったのだ。

自分のまわりにはこんなにも美しい世界が現に広がっているのに、なぜ、それをそのままに愛さなかったのだ。なぜ別の世界に思いをはせるなどという余計なことを考えていたのだ。

俺に時間をくれ。

もっと時間をくれ。

俺はあるったけの自分の、そのすべてでこの世界を愛する。この世界を讃え続ける。

そういったことでした。


 でも、衛。そうはいってもお父さんは、そのことに気付く前であっても、常に理想の世界に憧れ続けているだけだったというわけではありません。お父さんの人生の中でも、その時の現実に全身全霊でぶつかっていったこともありました。その最たるものは、典子さんとの出会いです。


典子さんは素敵な女性でした。初めて出逢ったときの学生服の典子さんの姿が忘れられません。

人としてのたたずまいが凛としていて、奥行きのある素晴らしい女性でした。


お父さんはそれから・・・・・・がんばったよ。


典子さんもお父さんに好意を持ってくれているということが分かったときこそ、お父さんの人生における最高の瞬間でした。


若すぎると周囲には反対されたけれど、お父さんにとって、生涯を共にする相手は典子さん以外にはあり得なかったので、典子さんの高校卒業を待ってふたりは結婚しました(本当のことをいうとお母さんのお腹に衛をさずかったので、予定を早めて結婚したのですけどね)。


お父さんは大学三年生になるところでしたが、通信教育に切り替えて働きました。そしてお父さんの人生における二番目の最高の瞬間がやってきます。


衛、あなたの誕生です。


仕事、勉強、そして典子さんとふたりでの子育て。


とても忙しかったけれど、なんて幸せな日々だったでしょう。典子さんによく似たわが息子のなんと可愛らしかったことでしょう。


お父さんも両親、衛にとっては、明お祖父ちゃんと敬子お祖母ちゃんにはとても可愛がってもらいました。

年齢の離れた末っ子だったせいもあり、ずいぶん甘やかされて育てられたように思います。


お父さんが育った場所は、あなたが育った街と同じ場所です。

自分が育った同じ街で、だんだんと成長していく衛を見守っていく。それもまたお父さんには嬉しいことでした。


その頃、お父さんはこんなことも考えたことがあります。


人間にとって一番大切なものは何なのか。

ずいぶんと大きなテーマですが、でもそれは、天空のかなたにあるわけではないのではないか。


家族、ふるさと、そして少年時代の思い出。

この三つこそが、人間にとっての根っこ。最も尊い至高概念ではないのか。お父さんはそのように思い始めました(もっとも、少年時代から続く宗教的な理想の世界を想像することもまだやめられなかったわけではありますが・・・)。


人間が仮に八十年生きるとしたら、五十歳の時の出来事が、思い出としてその人の脳裏にとどまるのは三十年間です。でも少年時代の思い出は、その人が生涯にわたって何度も何度も振り返ってみることができます。


衛が生まれてから、お父さんはそういう気持ちであなたに接してきました。もっとも難しいことを考えなくても、お父さんにとって、あなたと典子さんとともに過ごす時間はそれだけで心躍る、充実した日々でした。


衛、お父さんはあなたに心楽しく豊かな少年時代を与えられたでしょうか。あなたがこれからの生涯で、繰り返し取り出しては心を温めることができる、そんな思い出を作ってあげられたでしょうか。


人として生きていく上で、最も大切にするべきは、何か。

静穏、謙抑、受容、中庸、日常。


そして、これはお父さんが考えた言葉ですが、

三静。

静思、静語、静行。

静かに思い、静かに語り、静かに行う。


衛、三十年生きて、これがお父さんの辿り着いた境地です。


さらに生きることが許されたら。


こういった言葉にとらわれることなく、自由自在に。さらには、それさえも捨て去った境地に。

行けたかもしれません。でもお父さんはここまででした。



あなたに弟か妹を作ってあげたい。

典子さんとお父さんはそう思い続けていましたが、二人目の子供はなかなかできませんでした。


六年たってやっとあなたの弟が生まれました。 


斉の誕生。お父さんの人生で三度目の最高の瞬間。


でもそれは大きな悲しみも伴っていました。

生まれてしばらくして、斉が脳性麻痺という障害をもった子供であることが分かったとき、お父さんは体の震えが止まりませんでした。それまで大した苦労も知らずに人生を送ってきた人間にとっては受け止めることのできない衝撃でした。


「俺の人生に何でこんなことが起きる」

お父さんは自分の運命を恨みました。


「俺はもう二度と笑うことはないだろう」

そんなことも考えました。


斉の障害を知ったとき、まずは自分の人生のことを考えたわけですが、しばらくしたら、斉自身のその人生のことに思い至りました。


普通の健康な人と同じことはできない人生。多くのことをあきらめなければならない人生。


斉が不憫でした。誕生後もしばらくは入院していた斉が退院してはじめて我が家にやってきたとき、お父さんは何時間も斉を抱き続けていましたが、斉の体にポロポロと落ち続けていく涙を止めることができませんでした。


でも、斉は可愛い。ひたすら可愛い。


「もしかしたら笑ったりすることもない子供なのかな」


という心配もしていただけに、斉が初めて笑ったときは

「典子さん、斉が笑ったよ」

と典子さんに告げるなり、またわんわんと泣いてしまいました。

もともと泣き虫のお父さんでしたが、斉が生まれてからは、さらに一段と泣き虫になってしまいました。


斉。

病気のこともまだ知らないうちに、西口家の伝統(とお父さんが勝手にそう思っているだけですが)に則ってお父さんが付けた名前です。

でも斉のからだのことを考えるとあるいは悲しい願いのこもった名前になってしまったのかもしれません。


(お祖父さんは自分の名前が明なので、男の子が生まれたら「明のつぎは清」で清という名前にすると決めていたそうです。

でもその前にどうしてもつけたい名前があったので、長男であるお父さんのお兄さんを、その名前、満にして、次男であるお父さんに清という名前を付けたのです。


というわけなので、あなたには清のつぎ「中華民国」と付けないといけなかったのですが(西口中華民国。どう?)、かなり高い確率で将来恨まれることになるであろうと思ったので、別の名前を考えました。


