第1話 宮廷修繕士、無能と呼ばれて追放される
「ルカ・フェルド。お前を本日付で王宮修繕局から解雇する」
王宮第七魔導整備室。
石造りの広い部屋に、冷たい声が落ちた。
俺の前に立っているのは、上司である魔導整備長バルド・グレイン。
腹の出た男だが、胸元の勲章だけはやたらと立派だ。
その周囲には、同僚だった魔術師たちがずらりと並んでいる。
誰も俺の目を見なかった。
「……解雇、ですか」
「ああ。正確には、追放に近い処分だな」
バルドはわざとらしく肩をすくめた。
「王宮は今後、より高度な魔術運用へ移行する。お前のような、壊れた椅子や扉を直すだけの地味な修繕士は不要だ」
「俺は椅子と扉だけを直していたわけではありません」
「ほう?」
バルドの眉が吊り上がる。
「では聞こう。お前は火炎魔導砲を撃てるのか? 転移門を起動できるのか? 王都全域を覆う防御結界に、魔力を流し込めるのか?」
「それは……できません」
「なら無能だ」
周囲から、くすくすと笑い声が漏れた。
俺は唇を結んだ。
派手な魔術は使えない。
それは事実だ。
俺にできるのは、壊れた物に触れ、その物が本来持っていた形を感じ取ること。
歪んだ魔導管を戻す。
焦げた回路を繋ぎ直す。
摩耗した魔石受けを整える。
緩んだ結界杭を、本来の角度へ戻す。
誰かが使えるように、ただ静かに直す。
それだけだった。
「ですが、王宮の魔導具はまだ不安定です。特に西塔の冷却炉と、地下水路の浄化装置は――」
「黙れ」
バルドの声が一段低くなった。
「お前は最後まで、自分が王宮を支えているつもりか?」
「そういう意味ではありません。ただ、あの二つは定期調整を止めると危険で――」
「危険なのはお前の勘違いだ」
バルドは机の上に一枚の書類を叩きつけた。
解雇通知書。
そこには、俺の名前と、処分理由が書かれていた。
能力不足。
協調性の欠如。
王宮魔導設備への不必要な干渉。
……不必要な干渉、か。
俺が夜中まで残って直してきたものは、全部そう扱われるらしい。
「お前の後任には、若く優秀な魔術師を入れる。彼らなら、もっと効率よく王宮設備を管理できるだろう」
バルドが視線を横へ向けると、派手なローブを着た若い魔術師が胸を張った。
「ご安心ください、整備長。こんな旧式修繕士の仕事など、僕たちなら一日で引き継げます」
「頼もしいことだ」
バルドは満足そうに笑った。
俺はその若い魔術師の後ろにある壁を見た。
壁には、王宮全体の魔導網を示す古い制御盤がある。
その一番端。
西塔冷却炉を示す小さな青い光が、わずかに明滅していた。
……やっぱり、冷却が乱れている。
今朝、調整しようとしていた場所だ。
だが解雇通知に呼び出され、手をつけられなかった。
「整備長。せめて西塔だけでも今日中に確認を――」
「まだ言うか!」
バルドが拳で机を叩いた。
同時に、制御盤の青い光が一瞬だけ赤く揺れた。
俺は反射的にそちらへ踏み出した。
だが、二人の騎士が俺の前に立ち塞がる。
「ルカ・フェルド。私物をまとめ、ただちに王宮を去れ」
「……わかりました」
これ以上言っても無駄だ。
俺は小さく息を吐き、作業机へ向かった。
机の上にある私物は少ない。
革の工具巻き。
古い作業手袋。
欠けた魔石を入れた小瓶。
それから、師匠にもらった小さな木槌。
十年近く、この王宮で働いた。
朝は誰より早く来て、夜は誰より遅く帰った。
舞踏会の照明が落ちないように。
王女の部屋の暖炉が煙を逆流させないように。
騎士団の訓練場の結界が、訓練兵を傷つけないように。
誰かに褒められることはなかった。
でも、それでよかった。
壊れた物が直る。
誰かが普通に使える。
その普通を守る仕事が、俺は好きだった。
「おい、ルカ」
