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Missing  作者: 逢坂
恋情パースペクティブ
17/33

8.almost in love

8.


 5月10日(金)


 別に気にしてない。女子って、みんなあんな感じだろ。そっちも大変だな。


 由稀


/


 五月の連休、初めて家に遊びに来たアリス先輩は、髪を下ろし、青いブラウスを着ていた。フランス人のおばあさんから継いだという、日本人離れした肌と瞳の色によく合っている。アメデオ・モディリアーニの婦人像を連想した私は、幼心に、年齢不相応な色気があると感じた。一緒に出迎えた母も同様の感想だったらしく、「美人さんねぇ」と、溜め息まじりに目を丸くしていた。


「ごめんなさい。お家がお菓子屋さんとは知らなくて」


 控えめに出された手土産は、近所で評判の和菓子店のものだった。そこの大ファンだった母は、子供みたいに大喜びし、踊るような足取りでキッチンへと消えた。先輩は呆気にとられた様子で私を見た。


「和菓子は自分じゃ作れないので」


 我ながらよくわからないフォローだったけれど、先輩は納得したように頷いてくれた。二階の自室では、先に来ていた由稀が、テーブルを片付けてくれていた。作業を止めず無言で会釈した由稀に、先輩は「こんにちは」と丁寧な挨拶を返した。


「手伝おっか?」

「当たり前だ」


 私の申し出に低く応える由稀。テーブルには、片付け下手な私が溜め込んだ学校のプリントや画材が山積していた。母がお茶の準備を整える前に、早くなんとかしなければならない。


「噂には、聞いていたけれど」


 入り口に立ち尽くす先輩は、真顔で口もとに指を添えた。自分のだらしなさを責められていると思い、私は目一杯作業を加速させた。反対に由稀は手を止め、難しい顔で先輩の方を見つめていた。


「あなたたち、やっぱり」

「じゃーん! なんと今日のおやつは、苺大福でーす」


 何か言いかけた先輩の言葉は、母の能天気な声に遮られ、それっきりになった。母はお客好きだから、いつもの調子なら、そのまま部屋に留まって先輩と話し込むところだけれど。今日に限っては、一階に楽しみが待っていることもあり、さっさと退出してしまった。

 変だったのは、由稀もまた、すぐに部屋を出て行ったことだ。彼は大粒の大福を二口で平らげると、先輩に対して小さく頭を下げてから静かに席を立った。


「彼の分の部屋もあるの?」


 食べ終わるまで無言だったアリス先輩は、唇に付いた片栗粉をハンカチで拭いながら首を傾げた。さすがにそんな、同居じみたことはしていない。おそらく父の所だろうと、私は答えた。


「最近、色々忙しいみたいです」


 言った後で、まるで他人事みたいだなと苦笑した。父と由稀がこのところずっと話し合っているのは、私の絵のことについてだ。中学に入る直前の春休み、由則【よしのり】おじさん、つまり由稀のお父さんが、一度だけ我が家にやって来た。私の絵を買うためだ。正直、現実味のない話だった。私みたいな子供の絵に値がつくなんて。父はいつになく険しい顔をして、そういうのは私がもっと大人になってから相談させて欲しい、と断った。それっきり、由則おじさんはもうウチには来なかったけれど、代わりに、由稀を間に挟んで、色々と私に世話を焼いてくれるようになった。美術展やコンクールの案内をくれたり、嫌みにならない額の範囲で、手に入りにくい画材を分けてくれたり。一番助かっているのは、絵の保管だ。おじさんの会社の倉庫を使わせてくれるというのである。私が年中絵を描き続けるせいで、我が家の押し入れは既に一杯だった。これをサイズや素材ごとに整理してリストアップするのが、最近の由稀の使命らしかった。黙々とやっても丸一日はかかるであろう量で、しかも父と由稀が揃うと、絵一枚一枚に対して熱い美術談義が始まるものだから、果てしない作業となってしまっている。


