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Missing  作者: 逢坂
別離へのイニシエーション
9/33

8.for

8.


 ほっそりとした顎のラインが娘とよく似た、優しげな美人だった。麻耶が髪を切り、歳を取ったら、きっとこんな感じになるのだろう、と思われた。アイボリーのサマーセーターにグレーのロングスカートを合わせており、残念ながら美脚を確認することは出来なかった。本人は名乗らなかったが、真紀子という名前なのだと、こっそり麻耶が耳打ちしてくれた。

 泉が余程上手く話を通しておいてくれたらしく、真紀子さんは初対面の俺を快く迎えてくれた。客間に通されるか、最悪玄関先で応対されるものと思っていたのに、案内されたのは麻耶の使っていた部屋だった。


「狭い家で、ごめんなさいね。あまり、ちゃんとした客間というのがなくて」


 申し訳なさそうにする真紀子さんに、逆に詫びる。ありがたいくらいですとフォローした。子を亡くした親の心理なんて推し量ることもできないが、その子の部屋を、気安く他人に見せてもいいとは思わないだろう。

 麻耶の部屋は、彼女の死んだ日からそのままにしてある様子だった。ベッドの上に脱ぎ捨てられた寝間着や、勉強机に詰まれた教科書が、生活感を色濃く残している。この部屋の主はついさっき元気に飛び出していったばかりなのだと言われても、違和感が無い。


「なんだか、まだ片付ける気になれなくて。散らかってますけれど」


 断りを入れつつ、真紀子さんはラグの上の薄いクッションの一つを手で示し、座るように促した。配慮に甘えて腰を下ろした俺は、部屋を見回す振りをして、こっそり麻耶の表情を伺った。彼女は、卒業式の日の三年生が校舎を望む時のような表情で、目を細めて、在りし日の自室を眺めていた。

 麦茶を持ってきてくれた真紀子さんは、コップを手渡すと、俺の正面に静かに正座した。彼女のどこか戸惑った顔は、進行の一切を俺に任せると言っていた。仕方なく俺は、慣れないながらも型通りの弔辞を述べた。真紀子さんが、その一言一言に丁寧に応える。写真撮影を失礼無く切り出すにはまだ早いと感じ、もう少し前置きを添えることにする。


「新聞や、写真の件、不躾なお願いにも関わらず、引き受けて頂きありがとうございました」

「いえいえ、そんな。最近の高校生の子って、しっかりしてるんですね」


 意を汲みかねた俺に気付いたのだろう、真紀子さんは薄く微笑み補足した。


「学校の仲間をみんなで悼もうだなんて、立派なことだと思います。新聞部の方は、泉さん、でしたね? 麻耶とは面識もないそうなのに、とても誠実なお電話をいただきました」


 そこで真紀子さんは言葉を止め、何かを思い出すように目を閉じた。辛い電話だったと、泉は言っていた。情に素直なところのある彼女だから、きっと涙ながらの会話がなされたに違いない。


「えっと、それで、竹中さんも、麻耶とは?」


 やがて話を再開した真紀子さんは、俺も泉と同じく麻耶のことを知らないのかと尋ねた。生前の麻耶とは一度も話したことが無いが、彼女のことは嫌という程知っているつもりだ。少し迷って、首を横に振った。


「麻耶さんとは、親しくさせてもらっていました。その、告別式など、顔を出せず申し訳ありませんでした」


 嘘を誤摩化す為にとって付けた謝罪など気にもせず、真紀子さんは晴れやかな表情で目を見開いた。


「ああ、そうだったんですね。麻耶がお世話になりました」


 忙しく何度か顔を手で覆った彼女は、うれしいです、と口に出して言った。


「時々、その、誰かと娘の話をしたい気持ちになるんです。凄く。でも、身内が無いものですから、誰も……。式には、娘のお友達が沢山来てくれましたけれど、こちらから連絡するわけにもいきませんものね」


 恥ずかしそうに苦笑する真紀子さん。そういう人なんだな、と俺は思った。そうやって心の整理をしていく人なのだ。そしてだからこそ、まだ麻耶の部屋を片付けられずにいるのだろう。


