ベンチから公園の真ん中まで
「ちょっと待って」
毛利さんが、僕と胸板の厚い男のちょうど真ん中くらいを歩いているときだった。僕は毛利さんを呼び止めてしまった。どうして、そんなことをしたのかわからない。だけど、告白をするために二時間かけてこの寒い公園に来て、ちゃんと髪型をセットして、お気に入りの洋服を着て、何日も前から告白の言葉を考えた自分自身を見捨てたくなかった。
僕の声がどこまで届いたのかわからない。毛利さんまで?胸板の厚い男まで?それとも、もっともっと遠くまで届いたのだろうか。ただ、毛利さんは、振り返る。夜の暗さで、その表情からは感情は読み取れない。僕は毛利さんのもとへ歩いていく。門のところにいる彼氏の視線を感じた。ただ、暗くて細かい表情が見えないことは救いだ。
本当は世間話を軽くしつつ、告白をしようと決めていた。でも、今やそんな無駄なことをしても誰のためにもならないことがわかっている。外は寒い、息も白くなるほどだ。毛利さんも、胸板男も早く家へ帰りたいだろう。僕だって、早く帰りたいのだ。
毛利さんのすぐ目の前まで行くと、僕は言った。
「学際のときにさ、みんなでお好み焼き食べたの覚えてる?」
「えっ、あ、うん」毛利さんは頷く。目には戸惑いの色がうかがえる。
「四人くらいでさ、ベンチに座って食べたよね」毛利さんはじっとこちらを見ている。話がどこに行くのかわからないのだろう。ただ、黙って僕が続きを話すのを待っている。
「どうしてベンチに座ったかというと、そこからだとステージの出し物がよく見えるんだ。ただ、その日って、結構風が強い日だったんだよね」
「そうだったけ?よく覚えてるね」
「うん。なんか覚えてた。それでさ、お好み焼きを四等分して、誰がどれを食べるか決めようとした時にさ、また風がふいたんだよ。そしたら、四等分のうちの一つに結構砂がついちゃったんだよね」
「本当によく覚えてるね」毛利さんは小さく笑った。
「みんな気づいてるとは思うんだけど、あえて言い出せない雰囲気だったんだよね。いちいち砂が付いてるって言って、細かい奴って思われなくないし、だからとって、気にはなるんだよね。それでさ、一瞬沈黙になったんだよ。だけど、すぐに毛利さんはさ、その砂がついたお好み焼きを取ったんだよね」
「砂なんて気にならなかったんだよ。お腹減ってたから」毛利さんは笑顔で言った。
「すごく優しい人だと思った」緊張のせいか、口が渇いていて、この言葉は少しかすれた。
「大げさだよ」
「それからさ、どんどん気になっていって、気づいたら、その、好きになってたんだ」毛利さんはじっとこちらを見つめている。僕はゆっくりと息を吸って吐く。「もしよかったら、付き合って下さい」言い終わると同時に、小さく頭を下げた。心臓が激しく動いていて、体全体が熱い。こんなに緊張するとは思わなかった。毛利さんは緊張しているのだろうか。少しでも、ほんの少しでも緊張していてくれたら嬉しい。視線の先の綺麗な靴を見ながら僕は思った。
「びっくりした」僕にではなく、自分自身に言うかのように毛利さんは小さく呟いた。僕はじっとその様子を見つめる。視線の奥には、公園の入り口に立つ胸板の厚い男も見える。だけど、気にしてはダメだ。僕の告白に彼は関係ない。これは僕と毛利さんの話だ。
「うれしい。すごくうれしい」毛利さんは顔を上げて言った。夜の暗闇の中、公園の街灯に照らされる毛利さんは、普段みる表情よりもずっと大人っぽく見えて、違う人に感じた。
「だけどね」毛利さんは言った。「今付き合っている人がいるの。だから、ごめんなさい」そう言って、頭を下げた。僕は精一杯の笑顔で応えることしかできない。
「いや、全然大丈夫、気にしないでね。あの門のところにいる人だよね?うん、何か男らしくてかっこいいよね」馬鹿みたいに言葉を並べ続けた。こんな時だけ、スムーズに言葉が出る自分が情けない。
「カッコいいかなぁ、すっごいバカなんだけどね」
「本当に?頭良さそうだよ。てか、今日は来てくれてありがとうね。あと、来週も今まで通りよろしくね。変に気使わないでいいからね」僕は慎重に笑顔を崩さないように言った。
「ありがとう。そう言ってくれるとすごく嬉しい。じゃあ、また来週」毛利さんは小さく手を降ると、背中を向けて歩いて行った。その後ろ姿はしだいに闇の中に吸い込まれていき、僕は一人公園に取り残された。時計を見ると、まだ十時にすらなっていなかった。