昔の中国の国名、というところにこだわり、最初に戻ってみました。

夏、殷、周。

これだ周だ。

孔子が理想と考えていた国でもある。

読みは「あまね」だ。

と先ず思いました。


でも明治時代に西周という割と有名な人がいたので、有名人と似た名前は避けておこうという気持ちが働き、結局「衛」「斉」という名前に行きつきました。)


 中国の歴史は、日本と違って、次々に国家が交代していく歴史ですが、それぞれの国家は、その前の時代の国家の正史を書き継いでいくという伝統があります。


 この伝統を、もし、ひとつひとつの家族が取り入れたとしたら、子はその親の人生を書き継いでいく。

書くという行為は、なかなか大変な行為ですが、せめて親の人生を、子に孫に語り継いでいったら、家族の歴史は、連綿とつながっていくことになります。


お父さんの人生はこれまでにも、色々と衛に話してきたから、きっと覚えていてくれるでしょう。


そして、衛には、お祖父ちゃん、お祖母ちゃんの人生も、知っておいてほしい、と思います。


お父さんの生まれた時期と、衛の生まれた時期には二十年ちょっとの差があるわけで、世の中の身の回りの便利さといったことについては、なかなか大きな変化がありました。

しかし、本質的な部分では、ともに平和な時代に生まれ、育ったわけで、環境に大きな差があったとは思いません。


でも、お祖父ちゃんやお祖母ちゃんの生まれ、育った時代は全く違います。

戦争という大きな出来事が厳然として存在した時代です。お祖父ちゃんは、ちょっとの差で、直接、戦争に行くことはありませんでしたが、少年時代は「二十歳まで生きることはないだろう」と覚悟していたそうです。


お祖父ちゃんやお祖母ちゃんと同じ世代、さらに上の世代の人たちは、少年時代、青年時代に、死というものと正面に向き合わざるをえなかった、そういう世代です。一本筋の通った死生観をもつ、われわれとはまるで違う世代。お父さんは、その世代の人には、それだけで、畏敬の念をもっています。


 さて斉のことです。

 斉のことはお父さんとお母さんが一生面倒をみていかないといけない。親子としての年齢差があるので、斉より早くこの世からさようならすることになるでしょうが、できるだけ長生きして、そして死ぬときにはあとに残る斉が生活していくのに困らないような環境を作っておかないといけない。斉の病気が分かってからはそう思い決めていました。


 それなのに長生きするどころか、こんなことになってしまいました。

 これから、典子さんがどれだけ大変か。そのことを思うと申し訳ない気持ちでいっぱいです。

そして衛、あなたもこれからいろいろと大変でしょう。大変なことをみんな押しつけて先にいなくなってしまうお父さんを許してください。


 あなたは、斉の親ではない。兄です。親のように面倒を見なければいけない、ということはない。あなたにはあなたの人生がある。それだけに

「斉のことをよろしく頼む」

とはあなたには言ってはいけない言葉なのかもしれません。


「衛がこれからの人生でも斉のことを気に留めてくれたらうれしい」

お父さんが今言えるのはこれだけです。


さて衛、お父さんの人生はもうすぐ終わります。

三十年で終わる人生。短いという人もいれば、不運だという人もいるでしょう。


お父さんも典子さんと一緒に衛と斉の成長していく姿をゆっくりと見守り続けていたかった。

衛の恋の相談にのってあげたり、大人同士で一緒にお酒を飲んだりしたかった。

衛、ごめんね。それをしてあげられないお父さんを許してください。


でもお父さんはしあわせでした。こんなにも愛する人に恵まれて、愛する人とともに過ごす時間に恵まれて。


お父さんは、死んだらすべてが終わるとは思っていません。


この宇宙は、この世界は、人間には想像することのできないもっともっと大きなものに包み込まれていると思っているからです。


お父さんの思い、お父さんの送ってきた人生。それは人間には想像できない形でどこかに残っていく。そう思っています。


衛、心豊かな人になってください。

自分を愛して、人を愛して、世界を愛して。

一瞬一瞬をいとおしみながら生きていってください。


この世界を包み込む広くて大きな場所から、お父さんはあなたのことを見守り続けています。


衛、また逢おうね



斉は、普通の子よりも十週間早く生まれてしまった。

誕生してからも二か月入院していた。


清と典子が、主治医から斉の病名を告げられたのは、退院の前日の夜であった。

入院期間の中で、最後の一、二週間は、病名の確定のための入院であったようだ。


主治医はふたりに

「PVLであっても症状が発現しない子も二割程度はいるのですが、障害を受けている脳の部分の大きさからいって斉ちゃんの場合それは望めません。歩くこと、自力で立つことは、望めません。知能については、障害があったとしても、PVLの場合は脳性麻痺の中では比較的軽度です。でもこれも個人差があるので、斉ちゃんの場合が、どの程度の障害となるかは分かりません」

と説明した。


さらに

「視神経も障害を受けており九割方萎縮しているので、視力はほとんどないであろうと思われる」

との眼科医の所見も合わせて告げた。


その日は小雨だった。斉が入院している病院を出て、ふたりはほとんど会話をすることもなく、電車に乗って帰宅した。


典子が遅くなってしまった夕食の支度をする。


「時間がこのまま止まってしまったらいいのにね。そうしたら斉ちゃんは、ずっと赤ちゃんのままで、ほかの子と比べることもないのにね」

典子がぽつんとつぶやいた。


黙々と食べた後、

清が

「親父のところに行ってくる」

と言って、家を出た。


清は、両親の家に行き、主治医に告げられたことを両親に伝えた。そのとき、その日初めて清は慟哭した。


「可愛がってね。可愛がってやってください。一緒に遊んでやってね。」

斉を可愛がり、一緒に遊んでやるのは、もう家族しかいないだろう。清はそのとき、そう思った。


「ああ、そういう子どもだったら、余計、可愛いやないか」

明が答えた。


「これから帰って、衛にも話します」

「そのうち自然とわかるだろう。衛はまだ六歳や。可哀想やないか」

「いや、そのことをきちんと知って、家族みんなで斉を迎えたい」


衛は、弟が生まれたと聞いた時には歓喜し、なかなか家にやってこない弟と会うのを二か月間待ち続けた。


「もうすぐ退院」

と教えられたときは、

「早く、弟に会いたい」

という気持ちは、これ以上はもう無理、というくらいに膨れ上がっていた。


「いよいよ明日会える」

という夜に、衛は父から弟の病気のことを知らされた。


その頃は、衛は両親にはさまれ、川の字になって一緒に寝ていた。衛なりに気を遣い、父に抱かれて寝る日、母に抱かれて寝る日をバランスよく配分していたが、その夜は父に抱かれた。


