表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/14

第11話

 11月20日、日曜日。

 午前7時30分。

 駿は母親の軽自動車のトランクに、大きなスーツケース2つを入れた後、隣の家のまだ寝ているだろう沙耶の部屋を見上げ、数秒間眺めてから助手席に乗り込んだ。

 そして車がゆっくりと走り出す。

 その様子を沙耶は、1階のリビングの窓からそっと見ていた。

 彼が出発したのを確認して、自分も出かけるためにタクシーに電話をかけた。


 * * *


 駿を乗せた車は1時間後に空港に到着。

 あとは1人で大丈夫だからと言い、空港の入り口で母親と別れ、荷物を持ち1人で中に入って行った。

 ショルダーバッグを肩から斜めに掛け、2つの大きなスーツケースを両手で引きながら、搭乗カウンターに向かい歩いていると、なぜかそこに生徒会長の姿を見つける。

 相手も気付いて近付いて声をかけてきた。


「橘君、おはよう」

「おはようございます……蘭堂先輩、ここでなにしてるんですか?」

「君の見送りに来たんだ。前年の海外留学生が翌年の海外留学生を空港で見送りする慣例、知らなかった?」


 なんだそれは、全くの初耳だ。

 首を横に振った駿に、蘭堂が辺りを見ながら、ふと言う。


「橘君1人? 今日、ご家族や友達は見送りに来ないの?」

「親には空港まで送ってもらい、入り口でさっき別れました。クラスメートには海外留学の事は話してません」


 あっけらかんとそう話すと、相手は驚いた顔を見せた。

 搭乗カウンターまでスーツケース1つ持つよと言われ、それを駿はやんわりと断る。

 歩きながら自分の隣の生徒会長をちらり見る。

 秀麗な横顔。

 自分より5センチくらい背が高いか、いや大して変わらないな、などと頭の中で自分を擁護してみる。


「蘭堂先輩」

「なに?」

「水崎沙耶は俺の恋人ですから」


 今なぜこの場でそんな事を言っているのか。

 気付けば駿はそう話していた。

 今のセリフを沙耶が聞いたら歓喜する事だろう。

 蘭堂は一瞬虚をつかれた顔を見せ、でもすぐに相手が意図する事柄を察知し、こう返事した。


「人のものに手は出さないよ、それに僕は水崎さんに告白してフラれてる。彼女から聞いてない?」

「……いえ」


 苦い顔をしながら蘭堂がそう話す。


 相手の懐の大きさを知り、自分の余裕のなさを思い知らされる。

 大人の対応を見せられ、駿は敵わないと悟る。


「見送りはここまででいいです。ありがとうございました」


 暫く2人で歩いてから駿はそう言った。

 搭乗カウンターはすぐ先。手続きをして後は飛行機に乗るだけだ。

 礼を言い軽く頭を下げて後ろを向いたその時、


「橘君!」


 呼ばれて駿は蘭堂を振り向き見る。


「……向こうは朝晩と日中の気温差が大きいから。体調を崩さないように気をつけて」

「分かりました。ありがとうございます」


 そう返事した駿に、蘭堂は片手を軽く上げ別れの合図を送り、来た通路を戻って行く。

 そして駿も搭乗カウンターへと歩き出す。


 通路の途中の窓辺で蘭堂は立ち止まり、窓の外を見た。

 蘭堂の目が見ているのは、行き交う人達ではなく、動かないただの木。

 どれくらいそこでそうしていただろう。

 気付けば、駿が乗る飛行機の、搭乗開始を知らせるアナウンスが流れていた。


「蘭堂先輩」


 自分を呼ぶその声に振り向くと、スーツケース2つを持ったまま、さっき別れた時のままの格好で、そこにいるはずのない後輩の姿に目を疑う。


「橘君? 君……なに、してるの?」

「さっき俺を呼び止めた時、本当はなにを言おうとしたんですか?」

「えっ? 別になにも。飛行機の搭乗開始のアナウンス聞こえなかった? すぐ手続きして早く乗らないと……」

「教えてください。本当はなにを言おうとしたんですか?」


 駿は真っ直ぐに目の前の人物を見据えて言った。

 気候の事なんかじゃない。

 気のせいなんかじゃない。

 それがなにかは分からない。

 ただ自分の中の本能が、絶対に訊け、とうるさいくらいに何度も告げる。


 冷静沈着な生徒会長が、必死に言葉を探しているのを見て、確信に変わる。


「蘭堂先輩、教えてください」


 駿が乗る飛行機の搭乗開始のアナウンスが再度流れる。

 微動だにしない後輩の姿を見て、蘭堂は一度目を閉じ、ゆっくり目を開けた後、心を決めて彼を見ながら静かに言った。


「……今日、星凌大総合病院で、午前10時からすい臓癌の手術が行われる。患者の名前は……水埼沙耶」

「もう一度、患者名を言ってください」

「名前は、水埼沙耶」


 駿は身を翻すと、一気に駆け出した。

 あっという間にその姿は空港入り口に消えていく。

 彼の行き先はただ一つ。


 置き捨てられた目の前の2つのスーツケースを見ながら、蘭堂は小さく呟く。


「水崎さんに怒られるな」


 あれほど絶対に言うなと言われていたのに、なぜ今日ここで話してしまったのか。

 きっと、自分が彼の立場だったら教えて欲しいと思ったから。

 それが大切な相手なら尚更。


「患者の守秘義務が守れないなんて……僕は医者に不向きかな」



 今日これから、難しい長時間に及ぶ手術が始まる。

 水崎沙耶のすい臓癌は進行していた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