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第5話 食事と事情

 全員がそろってからも、皆さんはテレビを見たり、お菓子を食べたり、飲み物を飲んだりと、思い思いに過ごしています。ぼくもそれに倣っていましたが、だんだん我慢が出来なくなって、手近にいたジェードさんに尋ねました。

「あのっ、何かお仕事はないのでしょうか」

「ない」

 簡潔です。

 でもそれでは困ってしまいます。

「何か、ないでしょうか。何もしないなんて申し訳ないです」

 ジェードさんはあごひげをいじりながら「ふむ」とぼくを不思議そうに見て、ほかの皆さんにも「きょう、何かやることはない?」と尋ねてくれました。しかし結果はやはり同じ。何もないそうです。

「働かないで給料もらえるなんて、素敵じゃないか」

 と、ジェードさんはおっしゃるのですが、とってももやもやします……。

「そんなに働きたいなら、とりあえず歴史でも知っとく?」

 ユーディさんがどこかへ行ったと思ったら、わざわざ資料を取りに行ってくれたみたいです。分厚いファイルの表紙には「V計画」とだけそっけなく書いてありました。

「ここ奥行って右手の部屋、物置になってて資料一杯あるから。好きに見ていいよ」

「ありがとうございます!」

「いいってことよ。やる気のある新人でお姉ちゃんはうれしいぞ」

 また頭を撫でられます。期待に応えなければなりません。ぼくは気を引き締めて資料を開きますが、専門用語だらけでさっそく詰まってしまいます。ちゃんと読み返すと、意味の分かるところもあるのですが、正直、理解不能な文章のほうが多いです。

 何ページか読みましたが、V計画発足が一年ちょっと前だということ、この部隊が出来上がったのがその二ヶ月後だということしか自信を持てる情報がありません。

 ぼくには勉強が足りないようです。

 頭が痛くなってきました。

「おー、すげー顔してっぞー」

 丁度いいタイミングで、タンザナくんがコーヒーをくれました。机の上には相変わらず例の機関が鎮座していて、ときどき気づいた人が粉を替えてお湯を入れています。

「それ意味わかんなくね? 別に知らなくていいよ。ボクもわかんねーし」

「そうなんですか……」

 短時間とはいえ、ぼくの努力はなんだったのでしょう。

 いいえ、そうではないのです。知ろうとすることが大切なのだと……思いたいです。これを解読するだけの知識を身に着ければ、この人たちのことがもっとわかる……かもしれないですし。

 ぼくは近いうちに「右手の部屋」に挑戦する決意を固めました。


 ***


「おなかすいた」

 言い出したのはユーディさんでした。

「アンプルは切れてな「違うのー! まっとうなごはんが食べたいのー!」

 ユーディさんは大人げなくクッションをばぶばふ叩いて言いました。声をかけたアンバーさんが完全に押されています。

 既に深夜。日付は先ほど変わりました。そういえば、ぼくも食事をとったのは夕方です。そのあとはコーヒーと少しのビスケット。ユーディさんではありませんが、おなかが空いてきたのを自覚します。

「ボクもなんか食べたいかも」

「よし決まりだ、アンバーくん頼んだ」

「……またわたしなのか?」

「だってボク目玉焼きしか作れないもーん」

「アタシなんて卵も割れないもーん」

「同じく―」

 皆さん、自信満々です……。ユーディさんとジェードさん、卵も割れないのは問題なのではないでしょうか。どうやって暮らしてきたのでしょう。

「アンバーさんが料理をするんですか?」

「あまりうまくはないが……聞いていたろう。特にジェードは前科者だ」

「前科、ですか」

「鍋が……」

 アンバーさんの顔が怖いので、詳しくは追及しないことにします。

 しかし、これはチャンスです。ぼくは力いっぱい宣言しました。

「ぼく、お手伝いいたします!」

「……経験は?」

「寮の厨房を手伝っていたことがあります」

 本当は持ち回り制なのですが、ちょくちょく当番を押し付けられていましたので、同期よりは手馴れている自信があります。科目に料理があったら、ぼくの平均点は少しだけ上がったかもしれません。

「素晴らしい。百万の味方を得たようだ」

「大げさです」

「大げさなのは性分でね」

 今更ですがアンバーさん、見た目ほどいかめしいお人柄ではなさそうです。よかった。


 ***


 料理そのものは実にシンプルでした。

 ぶつ切りの鶏肉に塩コショウをして、きのこと一緒に料理酒で蒸し焼きにしたもの。

 やっぱりぶつ切りの鶏肉(ただしやや小さめ)と、玉ねぎ、キャベツを煮てスープの素を投入したもの。

 そして、軽くあぶったパン。

 以上です。

 この人数に対して少し量が多いなと感じましたが、文字通り桁が違う分量を作る厨房を手伝っていたぼくです。全く苦ではありませんでした。アンバーさんは僕の手際をほめてくださって「今度内緒でお菓子でも買ってやろうね」と頭を撫でてくれました。ユーディさんと言い、ぼくの頭は撫でたくなる頭なのでしょうか……?

 出来上がったものを居間(便宜上そう呼ぶことにします)に運んでいくと、ユーディさんが「早い! でかした!」と頭を撫でてくれます。もうぼくの髪の毛がぐちゃぐちゃなので、ほどほどにしていただきたいのですが……。

「アガートくんなにしたの?」

「野菜を切りました」

「偉いっ」

 もう完全に、ボールを取ってきた犬にする撫で方です。ちょっと痛いです。

 しばらくされるがままになっているとユーディさんは満足したらしく、全員で食卓に着きました。

「味つけはアンバーかぁ……」

「不満でも?」

「ございませーん」

 ぼくもいただきます。普通です。普通においしいです。寮の食事よりちょっと上な感じです。

 おいしいのはともかくとして、ちょっと疑問に思うことがあります。

「あの……吸血鬼の方でも普通にご飯は食べるものなんですね」

「それねー」

 答えるユーディさんの顔は、なんだかうれしそうです。

「吸血鬼ってひとくくりにされてるけど、これ『犬』くらいアバウトなのよ。亜種が滅茶苦茶多いの。生態も違うし。アタシたちは血液以外の一切を受け付けない身体だったの」

「でも、今現に食べてますよね」

「やっぱり毎日同じ食事だと飽きが来るじゃん? というわけで研究資金を軍からむしり取ったの」

「ついでに民間では入手困難な機材もやりたい放題使わせてもらった」

 ジェードさんが眼鏡を押し上げました。

「おかげでごはんがおいしいわあ。持つべきものは金とコネだね」

「部隊が発足されたのって最近ですよね。そんな短期間で、成功したんですか?」

「研究自体は続けていたのだが、個人では限界があってね。さすが軍事施設、さすが国の金」

 知ってはいけない大人の世界を垣間見た気がしますが……でも。

「良かったですね、いろいろ食べられるようになって」

「肝心の血液は、アンプルの化学製剤になっちゃって味気ないけどね」

 そう言いながらも、ユーディさんは笑顔のままです。来る日も来る日も同じものしか食べられないとは想像もつきませんが、きっと嫌気がさすことでしょう。

「と、まあ難しい話はここまで。……アンバーくんビール出して!」

「わたしにも」

「ボク、ウーロン茶ね」

「少しは動けよ……」

「ぼくも取りに行きます!」

 真夜中なのが信じられないくらいの団欒でした。

 長らく忘れていた感覚です。

 ひょっとしなくてもこの異動は、恐るべき幸運だったのではないでしょうか。

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