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Missing  作者: 逢坂
別離へのイニシエーション
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7.now or never

7.


 商店街を抜け、国道沿いに北へ歩く。広めの歩道には自転車に乗った学生が行き交っていた。午前中から活発なことである。個人的には、夏の日差しなんてあまり浴びたくはない。

 俺と麻耶は犬伏家、つまりは麻耶の家に向かっていた。


「学校の仲間が亡くなったってゆうのに、それをあっさり流してしまうんは、ダメな気がしてまして」


 朝っぱらから我が家のリビングに乗り込んで来てテーブルについた泉は、予想よりも遥かに真剣な調子で用件を語った。別に騒ぎたてたいわけではなくて、ただ、新聞部として全校にこの悲しい事実を伝えて、皆で悼む機会を作りたいのだそうだ。


「今日の昼前に、ちゃんとアポも取ってるんです」

「周到だな。とはいえ、写真だけ撮っても仕方ないだろ。御遺族にインタビューしたいなら、結局お前が自分で行くしかない」

「いや、お話は、アポの電話をしたときに、もう伺ったんです。それで、私、その、心折れてもうて、顔合わせてもうたら、仕事できる自信なくて」


 申し訳なさそうに俯く泉。もともと小さい体がさらに縮こまっていた。


「じゃあ俺は、遺影でも抱いて一枚撮らせてください、の一言のためだけに娘を亡くされた人のところへ行くのか? あのな、確かに俺は冷血な人でなしかも知れんが、それと面の皮が厚いのとは……」

『行こう』


 まるで遊園地にでも誘うような、明朗な声が、背後から突き刺さる。危うく振り返りそうになり、俺は反射的に言葉を止め、身を強張らせた。

 笑っているのだろうか、彼女は、今。笑えてしまっているのだろうか。


『行こう、由稀。お願い』

「……ああ、もう。わかったさ」


 脱力しながら頷く。泉が無言で目を見開いた。どいつもこいつも、人の気を知らないで。文句の一つも言いたいところだが仕方ない。麻耶の助けになると決めたのだから、泉の提案は、いっそ好都合なくらいだった。

 麻耶の道案内に従い、住宅街へ入る。喧噪が遠ざかり、代わりに掃除機やテレビなどのささやかな生活音が漏れ聴こえてくるようになった。傍らの幽霊の表情は明るい。家族について彼女の中でどういう処理がなされているのか、俺は考えを巡らせていた。もしも会いたいのならば、もっと早く、何よりも先に言い出したはずだ。もう二度と、顔を合わせることすらできなくなるところだったのだから。幽霊としての時間に限りがあるのならば、残された時間すべてを家族と過ごしたいと思っても不思議はない。

 なのに、麻耶はそれをしなかった。恋人にも、家族にも、会いたいと口にせず。それを未練と自覚していながら、ただ漫然と俺との日々を過ごして。それでよかったのか、彼女は。


――諦めるための時間をくれるんじゃないかな。


 ため息が出る。なんて馬鹿なヤツ。自分勝手で、個人主義で。


「むかつく」

『え?』


 麻耶が首を傾げたが無視する。もういい。どういう心境の変化かはわからないが、今は自分から行こうと言いだすようになったのだ。


「俺の両親は、駆け落ちして一緒になったんだ」

『もう、さっきから突然なに?』


 呆れたように笑う麻耶。


「親父はもともとひとりぼっちの売れない芸術家で、良家のお嬢様だった母さんは家族の反対を押し切って結婚した。多分勘当されたんだろうな。新婚時代は滅茶苦茶貧乏だったらしい。母さんの昔の持ち物を売ってなんとか食いつないで、そんな中俺が産まれて、さてどうしたものかとなった時に、運良く親父が一山あてた。あ、どっち?」


 T字路にさしかかり尋ねる。麻耶は慌てて右を指差した。


「小さい頃、何枚か絵を見せてもらったことがあるけど、うちの親父に芸術の才能はなかったな。ただ、幸か不幸か商才はあったらしく、美術商として成功した。おかげで一気に生活が楽になった。小金が貯まった頃、母さんの実家からよりを戻そうって提案が来たらしいけど、まぁ二人とも意地があったんだろ、きっぱり断って、それからは世界中の金持ちを見返してやるんだって勢いで働きだした」


