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Missing  作者: 逢坂
別離へのイニシエーション
4/33

3.running away

3.


 小学生時代のいつだったか、真剣に色と絶交しようと思ったことがある。別に、彼女に何かをされたわけではなかったように記憶している。ただ、きっと気付いてしまったのだろう。彼女と共に過ごすことで失うものもある、と。

 もともと、彼女に関わることの危うさは幼いながらに察していた。けれど、涙や笑顔に流されて時を重ねるうちに、いつの間にかその危険性を忘れてしまっていた。色との時間が目まぐるしすぎて、他のことを顧みられなくなってしまっていた。だから、多分、ある程度賢くなり視野の広くなった当時の俺は、自分が今まで失ってきたものと、この先取りこぼしていくであろうもののあまりの多さに愕然としたに違いない。

 その頃既に、絵を描くことをあまり楽しいと感じられなくなっていた。写実的な上手さなら、我ながら小学生としては上等だったし、その力は相当目が肥えているであろう色の両親も認めてくれていた。けれど、それだけだった。俺の絵には、色のそれにはある何かが決定的に不足していた。彼女の絵を素晴らしいと感じるたび、その俺に欠けている部分こそが絵画の本質なのだと思うようになっていった。努力はした。が、俺には無理だった。どうしたって色のようにはなれなかった。俺の絵はいつまで経ってもどこか欠けたままで、少しの感動も生み出さなかった。

 また、そういった芸術面での行き詰まりもさることながら、人間関係の悪化も当時の俺にとっては深刻だった。色には友達がいなかった。子供のくせに化け物じみた画力を持ち、休み時間には専ら絵ばかり描いている奇妙な転校生。最初のうちは物珍しさから興味を持っていたクラスメイト達も、すぐに彼女をつまらない人間と判断し、離れていった。最後まで残ったのが誰よりも彼女を避けようとしていた俺一人なのだから皮肉な話である。

 しかし、自分のそんな状況を色は気にしていない様子だった。ひょっとすると、当時の彼女は絵さえ描ければそれで良かったのかも知れない。好かれこそしなかったものの嫌われるわけでもなく、苛められたりすることもなかったため、さして問題を感じなかったのだろう。

 そして、そんな色に付き合っているうちに、気が付けば俺まで友人がいなくなっていた。小さな頃の話だ。周りの生徒にしてみれば、妙に仲の良い一組の男女を少しからかっているつもりだったのかも知れない。もともと俺の人付き合いが悪かったのもあるから、当然一概に色の所為だけとは言えない。ただ事実として、彼女と一緒にいた結果、俺は孤立していった。体育にしろ遠足にしろ、どうしたって男子同士でグループを作ることになる学校という場において、それは思った以上に煩わしい事態だった。


『でも、何だかんだ言って未だに二人は離れてないよねー』

「まぁ、結局はな」

『趣味よりも友達よりも、園村さんの方が大事だった?』


 茶化すように麻耶が訊く。


「その表現では語弊がある」


 歳の割に上手いとは言え、所詮はお絵かきレベルだった十歳そこいらの頃の絵も、当時の俺にとっては等身大の、精一杯に大事なものだったはずだ。人付き合い諸々についても同じ。それら全部を色一人の存在のために捨てることは出来ない。少なくとも、あの頃の俺にはそんな風に思うことは不可能だった。

 だから、ただ、そういう結果があるだけだ。

 俺は色から離れようとした。けれど、結局今も一緒にいる。結果として、そういう事実が生まれただけの話。


『語弊? じゃあ、実際のところはどうなワケ?』

「秘密だな。話す義理がない」

『うっわ、なにそれー。自分から話だしといて』


 口を斜めにする麻耶を無視して、俺は美術室への階段をのぼった。なにも、好きでこんな話をしたわけではない。よく笑う印象が強かったからだろうか、家で見た麻耶の寂しげな表情がどうしても頭から離れず、小さな罪悪感が拭えなかった。だから話した。学校へ向かう道中が気まずかったのもあるし、何より、自分も少しは損をしなければ不公平な気がした。


『どうせアレでしょオニーサン? 本当は壮大な愛のドラマがあったんだけど、今更になって言うのが恥ずかしくなったってヤツ』


 幽霊が意地悪い表情をする。そういうわけじゃないと、胸の中だけで返事をした。強いて言うならなし崩しだろう。世の中には白黒ハッキリしないことの方が多く、往々にして、気が付けば今ひとつすっきりしない微妙なところに着地している。そんな風にして俺と色は、明確な答えや大きな変化もないままにここまで来てしまった。それは決して、珍しいことでも悪いことでもないだろう。みんな同じはずだ。誰だって、フィクションみたいに劇的な日々ばかり送りはしないのだから。

 四階分の階段をのぼりきり、美術室に辿り着く。中に入るのを少し躊躇った。昔話なんてするものではない。


「――あ、竹中さん。どしたんです? そんなところに突っ立って」


 ガラリとドアを開け、立ちつくす俺の前に一人の少女が現れた。泉花いずみはな。ふわふわした髪が特徴的な童顔で、色と同じくらいの小柄な体格の後輩だ。泉は桜色のTシャツに学校指定の紺のハーフパンツという、いかにも夏休みらしいラフな格好をしていた。


