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Missing  作者: 逢坂
恋情パースペクティブ
11/33

2.rewind

2.


 関係の始まりと言っても、いつから仲良く話すようになったとか、そんなことを考え出したらキリがない。私たちは恋も愛もまだ遠い幼い頃から友達なのだから、要点はやっぱり、由稀を特別な相手として意識し始めた切っ掛けを憶えているかどうかだ。

 商店街を一人で歩きながら、私は早くも不安になっていた。だって私にとって由稀は、最初からただの友達じゃなかった。


「あれ?」


 周りを見回し、風景の異常に気づいた私は、思わず声を上げてしまった。ここはもう、商店街の出口だ。一人でゆっくり考える時間が欲しかった私は、花ちゃんや菊池君には悪いと思いつつ、画材を買いに行くと言い訳して学校を出てきていた。美術部御用達の画材店は商店街の半ばにある。どうやら、目的地を通り過ぎたことにも気付かず、約二倍の距離をぼんやり歩いていたらしい。

 なんだか無性に恥ずかしくなって、一人ため息をついた。まったく何をしているのやら。

 早足に道を引き返し、画材店に入る。美術室から逃げるための口から出任せだったけれど、改めて考えてみると、足りない画材は本当に沢山あった。あれもこれもと選んでいるうちに、いつの間にやら一人では持って帰れない程の量に。呆れた店員さんが、サービスで無料お届けしてあげる、だなんて言ってくれたものだから、私はさらに調子に乗って、山のように買い物をした。代金は余裕で一万円を超えていた。さすがに買い過ぎたかな、なんて自嘲しながら、リュックの中を探る。絵の具などは自腹だけれど、共用の道具は部費がおりる。財布が空っぽになるのも、一時だけのことだ。


「あれ?」


 口から零れ落ちる、本日二回目の間抜け声。肝心の財布が見当たらなかった。どうやら美術室に忘れてきたらしい。多分、製作中に着ていたエプロンのポケットの中だろう。ここまで来ると溜め息をつく元気も無い。今日の私はもう駄目だ。

 なるべく制作の邪魔はしたくなかったけれど、仕方なく、菊池君に電話をする。どうやら花ちゃんがまだ美術室に残っていたらしく、彼女が財布を届けてくれることになった。部員でもない人に、なんて申し訳ない。後でしっかり、アイスでも奢ってあげよう。

 待っている間手持ち無沙汰な私は、お店の中の、画材以外のコーナーをぶらついてみることにした。このお店は奥に入れば入る程商品の専門性が高くなるような陳列をしているため、入り口近くには、普通の文房具なんかが並べられていた。ボールペンシャーペン万年筆と来て、ノートと日記帳の棚の前で足を止める。大学ノートや五線譜帳、システムダイアリーたちの陰に隠れて、ひっそりと、数種類だけ交換日記が置かれていた。やったことがある人は、一目見ただけで、それがただの日記帳じゃないことがわかる。商品化された交換日記には、小さな南京錠と、二つの鍵がくっついているのだ。この鍵を二人で分けて、秘密を共有するわけである。私たちが小さい頃はもっともっと沢山の種類の日記がどこのお店にも並んでいたのだけれど、すっかり人気が廃れてしまった今となっては、数冊でも見つかっただけで感動的だった。表紙がオックスフォード生地の、シンプルなデザインが色違いで三色。ブルーが特にお洒落だった。


「由稀が好きそうな色」


 嬉しくなって、自然と口元が緩む。ルノアールが描いた、イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢が、ちょうどこんな薄青の服を着ていた。私と、母と、由稀と三人でルノ展に行ったのは、確か小学四年生の冬だ。打ちっぱなしコンクリートの硬派な美術館が、粉雪で淡く彩られていたことを憶えている。館内は酷い混雑で、当時今よりさらに低身長だった私は、人ごみに溺れてしまいそうだった。はぐれると危ないから。ぶっきらぼうにそう言って、由稀はずっと私の手を握ってくれていた。私はその不器用な優しさを当たり前のことと思っていた。ただ、作品への感動に合わせて力んだり緩んだりする由稀の指先が面白くて、繋いだ手をぎゅっと大事にしていた。

 展覧会の目玉である『イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢の肖像』は、一作だけでワンフロアが特設されており、何重もの人だかりが、小さな少女を囲んでいた。私たちは時間をかけてじわじわと列の前に潜り込んでいった。繊細な毛先の始末や、美しい服の色合いを、今でもはっきりと思い出せるのは、絵の真正面に陣取ってからというもの、いつまでたっても由稀がその場から動こうとしなかったからだ。口をぽかんと開けた由稀は、まるで瞬きの仕方すら忘れたみたいに、じっとイレーヌを見つめていた。なんだか寂しくなった私は、赤毛の彼女に少し嫉妬しつつ、握り返されることのない脱力した手に懸命に力を込めていた。

 後日、「どの絵が好きだった?」と交換日記で尋ねてみると、返答は案の定「イレーヌ」だった。理由は「色」とのこと。由稀は、顔を合わせて話す時は頑に気持ちを隠すけれど、日記では割と素直で正直だ。ただしとても言葉足らずなので、書かれたこと以上の内実は想像するしかない。どうも由稀は昔から青と白の色合いが好きらしく、絵や写真のモチーフには海や空が多かった。


「そっか、日記だ」


 思わず声が出てしまい、慌てて口を手で押さえた。交換日記を始めた小学校三年生の終わりからずっと、由稀の気持ちを知りたい時は、日記を使って話すようにしていた。そのやり取りの中には、当時の私と由稀の関係がいくらか反映されているだろう。

 折よく、リュックの中には古い日記帳が何冊か入っていた。最近由稀が返事を酷く滞納しているので、久しぶりに昔の日記を見せて、モチベーションを回復させようと思っていたからだ。

 商品を選んでいる振りをして、私は一冊の交換日記を開く。花ちゃんが来てくれるまで、まだしばらくかかるだろう。それまでは、二人の過去に想いを馳せることにした。






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