2話 「荊騎士アルヴァ」
アルヴァは冷ややかな眼差しでテンレイを一瞥した。
そして、再び剣先をテンレイに向ける。
「騎士である以上、剣をとった以上、応えなくてはならないのは困りものですね」
呼応するようにテンレイが剣先をアルヴァに向ければ、すぐさまアルヴァは攻撃態勢に入った。
特徴的な紫色の眼は決して獲物を捉えて逃がさない。
しかし、眼差しごときに怖じ気ずくようなテンレイではなかった。紫眼を捉え返し、負けじと向かってゆく。
「どうしてそんな力を持ちながら、首都へ仕えないんだ?」
テンレイの問いにアルヴァは何も返さなかった。
テンレイを冷たく見据えたまま、応戦するのみである。
無駄のない動き、時折溢れる殺気、覇気。
見る者全てが一目で彼のことを相当な手練だと口々に言い、恐怖を露わにするほど彼は強い。
美しくも鋭いその太刀筋は、本気であれば誰も彼をその目で捉える事は不可能であろう。
さらには、その素早さについてゆけず、その姿を幻影だと評する者さえ居るという。
それほどまでに彼は有能な剣士であった。
ダークブロンドの下から時折垣間見える紫色の眼に捉えられて、勝てる者はそうそう居ない。
――例え彼が手加減していたとしても、だ。
「もう一度いいます。無謀なことはおやめなさい。貴方を傷つけては、テイラー様からお叱りを受けてしまいます」
アルヴァはそういうと、テンレイの攻撃を鋭く弾き返し、少しの隙を突き、鋭く的確な突きでテンレイの手から細剣を弾き飛ばした。
それは綺麗な弧を描き、石畳に落下し、高い金属音をたてる。
ただ一瞬のことすぎて何が起こったのか分からず呆然とする者、恐怖に顔を青ざめさせている者、勝者に尊敬の眼差しで見る者、取り巻き達は戦いの余韻の中、表情を様々に浮かべていた。
「私とて、主君の怒りに触れると命の保証は在りませんからね」
しんと静まり返った修練場に、氷のように冷めた、起伏の少ないアルヴァの声が響く。その表情は堅く、感情を読み取ることは出来なかったが、彼は内心では恐怖を感じていた。
“主君の怒りに触れること”を彼は何よりも恐れていた。
彼は、主君テイラーの命には限りなく忠実であり、主君の怒りに触れるような事物に限りなく敏感であった。何故なら彼は、隠された主君の過去およびその実状を知る、数少ない人物の一人なのだろう。
霧雨に閉ざされたこのトワルに敢えて居続けるのは、その過去に縛られている故だろうか。
などと、勝手にこの好奇心旺盛な少年は推測して、ニヤリとイタズラっぽく笑みを浮かべ、
「お前の“お叱り”を受ける姿も悪くない」
と、体力は確実に削られていたが、負けじと言った。
肉体が疲弊しても、若さ故、その精神は強靱であった。
黒い、それでいて紫光を孕んだその眼は爛々と輝き、アルヴァを食い入るように見据えている。
「私は、自分の身は自分で守りたい。知力よりも、武力を得たい」
と、ゆっくりとテンレイは紡ぎ出す。
しかし、それはさらにアルヴァの機嫌を悪化させた。
「またですか。何度、同じことを言わせるつもりです?」
至極、不機嫌な声である。眉間に皺がより、ただでさえ鋭い眼がさらに険しくなっている。
「私の指導はまだ貴方には適しません。また、テイラー様の命令は絶対ですから、どう足掻きましょうが私が直に教えて差し上げることは、断じてありません。いい加減、諦めなさい」
と、厳しく言い放つと彼は自分の細剣を納め、 床に転がった剣の近くに立っている騎士に“テンレイ様の相手をしろ”と命じた。青い上衣を着た黒髪蒼眼、中肉中背の若く生真面目そうな騎士である。階級は装飾からして中級くらいであろうか。銀糸の刺繍が施された上衣、トワル公爵家の紋章、“霧纏いし白龍”が輝く左胸は、確かに公爵に認められし、騎士の証であるが、“あまり期待できないな”と、テンレイは密かに不満に満ちた声で呟く。
一糸乱れぬ一歩一歩、地面と垂直に保ったまま乱れることのない姿勢に、綺麗に整えられた短めの黒髪。腰に差された、細やかな装飾を施された家紋入りの細剣。
「なんだ、貴族上がりか」
ふん、と挑発して彼は、取り巻きの一人から細剣を借りる。
繊細な装飾はいっさいない、不思議とよくしなる羽のような剣であった。
持ち主の青年に”いい剣だな”とだけ告げてから、足早に取り巻きたちの中央に戻り、テンレイは真っ向から騎士と対峙した。
「位だけのはりぼてじゃないだろうな?」
視線はそのまま相手を見据え、さらに挑発する。
僅かに相手の騎士は憤懣とした表情を見せたが、即座に平静を取り戻す。
そして、彼は穏やかに微笑んだ。
「張りぼてを騎士に叙任するような公爵様ではありませんから、ご安心を」
そう言うと、騎士は細剣を抜いて、胸の前で水平に持ち、一礼する。
テンレイもやや遅れて彼と同様に一礼した。
剣先が向かい合うと、静けさは、一瞬で破られた。
すっくと頭を上げ、剣先を相手に向けるまでの緊張感、逼迫感は瞬時に消え、代わりに荒々しく金属と金属が擦れ合い、ぶつかり合って火花を散らす音で部屋は満たされる。
勇猛果敢に、敵の真っ正面へ飛び込む少年。
気迫に満ちたソプラノを響かせながら、床を蹴る。
そして、まだまだ洗練されていない、力任せの一撃を騎士に突き出す。
温厚篤実に、我が身を襲う刃を受け流す騎士。
微笑みを浮かべて、この幼き剣筋の癖に主君の影を見、感心していた。
――この騎士だけでなく、アルヴァを始め、公爵と手合わせしたことがある者は誰でもその類似に感心せずには居られなかった。
確かに、勝敗は明らかに目に見えている。
テンレイは短時間だったとはいえ、アルヴァとも手合わせし、そのときの疲労は当然、回復していない。
まだ、剣を向け合ってから2分程度しか経過していないが、少年の息はすでに乱れて始めていた。
「一突き、一突きに無駄な力を込めすぎです。肩の力を抜くといいですよ」
肩に力が入り、自然と動きが不自然になっている。
さらには、力を込めすぎた時の震えが、刀身を激しく上下させ、さらなる威力の低下を引き起こしてしまっている。
「剣筋自体は素晴らしい! ですから、なおのこと惜しいですね」
次の攻撃のため後退したテンレイをにこやかに励ます。
「そう思うなら、教えてくれ。私は強くなれるなら誰でもいい!」
血気盛んに叫び、脇目もふらず駆けだした。
が、その刃は途中で阻まれた。
きぃん、と一際大きい音が響く。
「ほう、じゃあ私の相手でもするか?」