第007話 決意~大好きな人たち~
日が完全に沈んだ。
欠けた月は普段よりも光量が少ない。
しかし、燃え上がる家屋によって照らされた村は明るかった。
「早く立て!行くぞリキッド!」
「……行くってどこに?」
「村へ帰るんだ!みんなを助けないと!」
立ち上がったヴェルが座り込んだままの僕を怒鳴りつける。
「……村へ行ってどうするんだよ。助ける?僕たちなんかに何が出来るって言うんだ?!」
未だ震える体、力を振り絞ってなんとか声を出す。
10年ほど前に勇者が魔王を倒し、人間の勝利として戦争は終わった。各地で人間を脅かしていた魔族たちも別大陸にある魔族領へと引き上げ、世界は平和になった。
しかし、それは決して魔族が弱いということではない。
聖国の白光隊と呼ばれる対魔族討伐組織や王国最強の精鋭騎士団などがいて初めて魔族と対等に戦うことが出来る。
更に、魔族の中には人間と同じように魔術を行使出来るものたちが存在する。爵位級と呼ばれ、人間の貴族と同じように階級があるそうだ。彼らが恐ろしいのは魔術はもちろんだが、暴力を扱う強さ、そして人間に勝るとも劣らない智略である。たった一人の爵位級魔族が千人の兵士を皆殺しにしたのは有名な話だ。
村を襲撃した魔物は魔術を使った。
間違いなく爵位級だ。
「どうして行くのさ!?相手は魔族だ。すぐに殺されてしまう!」
「……」
僕の叫びにヴェルが押し黙る。
村に戻れば僕たちは魔族に殺されてしまうだろう。
僕はヴェルに死んで欲しくなかった。
「シルバ父さんたちだってまだ戻ってきてない。でも、もう少ししたら戻ってくるかもしれヒイッ?!」
再度村で閃光が煌めいた。
先ほどとは別の家屋が倒壊し、火の手が上がる。
戦場と化してしまった村を見つめていたヴェルが俯く。
自分の無力を悟って諦めてくれたのだと思った。僕の必死の説得が通じたのだと思った。
「……リキッド」
ヴェルは落胆したような声だった。悲しみの宿る眼差しだった。
でも、仕方がない。
だって、僕らはまだ子供だ。
魔術が少しぐらい出来たって、剣が少しぐらい出来たって、魔族に敵うわけじゃない。
出来ないことは出来る人に頼ればいい。
そう、僕らには何も出来ない。怖い。嫌だ。あんな生き物の前に立つなんて出来ない。
死にたくない。
「だ、大丈夫だよ。きっともうすぐ父さんたちが来てくれるから、だから、ぼくたちは――」
「……言いたいことはそれだけか」
俯いていたヴェルの瞳が僕を捉えた。
それは悲しい眼差しではあったが、決して己の無力に嘆く弱い瞳ではなかった。
「お前は先ほどどうしてと言ったな。答えてやる。義務だからだ。わかってないようだから、もう一度言ってやる。義務だ。俺は貴族であり、領民を守る義務がある。領民を見捨てることは出来ない。それは貴族としての誇りを捨てることだからだ」
「それは、……それは命よりも大切なことなの?」
「誇りを捨てるくらいなら、死んだ方がマシだ」
吐き捨てるように、ヴェルは言った。
なんでそんなことにも気付かないんだと罵るように。
「それに、もう少しでシルバさんたちが来るって言ったか。なあリキッド、お前の言うもう少しっていつだ!?もうすぐって、それまでにどれだけの犠牲が出るんだ!?」
ヴェルは怒っていた。
本気で怒っていた。
「俺の領民がたった今目の前で襲われているんだ。敵が魔族だろうと、野党だろうと変わらない。領民と領地を守るのが俺たち貴族の義務だ!俺たち貴族がいつ来るかもわからない助けを待って何もせず震えているわけにはいかないだろうが!!」
やっと僕は間違いに気付いた。
先ほどの僕に向けられたヴェルの目にあったのは失望だ。
僕はヴェルに失望されたのだ。
「俺は先に行く。お前は、……来ても来なくてもどっちでもいい」