「よかった。避けられてるわけではないのね」


 小さく息を吐き、先輩は呟いた。杞憂だと思った。むしろどちらかと言うと、先輩への態度は、由稀にしては十分親しみのこもった部類だった。


「あまり話してくれないから、嫌われてるのかと」

「ユキは、人見知りですから」

「私たち、昔から結構何度も会っているのよ?」


 由稀はおじさんに連れられて色々なコンクールに顔を出していたらしく、アリス先輩も由稀も、歳の近い互いのことをよく憶えていた。けれど、親しく会話をしたことは一度もないという。


「ユキの場合、なれてきても、態度はトゲトゲしたままなんです」

「関わりたくないですオーラが凄いものね」


 わざとらしく眉を吊り上げてみせた後、先輩は優しく笑んだ。


「彼は、自分のことが怖いタイプなのね。園村さんは、相手を恐がっちゃう質でしょう?」


 似てるようで少し違うね、と、言われて初めてハッとした。私は確かに由稀と同じく人見知りだったけれど、それは人から気味悪がられたり、遠ざけられた過去があるからだ。でも由稀はそうじゃない。彼は他人を遠ざけてるんじゃなくて、他人から自分を遠ざけたがっていた。

 よく見てるなって、感心すると同時に驚いた。それは幼なじみの私ですら、ぼんやり理解するだけで、うまく説明できなかった由稀の在り方だった。


「時々、凄く強い眼をするのね、園村さん」


 面白そうに呟くアリス先輩。


「ねえ、ユキちゃんのこと好き?」

「はい」


 当たり前だと思って、私はすぐに頷いた。先輩は少し眼を細めて、嬉しそうに微笑した。


「こういうの、ガールズトークっていうのかしら? なんだか良いわね」


 今ひとつピンと来なくて、私は曖昧な苦笑を返した。



/



「竹中君のこと好きなの?」


 問われて返事に窮したのは、連休明けの昼休みのこと。私が加奈子ちゃんとお弁当を食べていると、珍しく由稀がウチのクラスにやって来た。誰を呼ぶでもなく、不機嫌そうな顔で入り口に立っている。声をかけようかと息を吸った瞬間、購買から帰ってきたらしい相馬君が、猛スピードで由稀に駆け寄った。


「ユキすまーん!!」


 教室中に轟く大声で、相馬君は詫びる。腰に縋り付く彼を、由稀は心底鬱陶しそうに手で押し返していた。どうやら相馬君が、由稀から借りた教科書類をずっと返し忘れていたらしい。二人のやり取りが大袈裟なものだから、クラスのみんなが笑っていた。


「相馬君ってホモなのかな」


 ジトっとした目で呟く加奈子ちゃん。半ば本気の声色だった。


「声、かけてきたら? あのままだと、竹中君まで変な趣味の人みたい」


 堪えかねたように加奈子ちゃんが提案した時、由稀は跪く相馬君を無言で足蹴にしていた。あれは由稀なりの友情というか、テンションの上がった相馬君に付き合ってあげている図なのだけれど。確かに、何も知らない人が見たら誤解してしまうだろう。

 少し思案してから、私は交換日記を今の機会に渡してしまうことにした。机の中から日記を探り出し、ゆっくり二人に歩み寄る。


「ユキ、ちょっといい?」


 私の声で目が覚めたらしく、相馬君は急いで立ち上がり頭を掻いた。由稀は少し疲れた顔をしていた。


「これ、いつもより早いけど」

「ああ」


 事務的に受け取った由稀の手元を伺い、相馬君は小さく吹き出した。


「お前らまだこーかん日記続いてるのかよー。何年もすげーな。気の長いこって」


 からかい半分、感心半分といった調子でニヤニヤ。言い終わるや否や、教室から黄色い叫びが飛んできて、相馬君は目を丸くした。


「園村さーん、彼氏って竹中君のことだったのぉ?」


 声をかけてきたのは、クラスの中のとある女子グループの一人、空手部でマネージャーをやっている子だった。彼女が喋ると、周りの女子はまた黄色い声を上げた。交換日記だって、マジじゃん、と大盛り上がり。


