娘は知らない
非常にまずい事態である。
「おとーさんの名前は……」
「う、うぅ……マキナ、答えなくていい、私が答えるよ。娘にも本名を言っていなくてね。私の名前は、そうだね……ここではトーマと言う。」
「ここでは?お前さんいろいろ事情持ちかい?」
バテた状態のためにしっかりとした返答はできないが男は苦笑いしながら。
「いや、ここの言語的に発音し難くてね。最も近い音を選んだつもりだから偽名じゃないよ。あぁ私の娘はそのままマキナであっているよ。あぁでも……」
急に男が今まで何事もなかったかのように立ち上がった。
これにはこれまで担いでいたマキナも驚いた、正確には立ち上がったことに驚いたのではない。
【オリジン】から本来の創造主にその場で戻ったのだ。
「なっ……あ、あんたは一体っ……」
糸が切れたかのようにリースの意識が飛ぶ。
「……私の名前を聞かれるわけにはいかないんだよ、彼女には悪いが聞いたことにさせてもらう。……私の存在から世界を創造する側を連想されたら私が楽しみに待っていることが減るからね。」
「お、おとーさん、ここでそんなことして大丈夫なの?」
「……幸い彼女しか見ていなかったから大丈夫だろう。マキナ、とりあえず私の名前はこの世界ではトーマだ。本名とは違うがその方が都合がいい……本名をおしえてやれなくてすまないな、連想を避けるためだ、わかってほしい。」
そうはいっても男もそれが受け入れがたい話であるというの重々承知だ。
現にマキナは複雑な顔をしている、それもそうだ。何よりも信頼している親と死に別れたわけでもない、それどころか目の前にいるのに本名を明かせないというのだ。
マキナ自身でもつくられた存在故にその理由はわかってはいるつもりだったしかしそれでも事情と心情は食い違うもので……状況も省みると今の彼女には笑顔を作りながらわかりましたと言うほかなかった。
「……えぇ今はそうですね。おとーさん、そろそろ不思議がる人もいるかもしれませんわ。もとに戻しましょう?」
「……マキナ、悪いがまた担いでくれ……もどればさっきの通りなんでな……」
「……もちろんですわ。おとーさんはマキナが助けます。」
男がマキナに担がれる、その状態で【オリジン】へと戻るとちょうど倒れていたリースの目が覚め、そこに何事もなかったかのように、あくまで彼女が突然倒れたかのようにマキナが男を担ぎながら手を差し出す。
「ん?私は一体……」
そういえば無理やり意識を奪ったので軽い怪我ぐらいしている可能性をすっかり忘れていた……がどうやらその心配は不要なようだ。
「リースさん?大丈夫ですか?丁度降り立った時にバランスを崩して……」
「あら……?そんなことはこれまでなかったはずなんだけど……疲れてるのかしら……?と、とりあえずこっちのベッドへ連れてきて。」
そう言ってそのまま何事もなかったかのように男を部屋のベッドに横たえようとリースが布団を少しめくったところで手を止めた。
「あっ!ティナ……あー……この娘ずっと徹夜しててなぁ……そろそろ次の仕事が来るからその前に寝とけって言ってたんだが……やっぱりここで寝てたか……ってちょっと視線を外して待ってくれ、こんな姿で動かすわけには……」
「う、うう……私は椅子で構いませんよ……」
マキナに担がれた状態で男がやっと口を開いた、まだ顔は青く冷めている。
「呻きながら言われるとはいそうですかとは……」
「いや、いいんだ。彼女は少し前の自分もよく経験した事をやってるからね……その眠さは痛いほど知っている、そのまま寝かせてやってくれ。」
恐らくティナは男と同じ研究系の人だ。
科学者として延々と様々なことを煮詰めていた彼にとってこの光景は数え切れないほど経験してきた、そこに世界は関係ないし性別も年齢もない、ただ対象に対して延々と考え込み、悩みこんできたということである。
そんな彼女から寝床を奪うのは非常に申し訳ないというわけだ。
「……むしろ床で寝てないだけ羨ましいかも知れませんね。」
「……分かったわ。とりあえず申し訳ないけどソファの方で。私は工場の方に戻るから……えーとマキナちゃん、何かあったら表の方に来てもらってもいいかしら?」
そう言って表の方へリースは帰っていく。
そもそも仕事中にアポなしできた人間をよくここまでもてなしてくれたとも思うのだがどうやらそれは横で寝ているティナの信用の元らしいので後でお礼ぐらいはしなければ……
そんなことを考えていたのもつかの間、座って一息着いた男はそのまま意識を手放してしまった。
◇
「…………はぁ……」
今部屋ではマキナ以外の二人は眠っておりますわ。
別に寂しい、とかそういうのはありません。
……ただ眠ってる女性が可愛らしいと思ったりだとかおとーさんの寝顔を見たのが初めてだとかそういうのは……ありますが。
それよりも気になるのことがありますわ……一人になってからよりヒシヒシと心の中で大きくなるものがあるのです。
「私はおとーさんの何を知っているんでしょうか……?」
マキナはおとーさんに作られました、作られたので血の繋がった……いや同じ血を流せるとは思いますが……一般的な意味で血は繋がっていませんわ。
……でも認識としてマキナのおとーさんには変わらないのです、変わらないからこそおとーさんの事は娘として知りたいものなのに……マキナはやっぱり娘にはなれないんでしょうか?
「……ん、んん……あれ?君はさっきの……」
「あ、ティナさん、先ほどのまでリースさんに街を飛空艇で案内させてもらってたんですが……見ての通りですわ……」
……きっと音は立ててないので自然に目が覚めたのだろう。
一人で寝てたはずの部屋に二人も人が増えてるのだから出会った当初の慌てようを考えれば多少ここでも慌ててもいいように思ったが意外にも彼女は落ち着いていた。
「あー……調子のった所長に競技用コースまで連れていかれた感じかな?」
「よく分かりますね。」
「なんというかそれが所長なのよ……悪い人じゃないんだけどね。」
彼女の素振りからするに恐らく一度や二度では無かったのだろう、しかしながら彼女からも酷くはしないでくれと笑いながら付け足されるあたり人望があることが伺える。
「んー……それじゃ私はそろそろ仕事がって……っ!?」
急に布団で体を隠した。
先ほどのリースが布団を完全にめくらなかった理由も同様である。
「あはは……なんというか残念なものをお店しました……普段の癖で……あわわ……」
「お疲れだったのでしょう?おとーさんはそのまま寝てますから今のうちですよ。あ、私も席を外したほうがいいですね。」
そう言って軽く外の光を浴びてきますわ、と何も気にしてなさそうな顔でそのまま外へ一旦出る。
彼女が起きるまで悩んでいた事も今は隅に置いて、聞くならあの部屋へ戻った時にしよう、そう決めて今はこの視察をこのまま楽しむことにした。