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小話綴り

よろず屋 

作者: 環 円

 12月31日


 年越しまで12時間を切った町の様子はいつもより賑やかで、せせこましい。

 年を跨ぐ。

 月がいつものようにまた、変わるだけだ。

 だがこの国の人々は、無事一年を終えられた感謝と新たな一年を迎えられた喜びを形にした準備を行なう。


 御節を各家庭で用意し、昨年までの厄を払い福を招くしめ縄を飾り。もちをついて形を整え、その頭にダイダイと干し柿を載せる。

 縁起を重ね、福がこぼれないように家に招くのだ。

 それぞれが意味を持つ、儀式といえた。昔々のように仰々しくはない。

 

 随分と簡略化されたようにも見えるが、世代が積まれ生活環境が変化する中、変わらず作り続けろというほうが難しい。

 買うもよし、作るも好しである。

 餅も手作る家も少なくなり、ほとんどがプラスティックに入った子袋小餅を買い求める。

 形があり、意味を知っていればいいのだ。それだけでこの国を守護するものらは多くを見守り続けられる。

 

 よろず屋でも年越しの準備は進められていた。

 御節も既に出来上がり、玄関には小さいながらもしめ縄と門松を置かれている。

 と、いっても家人はたったひとりを残すばかりだ。


 「黒、角出てる。刺さって痛い」

 「それはそれは。大変失礼しました」


 「白。酒を飲むなら中入れ」

 「ここがいい。お正月はここなの!」


 レジが置かれた中央の番台で羽織をかけた男がカイロを片手に座している。

 伝票を持ち、この店の次期店主である男の背に凭れているのが黒、と呼ばれた女性だ。

 そして白、と呼ばれたのが男の膝の上で茶の陶器になみなみと注いだ日本酒を舐めている幼女である。


 「配達が出るかもしれないだろ」

 「町内は冬夜とうやでしょ」

 「大旦那様からもそのようにお聞きしております」

 

 男は頬が引きつるのを隠そうともせず、男と共に店番を任されたふたりへため息をついた。


 ここはよろず屋、という屋号の店だ。

 取り扱いはありとあらゆる全て、という何でも屋であった。ここに問い合わせれば無いものはない、と密かに囁かれる魔窟でもある。

 創業は古く、江戸以前まで遡った。ここに移転してきたのは幕府が立てられる前後だと聞いていたが、本当であるかどうかは眉唾物だろう。取り扱いの品は広く、味噌ひとつから美術品に至るまで、指定された品は必ず注文主に届ける、がこの店の信条だ。時間がかかる品々も多いが、注文主もそこらへんの事情は把握している、と思われる。

 店はごく普通の下町にあり、古めかしい木造平屋である。

 ここに住んでいるのは冬夜と父、そして黒と白という生き物だ。白と黒は冬夜とは違い、人間ではない。だが冬夜が生まれた時から一緒という頼もしき姉達でもあった。ではなぜ姉と呼ばないか。それは黒と白が望まなかったからだ。

 言語を刷り込む幼少期に「黒ですよ」「白だよ」とまるでパパ、ママ呼びを覚えさせるが如く続けられたため、冬夜が大きくなってから改めようとしても出来なかったのである。


 黒電話が鳴る。

 「はい、よろず屋です。……こんにちは、あ、はい。今年もお世話になりました。いえいえ、こちらこそ。その酒、残ってたかな。在庫確認してから……」

 

 冬夜が受話器を取るや否や、黒がその手の内に目録を出現させ、耳に当てる円形の側で耳をそばだてた。

 相手はどうやらお得意様であるらしい。名前を確認して頷く。そして個人でまとめた注文履歴を指を鳴らして床に積む。

 口頭に出た品名を探して数枚めくり、在庫表と照らし合わせて冬夜の視線が落ちる場所へす、と差し出した。


 「ありますね。すぐにお届けします」


 冬夜が電話を置けば、黒が立ち上がり商品が置かれている奥へと進んでゆく。少し遅れて立ち上がれば、ひょこり、と白が三角耳を髪の狭間から覗かせて白が命令を待っていた。


 「坂崎さんのところだぞ?」

 「行く! 行きたい!」


 つい先ほどまであ町内は冬夜だけが行くのだと、ひざの上で飲兵衛になっていたというのに、いざ配達が入れば耳を横に寝かせ、ついでに太い尻尾までもべちべち振りながら散歩に自分も連れて行けとねだる。犬か、お前は犬なのか、と何度言いたくなったことか。