「お前、それは俺の誤解だったって言ったろー?」


 不味い顔をして、相馬君がフォローを入れる。


「でも、幼なじみでずっと仲いいんでしょぉ?」

「幼なじみってだけで付き合ってるんなら、俺は今ごろユキとケッコンしてるっつーの」


 上手い具合にジョークを交えつつ、相馬君は話題をすり替えようと努めていた。会話の応酬の間、私と由稀は黙っていた。由稀は無表情で、何を考えているのかよくわからなかった。


「ねぇー園村さん、実際どーなの? 竹中君のこと好きなの?」


 業を煮やしたように問われ、私は返事に窮した。それは、先日のアリス先輩のものとは似て非なる質問だった。由稀のことはもちろん好きだ。傍にいたいって強く思う。そう感じ、願うことは、私にとって最早当然のことだった。でも、今ここで好きだと言ったら、その答えはきっと、色々な意味を持ってしまう。私の胸の内や、私たちの関係とは大きくズレた幻想を、彼女たちは抱くことだろう。それがわかる程度には、私もちゃんと思春期だった。


「別に、好きじゃないよ。ただの幼なじみ」


 言ってすぐ、取り返しのつかないことを口にしたと思った。嘘だ嘘だと笑いながら、みんな好き勝手に騒いでいる。相馬君が一生懸命、場を落ち着けようと頑張っていた。加奈子ちゃんも加勢している。

 由稀の顔を見る勇気はなかった。

 息苦しいと、強く思った。



/



 次の日、由稀は何事もなかったかのようにいつも通り日記を返してきて、私を酷く困らせた。内容も例の如く淡白で、部活がキツいとか、母さんのお菓子をまた食べたいとか、そんなことばかり。

 こうなってくると、こちらは今回の件についてどう日記に書けば良いのかわからない。あんな騒ぎに巻き込んでしまったからには、一言謝らなきゃいけない気がする。好きじゃないって言ったのも、本心ではない。でも流石に、由稀に向かって日記で好きだなんて言うのは気恥ずかしいし。そうなってくると、好きなのに好きじゃないって言ってしまった理由なんて、絶対上手く説明できないに決まっている。

 もし、由稀が私と同じ気持ちだったら、あの時の私の内心を、何も言わなくても察してくれているだろう。でも、由稀が私のことを好きだなんて、それが例えどんな「好き」であったとしても変な感じだ。私はいつも追いかける側で、向こうは努めてそれを遠ざけようとしてきた。由稀の方から私を追ってきてくれたのは、あの夏の日の、一度だけ。


「どしたん、えらい難しぃ顔して。悩み事でもあるん?」


 声をかけられ、慌てて顔を上げる。そこにいたのは心配そうに眉を寄せたアリス先輩で、私の頭は一瞬混乱した。


「ユキちゃんのことやろ? 言わんでも顔に出とるよ」


 先輩の唇から、訛りきった言葉がすらすらと紡がれていく。リアリティのない光景だった。かといって、わざわざ心配してくれた相手に、その喋り方どうしたんですか、なんて尋ねるわけにもいかず。私は素直に経緯を説明した。


「そう、好きじゃないって言ったん。私がこないだ訊いた時とは、答えがちゃうね」


 先輩は全部見透かした様子で悪戯っぽくにっこりすると、私の隣に腰掛けた。開けた視界の先には、夕焼けの中頑張っているソフトテニス部の練習風景。私たちは部活動の一環として、彼らの活動風景をスケッチしに来ていたのだった。