清はいつも以上の強さで衛を抱きしめた。


翌日、斉が退院。

ついに斉が、衛の家にやってきた。祖父母もやってきて、ささやかな退院祝いが行われた。


すやすやと眠っている斉を見て、

「どこにも障害があるようには見えないけどなあ」

と祖父の明が誰にともなく言った。


「可愛い顔しているねえ」

祖母の敬子が言う。


たしかに斉はとても可愛らしい赤ちゃんだった。


お祝いの食事会が終わって、祖父母が帰った後、典子はいつもどおりに淡々と家事を続けた。

いや、いつもであれば、典子は微笑みを浮かべながら、鼻歌でも歌っているかのような表情で、家事をするのも楽しそうだったが、その日の典子の表情は硬かった。


清は、斉をずっと抱いていた。


清の手紙にも書かれていたそのときの光景を衛はよく憶えていた。


清は斉に向かって語りかけていた。


「斉ちゃん、お帰り。初めて我が家にやってきたけど、お帰り、だものね。生まれてからずっとひとりで寂しかったね。でも今日からは、お父さんとお母さんとお兄ちゃんと一緒だからね。斉ちゃん、もう寂しくないよ。」


「斉ちゃん、お目目ちゃんと見えたらいいねえ。そうしたら、お父さんの顔も、お母さんの顔も、お兄ちゃんの顔もみんな分かるね。みんなが笑っている顔、見られるものね。ねえ斉ちゃん、きちんと考えることができたらいいねえ。そうしたら、お父さんは、斉ちゃんにお父さんが知っていること、みんな教えてあげるからね」


手紙に書かれていた通り、父はポロポロと涙をこぼし、それが斉の体の上に落ちて行った。


祖母の敬子がやってきた。

清の様子を見て、息子に声をかける。


「なあ、清。父親のお前がしっかりせんとなあ」


清は、ゆっくりと頸をふった。


「俺は情けない父親や。泣いてやることしかできん」



 それから、斉も加わって四人家族となった西口家の暮らしが始まり、それが日常となっていった。斉は、典子に連れられて、市内の肢体不自由児施設に通い始めた。


 斉は、表情が豊かでよく笑う赤ちゃんになった。目はたしかにあまりよくは見えていないのかな、と感じることはあったが、ほとんど見えていないというほどのレベルではないことは仕草で分かった。

 だから、斉が零歳のとき、一歳のときと衛は、自分の弟が障害児であるということを普段の生活の中で意識することはほとんどなかった。

しかし、斉のあとに生まれた近所の赤ちゃんが歩き始めるのを見たとき、その子よりも明らかに大きい斉が、まだ歩かず、立ち上がったこともないことに思い至った。


「斉ちゃんはずっと歩けないんだ」

あらためてそのことが衛の胸に突き刺さり、衛はその日、斉が生まれてから初めて斉のことで涙をこぼした。


そのとき衛は小学校二年生になっていた。


 その頃の典子は、肢体不自由児施設での斉の訓練に励んでいた。


斉が家族に加わってすぐに購入したエレベーターが付いている中古のマンションのローンがあったが、斉の体のことを考えたら必要であろうと、やはり相当に古い年式の中古車も購入した。そういう苦しい家計の中、休日は一家でよく出かけた。

せっかく車を購入したのに、電車で出かけることも多かった。斉が、電車がとても好きだということが分かったからだ。


清は普段の休日も、前椅子に斉を乗せ、後ろに衛を乗せて、よく街をサイクリングしたが、踏切に行くと斉がすごく喜んだのだ。しばらくその場所にたたずんでいると、電車が通過するたびに斉は大きな歓声をあげた。


 阪神百貨店の地下二階の食堂街にも、その時期、何度か四人で朝食を食べに行った。

そして、斉を喜ばせるために、少しでも長く電車に乗れるよう、梅田からの帰り、尼崎で下車して市バスに乗り(斉はバスの乗車もとても喜んだ)、阪急塚口まで行き、神戸線で西宮北口へ、そこから今津線で今津へ、そこでまた阪神に乗り継ぎ、武庫川、さらに武庫川線を往復というような経路をよくとった。


また阪神武庫川から今津に出て、阪急西宮北口経由で宝塚まで行き、そこで乗り換えて梅田まで出て、梅田から阪神に乗り継ぎ武庫川まで戻る、という経路をとったこともあった。


電車の中では、斉を中心に、家族四人で色んなことをおしゃべりした。


 時は家族の上に穏やかに過ぎていった。


それは、家族の四人が揃って一緒に暮らした短い日々であり、その四人のそれぞれの人生における黄金時代であったろう。




              2


夏休みが始まった。

家族が大好きな衛にとって、長い休みが始まるこの季節は、一年のうちで一番好きな季節である。父が亡くなってからもそれは変わらなかった。


しかし、今年は、必ずしもそうではなかった。


衛は今、同じクラスに気になる女の子がいたからである。

その女の子は大人しくて、クラスの中で特に目立つ子というわけではない。

顔立ちも、美少女と呼ばれるレベルで可愛い、とまでは言えない。

でも色白で、背中まで伸びた黒髪が美しい。


派手、華やか、といった形容詞とは無縁。

地味、薄い、しっとり、落ち着き、透明感、そういう形容詞が相応しい容貌。

背が高くてスレンダー。

そして、育ちのよさを感じさせる上品なたたずまいで、美少女的な雰囲気が漂っていた。


クラスの男の子たちの間では、かなり人気がある女の子であるということはすぐに分かった。


衛がその女の子の存在を知ったのは、昨年の秋、学校行事での合唱大会のときだった。

別のクラスで、合唱するクラスメートからひとり離れて、その子は伴奏のピアノを弾いていた。衛は、音楽について特に造詣が深い訳ではないが、その子のピアノが奏でる音は、どのクラスの伴奏者よりも、衛の心に沁みた。そして、ピアノを弾いているときの、その子の姿から目を離すことができなかった。天上の世界から舞い降りてきた少女。衛はそんな連想までしてしまった。