 冬夜はその頭を撫でてやり、背後を振り返る。


 「いつもの指定で頼む。寺に持っていくそうだ」

 「はい。お命じのままに」


 留守を黒に任せ、冬夜は風呂敷に包んだ酒を手に、道路に出た。

 肩に止めたバックショルダーの中には伝票とつり銭、そしてスマホが入っている。

 白い息が現れては消える。のんびりと歩く路にはいつも走り回っている子供達の姿はない。横を歩くのは白だ。


 「オトーさんは戻ってくるかなぁ」

 「無理だろ」


 年がら年中どこに居るのか定かではない、父親などどうでもいい。こっちにいるのかすら、分からないのだ。冬夜が中学の頃までは少なくとも1ヶ月に複数回帰ってきていたのは覚えている。高校時は正月にはたぶん、いたはずだ。大学に入ってからは数ヶ月に一度の割合でメールが届くのみとなっている。しかもそのメールが意味不明に短い。

 冬夜に向けられたメッセージであるのか、それとも依頼の品なのか、全く分からないものもあった。


 「レックソーサに届けるの、オトーさんじゃないと無理?」

 「一応おれでも行けるけど……あの壁を突破した後が面倒なんだよな」

 

 むろん、黒と白、と一緒であれば冬夜であっても簡単となる。ひとりで行くとなったときが問題なのだ。

 黒、もしくは白個体であっても容易に通り抜けるだろう。それほど実力に差があった。

 悔しくない、わけではない。何でも出来てしまう黒に敵対心をもったこともある。だがある日、冬夜は悟った。黒は冬夜に悪意を向けられたときにこそ、喜んでいるのだと。禍々しくもどろりとした粘着的な感情を、黒は冬夜に向けられるのを望んでいる。

 それを知った日、あまりの衝撃に吐いた。吐いて楽になったか、と言えば、答えは否、だ。

 黒は冬夜が、黒に向ける感情全てを愛していたからだ。愛も憎しみも、言葉に出来ない感情を含めて冬夜を好き抜いている。

 

 白もそうだ。

 ただ白は冬夜の優しさに大きく反応する。好意を向ければ向けるだけ、それを返してくれる。

 

 だから男として多少、いや、随分と尻に敷かれているとは思うが、小さな頃からふたりは冬夜の意志や主張を大事にしてくれている。

 押し付けてくる、ということがないのだ。冬夜から否定しても、そのわだかまりが消えるまでひたすらに待ち、語りかけてきてくれた。だからふたりともを嫌いになれなかった。

 

 失う、など考えたことも無いが、もしそうなれば冬夜はふたりを奪った相手を許さないだろう。


 冬夜は歩みを微妙に遅めながら、進んでくる車の方向指示が点滅するのを待つ。予想通り車はランプをつけ曲がっていった。

 速さを戻し、信号で止まらなくてもいい順路を進んだ。区画を4つほど進めば注文をくれた家に到着だ。

 呼び鈴を鳴らし、待つ。しばらくして出てきた奥さんと幾つか言葉を交わせば、いつの間にか世間話に華が咲いた。奥から呼ぶ声に我を取り戻せば商品と金銭を交わす。

 来年もご贔屓に。そう言って踵を返せば玄関が閉じられた。


 冬夜は曇ってきた空を見上げながら家路を急ぐ。

 朝はあんなに晴れていたというのに、今にもふわふわと降り積もる白が落ちてきそうだ。

 

 「降らないかな。冷たくて好き」

 

 はしゃぐ白に笑みながら歩いていれば、対向に歩いていたご近所の奥様と視線があった。頭を軽く下げ、挨拶を返す。

 「こんにちは、冬夜くん」

 「こんにちは」


 挨拶だけで終わるかと思いきや、奥様が小走りにやって来た。

 もしかするとあの件か。と思い出したのは3ヶ月ほど前に、これで最後だと届けたはちみつだ。


 「ユカバのはちみつは次、いつかしら」

 「あー、あれは次、5月くらいだと思います」


 奥様は残念そうに肩を落とす。

 冬夜は奥様の職業を思えば、手に入れたいという気持ちもわからなくもない。

 奥様は料理研究家として有名なひとであったからだ。テレビでもたまに顔が映る。著作は10冊以上を数え、現役としては主にお弟子さんが活躍しているらしい。


 「あのはちみつを食べると、他のものが物足りなくなってしまうのよ」


 なんでも娘さんが経営している紅茶の店で、あのはちみつを混ぜて作ったケーキを出したところ、複数の雑誌にとり上げられるくらい反響を呼んだのだとか。しかしはちみつが尽きてからは客足も遠のき、閑古鳥とまではいかないが、以前の紅茶好きが集まる店へと戻っているらしい。


