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第6話 お役に立ちます!

あれからは結局何事もなく、当然仕事もなく、ぼくは「右手の部屋」にただ悪戦苦闘しておりました。資料があるにはあるのですが、やっぱり僕の力ではまだまだ意味不明です。他の皆さんは相変わらずコーヒーをお供にだべっている様子で、たまに様子を見に来てくれて、飴だとかキャラメルをくださいました。

 さすがに一番鶏が鳴く頃には、体力的にも気分的にもギブアップ。夜が明けるからと、皆さんも各自片づけをして、自室に戻っていきます。僕もならって帰るのですが……どうぞ、きちんと眠れますように。


 ***


 二日目とあって、初日よりは眠れたような気がしますが、まだまだです。人間としては間違っているかもしれませんが、この夜型一辺倒の暮らしにいち早く慣れなくては、そう遠くない未来、つぶれてしまうのが目に見えています。ぼくの身体が、早く慣れてくれるとうれしいのですが。

 お世辞にも質の良い、と言いがたい眠りも、ぼくにとっては貴重な原動力です。昨日よりさらに早く伺うと、ジェードさんが一人っきりでカードゲームに興じておりました。

「おっ、早いね。どうしたの?」

「……いえ、ただ……今日こそは一番乗りにと思って」

「アガートくんはまじめったらないねえ」

 手に持っていた数枚のカードをぱあっと放って、ジェードさんは笑いました。その手札、ばらしていいのと思いましたが、これだけ楽しそうにしていらっしゃるところに口を挟んではかえって野暮でしょう。

「こんなにまじめなら、もっと使いようのある部署に回したほうがいいんだろうに、人事はみんな目が節穴なのかね。ま、そっちのほうが、我々がアガートくんと遊べてうれしいんだけど」

「そ、んな」

 無意識に縮こまる、ぼく。

 まじめ。

 よくある賛辞。

 それでも。 

 賛辞そのものから遠ざかって久しいぼくの胸には、重たく響きました。たったそれだけの言葉ですが、ぼくを肯定し、認めてくれたのです。感謝の言葉もとっさに出ないほど、それはありがたいことなのでした。

「アガートくん」

 急に、ジェードさんとの位置が近くなります。引き寄せられたと気付くまでの、タイムロス。

「君は素晴らしいよ。みんなのすさんだ心を癒すマスコットであり、実際に仕事のできる事務員であり、半人前ながらも軍人であるからして非常の際には前衛も務められる」

 ぼくも、何か未熟なりに反論をしようとしたのですが――ジェードさんの弁舌に、落ち葉のごとく流されてしまって、すっかり忘れてしまいました。

 ですが、本当にお尋ねしたい部分は、残っていたようで何よりです。

「ぼくは、役に立っていますか」

「勿論。素晴らしいとも」

「それ以上に役立つ方法は、今のこの場ではありませんでしょうか」

「そうさね」

 ジェードさんの双眸が、意地悪そうに歪みます。

「今のこの場ではなさそうだね。今の、この場では」

「つまり……」ジェードさんの煮え切らない語尾を、ぼくは慎重に拾いました。

「今後、どこかで、ぼくも役に立つかもしれない、と……」

「その通り」

 またここでもイイコイイコされます。もうここはひとつ開き直って、最初から撫でまわされることを前提にした、最低限度のセットの髪型で出勤すべきなのでしょうか。

「だからね、今、平和なうちにね。勉強したいことがあるなら勉強しておいたほうがいいし、体を鍛えたいならそうしておいたほうがいい。特殊な技術の取り扱いについては、申請したって講習させてもらえないかもしれないけれど、わかるやつがいたら私らの誰かが教えるさ。

 無論勉強だけじゃない。アガートくん、きみはなかなか、幸福ならざる道を歩んできたであろうことが見ていてありありとわかるからね。休みの日にはそれがその日の任務だと思って、羽目を外しなさい。盛り場に繰り出して大人の遊びに触ってみるもよし、そこまでいかなくても雰囲気だけ観光して帰ってくるもよし。外に出なくたって、昼まで寝てみるのよし、いつもと違う料理を作ってみるのもよし、積読の山を崩すのもよし。

 ここでの仕事につながることだけが、君の仕事じゃないんだよ。幸せにおなり。そうすれば、どんな功績をあげたことにも勝る勢いで、我々はきみを褒めるからね。

 ……ま、こうして爺のたわごとに付き合うことができる人材も不足気味だからね。きみは役に立っているよ、実に」

 最後まで喋ると、ジェードさんは照れくさそうに「コーヒー、持ってきてくれる?」と僕に言いました。が、ぼくはあの常軌を逸したコーヒーメーカーをどう触ったらいいのか全く分からないでいます。今度は申し訳なさそうな顔になったジェードさんに手伝ってもらって、コーヒーをカップに移す作業を行いました。

「……これ、次から一人でできそう?」

「はい、大丈夫そうです」

「できること、増えたね」

「……はい!」

 手近なところから、一歩ずつ。

 目指すのは、なくてはならない人材です。

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