「別にどうもしやしない。久しぶりだな泉」

「あ、はい、ご無沙汰でした。今日も足繁く通い婚ですか? 残念ですけど、園村さんはいませんよ」


 軽く頭を下げる泉は、そう言って後ろ手にドアを閉めた。新聞部の彼女とは、校内誌に掲載する写真の撮影を依頼された時からの付き合いだった。何かと俺に関わっているうちに写真に興味が出たらしく、一時期は殆どこちらの部員のようになっていたが、夏休みの頭頃から会うことが少なくなり、気が付くといなくなっていた。聞くところのよると、またどこか別の部活に入れ込んでいたらしい。


「いない? 来てないのか」

「さっき画材買いに出てったんです。ワケあって私、これから後追うんですけど、一緒ん来ます?」


 四国出身という泉が方言の抜けきらない声で提案する。


『とーぜん行くよね』


 二人の少女から挑戦的な目を向けられた俺は、素直にのぼったばかりの階段を下り始めた。校舎を出るまで一度も振り向かないのはせめてもの抵抗だった。小さな後輩も背後霊も、どうせ嫌な笑みを浮かべていたに決まっている。

 俺達が通う高校は少し長い坂の上に建っており、その麓にはちょっとした商店街があった。学校が近くにあるおかげか、どの店もそれなりに繁盛している。ただ、学生が多すぎて他の地域住民との折り合いが付けづらいことだけが玉に瑕だった。学生を受け入れるためには自転車の通行を黙認せざるを得ないが、そうすると老人や子供との接触事故が起こる。似たような問題が他にも色々とあった。

 俺達がやって来た時、商店街は歩行者も自転車も非常に多い状態だった。時刻は昼前。食事時な上、今の時期は学祭の買い出しがマメに行われるため、自然と人口密度が高まっていた。


「園村さん、行ったはええけど財布忘れちゃったらしいんですよぉ」


 天然ですよね、と呆れた顔で泉が言う。彼女は軽い服装に、家庭科の授業で作ったような手作り臭漂う小さな布製のバッグをかけていた。女子高生の割に見た目に無頓着すぎる、と一見思うが、商店街までは校庭の内、という感覚がうちの学生にはあるため、さほど目立つ姿ではない。


「そんなのは今更だが――そもそもなんでお前美術室に?」

「そりゃあ、竹中さんに会おう思ったらあそこで待っとるんが賢いでしょ」


 ニヤリと笑うちびっ子。図星だとしても、まったく彼女はもう少し発言を控えるべきではないだろうか。別に俺は、歳の差まで越えて気軽にからかい合う程、この無礼な後輩と友情を深めたつもりはない。もっとも、俺自身が日頃そういった常識を気にしないため、あまり強くは言えないのだが。


「なんだ、俺に用か」

「はい。また、新聞部用に写真お願いしたいんです」

「そんなのお前が撮ればいいだろうが」


 俺だって趣味でかじっているだけなのだから、今となっては実力的に泉とさしたる差はない。むしろ、女のくせにごつい一眼レフを使っている彼女の方が余程それらしかった。


「私は……苦手なんです、今回みたいなケース。だから、ここは冷血漢の竹中さんにお願いしょうかと」

「説明不足だな。断るぞ」

「まぁそうおっしゃらず。学校帰ったらちゃんと話しますから」


 そう言って、彼女は誤魔化すように曖昧な笑みを浮かべる。気が付けば、もう色がいる文具店まで後少しの所まで来ていた。体格の差があるため、色や泉と二人で歩くとどうしても俺の方が前へ出てしまう。話しづらいのでいつもはある程度歩調を合わせるが、この時俺はハッキリしない泉の態度に多少不機嫌だったこともあり、文具店へのわずかな間だけは彼女を背後に置き去りズカズカと歩いた。

 ほんの一瞬のことだ。だが、その一瞬の間に事は起きた。泉の悲鳴が聞こえたのは俺が店のドアに手をかけた瞬間のことだった。振り返り際、視界を走り抜ける黒い影。尻餅をついた泉は影を目で追い、引きちぎられたバッグの肩ひもを握りしめて、え、何? と呟いた。


「引ったくりだろーが」

『引ったくりでしょ!』


 異口同音に叫び、反射的に俺と麻耶は影を追った。徒歩で逃げる犯人の足はさほど早くないのだが、いかんせん人混みが酷くてなかなか距離が縮まらない。夏場にライダースーツにフルフェイスヘルメットの黒ずくめだなんてあからさまな不審者、誰かが捕まえるのを手伝ってくれてもいいものだが、そんなお人好しは一人も居なかった。


「埒があかないな」


 100メートルほどつかず離れずを続け、漏らす。文化部の体力はそう多くないし、精神面でも向こうは必死だ。正直、そろそろ追いかけるのが億劫になってきていた。どうせバッグの中に大した物も入っていないだろう。

