第4話:愛し方を教えてくれた人
12月も半ばを過ぎると、東京の街はどこもかしこもクリスマスソングと煌びやかなイルミネーションに包まれる。恋人たちが肩を寄せ合って歩く表参道の交差点を、堂島の運転する黒い輸入車が滑るように通り抜けていった。
車内は、上質なレザーの匂いと、彼がいつも纏っているウッディな香水、そして微かなシガリロの香りで満たされていた。
「美桜。今日は、君に味わってほしいワインがあるんだ」
ハンドルを握る堂島の横顔は、街灯の光を浴びて彫刻のように美しかった。
連れて行かれたのは、西麻布の路地裏にある会員制のフレンチレストランだった。看板一つない重厚な扉の奥で、美桜はこれまでの24年間の人生で経験したことのない、洗練されたエスコートを受けた。
彼が選んでくれたヴィンテージワインは、口に含んだ瞬間、花束のように華やかで、その後にビターな余韻が長く残る深い味わいだった。
「……すごく、美味しいです。こんなワイン、初めて飲みました」
「よかった。君には、若いうちにこういう本物の味を知っておいてほしかったんだ」
堂島は目を細め、グラスを傾ける美桜を愛おしそうに見つめた。
「焦って大人になる必要はない。でも、世界には君がまだ知らない美しいものがたくさんある。それを、少しずつ君に教えてあげたいんだよ」
堂島の言葉は、いつも穏やかで押し付けがましいところが一切ない。
彼は美桜の意見を尊重し、子供扱いせずに一人の女性として大切に扱ってくれる。彼と一緒にいると、自分が少しだけ特別で、価値のある人間に生まれ変わったような錯覚に陥る。
ワインの選び方、美しい絵画の楽しみ方、そして、静かで深い愛の交わし方。
堂島は、その大きな手で美桜を包み込み、大人の男としての「愛し方」を、一つひとつ丁寧に美桜の心と体に刻み込んでいった。
食後、静まり返った車内で信号待ちをしている時、堂島はふいに美桜の右手をとり、その細い指先にそっと唇を落とした。
トクン、と心臓が跳ねる。
「……美桜。君は本当に、綺麗だ」
彼の深い声が、耳の奥を甘く痺れさせる。
嬉しいはずなのに、胸の奥がチクリと痛んだ。
彼のこの完璧な優しさや、洗練された振る舞いは、彼がこれまでの人生で培ってきた時間と、そして「帰るべき場所」での安定があるからこそ成り立つものなのだ。私が彼に教わっているこの美しくて甘い愛情の作法は、いつか彼が私のもとから去った後、私をひどく苦しめることになるだろう。
この先、私が彼以外の誰かと結ばれる日が来たとしても、きっと彼が基準になってしまう。
彼ほど深く、優しく、私を愛してくれる人なんてもう二度と現れないのではないか。彼が私に教えてくれたこの大人の恋の形が、私の心を永遠に縛り付けてしまう。
「堂島さん……」
美桜は、繋がれた彼の手をきゅっと握り返した。
「私、あなたが教えてくれること、全部忘れたくありません。どんな小さなことも」
堂島は少しだけ驚いたように目を瞬かせた後、優しく、けれどどこか寂しげな微笑みを浮かべた。
「……僕もだよ。君が新しく見せてくれる表情を、一つ残らず覚えておきたい」
青信号に変わり、車がゆっくりと動き出す。
窓の外を流れる東京タワーのオレンジ色の光が、二人の顔を交互に照らし出していた。彼の唇から香る、ほろ苦いシガリロの匂いが、今日はなぜか、ひどく切なく感じられた。




