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駅から駅まで  作者: タローマル
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終電あとの物語

 大盛りの牛丼は僕が思っていよりも、紛れもなく大盛りだった。その存在感は食欲よりも吐き気を引き起こす。よほど不快な顔をしていたのか、料理を運んできた店員さんはこちらを気にしていた。若い女の子で、多分高校生のアルバイトだろう。自分が注文を取り間違えたと思ったのかもしれない。顔を上げて笑顔でお礼を言うと、店員さんも安心したのか、その場を離れて行った。僕は氷のすっかり溶けてしまった水を一口飲み、大盛りのお椀を持ち上げた。そのずっしりとした重さが手に伝わる。これが胃に全部収まるのだろうか。不安な気持ちで、箸を肉の塊に突き刺した。

 

 結局四十分かけて、食べ終えたのは全体の三分の二ほどで、お椀の中では、肉が三枚とごはんも少し残っていた。肉を箸で持ち上げてみるが、どうにも食べられそうにないし、見ているのも辛くなってくる。隣の席では、高校生くらいの子が、豪快に牛丼を口の中にかきこんでいる。その姿を見て、僕の食欲は完全に消え失せ、掴んだお肉はお椀に戻し、店を出た。背中越しに店員さんの「有り難うございました」という声が聞こえてきたが、皮肉にしか感じなかった。大盛りの牛丼一つも食べられないのかと。

 二月の夜は暴力的なまでに寒くて、暖まっていた僕の体の熱を急速に奪っていく。鞄からマフラーを取り出すと、食べこぼしの紅ショウガがついていた。一体どういう食べ方をして、どいういう落ち方をすれば、鞄の中のマフラーにくっつくのだろうか。苦笑いをしつつ、指ではじき飛ばす。道路上の紅ショウガは目立つ。紅ショウガを弾いた指をジャンバーでこすりながら、駅に向かって歩きはじめた。

 二十二時時半の電車には思ったよりも人が多く、そのほとんどはサラリーマンであった。みんな黒や灰色、ベージュのコートを着ており、緑のピーコートを着ている僕は少し浮いている。

 ちょうど目の前の席が空いたので、席について読みかけの推理小説を開いたが、内容が頭に入ってこない。疲れているせいもあるのかもしれないが、似たような名前の登場人物がやたら多いし、時間差トリックをしたいのか、時間描写が細かすぎるのも原因の一つだ。結局、一ページも読まないまま本をリュックの中に戻すと、イヤホンを付けて音楽を聞くことにした。特に聞きたい曲があったわけではない。ダウンロードした曲の中からランダムで流れるモードに設定をして、再生ボタンを押す。陽気なヒップホップが流れて来る。いまいち気分が乗らなくて、次の曲にすると、激しいロックが流れて来る。今は、こんな曲を聞きたい気分でもなかった。結局、僕は自分で曲を選曲する。

 外が真っ暗なせいか、向かいの窓は鏡となって自分の姿がはっきりと写していた。目は細くて、団子鼻、少しエラも張っている。辛気くさい顔である。もし、いつか自分に娘ができて、こんな顔の男を連れてきたら、娘とケンカをすることになるだろう。この顔で、数時間前に女の子に告白していたなんて、馬鹿げている。どういう計算をしたら勝算があるなんて思ったのだろう。イヤホンから流れて来る素敵なバックサウンドをもってしても、僕は惨めだった。

 そんなとき、隣から肩を叩かれた。横を向くとスーツを着た三十代くらいの女性が座っていてこちらを見つめている。丸顔で、だるまみたいな体型だ。女性は、大きな黒目で、こちらを見ながら僕の耳を指差していた。一瞬意味がわからなかったが、すぐに自分のイヤホンの音が外に漏れていたのだと気付いた。

「す、すみません」慌てて停止ボタンを押して、イヤホンを耳から外した。音漏れを指摘されたのは、人生で初めてだった。

「ごめんね。そんなにうるさかったわけじゃなかったの」女性は笑いながら言った。笑うとその大きな目は途端に細くなる。女性は、どうやら怒っている訳ではなさそうだ。

「わたし耳だけは異常に良くて、小さな音も結構聞こえちゃうんだよね」

「あぁ、そうなんですか」迷惑な長所だと思いつつ、笑顔で応えた。

「他はこんなんなのにさ」女性はそう言うと、大きい目を更に開いて、おどけたような顔をした。「こんなん」というのが、具体的にどこを指しているのかはわからず、とりあえず笑顔で頷いた。

 女性は僕の方に顔を少し近づける。

「てか、今聞いてたのって、何ていう曲?かっこいい感じだよね」女性の顔を近くでみると、顔全体にうっすら化粧がされていて、お酒の匂いもした。酔っているから、こんなに話しかけて来るのかもしれない。僕の父も酒を飲むと陽気になる。普段はしゃべらないくせに、酒を飲むと途端に誰彼構わず話し始めるのだ。父の嫌いな所の一つだ。

「洋楽です」僕は短く言った。酔っぱらいとこれ以上会話を続けたくなかった。

「ヨウガク?」

「外国の曲ってことです。日本人の曲はあまり聞かなくて」

「あぁ、その洋楽ってその洋楽ね。洋画とかの。てっきり、曲名とかグループ名を言っているのかと思っちゃったよ」

「はぁ」

「でも、洋楽とか聴くんだぁ。かっこいいね。てか、大学生?」

「はい、そうですけど」

「何年生?」

「三年生です」

「いいなぁ。今が一番楽しいときだよ。たくさん遊ばなきゃだめだよ」

「はぁ」

「私は大学生のころはね、登山サークルに入ってたの。普段登山ってする?」

「いや、しないですね」

「えぇ意外だなー。最近は、若いこの間では、登山が流行ってるって聞いたんだけどな」

「確かに、友達の中では登山が好きな人とかいますけどね」

「ほら、そうだよね。やっぱり流行ってるは、流行ってるんだね」

 ちょうどその時に、バイブ音がした。女性は携帯をバッグから取り出して、何やら操作をしている。そのすきに、僕は目を閉じて、寝たふりをした。これ以上酔っぱらいの相手をするのはごめんだった。女性は何か話しかけてきたが、反応はしなかった。向こうも酔っているから、問題もないだろう。次第に電車の音、乗客の会話の音、全ての音量が小さくなっていく。そして、僕は眠りに落ちた。

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