表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Missing  作者: 逢坂
恋情パースペクティブ
13/33

4.meaning of tears

4.


 4月30日(火)


 べつにいい。めんどくさい。

 今日食べたラズベリーパイ、めちゃくちゃ美味しかった。やっぱり春香おばさんはすごい。


 ゆき



/




 うちの両親は由稀のことを随分気に入ったらしく、頻繁に家に招いては、家族のように可愛がった。特に母の溺愛っぷりは相当なもので、曰く「あの説教臭いところが、若い頃の秋仁さんにそっくりなのよねぇ」とのこと。今思えば、彼が鍵っ子であることや、私の友達が少ないことに対する、大人としての心配もあっただろう。不思議なもので、もう何度も遊びに来ているのに、由稀は私が家に誘うと、毎度毎度律儀に嫌そうな顔をした。多分、クラスの他の子の目を気にしたいたからだ。私の方も律儀に毎回泣いたり怒ったりしていたのだけれど、ある日、母が誘えば由稀は絶対断らないことに気付いてからは、少し賢くなって、校門で足止めをすることに全力を注ぐようになった。


「やっぱり、男の子はこうでなくっちゃね」


 母がそう言って笑ったのは、小学四年生の春休みのある日、いつものように父の書斎でケーキを食べていた時のことだった。タルトに乗っていたオレンジピールを吐き出した私を見て、由稀は目許を鋭くした。


「きたないだろ、ちゃんと食べろよ」


 初めて家に来た日から、早くも一年が過ぎ、この頃にはもう、由稀も私を叱る言葉に遠慮がなくなっていた。


「だって苦いんだもん」


 私はべーっと舌を出す。そこが良いんだろうがと、由稀は呆れた声。


「色はお子ちゃまだから、この美味しさがわかんないんだろ」


 自分のタルトを食べてわざとらしくニンマリする由稀。私はなんだか腹が立って、皿によけておいたオレンジピールを全部口に放り込んだ。砂糖漬けにされているから、甘みも少しはある。でも、噛めば噛む程やっぱり苦い。吐き出しちゃおうかなそれじゃ悔しいな、なんて悩んでる私の頭を、由稀はそっと撫でた。


「そうそう、そうやってガマンして食べてれば、だんだん美味しくなってくるから」


 その仕草は、まるで由稀の方がずっと年上のようで。相変わらず私は不満だったけれど、少しだけ、オレンジの苦さは和らいだ気がした。そうして、母のあの一言である。由稀は恥ずかしそうに耳を赤くした。「女の子は元気が一番」が口癖のような母だったから。私には、由稀のどこを褒めているのかよく理解できなかった。


「厳しいけど優しいところよ」


 由稀が帰った後、母は私にそう教えてくれた。子供心に納得した。由稀のそういうところは、多分、ずっとずっと変わっていない。


/


 そうして私たちは、ぎこちなくも親密な関係を育みながら五年生の春を迎えた。私はまた、由稀と同じクラス。昔はラッキーだ嬉しいなで済ましていたけれど、改めて考えれば、学校側が配慮してくれていたのは明らかだった。私は由稀以外に友達がいなかった。転校して来たばかりの頃は、珍しがって声をかけてくれる子も沢山いた。一緒に絵を描いてくれる子も、私の絵をすごいって褒めてくれる子も、沢山。でも、気がつけばみんないなくなっていた。みんな口を揃えて、私のことをつまらないって言うようになった。当時の私は不思議なことに、それを悲しいとも寂しいとも思わなかった。きっと、理由は二つある。一つは、みんなと自分は違うんだってことを、なんとなく理解できていたからだ。私は綺麗なものを描きたくて、あわよくば、父の本に載っているような、素敵な作品を作りたかった。みんなはそうじゃなかった。どちらが上とか、優れているとか、適切だとか、そういう話ではなく、ただ、世界が違ったのだ。

 変わらないでいてくれたのは、由稀だけだった。由稀は最初から、私と一定の距離を置いていて、こちらから近寄っていくと迷惑そうな顔をしたけれど。他のみんなのように急に遠ざかったり、絵以外の遊びを強要したりはしなかった。

 由稀と仲良くなってからは、自業自得だった自覚がある。私の毎日はすっかり由稀一色になってしまって、たまに他の子が遊びに誘ってくれることがあっても、無視して由稀のことばかり追い回していた。誰からも相手にされなくなるのだって道理だ。


「なーユキさー、今日いっしょに野球やんねーかー?」


 四月のある日の昼休み。相馬阿多留そうま あたる君が由稀をグラウンドに誘った。相馬君は、私が転校してくるより前から由稀と友達で、五年生のクラスになって久しぶりに由稀と再会できたことをとても喜んでいた。坊主頭で背がひょろひょろっと高くて、いかにも走り回るのが大好きですって感じの子だ。