その女の子、福本美紀と、中学二年になって同じクラスになったとき、衛の心が躍った。


だが、間もなく一学期が終わろうとしているが、衛は、美紀とまだ会話を交わす機会さえもつことがなかった。夏休みが始まれば、四十日以上、美紀に会うことはできない。


この夏休み、衛は、ソフトテニスの練習に励まなければならない。

斉は、地元の小学校の肢体不自由児クラスに属しているが、毎日、学校が終わった後は、学童クラスに行っている。土曜日は、午前九時から午後五時まで学童クラスで、日曜日だけは学童クラスはない。


夏休みになれば、月曜日から土曜日まで、朝から夕方まで学童クラスに行くことになる。典子は、朝の八時半にはパートに出かけるので、朝、斉を学童クラスに連れて行くのは衛であり、夕方、迎えに行くのは、四時にパートを終える典子である。

したがって夏休みが始まっても、阪神電車に乗って、衛が斉を梅田に朝ご飯を食べに連れて行くのは、やっぱり日曜日であった。


 夏休みのソフトテニス部の練習は、学期中の日曜日と同じ午後一時から六時半までである。

同じ二年生の部員は、自分を含めて九人。

自分以外の八人はペアを組む相手を持っている。


次の公式の大会は十一月の上旬だが、過去の例からいって、公式大会にデビューするのは、二年生の夏の大会だから、その秋の大会に、衛が一年生とペアを組んで出場するということは望めない。


来年の春の大会も同様である。このままクラブを続けても、公式大会に出場できる可能性があるのは、一年後の夏の大会。中学生活最後となるその大会だけなのであろう。

だが、そのときが来ても、下級生にとっては、一年上の上級生とペアを組むというのは、あるいは迷惑な話かもしれない。それ以降のことを考えれば、同学年の相手とペアを組みたいだろう。


 「自分は、このクラブにとっては、邪魔な余計者なのだ」

衛はそう思った。

 

 だが、そうであっても衛は、クラブを途中で投げ出す気にはなれなかった。


 衛は、何かについて深く考えようと思うときは、父が自分に遺してくれた手紙を繰り返し読む。それは父が亡くなってからの、衛にとっての最も大切な習慣だった。そこに書かれていることは、衛の最も近しい人が、その人生の最後の時間に、衛にどうしても伝えたいと思ったことなのだ。


 その人は、こう言っている

「衛、心豊かな人になってください。自分を愛して、人を愛して、世界を愛して。

一瞬一瞬をいとおしみながら生きていってください。」

と。


 自分は、入部以来、こういう気持ちをもってソフトテニスに接してきただろうか。

衛は、公式戦に出たいとか、自分のクラブの中での位置づけなどに気持ちを使うのはやめようと思った。

父の言葉でおのれのこころを洗いなおして、あらためてソフトテニスに取り組もうと思った。

この夏休みの間は、自分自身の技量の向上という、極めて当たり前のことに練習時間を使おうと決意した。


 衛は先ず、ソフトテニスプレーヤーとして、現状の自分と目指すべき自分を分析、考察した。


 自分は運動神経がよくない、という大前提がある。だが、身近に斉という存在がいる以上、そのことを技量の向上に対する絶対的な壁と思うこと自体、贅沢で不遜なことだという思いが衛にはある。