 そうですよねー。

 同意を示すように何度も頷く。

 美味しくないわけがない。と冬夜も思う。

 なにせ奥様に渡したあのはちみつは、見つかったと聞けば美食家達がこぞって立ち上がり買占めに走るほどの逸品だ。しかもとれたのは10年もの、ときた。父に同行して採取していたときでさえ、見たことのない希少な巣だ。そのままにしておこう、とも思ったが、冬夜は振り返ってしまった。ユカバ蜂はユカバと同名で呼ばれる植物からのみ蜜を集める、大森林にだけ生息する蜂だ。

 ユカバ蜜は甘みの中にさっぱりとした柑橘系に似た香りが残る。多くの国ではまだ砂糖は貴重であった。冬夜やその父が運ぶ砂糖以外、出回ってはいない。なぜなら栽培権を奪い合い、固執して生産量を抑えているからだ。

 

 一般にははちみつ、のほうが多く供給されているのは上記の理由もある。

 冬夜はその巣を見たとき、ごくりと喉をならした。売った際の利益に、ではない。その効果に、だ。

 それは3年ものくらいから確認され始める効能だ。熟成されるほど、その効能は強くなってゆく。

 以前、冬夜を含め白と黒が父に勧められて舐めたときは凄かった。

 丸3日、冬夜は部屋から出られず、1日目の後半から記憶も曖昧となるくらいの天国を、そして同様の地獄を垣間見た。

 

 二度とごめんだ。とそのときは思ったが、体は正直だ。背筋に走った衝撃に、足を止めてしまった。

 10年ものの効果とはどれくらいの威力なのか。冬夜も男である。期待しないほうがおかしい。


 ユカバ蜂は3年ごとに巣を変える。10年もそこに居続けるのは滅多に無いことだ。

 サバイバルナイフを抜き放ち、駆ける。

 巨大すぎる雄蜂の攻撃を受け流した瞬間に一度、殺り合いはじめてから二度ほど死を感じたが、どうにかこうにか持ち帰ることが出来た。白と黒のふたりには耳にタコがが出来るくらいの説教を食らったが、その効果は絶大だった。

 

 会得したばかりの術式の負担と筋肉痛、そして精神的にも全て抜かれ10日ほど寝込んだが、売れ行きも好調であったために懐が思った以上に潤ったのも良い思い出だ。

 全く残っていない、というわけではない。冬夜が食べる分を残し、全て売り切れているだけだ。


 「連休に今年も仕入れに行くので、申し訳ないですが」

  

 独占はだめですよ。とやんわり忠告すれば、奥様も仕方が無いとばかり肩を震わせる。

 随分と潤んだ目をしていたような気もしたが、気づかないふりをした。

 どうやら人間にとっても同様な効果があるらしい。規定量ぴたりを後ほど注文すると去って行った。

 

 「大森林に今年も篭もるのか…篭もるんだな、うん」

 「次はシロも付いてくよ!」


 ひとりで行くよりも楽しいだろう。冬夜にとってはそれだけが幸運といえた。

 

 △▽△▽△▽△▽△▽△▽



 家に帰ると店じまいの準備がなされていた。

 スマホを見ると15時を回っている。

 父からの着信は、ない。よもや、あの配達までも息子に押し付けるつもりか。

 手にしている液晶に小さくヒビが入った。


 「黒、父さんからの電話は」

 「ございませんでした」


 予想通りの答えに冬夜は決断する。

 そろそろレックソーサに向かわなければ、時間的に危険である、と判断できた。


 「年越し蕎麦食えるかな」

 「私はトトノクでもいいですよ」

 「シロも! トトノク美味しいね!」


 今年こそは紅白見たいし、除夜の鐘を聞きながらこたつでぬくぬくとしてたいんだけど。

 と言える雰囲気ではないふたりの狭間で、冬夜はため息を零す。

 よし、今年は何が何でも帰ってくる。拳を握り、自分に言い聞かせると、戸締りを厳重に行い、正月用の張り紙をした。

 盗人が入るとは思えないが、一応、防災用システムを作動させておく。


 昨年はお世話になりました。変らぬご愛顧をよろしくお願い申し上げます。

 元旦はお休みを頂き、二日から平常通りです。


 そうして冬夜は家に入る。

 届ける荷物は既にキューブに圧縮済みだ。数と量をもう一度確認し、バックショルダーのなかに入れる。

 キューブは3×3の立方体だった。個数は5だ。

 黒が首をかしげる。だがすぐに視線をそらし出立の準備に取り掛かる。

 父が入れ違えで戻ってきたときのための書置きをちゃぶ台の上に置くと、着替えに入った。

 平和が当たり前であるこの国では必要とされない品々が黒の手によって用意されている。

 

