第5話
「沙耶……沙耶」
水崎家の毎朝恒例の光景。
階段を上りながら呼ぶ声。
声の主は、神様が寂しがり屋の少女に与えてくれた王子様。学校で生徒会長の次に人気のあるモテ男。
見目麗しき王子は眠る我が姫を起こすべく、部屋のドアを開けていつものように言った。
「さっさと起きろ! しばく……」
「おはよう、駿」
既に制服に着替えて、勉強机を前にして椅子に座り、ブラシで髪を梳かしていた沙耶は、机の上に置いた鏡越しに相手に挨拶した。
高校の制服の上にエプロンを着た王子は凝固。
それもそのはず。
沙耶は今まで一度も早起きした事ないし、自分が起こす前に起きていた事は一度もないのだ。
沙耶は鏡越しに駿に話しかけた。
「ねぇ……駿」
「うん?」
「昨日、駿と私キスしたよね?」
「は?」
くるりと相手を振り向いて、今度は事故処理扱いさせないぞと、怖い顔で畳みかけるように問う。
「キスしたよね!?」
「……ぁ、ああ」
気迫に押され思わず駿がそう言う。
その返事に満足したのか、沙耶はにっこりと微笑んで立ち上がった。
「お腹すいた、今日の朝食は何かな~」
明るい声でそう言い、軽やかな足取りで階段を下りて行った。
部屋に一人取り残された駿は、
「9月に雪が降るぞ……」
ボソリ呟いた。
* * *
早起きというのは実に清々しいものだ。
眩しい朝日、清らかな空気、小鳥のさえずり、いつもは駆け足で過ぎる登校路も、ゆっくり周りの景色を見る余裕がある。
明日からも早起きして景色を楽しもうと、今一瞬だけ沙耶は思う。
時々会うクラスメートは、遅刻ギリ常習犯の沙耶達を見つけると、ヤバイもうそんな時間なのかと、勘違いして慌ててダッシュで駆け出す。
新鮮な朝の空気を吸いながら、沙耶は隣を歩く我が王子に上機嫌で話しかける。
「いい天気だね~」
「そうだな。天気いいから今日の体育はマラソンだな」
駿がそう答えると、沙耶は突然立ち止まった。
そして言った。
「体操着忘れた」
「は?」
「なんで駿、私が家出る時に、体操着持ったかって聞かなかったの!?」
少し怒ったような顔でそう言う。
自分に非はないと言い切ろうとしてるところが、ある意味素晴らしい。
責任転嫁もここまで極めると立派と駿は呆れ顔。
「駿、体操着取って来て!」
「はあ!? なんで俺が」
「だって駿の方が足早いし。私の部屋の机の脇に置いてあるから、さあ早くっ、遅刻しちゃう!」
「……ああ、クソっ!」
既に通学路の半分まで来ている。
沙耶の言う通り、遅い沙耶の足で戻れば確実に遅刻だ。
持っていたカバンを沙耶に乱暴に押し付け、ダッシュで駿が、来た道を戻って行く。
沙耶が歩道で突っ立っていたら、クラスメートが声をかけてきた。
「沙耶おはよう、何してるの?」
「忘れ物して駿が戻ったから待ってるの」
「早く行かないと遅刻するよ」
「うん」
自分の忘れ物とは決して言わない。
そして10分後。
「ホントにお前いい加減にしろよっ、学校から徒歩10分の距離に住んでて、なんで毎朝ダッシュ登校なんだよっ!?」
「駿、歩道に黒猫がいるよ~」
「よそ見すんな!!」
時間ぎりぎり。
学校へと走りながら、毎朝恒例の同じセリフを今日も駿が言う。
これが水埼沙耶と橘駿の朝の光景。
少し先に見える高校から、爽やかなオルゴールの予鈴が聞こえてる。
2日後。
駿は空き地で20分かけて、四つ葉のクローバーを見つけて沙耶にあげた。
学習能力がない彼女はまたしても、嬉しくて手に握ったそのままで寝てしまい、朝起きたら四つ葉のクローバーは一つ葉クローバー×4になっていた。
その日1日、沙耶は駿に口を利いてもらえなかった。




