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第4話 ”朝”

 歓迎会は楽しかったけれどそれはもう疲れたので、ぼくは早々に寝ることにしました。普通、入隊したての新兵は三人か四人の相部屋なのですが、ここは事情があるあせいか、独り一部屋の豪華なものになってております。何よりすごいのが、一部屋に一つ、内風呂が付いていることです! 

 誰にも怯えることなくゆっくりお風呂に入るだなんて、ものすごく久しぶりのことのように感じます。寮の大浴場ではいつも、怖い先輩や同級生に小突き回されたものです……。

 しかも、それだけではございませんん。ユーディさんがいくつか、入浴剤を譲ってくださったのです。香料だけならともかく、きちんと疲労回復の成分まで入っているとなるとちょっとお高いのですが、文句の言いようもなく体も温まって、翌日のコンディションを完璧に整えてくれます。

 そしてぐっすり寝たは寝たのですが……あまりすっきりしたとは言えません。

 なぜなら、夜明けとともに寝て、夕方に起きたからです。

 吸血鬼の皆さんは夜行性。よって担当者も人間でありながら、昼夜逆転の生活を余儀なくされます。夜勤のある部署にいたわけでもないぼくとしては、なんだか変な感じです。

「おっ、アガート はよ!」

「おはようございます、タンザナくん」

 詰所とは名ばかりの部屋に、先に来ていたのはタンザナくん一人でした。外は夕暮れの赤さを少しだけ残して暗くなりつつありますが、吸血鬼さんにとっては「おはよう」なのですね。

「下っ端だし、一番乗りで来ようと思ってたんですけど……先越されちゃいましたね」

「早く来たってやることないぜ。もっと寝てりゃあよかったのに」

「でも目が覚めちゃったら、もう眠れそうになくて」

「そっか」

 其れからはタンザナさんと一緒にドラマの再放送を見ました。今までの寮の個室にテレビがなかったので知らないドラマです。途中からなので内容がさっぱりわかりません。女性が男性の足に縋り付いて、泣いています。あ、蹴られました。凄い修羅場です。

「……これはいったいどういう状況なんでしょう」

「あの二人は婚約してたんだけど、女が浮気してな。男をボロカスに言って別れたんだけど、間男が女の貯金を全部巻き上げて消えたんで、復縁を迫ってんの」

「……タンザナくんは、こういうのが好きなんですか?」

 実年齢はいくつかわかりませんが、下手をすると初等科でも差し支えない男の子が見るものではないと思います。

「別に。毎週見てるから何となく」

「そうですか」

 ほっとしました。

 やがて後味の悪いままドラマが終わり、天気予報が始まったころ、ジェードさんが現れます。

「おはよう、二人とも」

「おはようございます」

「はよ」

 来るなりジェードさんは食器棚から物々しい器具をいくつか取り出して組み立て始めました。たちまちテーブルの上に謎の機関が出来上がります。それを見たタンザナ君は、お湯を沸かし始めました。慣れているようです。

 いったい何が行われているのでしょう。ジェードさんに視線を向けると彼はウインクをして「ま、見ていたまえ」とのこと。二人の様子から危ないものではなさそうですが、想像もつきません。

 お湯が沸くとジェードさんは器具と一緒に棚から出した袋を開け、中の黒っぽい粉を機関へ投入しました。続いてゆっくりとお湯を注ぎ始めます。

 部屋に強い匂いが充満しました。

 コーヒーです。

 コーヒーを淹れています。

 タンザナくんはマグカップを並べています。

「どうしたね?」

 よほどひきつった顔をしていたのでしょう。ジェードさんが心配そうにぼくを見ています。

「コーヒー嫌い?」

「いえ、そんなことはないですけども……なぜ、そんな凄い装置でコーヒーを?」

「そりゃあきみ、カッコいいからだよ」

 この人、心が少年です!

「アガート、砂糖要る? 牛乳もあっためてあるぜ」

「あ、ありがとうございます」

 砂糖だけ頂くことにしました。

 タンザナくんが出してきてくれたビスケットをつまみながらコーヒーを飲んでいると(大変においしいコーヒーでした)、ばたんと扉が開いて、服を実にだらしなく来たユーディさんが入ってきました。正直、目のやり場に困るレベルです。

「アタシにもコーヒーを頂戴! ミルクと砂糖増し増しで!」

 大股に近づいてきて「アガートくん今日もかわいいね」と頭をわしわし撫でられます。「おはようございます」とぼくが返す間に、彼女は僕の横に座り、ジェードさんが差し出したどんぶり……ではなくカフェオレカップを片手で軽々と持ち上げてぐっと呷り、中身が三割ほど減ったそれをテーブルに置くと至福の表情で「ぷはあっ」と息をつきました。いろいろ間違っている気がします。

「アンバーさんは非番ですか?」

「違うけど、彼、寝汚いったらなくて」

 皆でコーヒーとビスケットをやっつけ、テレビ番組も所謂ゴールデンタイムを過ぎようとするころ、ようやくアンバーさんが出勤してきました。

 男前です。片手を上げて「おはよう」とおっしゃるその動作さえ決まっていて俳優さんのようです。ほやっと見とれているとタンザナくんが寄ってきて、手を内緒話の形にしてささやきました。

「あいつ寝起きひどいんだぜ。絶対二度寝するし、二回目もベッド出るまで三〇分はかかるし、髪も猫っ毛の癖っ毛だから爆発してるし」

「全部聞こえてるんだが」

 コップに牛乳を注ぎながら、アンバーさんがこっちを――おそらくはタンザナくんをだと思いますが――睨みつけてきて、思わず背筋を伸ばすぼくです。

 異動初日の「朝」は、こうして始まりました。

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