自分が、ソフトテニスが今よりももっとずっと上手くなるということは、斉が歩くこと、立ち上がることに比べて、はるかに容易なことなのだ。


 運動神経がよくなくても、日々のトレーニングで、運動能力を少しずつ向上させていくことは可能だ。 

そして、卓越した運動能力のある選手が持てるであろう、強力な武器を持てないのであれば、ソフトテニスの基本となるもの。

フォアハンドストローク、バックハンドストローク、サーブ、スマッシュ、ボレーの技術を、バランスよく向上させていこうと思った。


さらには、試合における戦術眼も養っておこう、と思った。

将来、もし自分にペアを組む相手ができたら、いくらでも話せるに足るだけのものを身に着けておこうと思った。


いったん、そう思い決めたら、学ぶべき材料はいくらでもあった。


 ソフトテニスに関するホームページ。

豊かなキャリアをもつプレーヤーたちが書き表すブログ。

専門雑誌。


そして何よりも毎日の練習である。

明確な目標をもって行う練習は、それまでの練習とは、同じ言葉であっても内容がまるで違った。


 衛は、一瞬、一瞬をいとおしみながら練習に励んだ。


父が最後に衛にあてた手紙は、父が亡くなったその年に、祖父の明にも読んでもらった。


明は読み終えると

「作家を目指していたとは思えないな。文章があっちこっちに飛んで」

と言うなり、そのまま黙ってしまった。


二、三分たってから、

「亡くなる一か月前に書いたのか。苦しかっただろうなあ」

というなり、涙をこぼした。


その手紙の中で、わが息子が書いていたことに触発されたのか、しばらくしてから明は自分史を書き始めた。


昭和四年、山口県の周防大島に次男として誕生。

三歳上の兄がいて、三年後に弟が誕生。


父の職業は大工。それは祖父の職業を受け継いだものであった。


母は、父と同年で、同じ村に育った幼馴染。

両親は当時としてはめずらしい恋愛結婚であった。


母の家は、村では財産家として知られた家であり、父との結婚は、当然のように反対された。


その頃、父のもとに九州の門司での数か月にわたる仕事の口があり、父はこれさいわいとその仕事を引き受け、後日、母が、その父の元へ押しかけ、一緒に暮らし始めた。


数か月後、その仕事が終わり、周防大島に戻ってきたときには、母のお腹には、ひとつの命が宿っていた。

これが両親の結婚の顛末であるが、そのとき、両親はまだ二十歳の若さだった。


明が三歳になってすぐ、父が、建築現場で、組まれていた足場を歩行中、その足場が折れ、約十メートル下の地面に落下して事故死。


その後、母は、近所の料亭で賄い仕事を始める。

すでに簡単な家の手伝いができる年齢であった兄と、生まれたばかりの弟は、そのまま母と一緒に暮らしたが、明はひとり、祖父母の家に引き取られる。


数年後、母は義弟と再婚。

再婚後、義父は満鉄に職を求め、一家は、すでに国家となっていた満洲に移り住む。

居住した地は、奉天にほど近い本渓湖という街であった。このとき明は九歳。


残りの小学校生活を終え、旧制の中学に進学した明は、旅順工科大学への進学を夢見る。


十五歳のとき、日本敗戦。


まもなく兵士となっていた兄の戦死の報を一家は受ける。


国民党軍と八路軍の内戦が始まる中、終戦の翌年、日本に引き上げ。

満洲に移住してから、妹が三人生まれたが、一番下の妹は誕生間もなくであり、引き上げは大変な苦労があった。


根を詰め過ぎたのか、ここまで書いたところで、明は体調をくずしたので、自分史は今、そこまでで止まっている。


祖父の自分史を読んで、衛は祖父の父、正一も、祖父の祖父、鶴蔵も、そして戦死した祖父の兄、正雄も、心やさしい人であったことを知った。

そして祖父の文章により、その人たちの記憶が途切れることなく、自分の心につながったことを嬉しく思った。


二十代の若さで亡くなった祖父の父、正一。


祖父がもつ、唯一の父の記憶は、事故で亡くなる少し前に並んで座っていた、三歳になるかならないかの祖父の頭をなでながら

「儂の大工の仕事のあとを継いでくれるのはきっと明だな」

と嬉しそうに話していた姿だった。


その情景が思い浮かぶたび、衛のこころはしんと静まり、静謐なもので充たされる。


長男を亡くしてしまった鶴蔵は、やがて妻にも先立たれ、次男と再婚した長男の嫁と三人の孫が、次男とともに新天地、満洲に去り、ひとりぼっちになってしまう。


 そして、満洲に渡った翌年、祖父、鶴蔵の死の知らせを受け、鶴蔵が作り、満洲に送ってくれていた机を涙で曇った眼で見つめる小学生の祖父、明。


 衛は、それらは決して途切れさせてはいけない、家族の物語だと思った。三十歳の若さで亡くなってしまった父の人生も含めて、自分の子へ、そして孫へ語り継いでいこうと決意した。


 

 物心がついたときには、もうピアノを習っていた美紀にとっては、ピアノは好悪の対象ではなく、生活の一部だった。


先生に次々に課された曲を弾きこなして年齢を重ねてきた。

先生からは、将来プロとしてやっていけるだけの素質がある、と言われている。

自分の将来をそこに重ねるのかどうか、美紀はまだ決めていない。


自分がピアノを本当に愛しているのかどうか、ピアノと比較するような対象をもったことのない美紀には分からない。


 ただ、古典的名曲と言われているいくつかの曲を弾いているとき、美紀はしばしば、自分の魂が、日常的な場所から浮遊するのを感じる。

それを言葉でどう表現すればよいのか美紀には分からない。

ただ、この世界のもつ最も高貴で、最も美しいものに包まれている自分を感じるのだ。


 中学二年生になった美紀は同じクラスに気になる男の子がいた。それまで男の子に対してそういう感情をもったことはなかった。


 その男の子、西口衛は、クラスの中ではひとり浮いていた。

他の男の子のように、面白い話をして笑いあう姿を見ることもない。

だいいち友達もいないようだ。休み時間もだいたいは、何か本を読んでいた。


美紀にも、こころ許せる親友はいなかった。

しかし、見るからにお嬢さん然とした美紀と

「友達になりたい」

と思う女の子は結構いたようで、親しく話をするクラスメートは何人かいた。


が、美紀はときどき話をしていて苦痛を覚えることがある。

彼女たちが日ごろ口にする話題のそのほとんどは美紀には興味がなかったからだ。


西口衛は、勉強の成績はかなり良いようだ。もしかしたらクラスでトップなのかもしれない。


美紀が感心したのは、国語の担任の先生が、教科書を一段落ごとに順番に朗読させる際、西口衛は、いつも全くつかえることなく読むことだ。しかも、美紀は、その読み方に余裕のようなものを感じた。おそらく西口君は、中学二年生ではまだ習っていないような難しい漢字がいっぱいの文章であっても、同じように全くつかえることなく読むのだろうと想像した。


 西口衛が、ソフトテニス部員であることは、練習しているところを見かけるので、すぐに分かったが、衛が女の子の間で話題になることはあまりなかったから、それ以外のことは分からなかった。


が、それでも西口衛が気になる女の子は何人かいたようだ。美紀にとっては珍しく興味のある話題ということになるが、そういった話の中で、衛には「父親がいない」「障害のある弟がいる」ということを美紀は知った。


 美紀は大きな衝撃を受けた。そのふたつのことは、そのどちらであっても、もし、自分がそうだったら、と思うととても耐えうることだとは思えなかった。


 西口君は、私には想像できない深い部分で人生と向き合っているのだろう、美紀は、漠然とではあるが、そのように感じた。


 女の子の話の中で、西口君は、どうやら日曜日の朝、弟の座る車椅子を押して、阪神武庫川駅から、梅田方面に行く電車に乗っているようだ、という耳寄りな情報をつかんだ。

習い事で同じような時間帯に武庫川駅から阪神電車に乗るというクラスメートの女の子がいて、その子が、よく西口君を見かけるけど、目撃するのはいつも日曜日の朝だというのだ。

目的が何かは、その女の子も知らないそうだ。


その時間に武庫川駅に行ったら、学校以外の場所で西口君に会えるんだ。

美紀の胸が高鳴ったが、残念ながら、その時間帯はピアノのレッスンがある。そのレッスンを取りやめて、絶対確実であるとは思えない、西口衛との遭遇を求める決心は、美紀にはなかなかつかなかった。

