老女の追憶
豪奢な部屋に1人の老女が居た。
落ち着いた赤いベッドカバーに包まれた老女の横では嫁いだ彼女の娘がハラハラと涙を流していた。
ぼんやりと彼女が視線を巡らせると、顔を歪めた息子たちの顔が見える。
幼い孫娘の不安そうな顔も見えた。
そんな沢山の顔に囲まれながら。
苦しい息の下で、あぁ、私はもう死ぬのだ、と老女は思った。
脳裏にたくさんの思い出が蘇る。
娘を産んだ日、息子が歩いた日
これが走馬灯かしら? と周らない老女の頭で思う。
そんな彼女の中で、一際輝く思い出が蘇る。
あれは、眩しい月の夜だった、と孫娘を見ながら老女は思い出す。
あの夜がはじまる頃に馬が騒がしく、この屋敷にやってきた。
その馬に乗っていた少年が真っ白な手紙を差し出す。
震える手で中年だった頃の老女はその手紙を広げて、背後に立つ自らの夫を振り返った。
「もう、生まれる、と……大変、旦那様!」
「落ち着きなさい、レリーナ。もう夜が更ける。あの子の家へは明日の朝たとう」
「けれど……!」
「落ち着きなさい」
落ち着いた声で老女の夫が言う。
あぁ、そういえば、いつもあの声に窘められていたわね、と老女ーーレリーナは懐かしさに笑みを零した。
脳裏では懐かしい光景が流れていく。
素早く手紙をしたためた夫は、馬へ乗ってきた少年へとその手紙を渡した。
そこからは祈る夜が始まった。
あの子は大丈夫だろうか、と娘を心配して部屋中を歩き回るレリーナを、夫は座ってじっと見つめていた。
そんな夫になんて薄情な!と八つ当たり気味に思いながらレリーナは、そわそわと落ち着かない。
夜は更けていく。
一睡もせずレリーナは登る月を見上げていた。
その月が頂点に達するかの時だった……再び、馬のいななきが彼女の耳に届いた。
心がひやりと冷えた。
思わず足をすくませ動けなくなった彼女に脇目も振らず、レリーナの夫は玄関へと歩を進めて、扉を開く。
そこには、また別の少年が立っていた。
先ほどと同じような真っ白な手紙が夫へと差し出されるのを、祈るようにレリーナは見た。
老女の夫はその手紙を素早く開封すると、文面へと視線を落とした。
「生まれたそうだよ、女の子だそうだ」
静かに、そう告げた夫にレリーナは抱きついた。
そんな彼女を優しく撫でてから、夫は手早く手紙をしたためて少年へと渡す。
少年は一つ礼をしてそれを受け取ると、そのまま去っていた。
「中へ入ろう……今日は冷える」
相変わらず、冷静な声でそう夫が促す。
促されるままに部屋へ入って、2階へと上がろうとしたレリーナの手を、夫がとって抱き寄せた。
「ありがとう、レリーナ」
その声は震えていて。
あぁ、この人は相変わらず感情を表現するのが下手だな、と思いながら、レリーナは夫を抱きしめ返した。
あの後。
二人は一晩中飲んで、それから、珍しくダンスなんて踊って。
翌日は痛む頭で、娘に会いに行ったっけ、とレリーナは思い返しながら、あの日生まれた孫娘を見て微笑む。
そして、その後ろに立つ、懐かしい人影に笑みを深めた。
(迎えにきて下さったんですか?)
レリーナの声はもう声にならなかった。
夫の声も聞こえなかった。
それでも、彼がいつかしたダンスの時のように恭しく優しく自分の手をとったのだけは分かって。
あぁ、幸せだったなぁ、と思い返しながら、自分の家族たちを一度だけ振り向いて。
レリーナはその場を、後にした。
お題は「刹那の踊り」(若者禁止。制限時間1時間)でした。
若者については、15歳〜22歳説があったので、それを採用させて貰いました……だから孫娘はセーフということにしておいて下さいorz