「私、もともと四国の生まれなの」


 青いベンチの背にもたれ、先輩は夕空を見上げた。


「小学校六年生の時、こっちに越して来てね。最初はいっぱいからかわれた。方言のこととか、クォーターであることとか、色々」


 真っ白な先輩の頬や額は、綺麗な茜色に染まっていた。遠くを見つめるように目を細め、先輩は続ける。


「だけど、不思議と、周りの人を嫌いにはなれなかった。もちろん、故郷のことも、家族のことも」


 そうして先輩は、視線を降ろして私を見た。今度はこちらが目を細める番だった。


「私ね、あの人のこと好きなの」


 先輩が指差した先では、キャプテンと思われる長身の男子部員が力強いスマッシュを放っていた。身のこなしにはキレがあり、時々他の部員に熱く檄を飛ばしている。なるほど格好いい。


「でもね、実はあの子も好きなの」


 今度は隣のコート、女子部員の中で、ひと際背の小さい人を示した。とてもしなやかなフォームをしていて、小柄ながら男子顔負けの球を打っている。


「当然、あなたやユキちゃんのことも好きよ。だけど、こんなに好きな人だらけの私も、誰かとお付き合いしたことはないわ」


 言って自分で愉快だったらしく、先輩はくすくす笑った。私もなんだか肩の力が抜けて、自然と笑みがこぼれた。


「無理に、難しく考えなくていいのよ」

「はい」


 お互い一度だけ深く頷き、私たちはそれぞれの作業に戻った。

 鉛筆でさっと仕上げた線画に、水彩で淡く色付けするのが、アリス先輩の一番好きなスタイルだった。曰く、絵本作家のいせひでこさんを意識しているのだそうで。部活動の短時間で仕上げられる上に、独特の味が出せるため、私も最近専らこれに倣っている。

 人間好きの先輩は、一年生の頃から色々な部活を回って絵を描いてきたらしい。そうして生み出された作品は、先生や生徒会が発行する校内誌に載せられ、部活紹介の彩りに活用されていた。おかげで先輩は、学校中にその存在が知れていたし、またその絵がどれも上手いものだから、各部活からは快く歓迎されていた。


「絵に“惜しい”はないから」


 と言って先輩は謙遜する。写真の場合、被写体の全要素が完璧に調和することは滅多にない。良い表情が撮れたと思っても、ポーズは乱れていたり、人物の全体が整った時に限って、背景がぱっとしなかったり。

 絵は違う。絵の出来映えを左右するのは時の運じゃない。描き手が、対象のことをどう見て、どう評価しているかが全てだ。アリス先輩の絵には、みんなの一番カッコいい場面や、美しい姿が描かれていた。喜ばれるのも当たり前だ。先輩は絵を描くことで、あなたはこんなに素敵だ、だからあなたが好きだって、伝えているんだから。

 先輩のスケッチブックを盗み見る。先程指差された二人の部員が、これしかない、という構図で描き出されていた。

 前を向くと、偶然加奈子ちゃんと目が合った。ピンク色のトーレーニングウェアが身体に張り付くほど、汗をびっしょりかいている。彼女は一瞬だけにっこりし、腰の辺りで小さく手を振ると、またすぐ真剣な目つきになり、一心不乱にボールを追いかけはじめた。加奈子ちゃんのことが好きだと、心底感じた。

 彼女の鋭い目許をスケッチブックに起こしながら、私は、由稀の絵を描いてみたいと思った。今ならば、誰よりも上手く描ける自信がある。来週あたり、先輩に提案してみよう。そう心に決めると、頬が少し熱くなった。



/



 5月9日(木)


 最近は、アリス先輩と一緒に色々な部活を回っています。今回はソフトテニス部で、加奈子ちゃんを描きました。テニスはシンシのスポーツとか言うらしいけれど、ソフトテニスって、すっごく熱くてさわがしいの。すごいよ。おらー! よっしゃー! って感じ。おらおらー。

 この前は、うちのクラスの子が、変にさわいじゃってごめんね。あんまり気にしないでもらえると嬉しいです。

 いつか、由稀の部活にも行くかもしれません。ちょっと楽しみ。


 園村色

 

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