 

 夏休みに入った最初の日曜日の数日前、美紀は、行動を起こそうと決心した。

自分自身の気持ちで新しい何かを始めたい。

中学生になったとき、美紀はそういう思いにとらわれた。


彼女の生活の最も大きな部分を占めるピアノは、自分自身の決断で始めたことではない。という思いがときどき、美紀のこころをかすめるようになったからだ。


だが、中学生になっても美紀の生活が大きく変わることはなかった。

習慣化された日々が継続されている。

美紀はそう思った。

自分が今、最も望んでいることはなにか。

あらためて考えてみたとき、容易に見つかったその答えは

「西口君とお話ししてみたい」

ということだった。


夏休みになれば、美紀のピアノのレッスンのほうは、日曜日の朝に限られるわけではなく、日曜日の朝の時間帯をはずすことも可能だった。

 同様に、西口君の一学期の日曜日の朝の習慣が、夏休みが始まってからも継続しているとは限らない。それが、休日の朝の習慣ということであるのなら、毎日、行っているのでない限り、日曜日の朝とは限らないかもしれない、という不安はあった。でも自分がなかなか出来なかった

「西口君とお話しする」

という目的に向かって行動を起こすという決心をしたのだから、きっと逢える。

美紀はそう思った。

もし、すぐに逢えなかったとしても、夏休みの間、逢えるまで何度でも行ってみよう。美紀はそうも思った。


日曜日の朝、美紀は、つばの小さい麦わら帽子をかぶり、今一番気に入っている、大人っぽいイメージのワンピースを着て、美紀の家にとっては最寄り駅というわけではない武庫川駅に向けて、自宅を出た。

西口君とは背はあまり差がなかったはずと思って、フラットヒールのパンプスを履いた。


八時に武庫川駅に着いた。

改札口の前には、人を待っていると思われる若い女性がひとりいた。

美紀は、その女性からやや離れた場所で、改札口に入ろうとする人にも、自動販売機で切符を買おうとする人にも邪魔にならない場所にたたずんだ。


待ち始めて約十分後、人待ち顔だった女性の待ち合わせの相手も現れて、二人して駅の改札口前から去って行った。


待ち始めてから三十分の時間が経った。


美紀の視界が、車椅子に座る少年と、それを押す少年の姿をとらえた。


ふたりがゆっくりと美紀のほうに近づいてくる。

そのふたりの姿を美紀は、美しい、と感じた。


「逢えた。西口君に逢えた」

美紀の胸が高鳴った。


駅前のスロープを上り、ふたりが美紀のすぐそばにやってきた。


「西口君」

美紀が衛に声をかけた。


衛も少し前に、その場所にたたずんでいた少女の姿には気が付いていた。すぐに「福本さんだ」と思ったが、まさか、と思う気持ちが勝っていた。だが、今、衛に声をかけてきた少女は、まぎれもなく福本さんだった。


「福本さん」

衛が応え、そして尋ねた。

「どこかに行くの」


衛に逢うまで、美紀は、偶然の遭遇を装うつもりだった。

梅田に用事があって、たまたま、阪神電車に乗るところだったと言って、梅田に着くまで電車の中でお話ししようと思っていた。


ただ、西口君は、私の家の住所を知らないにしても小学校は別だったのだから、武庫川駅が最寄り駅ではないことには、気が付くかもしれない。もし、そのことを問われたら、武庫川駅は、川の上にホームがある珍しい駅だから、一度、お散歩がてら、そこから電車に乗ってみようと思っていたの、と答えよう。

そんなことまで美紀は考えていた。


だが、衛と車椅子に座るその弟の姿を前にして、美紀は、本当のことではないことを言う気になれなくなった。素直に自分の気持ちを告げよう。と、美紀は思った。


「私、西口君に逢いたかったの」

美紀は、言葉を続けた。


「ここで待っていたら、西口君に逢えると思って」

衛の表情に怪訝なものが浮かんだ。


「クラスの女の子が、西口君は、毎週日曜日の朝、弟さんと一緒に武庫川から電車に乗っているって話しているのを聞いたことがあったの」


西口君が、余程鈍い人でない限り、自分が西口君に対してどういう気持ちを持っているかは、今の台詞で分かってしまったな。

美紀はそう思った。


しかし衛は

「そうなんだ」

と言ったきり、あとに言葉を続けなかった。なんだか寂しそうな表情を浮かべたようにも美紀は感じた。


「あ、弟の斉です」

衛は弟を美紀に紹介した。

「小学校二年生です。脳性麻痺で歩けないんです」

衛はあっさりと言った。


美紀はあらためて斉を見た。

とても綺麗な顔をしている、と美紀は思った。


「可愛い弟さんですね」

お世辞でもなんでもなく美紀はそう言った。


「斉ちゃん、僕と同じクラスの福本美紀さんだよ」


衛が、今度は弟に、美紀を紹介した。


西口君は、私の下の名前もはっきり憶えていてくれたんだ。そのことが分かって美紀は嬉しかった。


「僕たちは、今から梅田に朝ご飯を食べに行くんですけど、もしよかったら、福本さんも付き合ってくれませんか」

「はい」

もちろん、美紀は頷いた。


 自動改札口の前で、

「福本さんは、切符はまだ買っていませんよね」

と衛が訊いた。

「はい、あっ買います」

と答えたときには、衛はもう一枚切符を買って、美紀に渡した。


 美紀が切符代を渡そうとしたら、衛は

 「いいです。母に、女の子と一緒にどこかへ行くことがあったら、そのときは、全部あなたが出しなさい、と教えられていますから」

と言った。


美紀が答えに窮していると


「おかげで、今日初めて、母の教えを実践できます」

と、衛が、美紀に言った。


 改札口を通って、エレベーターでホームに上がるまで、ずっと斉が、美紀に色々と話しかけた。

斉は、突然、お兄さんの知り合いに逢い、しかも一緒に電車に乗れると分かって、はしゃいでいた。


まだ小学校二年生なのに、斉の話し方が、です、ます調なのが、美紀には微笑ましかった。

きっとお兄さんの影響だろうけれど、お母さんも、そして亡くなられたというお父さんもそういう話し方をする人だったのかもしれない、と美紀は思った。


 ホームを歩きながら、斉の話が一区切りついたとき、衛が美紀に話しかけた。

「福本さん、去年の合唱大会で、ピアノの伴奏をしていましたよね」

「はい」

美紀は吃驚した。なぜ西口君はそんなことまで憶えてくれているのだろう。


「僕は、音楽は詳しくないのですけど、あのときの福本さんのピアノは聴いていて、すごく感動しました。ピアノを弾いている福本さんの姿から目を離すことができませんでした」