 右折した先は細い路地だった。人通りはない。長々と独り言を呟く姿など見られるわけにはいかないので助かった。


「俺が小学生になる頃には両親はほとんど家に帰らなくなった。折よく俺の方もしきの家に入り浸るようになったから、各々色々と都合は良かった。うちの両親は色の才能に惚れてたし、向こうの親も、問題児の数少ない友人ってことで、俺にはよくしてくれてた」

『あー、確かに、言われてみれば由稀のご両親はあんまり見ないかも。でも、あれだね、なんか運命的だね』

「あ? なにが」

『だってほら、由稀の家とご縁があれば、園村さんは将来画家として生きる時に便利でしょう? もしも由稀がご両親の仕事を継げば、二人はパートナーとしてぴったりじゃない』


 確かに、画家が画家として生きる上で才能の次に重要なのが商業的なパートナーだ。時には、後者の影響力が前者を上回ることすらある。実際、両家の判断で、今まで描いた色の作品はすべて我が家にストックされている。彼女が十八歳になったら売りに出すという約束だ。特例的に、収入の殆どは園村家に還元される。それでも十分、こちらには得な商談だった。色の作品を独占できることの価値は計り知れない。既に一年後の予約が多数寄せられている。宣伝効果も尋常ではないだろう。だが。


「俺はあまり、あいつを金の世界に巻き込みたくない」

『……そう』


 頷く麻耶は妙に優しい顔をしていて、俺は猛烈に気恥ずかしくなった。頭をかき、目一杯不機嫌そうな顔を作る。


「ほら、次は、あんたの番だぞ」

『え?』

「家族の話だ」


 そこで麻耶はふっと吹き出し、芝居がかった仕草で口元を手で押さえ笑った。腹筋に力が入るのを俺は自覚した。


『由稀はさぁ、器用な不器用さんだよね』

「うるさい」


 努めて低く唸る。仕方ないだろう。死別した家族のことをストレートに尋ねられるほど、俺は無神経ではない。


『うちはねー、いわゆる母子家庭ってやつ』


 ひとしきり笑ってから、麻耶は話しだした。


『お母さんは十九の時に一人で私を産んで、それからもずっと一人で私を育ててくれた。親戚がいないって点では、由稀のところと同じかな』


 路地を抜けると川沿いの道に出た。横一線に並んでいるのは桜並木だ。春には散った花びらが川に流れ、さぞ綺麗なことだろう。

 あとはずっとまっすぐ。麻耶は上流を指差し先を歩いた。


「それだけか?」

『え?』

「家族の話」


 麻耶は困ったように腕組みをし、空を見上げた。


『そーだなー。まだ若いし、母さんは私に似て美人で美脚だよ』


 ん? 逆かな? などと言っておどける。俺は目を細め、段々とこの幽霊の嘘やごまかしを見破れるようになってきた自分に感心した。


「そうじゃない。会ってどうするつもりなんだ、これから」

『どうって言われてもなぁ。向こうは私が見えないわけだし、どうしようもないよ。一方的に、最後に一目会っておくだけ』


 彼女はこちらを向かず、前に進みながらヘラリと笑った。怒鳴り散らしたい衝動を抑え、俺はゆっくり立ち止まる。麻耶は少ししてからそれに気付き、いぶかしげな表情で振り返った。


「麻耶、今度こそ、ちゃんと母親に触れろ。向こうはその感触が理解できないだろうけど、構うもんか、抱きついておけ。菊池の時は我慢したが、もう限界だ。あんたは俺に朝飯を作ったりひったくりを捕まえたりするために幽霊になったわけじゃない。そうだろ?」


 可能な限り静かな声で、溜め込んでいた怒りをぶつける。偶然すれ違った人々の視線など知ったことか。麻耶はしばらく無表情でじっと立ち尽くしていたが、やがてふわりと微笑んでみせた。その笑顔のあまりの凄まじさに、俺はぞっとする。まるで彼女が遥か彼方にいるような、そんな錯覚を抱いた。


『優しいね、由稀は』


 気がつくと、俺は麻耶に抱きしめられていた。だが、何の感触もない。肩に乗せられた頭や、回された腕は見えるというのに、触覚は目の前の事実を否定している。


「あんた、まさかもう」

『貧乏っぷりなら、うちは多分昔の由稀の家にも負けてないよ。お母さん、私を育てるために、二十歳の頃からずーっと苦労してさ。自分は全然贅沢しないで。まだ若いのに結婚もしないで。……だからね、これからは自分の幸せのために生きてって、それだけ伝えて?』


 耳元で、麻耶はそっと囁いた。

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