7話 「綻び」
「なるほどな」
低い、しかしそれでいてよく通る声がざわめきを静めた。呆気ないほどにあっさりと静まった人々に、テイラーは鼻を鳴らす。
そして彼は、猛禽の目を真っ直ぐ射抜いた。その眼は、猛禽に負けず劣らず、爛々としていた。
しかし、そこで恐れるアーネイではなかった。鋭く細められた眼は怯むことなく、トワル、クトックナー両公を睨み据えていた。
テイラーは怯まぬ猛禽に舌打ちし、再び彼は観衆へ目を向ける。そして、集まる不躾なまでの視線に向かって、嘲笑を浴びせかけた。
「恐れるは、伝承の再現か」
と、声を張り上げて威圧すれば、情けないまでに縮こまる人人人。
だが、それで満足するテイラーではなかった。
「そうやって、再び、無益な犠牲を生み出すつもりか」
地響きの如く低い声音は、小さいながらも部屋中に響き渡った。
さらに、凍てついた眼差しを浴びせれば、人々はたまらずに、恐れをなして視線を逸らした。
それらを見、テイラーは鼻で笑った。
「まあいい、私達が犠牲者にならねば良いことだ」
そう言うと、サッと表情を和らげて、不気味なまでに穏やかな笑みを浮かべて、
「して、陛下。話には続きがあるのでしょう?」
と、何事もなかったようにアーネイに問いかけた。
問われたアーネイは咳払いを一つして、ゆるりと再び口を開く。
「皆の者、聞くが良い」
従順なる人々は一斉に皇帝へ注目した。
テイラーは顔だけ向けた。ルージは最早向いてすら居ない。レドールが諫めるも、首を振って聞き入れなかった。
彼らの態度を気にするアーネイでもない。
顔色一つ変えずに、話を続けた。
「愚帝レイド・ヴィルヘルムは世の均衡を破り、神之国ラシアナを除く国を呑まんとしている」
その証拠に、闇帝国アクフレージョンは同族の二国フローガル、ウィーナイラを容赦なく攻め滅ぼし、傘下に加えた。
商魂逞しい貿易商や、凍てつく海を渡ってまで逃れてきた人々の話によると、侵略されし二国では反乱が絶えず、処刑台の血が乾かぬ日は無い、悲鳴が途絶えぬ日はないとある。
事実、クトックナー、シーナ、ニズル等の氷龍海沿岸の都市では、大陸からの亡命者が絶えない。
「水、風より南の情勢は届かないが、土帝国サフルーズと火帝国ファートラルはもしかすれば未だに戦渦にあるのやもしれん。二国に攻められれば、大国と言えど所詮砂塵の国、ひとたまりも無かろう」
土帝国サフルーズの国土は、闇、水、風の三国を合わせた広さにも匹敵する。しかし、国土の大半が砂塵に覆われ、物資に乏しい。
「よって、悠長に構えている間など無いのだ!」
アーネイは立ち上がり、諸侯を見回す。
目が合った諸侯は、背筋を伸ばし表情を引き締めた。
「闇帝に対し、古の同盟を掲げたところでそれはせいぜい時間稼ぎ程度にしか役に立たぬであろう」
伝承もしかり、だ。と付け加える。
伝承を信ずるのであれば、血族を野放しにはしない。
「直ちに備えるのだ」
声高々に命ずれば、諸侯は頭を深々と下げた。
婦人は青ざめた顔でアーネイを凝視し、その子供は母の手を引いて説明を乞う。突きつけられた現実から逃れるために。
「話は以上。追々徴集を掛ける」
それでは、今宵は存分に飲み、存分に楽しむが良いと締めくくると、アーネイはダンケルを伴って退場していった。
宴は始まった。
しかし、そこに歓声はない。暗いざわめきが場内を支配した。
耳を澄ませば、聞こえる言葉はどれもこれも後ろ向きなものばかり。
「しかし……我々がかなう相手か?」
「土地は広大といえど、作物は豊富とは言えぬし、何よりも戦力が足りんだろう」
「いくら、強いのが一人二人居るといっても大群相手にゃ……ねぇ」
「しかし御子を追い出すってどんな神経してるのかしら」
「ええ、しかも二人」
テンレイは、顔をしかめて耳を逸らした。
(情けない)