美紀は、自分が通っている中学の中で、上級生も含めて、ピアノの演奏については、自分がひとり際立っているということは、自惚れでも何でもなく、客観的事実として分かっていた。

西口君は、音楽は詳しくないと言ったけれど、それが感性で分かる人なのだということを知った。


「二年生になって、福本さんが同じクラスになって、とても嬉しかったのです。一度、お話ししたいと思っていたのですけど、機会がないまま、夏休みになってしまって。だから、さっき、福本さんに声をかけられたときはすごく吃驚しました」 


美紀は、西口君は、すごく吃驚しても、感情を表情に出さずに抑えられる人なのだということを知った。


衛は

「普通車両はここから先に止まります」

とペイントされた数字の「5」が始まる場所に車椅子を止めた。


「やっと、福本さんとお話しできました」

 衛はにっこりと美紀に微笑んだ。


 美紀は、西口君も美紀に対して、美紀が西口君に対して持っているのと同じ気持ちを持っていたということがはっきりと分かった。

 

 そして、西口君の美紀に向ける少しはにかんだような笑顔は、少なくとも美紀にとっては、今までに見たことのある誰の笑顔よりも、もう一度見たいという気持ちにさせる、そんな笑顔であることを知った。



朝起きて、八時半にパートに行く母を見送り、九時に斉を学童保育に連れて行き、そのあと午前中は勉強して、午後一時から六時半までクラブで練習をして、帰宅してからしばらく母と二人で過ごし、八時に祖父母の家で遊んでいる斉を迎えに行き、あと寝るまでの時間を、読書やテレビ視聴などで自由に過ごす。

これが、夏休みの衛の一日のスケジュールだった。


だが、初めて美紀と一緒に梅田に行った日曜日以降、斉を学童保育に連れて行ったら、すぐに美紀と逢い、午前中は二人で一緒に過ごす、というのが、衛の新しい日課になった。

クラブの練習時間は変わらないので、夜の自由時間をけずって勉強にあてるようになった。


美紀も、衛がソフトテニスの練習をしている時間内にピアノのレッスンをする、という以外は、衛と同様の日課となった。


ふたりで逢っている時間は、一日二時間ちょっとだったので、そう遠い場所に行けるわけではない。

武庫川の河原を散歩したり、近所の公園のベンチに座ったり、ファーストフードのお店に入ったりした。


 毎日逢っていて、衛は、美紀がとてもお洒落な女の子なのだということが分かった。ワンピース、ツーピース、スラックス、ハーフパンツ……ミニスカートや、ショートパンツにストッキングという時もあった。

ミドルヒールのTストラップパンプス、最初に武庫川駅で待っていた時に履いていたフラットヒールのパンプス、メリージェーン、ローファー、ショートブーツ。

 キャスケット、ニット帽、サマーベレー、最初の時のつばの小さい麦わら帽子、無帽。

髪型も、ストレート、ハーフアップ、ポニーテール、三つ編み、お団子……と、日によって変えていた。

 毎日、違うイメージの美紀を見ることは、とても楽しかった。ほとんど重ね着することはない夏で、これだけ色々な姿を見せてもらえるのなら、秋や冬はどうなるのだろう、と思った。

 校外での美紀は、衛が知っていた中学校内での美紀とはかなり異なるイメージだった。

 衛は、今まで、着るものについては、ほとんど関心を持ったことは無かったのだが、余り気味のお小遣いを使い、美紀に頼んで服を選んでもらった。美紀は、嬉々として、色々とコーディネートしてくれた。

 その姿を見て衛は、これから以降の人生では、もう自分で服を選んで買うということは無くなるのだろうな、そう思った。

 

