第006話 夕日~少年たちの想い~
シルバ父さんたちが森へ灰牙狼を狩りに行ってから、気付けばもう一週間以上が経っていた。
領主であるテイラー様や、村を野党から守る最低限の人数を残し、他の男たちは村を出た。
初めは大人の減った村で自由を謳歌しようと駆け回っていた僕らも一週間も経つとしたいこともなくなり、今日はヴェルの提案で、村が見下ろせる小高い丘に来ていた。ここなら討伐隊が戻ってきたらすぐに気付けるからだ。
「村を出るんだって?」
「誰が?」
夕暮れ、僕とヴェルは丘に寝そべり、夕日を眺めていた。
近くには僕らが振り回した木剣が転がっている。僕の折れた木剣は既に新しいものに取り替わっている。
今日は月が欠けているせいか、空がいつもより薄暗い。
「お前だよ」
「……誰に聞いたの?」
「父様だ。シルバさんが父様に相談していたのを聞いた」
なんとなくだけど、ヴェルはずっと僕に話を聞きたがっていたのだろうと思った。
リエルが晩御飯の手伝いのため先に家へ帰ったこのタイミングで唐突に言ったのはたぶん、僕が逃げられないタイミングだからだ。
でも僕はまだその答えを出せずにいた。村から出るという選択肢を選ぶことに抵抗があった。
「別に村を出るのはいい。でも、せめて俺にもどう思っているのか教えて欲しい。俺は領主の息子だ。出たくたってこの村から離れることは出来ない。それは俺が貴族であり、領民を守る義務があるからだ」
「義務か」
「義務だ。俺は、というか俺の家は代々領主だが、貴族で位が高くとも一人では生きていけない。領民に土地を貸し、領民とその土地を守る。代わりに税を貰う。これは代々の契約であり、義務だ」
ヴェルは僕なんかより考えがずっと大人だ。
僕はそんな彼と並び立ちたいと思った。だから格好から似るように言葉遣いも変えた。
「いずれ父様に替わり、俺が領主になる。その時に俺は出来ればリキッドに傍にいて欲しい。父様とシルバさんの関係のように俺たちになれたらと思っている」
「じゃあなんで村から出てもいいなんて言うんだよ。ずっと一緒にいろって言えばいいだろ」
つい息が荒くなる。僕が体を起こすとヴェルも合わせて座り直した。
変えたはずの言葉遣いもヴェルには出来ない。
対等でいたいのだ。
ヴェルとの関係だけは変えたくないのだ。
出来ることなら一緒にいろと、出ていくなと言って欲しい。
そうすれば僕は何も考えず、そうするだろう。
「父様とシルバさんも俺たちと同じ幼馴染だ。二人は一度道を別れた。父様は領主になるために村に残ったし、シルバさんは冒険者になって世界を旅した。それでも今はまた二人、共にいる」
「それはたまたま……」
「偶然なんかじゃない。旅先で最愛の人に出会い、子供を作り、身を固めようとしたシルバさんが選んだのは父様の領地だ。世界中を旅した戦士が子供を育てるために選んだ場所だ。父様はそれを誇りに思っている。俺だってそうだ」
初産だったリューネ母さんは乳の出が悪く、僕への授乳があまり出来なかったそうだ。
困り果てた時に生まれたばかりのヴェルを抱いたマリアンヌ様が僕の乳母になってくれたのだと聞いた。戦中で栄養価の高いミルクなど回っていなかった時代だ。マリアンヌ様がいなければ僕は衰弱して死んでいたかもしれないそうだ。
まだ魔王を倒したばかりで終戦もしていなかったその頃、同時期に子供を授かることは珍しかった。今はもう死んでしまった僕らと年の近い子供たちも住むところを追われて移り住んできた者や孤児など、魔族との戦争によって不幸になった者が多かった。
聖国と王国の境近くにあるこのラッセル領はそういった流れの人間が多かったが、テイラー様は冷たく追い払ったりせず、そのほとんどに土地を貸し与え、生きる術を教えた。その成果として王に認められて領地も広がり、男爵から子爵へと爵位も上がった。
野党やはぐれ魔獣など、生活を脅かす存在もあったらしいが、優秀な冒険者だったシルバ父さんとリューネ母さんにかかれば、危機らしい危機もなかったそうだ。
僕らと同年代で両親が健在というのは何よりも恵まれている。
戦争は簡単に人を殺す。剣が、魔術が人を殺すのではない。飢えが、寒さが、明日を生きるための希望を潰す絶望が、人を殺すのだ。だから生きるためには食べ物と服、もしくは家が必要なのだ。これはテイラー様がよく言う台詞だ。ラッセル家の家訓らしい。
「村を出て外へ飛び出せ、リキッド。そして休みたくなったら帰ってこい。お前の故郷はここだ」
「ヴェル……」