 「靴はこれでいいよ」

 「はい」


 軍隊が備品として承認しているメーカーのそれに冬夜が足を通した。

 その服装はどこへ戦いに行くのですか、といわんばかりの姿だ。鎖帷子に似た、軽く耐久力が高い網目状のベストを身につけ、その上から皮の胸当てを装備する。首には加護がふんだんに詰め込まれた首輪をつければ上半身は終わりだ。

 下半身は動きやすさ重視のためいつもは装備の類はつけないが、今回はカーゴパンツの上に脛をまもるための部分鎧を皮の止め具を使って固定した。腰には大ぶりのサバイバルナイフを差す。

 そして迷彩ではないが、防御に特化され、強化された生地で出来たジャケットを羽織った。バックショルダーを身につけ、かちり、と固定すれば準備万端だ。


 「忘れ物だ」


 冬夜が手を伸ばしたのは何の変哲も無いカードケースだ。取り出したのはカードだった。巷で流行っているカードゲームの絵柄に良く似ている。使うことが無ければいい。そう思いながら2枚のカードをジャケットのポケットへ忍ばせた。


 「転移ゲートはどちらに繋ぎますか」

 「……レックソーサ」


 冬夜はだめもとでその地名を口にだしてみる。

 転移はどこへでも出来るというわけではない。物理的に門が設置されている場合はそこへ。そうでない場合は無理矢理抉じ開けねばならなかった。

 

 「拒否されました」

 「だよな」


 いつものことである。

 冬夜の父はレックソーサでは重犯罪者として立ち入りを禁止されているのだ。

 罪状はいたって簡単である。全世界に怠惰を蔓延せしめた罪。という一度聞いただけでは首をかしげてしまう罪がかけられているのだ。

 簡単に噛み砕けば冬夜が今存在している地球の物品を、レックソーサ国及びその他地域へ異世界の物品を持ち込み普及。この世界独自の文化破壊を行なった罪である。掃除機に洗濯機、クーラーに石油ファンヒーター。食器乾燥機、冷蔵庫その他諸々を持っていない王家はないのではないだろうか。とするほどに浸透させた罪である。

 動力源をどうしたのだとか、設置に何を使ったのか、と事実を知った際に冬夜は父に食って掛かったが、すべてファンタジーで済まされてしまった。後に黒から詳しい説明を受け、納得できたものの、息子であるというただそれだけで入国の際に追われるのだけは勘弁願いたいものである。

 だいたいスタート地点は国境だ。そしてゴールは王城である。敷地に一歩でも入ることが出来れば一切の攻撃が止む、という鬼畜仕様となっていた。


 しかし父と国王の仲が悪いわけではない。むしろ悪友と言ってしまってもいい。

 冬夜によろず屋を継がせたいが、いまいち力の使い方を分かってくれない。どうしたらいいものか。

 そう相談すれば、国を挙げての防衛戦を用意するという同調っぷりであった。


 そのお陰か、冬夜の実戦能力は格段に上がってはいる。

 黒と白、両方と対峙するとものの1分で終わってしまうが、片方であれば5分は持つようになっていた。


 「じゃあ、抉じ開けるか」


 冬夜は父からこうやってやるんだぞ、と教えられた通り、針で指先を刺し血を丸く出すと、そのまま空間を掴む。

 手のひらに柔らかな布を握るような感覚を感じながら、それを左方向に引き裂けばトンネルの出来上がりだ。

 出来た穴に白が頭を突っ込んで見れば、その後ろから黒も様子を伺っている。

 「シャファレンの村っぽい?」

 「そうですね」


 一瞬やり直しを考えた冬夜だったが、白がえいや、と飛び込んだ背を見れば、追いかけるしかない。

 黒も微笑み、裂け目に入ってゆく。

 


 冬夜が世界を跨ぐのは、実際のところ、そんなに多くない。

 地球外への配達は黒と白の仕事だ。なぜなら速度が違うからである。地球では日々の配達がはいっても隣町くらいだが、世界を跨いだ先では国をひとつふたつ、回ることもある。人間であるかどうかすらあやふやになってきた父であれば、ひとりで全部こなしてしまうが、冬夜はまだ無理だ、と自分の力を把握していた。


