4話 「子供であるということ」
公爵夫人レイルザが待つ王座は三階である。
二人の間にそれといった会話はない。
(甘えたり恥ずかしがったり、忙しい奴だな)
テンレイは約3ヶ月ぶりに会った実父にどう接すべきかを悩んでいるのか、険しい表情を浮かべていた。
気を利かせて、話しかけてみても、返答は譫言でしかなかった。
(とりあえず、待ってやるか)
結局、自発的に口を開いたのは螺旋階段を昇り切ったところであった。
少年は、躊躇いがちに、どことなく危険物に触れるときのように小さくぽつりぽつりと言葉を紡いだ。
「ち、父上は、どうして、何時も居ないの? どうして皇帝は父上にばかり、命令するの?」
震える声でそう言い終えると、テンレイは怯えた目でこちらを見た。
叱られるに決まってると、そう顔に書いてある。
(怖がられている? まさか……)
要らぬ知恵を得たのだろうか? と、思うと腹の底が冷えるような気がする。テイラーは決して潔白ではなかった。
(だが、これは考えすぎだな)
アルヴァとクオレは口の堅い男であるし、他の者もアルヴァ、もしくはテイラーその人を恐れ、口が裂けても言わぬであろう。
この城で、彼の穏やかな表情の裏を、知らぬ者などいないのだ。
「私は怒りはしないぞ? 気になるのは仕方のないこと、だ。だが、今のお前にはまだ早い。成人の儀が過ぎれば嫌であろうとも知ることになる。そう、急いで大人になる必要などないのだ」
不安げな息子を安心させるために、身長に合わせて屈み、その目を穏やかに見つめた。
「大人になれば嫌でも分かる。例え知りたくなかったとしても、な」
「父上は、知りたくなかったの?」
聡いこの少年は瞬時に何かを感じ取ったらしい。
どこか、労るような調子で問いかけてきた。
「ああ、そうだな……私は知りたくはなかったな。だから、お前にはもっと子供で居て欲しい。悪さをして許されるのは今だけだぞ? アルヴァには悪いが、やりたいことは今の内にやっておくんだ」
安心させるべく頭に手を伸ばしたが、テンレイはそれを避けた。
そして、歓喜とも困惑とも取り難い、曖昧な表情を浮かべたまま静かに口を開いた。
「ねぇ父上、それでも僕は……、いや、私は無知であることを苦しく思うのです」
「テンレイ?」
「この通り、私は既に13になります。成人の儀まで僅か2年と迫ってます。成人の儀の際に私が無知であればそれは、ザルクの名を汚し、父上の顔に泥を塗ることになるでしょう。もう、手放しで甘えられる年ではないのです」
そう言いきったテンレイの顔は、先程の態度から想像がつかないほど大人びていた。
(先程までの態度は、私を思ってか)
良き父でありたいというテイラーの強い想いをテンレイは感じ取っていたのだ。
テンレイ自身はもう、とっくの昔に諦めをつけていたのだ。
(既に大人になってしまっていたんだな……)
忘れかけていた憎悪が突然沸き起こる。
それを必死に抑える。
その感情が如何に無意味かは、彼の知能の奥深くにしっかりと刻み込まれている。
「ただ、安心してください。私は私なりに、自由を謳歌してます。おかげでアルヴァの表情が日に日に強ばって行ってますよ」
そう言うとイタズラっぽく笑った。
その笑顔はテイラーの知らないものであった。
「さて、参りましょう父上。母上は癇癪持ちですからね」
テンレイはスタスタと公爵夫人が待つ部屋に向かって歩きだした。
そのしっかりとした足取りに、本当に目の前にいる少年が息子なのかどうかさえ疑わしくなってくる。
「物事は、いつも私を追い越して行くものだな」
テイラーが感慨深く呟くと、テンレイは振り返る。
その顔には申し訳なさそうな表情が浮かんでいた。
「何、お前が気にすることではないさ。時は止まってはくれないもので、お前が成長するのは当然のことで、それは喜ぶべきことなのだ」
追いつくと、頭を乱暴に撫でた。
今度はテンレイも拒むことなく、その顔に戸惑いを浮かべつつも成されるがままになっていた。
「父上、そろそろ勘弁してくれませんか?」
羞恥に耐えかねて、テンレイが如何にも不機嫌そうに言う。
今にも溜め息が出てきそうな表情である。
(嫌に、アルヴァに似てきたか?)
心の中で笑う。
親である自分よりも教育係に似てきたというのは些か不服であったが。
(まあ、私に似ない方がいい。アルヴァは私よりも随分……)
テンレイからではなく、テイラーから溜め息が漏れた。
「申し訳ありません」
テンレイは即座に謝罪する。
浮かぶ表情はとても険しく、必死に己を律しているようである。
「お前に非はない、こちらの話だ。もう、偽ってまで私を喜ばせようとする必要は無いぞ」
テイラーが手を退けた後のテンレイの頭はすっかりボサボサになってしまっていた。
さながら、嵐が過ぎ去った後の如き様相である。
「しかし、」
「慣れなくてはならぬのは私のほうだ」
そう言っても尚、テンレイは立ち竦んでいた。
険しい表情のまま、一歩も動く気配が無い。
(頑固さまで忠実だな)
仕方ないと、テイラーはふざけた調子で呼びかける。
「さあ、行こう。レイルザのお叱りの言葉が待っていると思うとあまり気は進まないがね」
言いきって苦笑を浮かべると、テンレイも釣られて同じ表情を浮かべた。