後ろから声がした。
振り返ると、同僚の一人、マルクが立っていた。
彼は少しだけ気まずそうに目を逸らし、小声で言う。
「悪く思うなよ。上の決定なんだ」
「別に恨んでない」
「なら助かる。あ、そうだ。お前の担当記録、全部こっちで引き継ぐから」
「記録なら棚の三段目に――」
「いや、もういらない」
「……いらない?」
マルクは笑った。
「だって、ほとんど勘みたいな内容だろ? この音なら魔導管に歪みあり、とか。ここの温度が少し高いから三日以内に調整、とか。そんなの新体制じゃ使わないんだよ」
「使わないと、壊れる」
「壊れたら直せばいい」
「壊れてからでは遅い設備もある」
「だからその大げさなところが嫌われたんだって」
マルクは、もう俺に興味を失ったように背を向けた。
俺は工具巻きを抱え、整備室を出た。
廊下は相変わらず美しかった。
磨かれた白い石床。
天井には魔導灯が並び、昼のように明るい。
壁の紋章は金で縁取られ、窓から入る光を受けて輝いている。
けれど、俺には見えていた。
東側の魔導灯は、もう光量が安定していない。
床暖房の魔力循環は、二割ほど詰まっている。
王族専用通路の結界は、見た目だけ綺麗で内側が腐り始めている。
王宮は豪華だ。
だが、あちこちが壊れかけていた。
それでも俺は、もう触れることができない。
「ルカ」
正門へ向かう途中で、柔らかな声がした。
振り返ると、灰色の髪をひとつに結った年配の侍女が立っていた。
「マーサさん」
「本当に出ていくのかい?」
「出ていけと言われましたから」
「そうかい……」
マーサさんは、俺が新人の頃から王宮で働いている侍女だ。
俺が夜中に暖炉を直していると、よく余り物のパンを持ってきてくれた。
「お前さんがいなくなったら、また冬場に廊下が冷えるねぇ」
「後任が来るそうです」
「あの子たちに、古い暖炉の機嫌がわかるかね」
マーサさんは苦笑して、小さな包みを差し出した。
「持っておいき。昨日焼いた木の実パンだよ」
「ありがとうございます」
「行くあては?」
「まだ決めてません。とりあえず、王都を出ようかと」
「なら西へ行きな」
「西?」
「辺境のルベル村に、古い宿がある。昔は良い宿だったんだよ。白い狼の看板が出ていてね。今はどうなっているかわからないけど……お前さんなら、ああいう場所のほうが合うかもしれない」
「白い狼の宿……」
マーサさんは、少し寂しそうに笑った。
「王宮みたいな場所はね、壊れていることを認めたがらない。けど、古い宿は違う。壊れているなら、直してくれる人を待っている」
胸の奥が、少しだけ温かくなった。
「行ってみます」
「ああ。腹を空かせるんじゃないよ」
俺は頭を下げ、王宮の正門を抜けた。
門の外には、王都の喧騒が広がっていた。
馬車の音。
商人の声。
焼き菓子の匂い。
人々の笑い声。
王宮を追い出されたというのに、不思議と涙は出なかった。
悔しさはある。
理不尽だとも思う。
でも、同時にどこかでほっとしていた。
もう、誰にも見えない場所で壊れかけた物を抱え込まなくていい。
もう、直して当然だと言われながら、手柄だけ奪われなくていい。
俺は、俺の手で直したいものを直してもいいのかもしれない。
その日の夕方。
俺は乗合馬車に揺られ、王都を離れた。
西へ進むほど道は細くなり、石畳は土道に変わる。
窓の外には、黄金色の麦畑と、遠く青い森が広がっていた。
馬車の車輪は何度も石に乗り上げ、そのたびに客が文句を言った。
「この道もひどいな」
「辺境なんてこんなもんだろ」
「ルベル村? あそこに行くのかい、兄ちゃん」
隣に座っていた商人風の男が、俺を見た。
「はい。宿があると聞いて」
「ああ、白狼亭か」
「知っているんですか?」