 父は冬夜に空を走れとノタマウ。

 しかし人間が空を走るなどできるわけがない。日々の訓練をさぼっているからだ、と渇を入れられるが、そもそも空など走れるならば飛行機など存在しないだろう。それに誰かに見つかる可能性もある。発見されるなど気が緩んでいる証拠だと小突かれても、こればかりは譲れない。空を走れないのが普通であり、空を歩いている誰かを見つけたならばスマホで撮影するに決まっている。




 夕闇が迫ってきていた。

 空には橙の光が満ち、白の雲に反射している。

 

 「白!」


 冬夜が白を呼ぶ。

 純白の翼を羽ばたかせ、その背に冬夜を受け止めた。

 白は本来の姿に戻っている。柔らかな毛に包まれた姿態は蛇のように細長い。前足は鍵爪となり、後ろも立派な凶器と変っている。

 そう、白は龍だった。長い体をくねらせながら、猛スピードで空を滑る。


 かわって黒は人型を維持していた。背には黒の翼が出ているがそれだけだ。

 「シロが運んでもいいよね」

 「ええ、そうしてください」


 急がなければ冬夜の願いが叶わなくなってしまう。悔しがりながらトトノクを食べる姿も捨てがたいが、今年の年越し蕎麦には黒が好物としているてんぷらが乗る。高騰し大ぶりのえびが手に入らなくなっているのにも関わらず、朝一番に魚市場へ行き、生きたままのそれを手で捌いて下ごしらえしたものだ。汁はすでに作り終えている。かつおの良い香りがしていた。

 トトノクも好きではあるが、冬夜の心が込められた蕎麦の方がもっと美味しいだろう。赤い舌がちろりと唇に乗る。


 「今日だけですよ。手を貸すのは」


 村の上空から2時間ほど飛ぶと、王城を抱える首都が見えてきた。白の背に乗ったとしても、いつもの国境からだとゆうに4時間掛かってしまう。徒歩だとどんなに走ったとしても8時間強だろうか。しかし今日はまだ2時間しか経っていない。頑張れば10時までに家に帰ることも可能だろう。紅白は途中からになってしまうが仕方が無い。

 てんぷらを揚げる時間と食べる時間、そして除夜の鐘を聞く時間。どんなに詰めても90分は欲しい。となれば制限時間は4時間50分。いける。間に合う。間に合ってみせる。


 今年こそ、家で蕎麦を食べるのだ。


 

 △▽△▽△▽△▽△▽△▽



 「トウヤ様がいらっしゃったようですね」


 家族団らんの風景が城内の一角で行なわれていた。琥珀色の液体に唇につけ、ころころと笑った少女に家族の目が向く。

 少女はこの帝都を護る魔法的結界を維持し続けている皇女だった。100年に一度の秀才といわれ、いわれた通りの実力を世に示している。少女の張った結界に引っかからない者はいない。人は生まれた時からその体内に鼓動を持っている。とくん、とくんと脈打つ音が帝都に張り巡らされた魔力糸を弾くのだ。

 しかし例外がひとり、ふたり存在している。それが冬夜であり、その父だ。このふたりを捕捉するためには魔力結界では間に合わなかった。強力な追随者がいるからではない。存在が特殊であるのだ。懇意にしている精霊に願い、その姿を探してもらう。これが最も早い。


 「いつもより随分と早いね」

 「オトも一緒かい」

 

 皇女は兄と父の言葉に答える。

 「シロ様とクロ様もご一緒ですわね。父君はいらっしゃいません。おひとりです」


 王とオトは幼い頃に出会い、意気投合したままそれぞれの道を歩いている。少年時代からオトはかわった存在だった。ふらりと報無く現れては危険な遊びに王を誘い、王だけを残して煙のように姿を消してしまう。誘われた遊び先で一人にされたことは無かったが、大人の目に触れられたくなかったのだろうと今では分かる、泥だらけのまま庭にぽつりと残された時は怒りを通り越して笑ってしまったくらいだ。次に現れたときに制裁を下したが、それすらも受け止め、懲りずに再び危険な遊びに誘ってきた。