一度だけ衛の部屋にも入った。

ふたりは、ずっと色々とお話をした。

衛にとっても、美紀にとっても、それまでの人生で、これほどの頻度で逢い、多くのことを語り合った友だちはいなかった。


夜に逢うことはなかったが、その、これまでよりも少なくなってしまった自由時間に、衛は美紀に勧められたクラシックのCDをよく聴いた。

そして、衛のたっての頼みで借り出した、それまでの美紀のピアノの発表会のビデオも視聴した。

その中で幼いころの美紀の姿も見たが、何ともたまらないほど愛くるしかった。


ビデオが視聴できるのは居間のテレビだけだったが、美紀がピアノを演奏しているビデオについては、なにやら恥ずかしくて、衛は、母が寝たあとに居間でひとり視聴した。


美紀がこれまでに弾いていた曲のなかでも

リストの「ラ・カンパネラ」、

エリック・サティの「ジムノペティ」、

ドビュッシーの「月の光」

ラフマニノフの 「ピアノ協奏曲第二番」

ジョージ・ウィンストンの 「あこがれ/愛」

に、特に深く感動した。


 美紀は、今では、発表会で弾くだけでなく、地元のオーケストラの伴奏をするようにもなっていた。


 その夏休みの終わり近く、衛は、初めて美紀のライブ演奏を聴いた。


 美紀が弾いたのは、モーツァルトのピアノ協奏曲第27番だった。


 美紀は、衛に渡された何冊かの本。

井上靖の「孔子」。

矢内原忠雄の「キリスト教入門」。

小林秀雄の「モーツァルト」「ゴッホの手紙」。

和辻哲郎の「古寺巡礼」。

辻邦夫の「背教者ユリアヌス」。

塩野七生の「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」。

アーノルド・トインビーの「歴史の研究 縮刷版」。

アイザック・アシモフの「ファウンデーションシリーズ」。

田中芳樹の「タイタニア」。

そして漫画、曽根富美子の「含羞」

の内の、いくつかの本の読書に費やした。


それらの本を読み進めながら、美紀は、衛の内面のバックボーンとなっている価値観が何であるのかを推測していった。

でもどういう統一性があるのかは、分からなかった。


しばらくして

「西口君は、今、読み終わった本を次々に渡してくれているだけなのだな」

と、気付いた。


夏休みが終わるまでに渡されたのが、上記の本だったのである。


このペースは厳しいなあ。

美紀は思った。


いつか西口君に言わなきゃ。



衛は、本を渡す際、美紀に

「福本さんに渡している本は、みんな、亡くなった父の書棚にあったのを、僕が読んだものです」

と教えた。


また、衛は

「本当は、弟のことを考えたら、こういう本ではなく、弟の障害についての本を読んで、もっと色々勉強しないといけないのですけどね。母は弟のことで色々と忙しくて、あまり本も読めないのですが、読むときは、弟の障害についてのリハビリテーションに関する本か、福祉に関する本ばかりです。自分は好きなものばかり読んで、母と弟には申し訳ないです」

とも付け加えた。


衛は、美紀には言わなかったが、なくなった父も、斉のことはすごく可愛がったけれど、その種の勉強にはあまり熱心とはいえなかったそうだ。

父のすべてが好きだったとしか思えない母だが、その部分では、やや不満をもっていたようだ、ということを衛は、以前の母との会話の中で感じたことがあったのだ。


美紀は、衛の父が衛に遺したという手紙の、衛、衛の母、衛の祖父母に次ぐ、五人目の読者ともなった。


その手紙を読んだ翌朝、美紀は初めて衛の家に電話した。電話には、衛の母が出たが、すぐに衛が変わって出てきた。


電話のあと、すぐに出かけようとした衛を、典子が呼び止めた。

「衛くん」

「なあに」

きた、と衛は思った。さっきの電話を衛に渡したときに見せた、母のにやり顔を思い出した。


「さっきの電話の女の子。この前、衛くんが、ビデオで見ていたピアノを弾いていた女の子でしょ」

「知っていたの」

「うん、この前、夜トイレに起きた時に、居間で何やら気配がするな、と思って、見ちゃったのよ。衛くん、ずいぶん熱心に見ていたから、私のことには気が付かなかったみたいね」

「そうなんだ」

「うん」

母はまた、にやり顔をした。

「ず・い・ぶ・ん・と、気品があって、素敵なお嬢さんね。」

「うん」

「今から逢うの」

「うん」

「さっき電話で、お父さんのこと何か話していなかった」

「うん、今日は今からふたりでお父さんのところに行ってくる。昨日、彼女にお父さんの手紙を読んでもらったんだ。そうしたら、さっき、今日はお父さんのお墓参りをしたいって」

母の顔が急に真面目になった。


「衛くん」

「はい」

「その女の子、なんていうお名前なの」

「福本美紀さん」

「美紀さんね。ね、衛くん」

「はい」

「その子、絶対に離したらだめよ。お嫁さんにしなさい」

「うん、そのつもりです」

「そうか、そうか。早く逢いたいなあ。今度連れてきてね。」

「はい」


その日、ふたりは自転車に乗って、市内の霊園に行き、衛の父が眠る西口家の墓に参った。


美紀は、その人の墓の前でしずかに頭をさげた。


「この場所には」

美紀は思った。


「これから、何度も来ることになるだろう」

と。

そして、今日がその最初の日であるということが、美紀にははっきりと分かった。

 

墓の前で衛は、父の手紙の一節を思い出していた。

・・・・・・お父さんにとって、生涯を共にする相手は典子さん以外にはあり得なかったので、典子さんの高校卒業を待ってふたりは結婚しました・・・・・・


「お父さん」

心の中で衛は、父に呼びかけた。


「大学二年生で、生涯を共にする人と巡り合ったお父さんより、六年も早く巡り合うことができました。

お父さん、この人です。福本美紀さんです。見てくださいね。


お父さん、僕はお父さんの遺してくれた手紙を数えきれないほど読みました。

僕はお父さんが大好きです。

あの手紙を遺してくれたおかげで、僕は何も迷うことなく生きていくことができます。

お父さんの思いにこたえる。

それだけをこころに掲げて生きていけばよいのですから。


お父さん、斉のこと、何も心配しないでください。

僕は斉が生きている間は絶対に先に死んだりはしません。

斉が七十歳まで生きるなら僕は七十六歳まで生きます。

斉が九十歳まで生きるなら僕は九十六歳まで生きます。

斉にこれ以上悲しい思いはさせません。


 お父さん、僕は今、運命に感謝しています。こんな若さで、魂の一番深い部分で結ばれているひととめぐりあうことができた、その運命に感謝します。 


 福本さんが僕の横にいてくれるなら、この世界で僕ほど強い人間はいません。

この世界の真実と、この世界の最も美しいものをいっしょに語り続けていきます。


 僕のまわりにはこんなにも美しい世界が現に広がっています。僕は世界をそのままに愛します。僕はあるったけの自分の、そのすべてでこの世界を愛します。この世界を讃え続けます。


 お父さんは、斉が生まれて、初めて家にやってきた日に、斉に「お父さんの知っていることはみんな教えてあげるからね」

って叫んでいましたよね。

お父さん、僕が教えます。


お父さんが三十歳でなくなるまでに読んだ本は、みんな、うちにそのまま残っているけど、僕は二十歳までにみんな読みますから。

本だけではなく、福本さんといっしょに色々と人生経験もつんでいきます。斉に何でも教えてあげられる兄になります。


 そしていつの日か、斉もまた、今日の僕と同じ思いでお父さんのお墓の前で報告できるように。その日を楽しみに待っていてください。


 その日まで、この世界を包み込む広くて大きな場所から、僕たちのことを見守り続けてください。


 お父さん、お父さん、大好きなお父さん。

また、逢いましょうね。


               了

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