10話 「好奇心のまま」
テンレイはロウの笑顔に苦い顔をして、小刀をしまった。
「この強光下、よく平気でいられるな」
そして空いた手で、先程の動きで、吹き出した汗を拭った。
拭いきれなかった汗は、路地を吹き抜ける風がさらっていく。
「言い訳はダメだぜ、テンレイ。それでも国で一番の剣士様の子供か?」
この国で、テンレイの父であるテイラーの剣の腕において右に出る者は居ない。
その剣筋は流麗というよりは無駄がない。ただの魅せるための剣ではないのだ。一撃必殺、歴とした殺めるための非情な剣であった。
そうであっても、テンレイにとって憧れであり、また、目標でもあった。
だが、現実は残酷だ。
彼は、国で二番と陰ながら評されるアルヴァはもちろん、低級騎士にすら、歯が立たないのだ。
先日の、碧眼の騎士との手合わせを思い出して、テンレイは、急速に気が沈んでいくのを感じた。
「……で、今日はどこに行くつもりだ?」
テンレイは、これはいけないと強引に話を変えた。
「そりゃあ着くまでのお楽しみさ!」
話を変えられたことも気にせずに、上機嫌にそう言った。
「早く行きたい気持ちをずっと抑えてきたんだぜ」
ロウは強引にテンレイの肩に腕を回す。
「というわけで、早速行こうぜ!」
「痛いぞ、ロウ……」
息苦しさからの呻き声も、咳も、すっかり舞い上がってしまっているロウの耳には入りはしない。そのまま、半ば引きずるようにして、大通りに連れ出した。
そして、容赦なく照りつける強光を物ともせず、人混みをかき分けロウはどんどん進んでいく。
「お前のその元気は、一体どこから湧いてくるんだ……」
その隣には、強光と息苦しさで、はや目眩を覚え始めたテンレイのぐったりとした姿があった。
これも、この街では見慣れた光景。
行き過ぎる二人を、街の人々は今日も穏やかな眼差しで見守っていた。
「っと……たしかこの辺りのはずなんだけど」
ロウがぴたりと立ち止まり、テンレイを解放する。そして、一人で何かを探し始めた。
その小さな後ろ姿を見ながら、テンレイは来た道を振り返った。
クトックナー城は、随分と小さくなってしまっていた。
市場の活気もここには届かず、鴎の鳴き声と海鳴りだけが、辺りを支配している。
(城から離れると、これか……)
立ち並ぶのは、丸太を積み上げただけと言っても過言ではない粗末な物置小屋ばかり。石畳は辛うじて続いてはいるものの、所々亀裂が入ったり、砕けていたりしており、酷いところでは無くなっている。
好奇心から、小屋と小屋の隙間を覗いてみるが、薄暗すぎてあまりよく見えなかった。ただ、人の気配がした。
気配を感じたと同時に、テンレイは身を引いていた。本能的に、危険を感じ取ったのかもしれない。
(全く……隙だらけなのはどっちだか)
腰の小刀に手を置いて、意識を研ぎ澄まし周囲を警戒する。
……よし、問題はない。
(にしても、少しだけ疲れた)
ピンと張りつめた緊張がゆるむと同時に、忘れていた疲労感が噴き出す。
思えば、朝はトワル城中を駆け回っていたのだ。その程度でくたびれるほど柔ではないが、そもそも昨日は宴で、その疲れは、今朝のクオレの早すぎる目覚ましのせいでほとんどそのまま残っているのだ。さらには、強光と慢性的な酸欠と来て、流石に堪えたようだ。目眩はいつしか痛みに代わりつつあった。
テンレイは相変わらず照りつける陽光を忌々しげに一睨みしてから、適当な日陰を見つけてそこに逃げ込んだ。そして、服が汚れるのも構わず、腰を下ろした。
(静かだな)
潮騒が耳に心地よく、思わず眠ってしまいそうだ。日陰に逃れれば、凶悪な日光も穏やかな温もりだけになって、眠気を誘うだけである。
目を閉じて、潮騒を聞いていると、遠くの方からロウの声が聞こえてきた。
「あったぜ! 早く来いよ、テンレイ」
とりあえず目を開いた。
声の方向を見遣ると、果たして彼は居た。連なる物置小屋の端で、海を背に両手を挙げて待っていた。
重い腰を上げて、テンレイはロウに歩み寄る。
「ほら、ここだぜ」
ロウが指し示したのは、連なる物置小屋の中で一際目立つ、赤煉瓦の二階建ての小洒落た家屋であった。
「hope rain……?」
その屋根には、煤け、朽ちかけた一枚板の看板が掲げてあった。その文字は消えかけており、目を凝らさないと読みとれない。
視線を下ろすと、看板と比べれば新しく、艶のある樫の扉が目に入った。その扉の上方にある、扇形をした小窓の下にBarの三文字があった。
「おい、ここって酒場じゃないか」
「そうだけど、どうかした?」
「どうかしたって、お前な……」
ロウのきょとんとした様子に、テンレイは頭を抱えた。
何故なら、二人は未成年なのだ。こんな場所に用はないはずだ。
「冬ならともかく、今、夏だぞ?」
「そんなの言われなくても分かるって」
ブリステアは、冬場は海が凍結してしまう程、寒冷な地方なので、寒さを凌ぐために子供でも酒を飲む。
事実、それは国法でも認められている。ただし、それはもちろん冬季のみだ。嗜好品として飲むのは、成年――16歳――からしか認められていない。
だが、今は初夏だ。つまり、酒場に用はない。
テンレイは、難しい顔をして首を捻った。めまいが酷くなったような気がした。
とりあえず、今帰っても、アルヴァの説教が長くなるだけだ。
そう己に言い聞かせて、テンレイはロウに問いかけた。
「ここに何かあるのか?」
わざわざここを選んだ理由があるのだろう。
貿易の要衝で、人の往来が激しいクトックナーには酒場など、どこにでもあるのだ。こんな場所までこなくとも、城の近くにも、市場にも、両手で余るほどたくさんある。
案の定、ロウは含みのある言い方をした。
「実はな……」
そう言って、少し背伸びして耳元に口を寄せる。
「は? お前、正気か?」
ここを選んだ理由があまりにも理解しがたく、テンレイは思わず聞き返した。
何故ならば――。
「もちろん! まさか自分の家に居るとは思わないだろ?」
ロウが連れてきたのは、彼の世話係でもあり、ここクトックナーの騎士団長レドール・アイヴィスの家であった。
「あいつの家が酒場ってのは前々から知ってたけど、場所を探すのに苦労してさあ。ほら、クトックナーって酒場だらけだろ?」
騎士たちに聞きまくってようやく見つけたんだぜと、胸を張るロウ。
聞き回っていたことを告げ口する騎士もいるのではないかという懸念を抱いたが、それは取り越し苦労だと気がついた。見つかったところであの睡眼の騎士団長は、困った顔をしながら笑うだろう。
「ほら! 早く、入ろうぜ!」
ロウは目を輝かせながら、待ちきれないとばかりに、テンレイの腕をぐいぐい引っ張った。
「仕方ないな」
呆れたように笑って、テンレイはロウに従った。