「麻耶は、どんな子だったでしょう。ご迷惑は、おかけしませんでしたか?」


 問われて、反射的に麻耶を探した。俺の左後ろに立っていた彼女は、明るすぎるくらい朗らかな笑顔で頷いてみせた。胸の内からこみ上げてきた言葉を、俺はこらえることが出来なかった。


「腹の立つ人でした」


 麻耶の表情が翳る。振り返ると、真紀子さんも驚いた顔で眉を寄せていた。


「今ある幸せに満足してしまう人で。自分より周りのことをいつも優先して、他人の心配ばかりしていました。そういうところが、むかつきました。俺は多分、彼女にもっと……」


 不思議に、湧き出る声は淡々としていた。いつの間にか、真紀子さんは酷く深刻な目で俺を見つめていた。


「あなたは、麻耶の」


 首を横に振り、自ら言葉を切った真紀子さんは、すっと立ち上がると、無言で部屋を出て行ってしまった。

 残された俺が戸惑う間もなく、真紀子さんはすぐに戻ってきた。彼女の手には、小さな写真立てが握られていた。中身は、中学校の校門と思われるところに、麻耶と真紀子さんがならんで立っている写真だった。恐らく卒業式の記念写真なのだろう。今より少し幼い麻耶の、はにかんだ笑顔が写っている。やっぱり昔から写真は照れくさかったんだな、とか、二人とも本当に美脚だな、とか、妙に間の抜けた感想が次々と浮かんだ。


「先に済ませてしまいましょう。写真」


 不器用な笑みで真紀子さんは言った。


「泣いてからじゃ、目が腫れてしまいますもの」


 俺は頷いて、バッグから、泉に借りた一眼レフを取り出した。露出などを調整している間に、真紀子さんはぽつりぽつりと、麻耶のことを語ってくれた。


「私には出来過ぎた娘でした。片親で、貧乏で、沢山我慢を強いてきたのに、いつも笑っていて。つい卑屈になってしまう駄目な母親を、なんども励ましてくれて」

「若い頃から苦労して、自分は全然贅沢しないで、大事に育ててもらったって」


 カメラを構え、俺は真紀子さんの自責を遮る。


「これからは自分の幸せの為に生きて欲しいって、彼女は言っていました」


 息をのんだ真紀子さんは、痙攣するように僅かに、口元をあげて見せた。今はそれが精一杯の様子だった。閉じられた瞼から逃げ出すようにして、大粒の涙が二つ流れた。


「困りましたね。泣いてしまう前にって、言ったのに」


 手の甲で目許を拭い、真紀子さんは背筋を伸ばした。彼女が気丈でいられるうちに、俺は写真を五枚だけ撮った。写真立ては、両手で大切に抱えられていた。濡れたまつ毛が、少し揺れていた。