 「注文品は…………、だったかな」

 「そうですね」


 父王と兄が目録を確認し合うのを目を伏せ、蝶があしらわれた扇で口元を隠しながら聞いていない、知らないふりをする。

 戦の準備をしているのだ。

 こちらから仕掛けるのではない。仕掛けられるほうではあるが、父と兄は切り崩しを狙っている。

 そしてその尖兵に冬夜を据えようとも目論んでいた。


 トウヤ様は、きっと頷きませんのに。


 皇女は黒髪の青年の顔を思い浮かべた。美醜でいえば良くも悪くも真ん中である、と答えたほうがいいだろう。

 夜会で出会う男は遺伝子を弄んだのかと冬夜に言わせるほど、ことごとく美しい容姿をしている。

 それはそうか。美しいものを囲い、美しいものだけを残してきたのだ。

 皇女の母もそうであった。

 父王は権を握りきるまで愚鈍といわれていたという。父には腹違いの弟がふたりおり、王位は下の弟に相応しいと、今は身罷った祖父王ですら騙されていたほどだ。


 皇女も適齢期となった。

 強く出た能力は薄まったとしても次代に受け継がれる可能性が高い。皇女の能力は帝国を支える柱のひとつとなっていた。

 失われると大きな損失となるだろう。

 そんな皇女の伴侶に、と望む貴族は多い。取り入ろうと言葉巧みに誘導してくるが、今のところなびいても良い、と思える存在が居なかった。

 なぜなら皇女がよし、とするラインが冬夜であったからだ。基準は容姿ではない。皇女は彼の飾らない言葉と、真摯な眼差しに好意を抱いていた。黒と白という強力な好敵手がいるものの、皇女も女として負けぬよう、日々肌を心を磨いている。


 騎士団が冬夜の捕縛に撃って出た。

 抜刀は許されてはいないが、どんな種類であっても魔法の使用は許可されている。

 以前からの攻防で精神系は無効と結果が出ているため、それらの使い手は追い掛け回す追跡組みのほうに配置されていた。

 また騎士達も今回は特にやる気に満ちている。今年最後だから、ではない。平常では捕まえたひとりしか金一封が出ないが、今回は功績を上げた10名に配布される。騎士といえども人だ。維持に経費がかかる。

 帝国ではこの攻防戦が良い刺激となり、騎士たちの集団行動に対する錬度を上げていた。

 国としては願ったり叶ったりである。


 今年は11戦8敗3引き分けと黒星が先行していた。初年度こそはさすがに騎士団に軍杯が上がったものの、翌年からは傾向を調べられ引き分けに、さらに翌年には負けが勝ち始めた。

 冬夜は父や皇女のような膨大な魔力を持ってはいない。どちらかといえば平均以下だろう。

 だがそれを利点としている。この世界は魔力によって成り立っており、魔力が無い生活など考えられない。魔力があって当たり前としているからだ。しかし冬夜が暮らす地には魔力が無いのだという。変わりに機械があり、日々の助けをしてくれる。

 騎士達の訓練場にある縄跳びや筋トレマシン、サンドバックは全て冬夜が運んできた異世界の道具だ。

 

 「回り込め!」


 冬夜は騎士たちの動きを察し、裏道、屋根の上と身のこなし軽く翻弄するように行ったり来たりを繰り返す。

 城壁まであと300メートルほどまで近づいたとき、大きな影がふたつ、帝都の空を舞った。

 白の龍と黒の竜だ。


 冬夜に言わせれば、黒は西洋型、白は東洋型であるという。

 ドラゴンはこの世界の頂だ。

 英雄譚などで財宝を溜め込み、力ある勇者に倒されるおとぎ話が吟遊詩人によって広められているが、それと同様である、などと思ってはいけない。財宝で満足している程度の竜ならどうというものではないのだ。帝国騎士でも討てる者達は居る。だが黒と白が守る玉は冬夜であった。

 父であるオトが冬夜を連れ帰った際、それまでは前者との約束もあり、しぶしぶと付き従っていた両者であったが冬夜を見るや否やオトの前に座し、どうか触れさせて欲しい。あなたとそのお子に忠誠を誓うから、と態度を改めたという。冬夜の何が黒竜と白龍の琴線に触れたのかは分からない。だが黒と白は冬夜を大切に、大切に想い扱っている。