 しかし傍迷惑な犯人である。もう少しちゃんと、価値のありそうな鞄を狙ってくれれば、俺がこんな苦労をすることもなかったというのに。


『ちょっと、なに諦めてるの? ここは元陸上部にまっかせなさい!』


 速度が落ち始めた俺に檄を飛ばし、麻耶が一直線に人混みを“すり抜けていく”。それは反則だろう、などと文句を言うよりも早く犯人に追いついた彼女は、目一杯相手の服を引っ張って足止めを始めた。突然の怪奇現象に驚き藻掻く犯人。悠々と追いついた俺は、思い切り肩をぶつけてその体を吹き飛ばしてやった。倒れた相手を抑えつけるべく距離を詰める。しかし思った以上に犯人は機敏で、こちらが接触するより一歩早く立ち上がった。駆ける勢いのままもう一度体当たりしようとした俺は、すんでの所で相手の手に折り畳み式のナイフが握られていることに気付いた。

 慌てて身を捩る。脇腹すれすれでナイフはかわせたが、代わりにバランスを崩し、今度はこちらが地面に倒れてしまった。


――あ、やばいな。

 

 逆手持ちでナイフを振りかざす黒い影を見上げ、俺はぼんやりと思った。今度は避けられない。覚悟を決めて目を閉じる。が、痛みはなかなか訪れなかった。不審に思って目を開けると、俺の顔のすぐ真上で麻耶の手がナイフを握り止めていた。


『由稀、早く!』


 叫び声に弾かれて、転がりながら身を起こす。麻耶が手を離した瞬間を見計らい相手の手元を蹴り上げた。弾き飛ばされたナイフを一瞬だけ目で追い、結局それを拾うことなく犯人は商店街から人気のない脇道へ逃げた。俺と麻耶は迷わず後を追った。泉の鞄が持ち去られたままだったからだ。


「鞄を返せ! そうすればもう追わない!」


 しばらくは普通に路地を追っていたが、いい加減面倒になって俺は言った。別に、犯人をどうしても捕まえたいわけではない。物さえ戻ればそれでいいのだ。死ぬ思いまでしたのだから、ここまで来て成果無しでは馬鹿馬鹿しい、と、その程度の理由で追いすがっていた。

 泉のバッグなんかに危険を冒してまで奪う価値はないと気付いたらしく、何度か振り向き俺の姿とバッグを見比べると、ついに犯人はくるりと体ごとこちらへ振り返り、大きく振りかぶって俺の遙か後方までバッグを投げ捨てた。

 俺がそれに気をとられているうちに逃げる算段だったのだろう。実際犯人はまたすぐ全速力で駆け出そうとしたし、俺と犯人の間にはそれなりの距離があり、ゆっくり立ち止まるならまだしも、一瞬別の挙動をした程度でその差が縮まるはずもなかった。

 だが、麻耶との距離は違う。

 死にものぐるいの犯人に限りなく拮抗していた元スプリンターの彼女は、相手の速度がわずかに落ちた瞬間完全に追いつき、飛びかかるようにして無理矢理ヘルメットを脱がせた。そのやり方は強引極まりなく、かなりの負担を首に受けた犯人はうめき声を上げてその場に転がった。


「でかした相棒」


 それを見た俺は走るのをやめ、ポケットからデジカメを取りだして露わになった犯人の顔を何枚か撮った。汗だくで前髪を張り付かせた顔は存外に若い男のもので、学生くらいに思われた。機械音に気付き、血走った目でこちらを睨みながら男はよろよろと身を起こす。再度攻撃しようとする麻耶を振り切って、相手は今までにない俊足で襲いかかってきた。

 その鼻先を、蹴る。

 今度は相手も素手だったので、落ち着いて足が出せた。突如出血を始めた自分の鼻を押さえ、犯人は目を白黒させて退散した。

 黒い影が見えなくなったのを確認して、深く息を吐く。握りしめていたカメラをポケットに戻し、俺は背後に捨てられっぱなしだった泉のバッグを拾いに行った。 

 

『すごーい、漫画みたいな回し蹴りだったねー。なに、空手とか習ってたクチ?』

「昔、少しだけな。身を守る力くらいあれば便利だなって、誰でも一度は思うだろう?」

『ははーん、ナイトになるのも大変なワケね』


 したり顔の麻耶を無視し、バッグの中身を確認する。幸い泉の持ち物に破損は見られなかったし、泉と色、どちらの財布も無事だった。ふと思いつき、色の財布の中身を見てみる。残念ながら目当ての物は入っていないようだった。


『こらこら相棒、なーに乙女の秘密を物色してんの!』

「誰が相棒だ」

『由希が自分で言ったんじゃない』

「言ってない」

『言った』

「言ってない」

『つーかアレでしょ? こんな必死になって鞄取り返したのって、園村さんの財布が入ってたからでしょ?』

「まさか」

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