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5.異世界へ(2)

 それは栗色の髪をポニーテールにした少女だった。その身なりといえば、白の上衣の上から橙色のベスト纏い、さらに焦げ茶色のスカートと朱色のマント、というもの。一見するとマントがあれだが、それ以外は俺の元いた世界の同年代がしていた服装と大して変わっているようには見えない。


「助けて!」


 だが明らかな違和感があったとすれば、その顔だ。いや、それはむろん俺と同じ人間に属す、むしろかなり可愛らしい部類に入るものではあったものの、


「え、俺?」

「そう、そこの君!」


 そう、その面立ちは日本人離れした、というかまさしく俺の世界では西洋、それも白人に当たる範疇そのものだったのである。


「私、追いかけられているの!」


 そうして突然現れた少女は道を大急ぎで駆け抜けてきて、眼をしばたたかせるばかりの俺の元へ近づくや必死の表情でそう告げる。それはまさに肩で息をする、緊急事態にこれ以上ないほどふさわしい様相だった。


「でも、誰に……」

「あいつらよ!」

「へ?」


 何より喋りながらも右手で懸命に自分の背後示し、追手がやって来ることを表していたのだから。


「あ、あいつらって」


 むろん対する立ち上がった俺は俺でどこまでも戸惑いに満ちた表情隠せぬまま、そんな少女の指差した方向慌てて見つめたのだが。


「あ、こんな所にいやがった!」

「へへ、だがこりゃまさに袋のネズミだ、さっさと捕まえちまおうぜ!」

「ふん、俺たちの女に手を出そうとしたからな、痛い目みせてやる」


 すると視線の先、道向こうの曲がり角からぬっと現れた三人の男たち。革鎧にサーベルなど、実に纏っている雰囲気も物騒かつ荒々しい。むろんここが町中である以上そうしてその様相だけでも十分驚愕に価したが、しかしそれを見た俺がもっとも驚き覚えたのは実はまったく違うポイントであり……。


「え、嘘だろ、豚が喋っている……」


 すなわち彼らの持つ容貌は、まさしく俺の世界で言うところの豚、あの家畜動物そのものに他ならなかったのである。



「よお、ボーガン様の店の女を連れて行こうとするとは、いい度胸しているじゃねえか」

「べ、別にいいじゃない、私たちの酒場で働いてもらえるか、スカウトするくらい!」

「だからそれが御法度なんだよ、あの酒場の女どもは皆、お頭のものだからな」


 そして突然始まった、俺を除く両者の激しい言い争い。それはまさしく、この世界に来たばかりの人間には余りに訳の分からぬものだった。


「大体お前白羊亭の娘だろ? あんなすぐ潰れそうな店に、大切な従業員引き抜かれてたまるかよ!」

「失礼ね! それにこっちは従業員としてじゃないわ、言っておくけどっ。とにかくもう分かったから、さっさとあっち行ってよ!」


 しかし勇敢にそう言い放ちつつ、少女の方はなぜか傍観者のはずの俺の小さな身体の陰におずおず隠れようとする。どう考えても彼女より身長の低い俺の陰に、だ。それゆえ初めて三人の豚人間――これっていわゆるオークというやつなのか?――の視線が一斉にその惑乱状態の第三者へ向けられたのは言うまでもなかった。


「ん、何だこのチビ? ひょっとしてグラスランナーか」

「あ、ども、初めまして……」

「お前、この女の仲間か?」


 しかも、途端その茶色い瞳を三人一気に凶悪な色で染めて。


「何だ、邪魔するつもりかよ?」


 当然、その中の一人がぐいっと身体を前、俺の方へ眼光鋭いまま近づけてくる。むろんその手にしたサーベルが、同時にいやに剣呑な輝き放っていた。


「いや、そんなつもりは……」


 対する俺は、当たり前だが身体硬直させつつそう答えるしかなかったものの。


「だったらさっさとどきな、俺たちの用があるのは、その女だけなんだ」

「あ、でも、嫌がっている人を無理矢理連れて行くのは――」


 ――しかしさらに男が手を少女の方へ伸ばそうとするや、魔が差したというべきかなぜか途端、そんな妙な事口走ってしまったのだった。


「! 何だと、こいつ!」

「やっぱり仲間じゃねえか!」


 それゆえたちまちにしてその言葉はオークたちの感情分かり易く逆撫でする。何より刹那明らかに俺を敵対者と認めたのだろう、その声音までもが何段階か危険度を増し。

 そう、そうしていつしか、場の緊迫度は異常なまでに高まっていき……。


「許さねえぞ!」


 はたしてオークの一人がサーベルの切っ先ぐいとこちらに差し向けるや、他の二人も疾くそれに倣っていたのである。


 剣を自らに向けられている――その生まれて初めての事態に、途端冷静さ失う俺。

 しかも相手はオーク、神話やファンタジーに出てくる連中と同じなら、その正味の強さはともかく相当狂暴な性格持っている奴らのはずだ。ごめんなさいであっさり済むような相手とも思えない。それゆえ必然的に、俺は俺で身構えつつ何か武器がないか慌てて身体中探してみるも。


「う、何もない……」


 案に相違して、腰のベルトにもどこにも、それらしきものは何一つ見当たらなかった。


(完全に丸腰かよ!)