ヴェルが僕を見つめるようにして言った。
彼はなんとも言えない顔をしていた。
「……実を言うと、俺はリキッドが羨ましいんだ」
「は?なんで?」
「だって、リキッドはなんにでもなれる。龍を倒す冒険者だって、姫を救う剣士だって、学校の先生や、聖国で司祭になり神に仕えることだって出来る。俺はお前が羨ましいよ」
「でも、ラッセル領の領主にはなれないぜ?」
「それだったらまあ、プラスマイナスゼロってところだな」
「羨ましいなんて思ってないだろ嘘つき」
「リキッドだって領主になりたいなんて思ったこともないだろ」
「違いない」
互いの顔を見合わせてひとしきり笑う。
「ヴェル。決めた、僕は村を出るよ」
「それは俺に言われたからか?」
「違う。たぶん最初から思ってた」
初めから、何がしたいではなく、村を出るか出ないかしか考えていなかった。
村を出なくていい理由ばかりを探していた。そうじゃないと、すぐにでも飛び出してしまいそうだったのかもしれない。ヴェルも、シルバ父さんも、たぶん他のみんなも気付いていたんだと思う。
「冒険者になるのか、もっと別の何かになるのか今はわからないけど。そうだな、やりたいことを探しにいきたい。自分に何が出来て、何が出来ないのかをもっと知りたい」
「目がきらきらしてきたな。人に言われないと自分の気持ちに気付けないなんてリキッドもたいしたことないな」
「言ってろよ。いつか美人で巨乳の嫁を連れてきて驚かせてやるからな」
「母様を越えるような人でないと驚かんぞ」
それは無理かもしれない。
「早く帰ってこないとリエルと俺が結婚しているかもしれんな」
「……はい?」
「器量がよく、教養もある。何より家庭的だ。シルバさんとリューネさんの娘だ、いずれ立派な人になるだろう。嫁として申し分ない。一つ欠点を挙げるなら、出来の悪い兄がこぶとしてついてくることだな」
「ヴェルに兄と呼ばれるのはいろんな意味で嫌だな。というか、リエルの事が好きだったのか」
「……そうだな、リキッドがアン姉さんのことを好きだったのと同じぐらいには好きだぞ」
つまり大好きってことだな。
兄の贔屓目を抜いてもよく出来た妹だと思う。運動と勉強以外だとすべてで僕とヴェルを上回っているんじゃなかろうか。
「それはなんというか、帰ってくるのが怖いな。むずむずする」
「……」
「どうした?冗談だぞ?」
何か気に障ることでも言っただろうか。
「いや、なんだ。アン姉さんのことをリキッドと話すのはいつ振りかと思って」
「……ん。そういえばそうだな」
誰かに言われたわけではないけれど、僕たちはアン姉さんの話題を避けていた。
思い出すのが怖かったのだと思う。自分一人だとすぐに忘れられることでも、誰かと話題を共有してしまうと、頭から離れなくなってしまう。そうして悲しみに囚われてしまうのを恐れていた。
「案外、大丈夫だったな」
「正直もっとこう、泣いたりするんじゃないかと思ってた」
「……」
「……」
無言の時間も悪くなかった。なんとも言えない空気が俺たち二人の間に漂ったが、決してそれは悲しみのようなマイナスの感情ではなかった。
二人で村を挟んで丘の反対側へ沈む夕暮れを眺める。もう僅かにしか見えない夕焼けは鳥のような翼を持つ何かの影を映した。
「……リキッド。あの影が見えるか?」
「……見え、る」
5つの黒い影。鳥にしては大きすぎる。
「なあ、羽が生えているのに人の形に見えるんだけど」
人間に翼はない。
翼の生えた人間は天使と聖国では言われるが、天使は架空の存在だ。世界を巡った父さんたちだって見たことはない。
じゃあ、あれはなんだ。
決まっている。人の形をして、羽を持っている生き物なんてそういない。
でも、見ただけで恐怖を与える存在はたったひとつだ。
「気のせいじゃないんだよな。……リキッド、おい!答えろよ!!」
魔術を扱える俺たちは、魔力を感じることが出来る。本能が告げる。
間違いなくあれはやばい。
これだけ距離があるのにその膨大な魔力を感じて体が震える。歯の根が合わず、声も出ない。
「あいつらはいったい何なんだ!!?」
混乱して喚くヴェルに僕は答えることが出来なかった。
しかし、僕の中では、明確に答えが弾き出されていた。
『お前たちもよく知っているだろう?あれが人間の敵――魔族だ』
先生声が聞こえたのと、村へ辿り着いた黒い5つの影の中の1つが閃光でいくつかの民家をまとめて焼き払ったのはほぼ同時だった。
少し遅れて何かが崩れる音がした。
読んでいただきありがとうございました。