 「くそっ、たれが!」


 冬夜は今年最後になる、騎士団との対決に歯を食いしばっていた。

 相手も毎回同じではない。己と同じく、その行動パタンを調べ、次に生かしてきていた。

 いつもであればもう少し迂回ルートをとっていたであろう。150人対ひとりの対決である。どう足掻いても数には勝てない。

 だが今回は帰宅時間という制限がかかっていた。意地でも年越し蕎麦を食べてやる。その一心だけで吊りそうな足を無理矢理振り上げ、レンガの壁を走っていた。


 空では時間を告げるふたりが頭上をくるくると円を描くように舞っている。

 時計を見る視線すら惜しい。城壁まで残すところ、あと120メートルまで迫っていた。

 あの壁に触れれば、この追いかけっこも終わる。


 炎が背後から迫ってくる。腹筋に力を入れ、体をひねり、かわす。多少ジャケットが焦げたが気にしない。

 水撃が目の前を横切る。体勢を低くし、瞬発力をつけ通りを駆け抜けた。

 風が舞い、素肌を裂きに来る。建物の影に隠れながら、壁を走り、ワイヤーを使って屋根に走り上った。


 その際にまきびしをばら撒いておく。引っかかった者らの中に術者がいたならば、硬式野球ボールを投げ脳震盪を起こさせる。

 魔力が平均以下であること。は不利ではない。魔法に対する感度を上げ、またその発動を邪魔できるのだ。


 あと少し。

 筋肉が悲鳴をあげている。

 たかが蕎麦のためになぜここまで頑張るのかと言われるだろう。だが冬夜は蕎麦が食べたかったのだ。

 ただ一日、日にちを跨ぐだけである。

 12月31日が1月1日になるだけだ。

 しかし去る年と来る年、たったそれだけの変化に心砕く。

 どんなに苦しいことがあっても、年を越えたから、今年は良い年になるようがんばるのだ。心機一転しよう。

 冬夜も幾つか願う事柄があった。このままではいけない。かわらなければならない。


 「っ、え、あ?」

 

 足裏に何かが転がる。

 思わず膝を付いた。脛当てをしていたため、痛みは無いが手に触れたこの感触は。


 「パチンコ玉……」


 以前、冬夜が逃走用に使った小物だった。それを回収し、使われたのか。

 もしここで父の言うとおり空を飛べたなら、確実に逃げることが出来ただろう。

 捕まればそこで終了、はいおわり、ではない。

 7日間、冬夜を好きに扱うことが出来る権利が帝国に与えられる。

 むろん衣食住は帝国側によって保障され、恐れ多くも王族の領域での生活となる。はっきりと言って、悪くない生活だった。どこかのホテルに泊まっているような感じだ。毎日これでもかというくらい肉体疲労に悩まされる事はあっても、精神を害されることも無いし、父の件で罪に問われる心配も無い。どちらかといえば心地よいほうだろう。冬夜にとってこの国は、長期休暇の際に戻る祖父母の家、のようなものだった。


 「…でも今日は、今日だけは」


 戻りたい。

 そう強く思う。

 足音が強く響いてきた。間もなく捕まってしまう。


 諦めても別段、命に関わるような拷問を受けたりしない。

 冷蔵庫に残してきた数々のおかずが痛み、その処理に泣くだけだ。



 おせちだー! シロこれ好き!

 お母様の味にそっくりになってきましたね。とてもおいしゅうございます。


 母の顔など知らない。

 家に居ない父もどうでも良い。

 ただ、いつもいつもそばに居てくれるふたりと一緒に、こたつに入り、蕎麦をすすって年を越えたかった。

 

 「負ける、かあああああああああああ!」


 体のだるさなど、自分自身にかける暗示でなかったことにするのは得意中の得意だ。

 騎士たちは重い鎧を着けている。冬夜は身軽な軽装だ。

 長時間動けるように訓練を積んでいるだろう。だがそれが仇となる。

 手を伸ばしてきていた騎士の腕を腕立て伏せから逆立ちへ、その際に腕と曲げた膝の力に任せて蹴り上げる。次いで突き出される手には下側に潜り、相手の力を利用して肩を支点に鎧ごと向こう側へ放り投げた。肉弾戦のいろは、は父にいやというほど仕込まれている。体が覚えたままを繰り返せばいい。

 ひとり、ふたりと石畳に転がる騎士の数が増えてゆく。勢いのまま突っ込んでくるものが居なくなれば使い時だろう。

 冬夜はジャケットのポケットからカードと取り出す。それにはこの世界に存在する水の精霊と、ペンギンの姿が描かれていた。

 これらを得るためにまた、両者の機嫌を伺い貢物が必要になるだろうが、出し惜しみしている暇は無い。


 破る。


 カードの中にはそれぞれの力が封じられていた。

 「それは!」


 集まってきた騎士たちが慌てて踵を返すが遅い。

 走り続けた人間の体はあがりすぎた体温を逃がすため、汗をかく。密封された金属鎧の中で動き回ったときの汗はシャツに吸われ、搾れるほどとなる。それが凍る。

 自身が持つ魔力に効果が阻害されないからこそ持てる、魔法のマジックアイテムだった。

 