「めんどくせーよ」


 自分の机にもたれ、ちょっと煩わしそうに由稀は応えた。昼休みは二人で絵を描くものと思っていた私は、急いで由稀の服の端をつかんだ。声は出なかったけれど、いかないでと訴えたつもりだった。由稀は、そんな私のこともちょっと面倒くさそうに睨んだ。慣れたもので、相馬君は由稀の渋い顔に怖じ気づくこともなく、笑顔で彼の腕を引いた。


「いーからいーから。人数足りないんだよー。今、教室に残ってる中じゃ、お前が一番上手そうなんだわ」

「俺より三上のが動けるだろ」


 三上加奈子みかみ かなこちゃんは男子よりも大きなクラス一番の長身で、大人みたいに運動神経が良かった。その割に、体育よりも国語や社会の方が好きなものだから、休み時間はもっぱら教室に残って本を読んでいる。


「三上かー、うーん。確かに使えそうだけど、やっぱり女子はなぁ」


 頭を掻き、微妙な顔をする相馬君。それは、止まない俄雨みたいな、突然かつ強烈な風潮だった。五年生になってからというもの、今まで仲良く遊んでいた男子と女子が、性別ではっきりグループ分けされてしまったのだ。誰がルールを決めたわけでもないのに、その縛りは酷くキツかった。気がつけば、クラスの中で一緒に遊んでいる男女は私と由稀だけだった。


「なぁ、ユキ、たのむよー。楽しいからさ、な?」


 由稀に話しかけながら、相馬君は私の方を見つめた。由稀もこちらを見ていた。私は頬が熱くなって、息が苦しくて、恐る恐る、由稀の服から手を離した。


「わかった。行こう」


 由稀が頷くや否や、相馬君は大喜びで彼を引きずっていってしまった。一人残された私は、持ち主のいなくなった由稀の机に突っ伏して泣いた。三上さんを初め、優しい子達が何人か心配して声をかけてくれたけれど、返事をする余裕がなかった。

 昼休みが終わるまで、私はずっとしくしく泣いていた。悲しくなったのは、由稀に置いていかれたからじゃない。由稀以外に遊ぶ相手がいなかったからでもない。由稀と相馬君に見つめられた瞬間、この手を離さなければ、由稀を失ってしまうと思った。その予感が、自覚が、どうしようもなく恐かった。離したら、由稀は行ってしまうのに。私にはそうすることしかできなかった。

 チャイムが鳴って、クラスのみんながグラウンドや図書室から帰ってくる。教室が妙にざわついていたのは、きっといつまでも泣き止まない女子が一人いたからだ。知ったことかと、変にムキになって、私は延々顔を伏せたまま鼻をすすっていた。


「お前、人の机で何やってんだよ」


 不機嫌そうな、聞き慣れた声がして、ようやく顔を上げる。由稀が鬼の形相で私を見下ろしていた。


「うわ、ドロドロでビチャビチャ。ちゃんとふいとけよ」


 厳しい声に頷いて、私はブラウスの胸ポケットから取り出したハンカチで自分の顔を拭った。馬鹿、と由稀が苦笑する。


「俺の机をふけって言ってるんだよ。まったく、泣くなら自分の机で泣けよなぁ」


 確かに、由稀の机は私の諸々の体液で悲惨なことになっていた。慌てて机にハンカチを擦り付ける私を、溜め息まじりに眺める由稀。彼は、机が綺麗になったのを見届けると、一枚の紙を差し出した。


「ん」

「なぁに?」

「これ、やるから、さっさと自分の席に戻れ」


 それは、破り取られたノートの一ページに鉛筆で描かれた、一枚の絵だった。坊主頭の少年が、勇ましくバットを構えている。きっとモデルは相馬君だ。下からの迫力あるアングルで、バックには空と雲。


「ユキちゃん、これ」

「わざわざ、購買でノートとエンピツ買って描いたんだぞ。下手でも文句言うなよ」


 そう言って、恥ずかしそうに目を逸らす。私は我慢できなくて、椅子に座ったまま由稀の腰に抱きついた。


「ありがとう。ね、色は私がぬっていい?」

「あーはいはい、好きにしていいから早くどいてくれませんかねぇ」


 嬉しいはずなのに、やっぱり恐くて私は泣いた。


 由稀は優しい。


 私には絵しかない、由稀しかいない。だけど、由稀は違う。



/



 4月27日(土)


 ユキちゃん、今日は遊びに来てくれてどうもありがとう。いっしょに絵をかけて、とても楽しかったです。ユキちゃんの絵、パパもほめてた。

 ね、私、オレンジの皮、食べれるようになったんだよ。ユキちゃんのおかげだよ。ママにお願いしとくから、またいっしょにタルト食べようね。

 ねえ、ユキちゃん、もし、ユキちゃんがつまんないなら、お絵かきじゃない遊びも、私がんばるよ。ユキちゃん、何して遊びたい?



 園村色



 


 





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