2.so in vain
2.
二日が過ぎた。幽霊に憑かれたといっても、麻耶が何か悪さをすることもなく。今までと何ら変わりない日々が過ぎていった。
もともと友人の少ない人間だったため、必然的に色といる時以外は麻耶と二人っきりになることが多かった。いくら興味がないとはいえ、一日中付きまとわれていればある程度会話をする。麻耶のおしゃべり好きな性格もあり、普通の友人と変わらない程度には、俺達は互いのことを知った。
「表情が固い」
『自覚してるんだから、わざわざ言わないでよ。写真って苦手なの』
「別にモデルみたいにポーズをとれとは言わんから、自然にしてりゃいいさ」
言われて、逆に一層固まる麻耶。いつの間にか定位置となったベッドの上に、見えない足を折り畳んで正座している。いつもはヘラヘラとしているくせに、カメラを向けられた途端まるで人が変わったようだった。
『ねぇ、やっぱりやめない?』
「俺の部活動が知りたいって言ったのは、あんただろうが」
『まさか写真部だなんて似合わない部活に入ってるとは思わなかったのよ!』
「余計なお世話だ」
脅すようにシャッターに指をかけると、麻耶は観念したように息を吐き、少しだけ俯いた。スカートをギュッと掴む仕草は幼く、けれど、震える伏し目は大人っぽかった。
色の影響ですっかり絵を描けなくなってしまった俺は、それでも芸術の分野から完全に抜けることは出来ず、筆とパレットの代わりにカメラを持つようになった。もともと自分の絵が、色のそれのように己の内面を昇華させた結果ではなく、美しいと感じたものを写実的に切り取るための手段に過ぎないことを自覚していたからだ。カメラといっても本格的なものではなく、薄くて軽い、女性が好みそうなデジタルカメラを使った。あまり本腰を入れすぎないようにという自戒からくる判断だった。色のような天才が再び現れた時、第二の趣味まで挫折してしまっては困る。
『ほら、やるなら早く、いっそ一思いにやっちゃって』
「そりゃ撮るのは一瞬だが、大仰な」
実は、覗き込むディスプレイに麻耶の姿は映っていない。鏡にすら映らない幽霊なのだから当然といえば当然だ。けれど、教えない方が反応が面白いので黙っておくことにする。あるいは、心霊写真が撮れる可能性だってゼロではない。
ピっと間の抜けた機械音がし、一拍遅れてシャッターが鳴った。すぐに撮れ具合を確認しようとした俺を、麻耶が血相変えて止める。
「なんだよ、ちゃんと撮れてるか気になるだろ」
『絶対ダメ! 見たら呪い殺すわよ』
鬼の形相に思わず怯む。何度か色に同じ台詞を言われたことがあるが、やはり本物の幽霊は迫力が違う。呪い殺されたくはないので素直にカメラを置いた。本当にそんなことが出来るのか気になったが、出来ると答えられた時心の整理に手間取りそうだったため、尋ねるのは控えた。心底見られたくないらしく、麻耶はわざわざカメラを手に取ると勉強机の引き出しの中に隠した。そんな労力使わなくてもいいのに、と感じたが、彼女の自由なので口にはしない。
この二日間のやり取りで、俺は“幽霊にも寿命がある”という事実の本質をどうにか理解した。曰く、彼女らが現世に留まれる時間は最初からある程度決まっているらしい。最も重要な基準は“未練”だ。現世に未練があるから彼女達は霊になるのであり、その内容によって霊としての寿命も決まる。
大原則として、未練がなくなれば成仏して消える。彼女達はもともと、やり残したことをこなすために必要な最低限の時間しか与えられていない。神様なりの厳しさなのか何なのか、理由はわからないが、とにかくそういう仕組みなのだそうだ。取捨選択の法則は絶対のため、未練の内容が凄まじい場合は長い時間を与えられる代わりに人間味が極端に薄い。逆に慎ましい望みだけを抱いて現世に残る場合、麻耶のように比較的生前に近い状態で短く濃い時間を過ごすことになる。
また、成仏することを第二の死とするならば、彼女達はこの世に舞い戻った瞬間から“徐々に死んでいる”。時間が経つ、あるいは未練が薄くなるにつれて、幽霊達の存在はだんだんと消えてゆくらしい。麻耶が物を掴んだりする時も同様。要するに、すべての源となる命のストックがあって、幽霊はそれをどうにかやりくりして想いを果たしていくわけだ。実際、節約しなきゃと言って、麻耶は三日前に朝食を作って以来、今まで物に触れることはなかった。