 「あー、2枚は、きつい」


 発動鍵は冬夜の少ない魔力だ。空っぽ寸前まで持っていかれる。

 魔力が空になると、人間は仮死状態となるのだ。

 まだ大丈夫、魔力も体力もまだ残ってる。家に帰るまでは残ってる。自らにそう言い聞かせる。


 冬夜はその場に凍りついた多くを残し、壁向こうに鍵爪を投げ、その場を逃走する。

 勝負は、ついた。

 あとは配達の荷物を渡し、代金を受け取るだけだ。

 使ったカードを金額に直せば赤が出るが、仕方が無い。商売は買い手がいてくれて成り立つのである。

 7日間の拘束が無くなる、とするだけでも良しとするべきだ。



 ころころと皇女は笑う。

 こんなにも感情を表に出す皇女は珍しかった。

 父王も兄も、その様子に苦心顔だ。


 冬夜が持ってきた荷物は衛兵達により所定の場所へ次々と運ばれていた。

 非常用食料とアウトドア用品、そして肥料土と、アルミニウムという鈍い銀色をした金属だ。


 城に到着した冬夜は黒と白に片手づつ引っ張られ引きずられながらやってきた。

 満身創痍である。

 再会の挨拶もほどほどに、冬夜は荷物を取り出した。

 

 そう、キューブだ。

 これは冬夜の父が最も得意とする空間圧縮の技術である。魔法ではない。少なくとも王も、皇子も、そして皇女も複雑怪奇な術式を組み立てることが出来なかった。

 まずひとつめの中から出てきたのは大量の餅だった。有名なメーカーのそれ、である。ダンボールにして1000箱。それが広間にどさ、っと具現化する。ふたつめからはこれまた大量の寝袋とキャンプに必要だろう用品もろもろだった。3つめからは袋詰めになっている肥料が、4つめからは軽く持ち運びが簡単な合金が出現した。


 以上が帝国からの注文品である。黒が確認した伝票の全てだ。

 5つめを取り出した冬夜に目を細めた瞬間、ふたつの黄色い歓声をあがった。

 出てきたのは巨大な人形だ。白くふわふわとした、二本耳の人形だ。


 「遅くなったけど、誕生日プレゼント」


 巨大な兎に飛びついていたのは白だった。思わず腰を浮かせていたのが皇女だ。

 皇女は白から自身とほぼ同じである人形を引き剥がすと、冬夜に優雅な礼を返した。

 確かに欲しいと言っていたものだ。形も大きさも、肌触りも指定と寸分違わない品だった。

 

 代金を受け取ると領収書を手渡し帰途につく。

 足元がかすかにふらついていたが、自分の足で歩くことが出来た。

 帰路の途中、トトノクを持ち帰り用に包んでもらい転移門へと向かう。帝国に入るときは使わせてもらえないが、帰る時は使っても良いのだ。


 黒の操作により転移ゲートを作動させ、柿の木が植わっている庭に転送してもらう。

 すっかりと日が暮れていた。地面にはうっすらと白で化粧されている。


 冬夜は鍵を開け、家の中に入る。父はまだ戻ってきてはいないらしい。

 ほっとしたような、もどかしいような複雑な心を端に押し寄せ電気を、テレビをつけて画面を見た。

 装備を外し、金貨を金庫になおせばどっと疲労が押し寄せてくる。今日中に戻っては来れたが、蕎麦の用意がまだ残っているのだ。

 テンポのよい音楽んが流れてくる。


 「白、ちゃんとうがいしろよ」

 「ごろごろごろごろごろ!」


 冬夜は上を向いたまま返事を返してきた白に困ったものだ、と一息つき買ってきたトトノクを冷蔵庫に入れた。

 珈琲を人数分入れ、こたつの中にもぐりこむ。

 少しくらいの休憩はいいだろう。今日はいつもよりも頑張ったのだ。

 冷たい木の板にあたった頬が気持ちよかった。


 「クロ、冬夜が寝てる」

 「可愛い寝顔ですこと」


 頬に口付けを落とした黒は最愛のヒトの肩へ羽織をかける。


 「年越し蕎麦は、年越えた蕎麦になりそうですね」


 白へ、静かにしましょう、という意味で人差し指に唇を当てれば、大きく頷いた白の額がこたつ板にあたり、乾いた良い音が響く。

 黒は仰向けに倒れた白を一瞥し、愛しのヒトが入れてくれた甘い珈琲に口をつけた。


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― 新着の感想 ―
[一言] AIkaさん読んでますよ、小説頑張って下さい。
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