 俺がカメラを置き、礼を言うと、真紀子さんは糸が切れたようにうなだれ、泣いた。そんな母に寄り添うようにして、麻耶が傍に座った。柳眉が切なそうに歪んでいた。


「あの日の朝も、そうでした」


 懺悔するように、真紀子さんが漏らす。


「ちょっとしたことで、母親として自信をなくしてしまって。卑屈になる私を、あの子は慰めてくれたのに。それが余計に情けなくて、追い出すように、学校へ送り出して」

『違うの、いいの』


 麻耶は懸命に首を横に振るものの、その声が届くことは無かった。真紀子さんは続ける。


「あれが、最後だったのに。愛してるって、気をつけて帰っておいでって、言ってあげなきゃいけなかったのに。酷いことばかり言って、私は……」

『いいよ。気にしてないよ、そんなの。全然、全然だよ』


 空回る懺悔と許しに、俺は唇を噛む。ひとしきり泣いてから、取り乱して申し訳ないと、真紀子さんは詫びた。我慢できなくなり、口を開く。


「違うの、いいの。いいよ。気にしてないよ、そんなの。全然、全然だよ」

『ちょっと、由稀、どうしたの?』


 真紀子さんも、麻耶も、唖然としていた。最初の一言だけなら、俺自身の返答としても、ギリギリ通用しそうだった。迷いを振り切って、続ける。


「ちょっと、由稀、どうしたの?」

『馬鹿、やめなよ由稀、いいって』

「馬鹿、やめなよ由稀、いいって」

『やめてよ。お願い。もういいんだって』

「やめてよ。お願い。もういいんだって」

「竹中さん?」


 訝る真紀子さんを無視して、俺は麻耶をじっと見つめた。そこに確かに一人の少女が存在するのだと、気付いて欲しかった。


『私だって、本当は、ずっと……』


 肩を落とし、観念したかに見えた麻耶だったが、途中で言葉を飲み込み、やっぱり駄目だとばかりに唇を噛んだ。


「私だって、本当は、ずっと一緒に生きていたかった」


 構わずに、言い切る。真紀子さんは目を見開き、麻耶は、へたくそな微笑を隠すように、両手で顔を覆った。

 麻耶が、菊池や真紀子さんをわざと避けていた理由も、今なら多分わかる。情が移ってしまうのを恐れていたのだろう。彼女はきっと、自分はちゃんと消えなければならないと信じていた。


『ごめんなさい。一緒に生きてあげられなくてごめんなさい』

「ごめんなさい。一緒に生きてあげられなくてごめんなさい」


 言い募る麻耶の台詞を残さず繰り返す。真紀子さんは、俺の声に黙って耳を傾けていた。体は気持ち右向きで、涙を流れるに任せて。


『二人っきりだったのに、一人にしてごめんなさい。幸せだったのに、愛してくれたのに』

「二人っきりだったのに、一人にしてごめんなさい。幸せだったのに、愛してくれたのに」


 どうか悲しまないで欲しい、悔やまないで欲しい、と。麻耶は、愛する人たちが自分の死をちゃんと乗り越えてくれるか心配していた。それが死して後強く残る懸念であり、未練だった。正しいさよならをする為に、彼女は現世に留まっていた。


『不満なんて、一つもなかったよ』


『鍵っ子でも良かった』


『貧乏でも良かった』


『母さんさえいてくれれば、それで』


 それ以上は望まないと、思う気持ちに嘘は無かったはずだ。彼女は、それが出来る人間だった。幸せだったからもういいんだと、きっと、心の底から。


『母さんのお下がりの服、好きだったよ。大人っぽいって褒められて、誇らしかった』


『料理を覚えるのも楽しかった。母さんいつも喜んでくれたし、意外と家庭的って、みんなに驚かれるのも、くすぐったくて』


『素直でいようって、思ったよ。幸せなんだって、伝わるように、いつも明るく、笑っていようって』


 だから、恐れていたのは、自分の心変わりだけだ。もしも麻耶が、もう少しだけ一緒にいたいと求めてしまったら、菊池や真紀子さんの心は、もっと痛んだだろう。話せたとしても、触れられたとしても、それらはみな、来るべき二度目の別れを辛くする。

 そうしてしまいたい気持ちも、少しはあったに違いない。けれど麻耶は、諦めようと心に決めていた。一緒に生きてゆけないのなら、いっそ、すべてを。


『今までありがとう。母さんの娘で、良かった。だから、ね、どうか』


 続く願いを秘めたまま、それっきり、麻耶は黙ってしまった。瞳を閉じて、俯き、二度と口を開く気配がない。今のが、彼女の選ぶ最後の言葉だったのだ。


「もう一枚だけ、写真を撮りましょう」


 区切るように咳払いして、提案する。麻耶と真紀子さんは、二人そっくりに、薄い、不器用な微笑を浮かべて、俺の方を見た。どちらも頷きはしなかった。代わりに、そっと、居住まいを正した。写真立てを床に伏せた真紀子さんは、娘のいる方に、少しだけ首を傾げる。


「私も……。私も」


 別れを躊躇うように、真紀子さんが繰り返す。消え入りそうな、微かな声だった。麻耶は唇を噛んで、ぎゅっと、スカートを握りしめた。


「笑ってください」


 カメラを構え、俺は言った。次にファインダーから顔を上げたとき、麻耶はもうそこにはいないかも知れない。そんな恐怖に怯えながら、震える指でシャッターを切った。それは、別離の為にどうしても必要な通過儀礼だった。






第一章「別離へのイニシエーション」終


第一章終了。

二章は、園村色編です。

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