「待って!待ってよヴェル!いかないでっ!!」
ヴェルは自分の木剣を拾うと僕を無視して丘を駆け下りていった。
僕は丘に独り取り残された。
ヴェルが隣にいない。
傍には誰一人いない。
「……ねえ、ヴェル。死んじゃうよ」
『そうだな。あの少年は魔族に殺されて死ぬ』
しかし、僕の声に答える者がいた。
姿はないけれど、その声は聞こえた。
『少年だけでなく、お前の母も、妹も、他の人間も全員死ぬ』
「……」
淡々と声は述べる。
燃える村を、到底受け入れられない現実を前にした僕に対して。
ただ事実を述べた。
『全員が爵位持ちかここからではわからないが、先ほど魔術を使った個体の他にもう一体、明らかに強い個体がいる。いくらお前の母が魔術師であったとしても前衛もいない今ではまともな戦いにもならないだろう。虐殺される』
「……」
先生は甘くない。
僕が考えないようにしていた現実を突き付けてくる。
ヴェルがわざと言わなかったことでも平気で言葉にする。
『もう一度、大切な者を失い、絶望するのか』
しかし、先生は優しいのだ。
僕の本当の気持ちに気付いてくれる。
僕の迷いを、僕の答えを、導いてくれる。
僕はオリアナが死んだと聞いた時の絶望をまだ忘れていない。
『それで本当によいのか』
「……よくないよ」
何度目かの閃光が再び村の一部を焼き払った。
繰り返し行われる凶行に、たまらず家から飛び出て来た誰かが魔族の腕に体を貫かれた。
体を貫かれたまま振り回され、圧倒的な暴力の前に息絶えた死体は中空へ投げ捨てられ、無様に地面へ落ちた。
散々弄んで飽きたのか、また別の場所へ閃光が奔る。僕らの村が壊れていく。
閃光が走る直前、魔族の頭――たぶん口の部分だろう――が一瞬だけ光り、そのすぐ後に閃光が奔るのがわかった。
だからといって、何が出来るわけでもない。
『ここで絶望の瞬間まで待っているのか』
「……いやだ」
ちょうど、僕の家の真上に魔族どもがきた。
家には僕の帰りを待つリューネ母さんとリエルがいるはずだ。
僕が家に帰るといつも母さんがおかえりなさいと笑顔で迎えてくれるのだ。
リエルが今日はこんな料理を作れるようになったから褒めてほしいと甘えてくるのだ。
「もう誰かが死ぬのは嫌だ。アン姉ちゃんが死んだ時みたいに、大切な人を失って自分だけ生き残るのは嫌だ!!」
ヴェルは来なくてもいいと行ったが、先に行くと言っていた。
きっと僕が来るのを待ってくれているのだ。
震えて動けない僕に呆れても、それでも期待してくれていた。
アン姉ちゃんは、僕らを引き摺り倒して、怒られて、それでも懲りなかった破天荒なあの人は、僕に別れも告げずに死んでしまった。
大好きな人とのお別れに、僕は何一つ出来なかった。
「あんな思いはもういやなんだ」
気が付けば木剣を持って走り出していた。
まだ足は震えているが立てないほどじゃない。
立てるなら、前に足を動かせば歩ける。
もっと早く前に足を出せば走れる。
勝てなくてもいい。
僕が死んでもいい。
でも、僕の大切な人が死ぬのは嫌だ。
「先生。僕に力を貸してください」
僕の家の直上にいた魔族の頭が光った。
しかし、閃光が奔る前に下から上に向かって、家から魔族たちに向かって巨大な竜巻が襲いかかった。魔族たちは竜巻に飲み込まれた。
きっと母さんの魔術だ。
まだ、取り返しがつかないわけじゃない。
『村へ行ってどうする?』
それは僕がヴェルに問うた言葉だ。
ヴェルはいつだって僕の前を進んでいく。
僕は彼の背中を見てきた。
だから、今回も彼の言葉を借りよう。
「大好きな人たちを守る!!」
僕の言葉と竜巻の中から黒い影4つが飛び出したのは同時だった。
お読みいただきありがとうございました。