牛丼を食べる前の話
「負けるとわかっていても、戦わなければならない時がある」これは誰の言葉だっけ?まぁ、誰のでもいいけど、重要なのは二十一歳の大学生の僕にもその瞬間がやってきたということだ。
「伝えたいことがある」というシンプルな内容のラインで、僕は毛利さんを呼び出した。毛利さんは大学のサークル仲間で、年も一緒だったし、好きな映画や音楽の趣味も合っていた。サークルで一番美人ってわけじゃないけれど、誰の話でも口を大きく開けて笑ってくれ子で、誰もが毛利さんの前ではおしゃべりになる。そんな魅力的な子だった。
待ち合わせ場所は、毛利さん家の近くの公園。小さなベンチと、砂場しかないから本当に公園と言っていいのかわからないけれど、それ以外にこの場所を言い表す言葉もないから僕は公園と呼んでいる。毛利さんのバイトの関係で、夜十時が待ち合わせの時間だった。僕の家からは電車で二時間のこの場所で、この時間帯の待ち合わせは、正直厳しいものがあった。ただ、それ以上に期待するものもあったのだ。それは、僕の告白が成功したあかつきには、終電もなくなりそうってことで、毛利さんの家に泊まれる可能性だった(毛利さんは一人暮らしである)。
約束の三十分前に、僕は公園に到着し、ベンチに座っていた。入り口付近には花が植えられていて、その花には年中そうなのか、クリスマスの時の名残なのかはわからないが、装飾が施されていて中々雰囲気のある場所であることは間違いなく、自然と僕自身の期待値も上がってきていた。
ただ、この期待は毛利さんが公園の入り口に姿を表した二十一時五十五分に消滅する。毛利さんは一人じゃなかった。隣には、大学でよくみるラグビー部の奴らみたいな胸板が厚い男がいて、二人は手を繋いでいた。入り口の所で、毛利さんは、男に何か言っているようで、公園には毛利さん一人で入ってきた。男は入り口のところに立って、携帯をいじっている。
「ごめんね。待った?」毛利さんはこちらに近づきながら笑顔で言った。その髪はいつもよりもパーマが強い感じがして、奇麗にセットされていたけれど、その分だけ距離を感じた。大学キャンパスで見る彼女とは別人みたいだ。
「いや、えっと」男と一緒にやってくるという全く予想していなかった展開に、言葉がうまく出てこなかった。毛利さんには、彼氏がいたというのだろうか。弟とか、悩み事を相談できる近所のお兄ちゃん的な人だとも思いたかったが、二人は手を繋いでいた。
「どうしたの?もしかして、寒すぎて体調悪い?」毛利さんからは甘い柑橘系の香水の匂いがした。いつもこんな香水を付けていただろうか。もう普段の匂いは思い出せない。
「いや、そんなことないよ。てか、いきなり呼び出してごめんね」
僕は頭を必死に頭を働かせる。この状況で、告白なんてできるわけなかった。何か適当な話題を見つけて、そちらに話しを持っていかなければならない。とりあえず、ベンチの隣に座ってもらう様に伝える。
「全然いいよー。でも、どうしたの?」ベンチに座りながら毛利さんはいった。
「クラスに佐々木さんっているじゃん」僕は思いついたまま言葉を吐き出していった。話の終着点がどこに向かっているかなんて考える余裕はなかった。佐々木さんのことなんて良くわからない。ただ、咄嗟に出てきた名前だ。
「連絡先知ってる?」
「あんまり話したことないから、知らないけど、どうして?」毛利さんは少し体を前に屈める。吐く息は白い。そうか、もう冬なのだ。
「いや、友達の一人が気になってるみたいでさぁ、もし、連絡先とか人柄とか知ってたら教えてもらいたいなぁって思って」
「そうなんだぁ。私もよく知らないんだよね。でも、すごく優しいってよく聞くよー」
「うん、性格良さそうなんだ?」
「そうみたい、でも、その友達って誰なの?」
「いや、それはちょっと言えないなぁ」
「えぇ、教えてくれたっていいのにー。あと、用事ってこのこと?」毛利さんは笑顔で訊いた。
もちろん、そんなわけはない。ただ、告白なんてできるわけもなかった。胸板分厚い男は入り口のところで、先ほと同じ姿勢で携帯を操作している。
「そうだよ」僕はあえて力を込めて言う。
「そっかー。じゃあ、力になれなくてごめんね。せっかくこんな遠くまで来てくれたのに」毛利さんは言った。「別にメールや電話で、きいてくれてもよかったのに」
「確かにね。でも、こういうのって、ちゃんと直接聞いた方がいいかなぁって思って」
そして、会話が途切れた。毛利さんは俯いている。僕が何か言わなければならないけれど、何も思いつかなかった。
「寒い中、呼び出してごめんね」
「ううん、大丈夫」毛利さんはそう言って、ベンチから立ち上がった。帰ろうとしているのだ。
「じゃあまた来週ね」毛利さんは背中を向けて、身体の分厚い彼氏のもとへ歩き出して行った。