「昔はな。旅人なら一度は泊まれって言われる名宿だった。飯はうまいし、湯は温かいし、女将は美人だし」
「今は違うんですか?」
男は気まずそうに頬を掻いた。
「何年か前に主人が亡くなってから、すっかり寂れたらしい。屋根は抜ける、井戸は濁る、客は来ない。若い女将が一人で頑張ってるって話だが……まあ、時間の問題だろうな」
壊れかけの宿。
俺は膝の上の工具巻きを握った。
なぜだろう。
王宮を出た時より、少しだけ胸がざわついた。
日が沈みかけた頃、馬車はルベル村に着いた。
村は小さかった。
数十軒の家。
細い煙突。
畑の向こうに、深い森。
そして村の外れに、その宿はあった。
傾いた屋根。
割れた窓。
蔦に覆われた壁。
入口前の石段は欠け、軒先のランタンは錆びている。
看板は、半分落ちかけていた。
そこに描かれているはずの白い狼は、雨風でほとんど消えている。
「……ここか」
近づくと、扉の奥から慌ただしい音が聞こえた。
「きゃっ!」
何かが倒れる音。
俺は反射的に扉を押した。
ぎぎ、と悲鳴のような音を立てて扉が開く。
中では、一人の女性が床に座り込んでいた。
栗色の髪を後ろでまとめ、白いエプロンをつけている。
年は俺より少し上だろうか。
大人びた柔らかさと、どこか無理をしている明るさが同居した人だった。
彼女の前には、脚の折れた椅子が転がっている。
「あ、あはは……すみません。お客様ですか? 今ちょっと椅子が反抗期でして」
「椅子が反抗期」
「はい。うちの家具、だいたい思春期なんです」
無理のある冗談だった。
けれど、その人は笑っていた。
泣きそうな顔で。
「泊まれますか?」
俺が尋ねると、女性は一瞬だけ驚いた顔をした。
「……本当に?」
「はい」
「雨漏りしますよ?」
「大丈夫です」
「床も少し抜けます」
「気をつけます」
「お湯は、ぬるいか冷たいかの二択です」
「選択肢があるなら十分です」
女性はぽかんと俺を見たあと、ふっと笑った。
「変なお客様ですね」
「よく言われます」
「私はミラ。この白狼亭の女将です」
「ルカです。元、宮廷修繕士です」
「宮廷……?」
ミラさんの目が丸くなる。
その時、入口の上でぎしりと音がした。
半分外れかけていた看板が、風に揺れている。
次の瞬間、錆びた金具が悲鳴を上げた。
「あっ、危ない!」
看板が落ちる。
ミラさんの頭上へ。
俺は咄嗟に踏み込み、片手で彼女の肩を引き寄せ、もう片方の手で落ちてくる看板を受け止めた。
重い。
だが、まだ完全には死んでいない。
木目に触れた瞬間、俺の中に古い記憶が流れ込んできた。
旅人たちの笑い声。
暖炉の火。
湯気の立つシチュー。
白い狼の絵を見上げる子供。
若い夫婦が、この宿の前で並んで笑っている姿。
この看板は、ずっと待っていた。
もう一度、宿の名前を掲げる日を。
「……直せる」
俺は小さく呟き、看板に手を当てた。
指先から、淡い光が広がる。
割れていた木目が繋がり、剥げた塗料が戻り、錆びた金具が静かに形を取り戻す。
消えていた白狼の絵が、月明かりのように浮かび上がった。
看板に刻まれた文字も、はっきりと蘇る。
――白狼亭。
ミラさんは、息を呑んだ。
「うそ……これ、おじいちゃんの代から一度も直らなかったのに……」
俺は看板を入口の上へ掛け直した。
風が吹く。
白い狼の絵が、夕暮れの光を受けてかすかに輝いた。
まるで、眠っていた宿が目を覚ましたみたいだった。
ミラさんが、震える声で尋ねる。
「ルカさん……あなた、本当にただの修繕士なんですか?」
俺は少し考えてから答えた。
「たぶん、ただの修繕士です」
その瞬間。
宿の奥で、長いあいだ冷えていた暖炉が、誰も火をつけていないのに――ぽっと赤く灯った。