確かに、戦乱の恐ろしさなど分からない。
隣で同じように耳を澄ましていたロウを見てみると、彼もやはりばつの悪い顔をしていた。
顔を見合わせて、ため息を吐いていると、それに気が付いたルージがにいっと笑い、ぽんぽんと二人の頭を軽く撫でた。
「ったく、勿体ぶってないでさっさと言えよなぁ」
そう言うと、アーネイが消えていった辺りを睨んで、彼は口を尖らせた。
「開戦の恐れあり、準備及び警戒せよ、で済む話だよな」
飯が冷えるだろと、ボヤく。
稚拙な理由にそりゃ無いぜと苦言を漏らすロウ。
脇でレイルザと語っていたテイラーも眉を顰めた。
そして、見苦しいぞとばかりに睨んで、
「ほう。随分と余裕があるようだが……」
と、威圧する。
その横でレイルザも、凍れる微笑を浮かべていた。
「女に現抜かして、弱体化してなかろうな?」
その言葉に慌てるレドールに、体をくの字に曲げて笑い出したクオレ。
フミリィが訝しげな視線を夫に送る。
「ば、バカ言え。俺はともかく、騎士団は完璧だ。だろう? レドール」
「は、はっ。我が騎士団に抜かりはございません」
レドールはフミリィの眼差しに辟易しながらも、歯切れ良く返事した。
そんなレドールをどけて、フミリィはルージに詰め寄った。
「ねえっ! 女の方はどうなのよ!」
「い、いや、それは」
「分かったわ。帰ってじっくり聞かせて貰うから、覚悟するのよ!」
夫妻の様子に頭を抱えて深く溜息を吐く、レドール。
二人を仲裁するのも彼の務めであった。
「いやいや、若いのによく頑張るものだねぇ君も」
目尻に溜まった涙はそのままに、クオレが慰める。
しかし、それは棒読みで、
「お前も少しは見習ってくれ、クオレ」
と、主君に苦言を漏らされる始末。
それでもにこやかにクオレは言った。
「お断りしますよ」
、と。
「兄貴こそ、人のこと言えるのかよ」
「こいつはともかく、こちらも完璧だ」
これは手厳しいとクオレ。
レドールは夫妻のことが気がかりなのだろう。胃の辺りをさすりながらぎこちなく笑んだ。
「ははっ、これで明日は安泰だな」
小声で、テンレイに耳打ちをするロウ。
しかし、テンレイの意識はここには無かった。
己に向けられた数多の視線。
皇族という地位にあるために、こういう場においての視線には慣れていた。
しかし、ああいう類の視線を向けられたのは初めてであった。
(あの眼は、嫌悪よりむしろ……恐怖?)
普段とは違うそれに、戸惑う。
「なぁ、ロウ」
意識を浮上させ、問いかける。
「ん? 何だテンレイ」
突然の呼びかけに驚きながらも、ロウはきちんと耳を傾けた。
「伝承はそんなに恐ろしいものか?」
伝承が何であるかも、知らぬテンレイには、あの視線の訳が分からない。
「恐ろしい……とは違う気がするよなぁ」
ロウは、ううむと考え込むと、腕を組んで気難しく顔をしかめた。
「お前は知っているのか、ロウ」
考え込むロウに、テンレイは
「え、お前もしかして……知らないのか?」
目を見開いてまで驚くロウ。
彼のあんまりな反応に、思わずつり上がる眉。
「ああ、私にはまだ早い、と」
あのきつい眼差しを思い出しながら言っていると無性に腹が立ってきた。
「お前の教育係はたまにおかしいよなぁ。伝承なんて知ってて当然なのによ」
あ、でも俺がこう言ってたのは秘密にしてくれよと慌てるロウ。明かしたところで、あいつがわざわざ説教に出向くかとテンレイ。
「ま、そういうもんだからさ、あいつがダメなら伯母様にでも聞いてみたら良いじゃないか」
晴れやかな表情でロウが提案するも、テンレイは首を横に振った。
「だが、あいつなりの考えがあるのかもしれない」
真面目腐った表情で、しかしそれでいて苦虫を噛み潰したような表情でテンレイは言った。
「……お前は変なところで従順だよなぁ」
やれやれと、ロウは苦笑を浮かべた。