この話を聞いてわかったことは、麻耶と過ごす時間はそう長くはないということと、やはり彼女には何か現世への未練があるのだということ。自分の望みは慎ましいと説明したところからして、何が諦めきれなくて霊になったのか、自覚はあるようだ。しかし、麻耶は何も言い出さない。
理由はわからないが俺に取り憑いている以上、彼女は俺の行く先にしか移動出来なかった。どこかに行きたいだとか、何かをしたいだとか、そういう望みがあるのなら、必然的に俺へ協力を求めるはず。
真意は知る由もないが、とにかく、彼女には彼女の事情があるのだろう。好きなようにさせて、頼まれた時だけ助けてやればいい。初めて会った時ならいざ知らず、それなりに親しくなった今なら、多少の無理もきいてやれる。彼女が幽霊としての寿命を縮めてまで作ってくれた朝食。その分の借りくらいは返しておくのが道理だろう。
「なぁ、あんた」
カメラにはもう近付かないという意思表示としてベッドに仰向けに倒れこみ、問う。まだ、気になることが幾つかあった。
『あんたじゃなくて、まーやーさーん。一応私の方が歳上なんだから』
机に飾られた俺の幼い頃の写真を眺めながら、麻耶が訂正する。
「なぁ麻耶」
『敬称が抜けてるぞー』
「そういう幽霊としての知識って、一体誰から聞いて知ったんだ?」
『べっつにー。最初っから知ってただけですよー』
唇を尖らせ、ふて腐れたように幽霊少女は答える。
「最初からってどういうことだよ」
『そのまんまよ。幽霊になった瞬間から、頭の中にそういう情報があったの。普通に生きててもよくあるでしょ、いつどこで何から得た知識かは憶えてないけど、とりあえず記憶にあるってやつ』
つまり、幽霊として生活しやすいように神様が前もって刷り込んでくれたデータがあるということだろうか。神だの霊だの、そんな胡散臭いものたちを真剣に信じるような日が、まさか来ようとは思わなかった。
「なるほど。――話は変わるが、メディアを騒がす悪霊達ってのは、どうして時間切れで消えないんだ? 麻耶の説明を信じるなら、人や物に触れて害を与えるような真似してたら、あっと言う間に幽霊としての寿命が尽きるはずだろう? やっぱり人間を襲うと力が増したりするのか」
『はぁ?』
不機嫌そうな様子から一変し、素っ頓狂な声を上げる麻耶。目を大きく見開き、奇妙なものでも見るように俺を見つめる。
『なーに言ってらっしゃるのアナタ。悪霊なんているわけないじゃない』
「いない?」
『そうそう。なに? 由稀ってオカルト信じる人だったの? デマに決まってるわよそんなの』
そう言って、オカルト以外の何物でもない幽霊少女は笑い転げる。馬鹿にしたような笑みが悔しい。
「なんだよ。麻耶だって霊が足を引っ張ったりするって言ったろうが。海で悪霊に足引かれたとか、よくあるだろ」
『私が言ったのは例え話。――いいかな? 竹中由稀クン。悪霊なんてこの世に現れっこないの。なぜなら、死んだ人を幽霊にするかは神様が決めるから』
人差し指など立て、芝居じみた仕草で麻耶が諭す。
『幽霊にとっては、未練の内容がそのまま“理由”でもあるわけ。神様だって、ろくでもない理由で、わざわざ死んだ人を蘇らせたりしないわよ。助けてあげたいなって思えるような真っ当な事情のある人だけが現世に戻れるの。だから、悪意を持った幽霊なんていない。呪いとか復讐とか、そんな理由じゃ神様は許さないから』
もともと世間一般の幽霊なんてものは全部眉唾と言われていて、それを示す証拠も沢山ある。要するに、俺達が作り出した偽物の幽霊と、麻耶達本物の幽霊の二種類がこの世にはいるわけだ。そして、実在する幽霊というやつは基本的に善良らしい。
「じゃあ、幽霊になれないまま素直に死んでいく人もいるってことか」
『そりゃあそうよ。何の未練もなく大往生を遂げた人とか、すっごく悪質な願いを抱えて死んだ人とか――』
「実現不可能なことを願うヤツ、とか?」
指折り数える麻耶に合わせて、ふと思いついた例を口にしてみる。未練という名の願いを叶えることが幽霊の意味だとしたら、叶わぬ願いを持った死人は蘇っても仕方がないのではないか。
『不可能を望む人も、神様は幽霊にしてくれると思うよ。多分、そういう人には――』
躊躇うように言葉を切る麻耶。窓の外を眺め、苦笑いなどしている。
「そういう人には?」
このままでは収まりが悪いため、俺は先を促した。振り返った麻耶が、小さく頷いて告げる。
『――そういう人には、諦めるための時間をくれるんじゃないかな』
口にした途端下を向き、目を細める麻耶。彼女は、この数日で始めて見せる寂しげな表情を浮かべていた。