 当然、そんな失望の声を心の中で盛大に放つのが精一杯。しかも青い顔をしながら。さらに畢竟、その心もとない様子は相手をしてにやりと豚ながら人間風の下品な笑み浮かべさせ、


「へへへ、どうやら武器は何もないようだな。こりゃ楽勝だ」


 そんな余裕の一言まで告げてくる始末なのだった。それはまさに自らの勝利を確信した者の大言そのものと言って良いだろう。


「どうする? さっさと片づけちまうか?」

「ああ、そろそろ昼飯時だしな」

「ま、待って、そんな乱暴なこと……」


 すると途端隣の少女が慌てて口を挟もうとするも、もちろんもはや事態はどうにもならず。

 たちまち辺りに立ちこめる、狂暴な気配。

 そして問答無用とオークたちはぎらり瞳の色輝かせ、サーベル手に一層じりじり俺との距離を詰めてきて――。


(――ご命令を)

(え?)

(我らにどうか、あなたを助けるようご命令を)


 ……しかし、まさにその白刃が振られんとする、その時だった。


 俺はふいに、自分の耳がその声を捉えたことを悟った。

 だがそれは決して普通の声ではない。明らかに、心の中に直接届いたものだ。まるでテレパシーのごとく。当然びっくりした俺は一瞬状況も忘れ呆然とするも、


(早く、オークたちが斬りかかってきます)


 その声はさらに確かに、しかも力強く聞こえてくる。急ぎハッとした俺が応じていたのはわざわざ言うまでもない。


(助けてくれる、のか?)

(もちろん。あなたのためなら)


 あくまで実直で、心強い声音。まるで忠実に主を守る騎士のように。

 それはやはり確かに、俺の心の内にまっすぐ到達する響きで――。


(じゃあ頼む、こいつらを追い払ってくれ!)


 そしてそうした会話の結果心の声はこちらの方からも問題なく届けられることをすぐ知ると、俺は勢いその誰かも分からぬ相手へ向かって、力の限り、ただし心中で思いきり叫んでいたのだった。


「ん、何だあれは?」

「カラス?」


 かくて剣振り下ろされるその寸前、オークたちに何か異常事態が起きたこと、ふいに気づかせながら。



「カアアア!」

「わあ、何だこいつら!」

「何でこんなにカラスが!」


 ――はたして次の瞬間、場は予想を超えたとんでもない状況と化していた。

 突如として、上方より数え切れぬくらいのカラス、オークたちの注意引いた存在が連中狙って襲来してきたのだ。しかも実に正確に、冷酷に。むろんオークの方も手にした得物振り回して必死に防戦しようとしたが、その数を前にしては到底敵うはずもない。瞬く間に、彼らの大きな身体は黒い鳥たちに一斉に包みこまれていた。すなわちそれはまさしく空からの強烈な奇襲、さすがの荒くれ者たちもただならぬ怯え、一切隠すことすら出来ず……。


 「くそ、駄目だ、一旦引き上げるぞ!」

 「畜生、憶えていやがれ!」


 彼らはたちまちにして、その身守りながら捨て台詞残し慌てて通りの向こうへ逃げ去って行ったのである。

 以前の威勢がまるで幻だったかのように。

 兎ならぬ、脱豚のごとく。


 そうして当然これで、ようやく剣呑な空気は遠ざかって行き。


                  ◇


「え、凄い……」


 すると後に取り残された、栗色の髪の少女が知らず驚いた呟き零していた。


「今の、あなたがやったことなの……?」


 さらにやがてカラスたちも空や屋根へと去り、場が再び元の静けさ取り戻すと、少女がいまだ驚いた顔で言う。それは間違いなく今起きた現象を、とても信じ難いと思っている者の響きだった。


「え? ああ、まあ……」


 むろん対する俺としてもはいそうですと即座には応えかねたものの、しかし実際カラスが命に従ってくれたこともあり、一応肯定の印は示す。それでも当然と言うか、いまだ先ほどの現象が自分の中ですら半信半疑なのは言うまでもなかったが。


「魔法が使えるんだ」

「魔法? 俺が?」

「うん、だってカラスたちを操ったじゃない。……とにかくありがとう、本当に助かったわ。それで、私はメイル、メイル・ファレルっていうの。あなたの名前は?」


 そうして少女――メイルという名らしい――はにこやかに笑み浮かべると、そんな問い発してきた。

 栗色のポニーテール、きりりとした眉、その下の茶色くつぶらだが、力のある瞳、桜色の唇。……それは顎が少し尖った丸顔した、16、7くらいと思われる少女だ。何より、全身から眩しい生命力の輝きが放たれている。もちろん少なくとも、かつての俺には僅かばかりしか存在しなかった。

 それゆえ俺が束の間とはいえぼうっとしてしまったのは言うまでもない。間違いなく、今目の前にいる娘は前世の俺ではついぞ深く関わることのなかった類型に属していたのだから。


「えっと、名前?」


 ……当然の如く、やっと出てきた答えにも動揺が明らかに含まれていたというもの。むろん対する相手の方はそんなこと露知らず、変わらず俺からのちゃんとした応答、待っていたとはいえ。


「そうだな――」


 だからだろう、俺はその瞬間必死に頭働かせ、東陽平ではないここでの名前、とっさに何とか絞り出そうとしたのだった。


「うん、レト……。そう、それが俺の名さ」


 かくしてそれから数秒後最終的に出てきたその適当な言葉が、はたしてこの世界ではどんな感じで受け入れられるのか、新参者にはまるで予想つかなかったものの――。

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