4.異世界へ(1)
かくて『門』は開け放たれ、数多にも及ぶ時間、膨大なる幾つもの世界の中より、そこは必然のごとく選択された――。
涼しげだが、どこかじめついた空気。
遥か上、長方形に切り取られた、青空。
身体の下には、何やら柔らかい、だがごわごわしたマットレスのようなものの置かれている気配。
周囲はどこまでも静かな雰囲気で包みこまれ。
そう、時おりいずこかで、カラスたちがカアカア忙しなく鳴いている以外は……。
「……え?」
――すなわちそれが、目覚めた瞬間俺が新たな世界で初めて感じた、いわゆる第一印象というやつだった。
感覚的には、番人たる老人の最後の言葉から僅か数秒も経たない内に早くも、だ。しかもまるであそこでの出来事が全て夢だったかのように、同時に今やあの浮遊感めいたものは見る影もなくあっさりと消え去っている。
これで霞がかった頭がどことなくあの場面憶えていなければ、その現実感ゆえにかえって俺はここを元の世界だと思いさえしていたことだろう。
とはいえその老人の記憶はいまだ健在だ。夢幻で片付けるには難しいほど。
特に彼が言っていた、まったく違う世界、という言葉。それがどこまでも俺にとっては印象的に過ぎ――。
「どこだ、ここ?」
それゆえ俺は遅まきながらはっきりしだした意識の下、ようやくにして注意深く周囲観察してみることにしたのだった。
とりあえず、まずは身体動かそうとその下に敷かれたマットレス――と思われるものからの起立を試みる。何より、訳の分からぬ方法で突然異世界へ飛ばされたのだ、この身が無事なのかを第一に確認しなければならない。
「……わ!」
――と、だがそうしてまず先に半身起こしかけた、その途端だった。
「うわああ!」
突如として下のマットレスがぐらりと大きく動き出し、たちまちにして俺は身体のバランス自体を失う。それはまさに大地が揺れ動いた級のレベル、たまらず当のマットレス――しつこいようだが、そのようなもの――へ手を掛けていたのは言うまでもない。当然ながら、そうやってここは何とか踏ん張るしか道はなかったのだ、振り落とされないためには。……しかし結局のところ、それが俺にとって大いなる仇となることも知らずに。
そもそも冷静に考えれば、ただの寝具がそんな大胆な動きをするわけがない。
そう、どうやら俺の下に置かれていたのは、大きな麻の袋だったらしく――
「お、お、落ちる!」
そうしてその袋は、たちまち上に乗った素性も知れぬ不審者を放り出そうと暴れ出し、
「痛ええ!」
……次の瞬間、哀れ俺の身体は下の地面に尻から容赦なく叩きつけられていたのである。
「くそ、どうなってんだ……」
十数秒後、細い石畳の道路の突き当りで、何とかダメージ回復し袋の傍に座りこむ俺の姿があった。
むろんアクシデントといっても、高さ1メートルほどの袋の上から落ちた程度、さほど痛みはなく、ましてや打ちどころも良く怪我などはまるで認められない。ただ、突然のことでショックが大きかったというだけのことだ。当然の如く、すぐに気持ちは再びこの世界を観察しようとする感じになっている。
(うーん……)
ただしそうしてそれでは、と注意深く周囲見回してみるも今は人っ子一人おらず、広がっているのはただただ寂寥とした世界のみ。そう、何より、この一帯は昼間だというのに嫌に薄暗い空気に包まれていて。すなわち遥か頭上には綺麗な青空が望めるというのに、それを囲むように俺の左右、背後の方から高い石壁がぐんとそそり立っていたのだから。
(町の中、か)
だがはたしてその圧迫的ですらある景色に、俺が青空見つめつつ一人得心いっていたのは事実だった。つまりは門の老人は約束通り俺をこのまだ名も知らない街のどこやらの通りへと転移させたのだろう、かくてここが彼の言うところの「まったく違う世界」の言わば入口となったのは間違いなかった。
むろん、ではそれが理解できたところで、差し当たりこれからどうすべきかはまるで思いつかなかったのだが。
(! あのじいさん、そう言えば姿も変わるみたいなこと話していたな)
と、そこでふと余りに重要極まるキーワードを一つ思い出す。つまりは、この世界へ行けば、そこに適応した者の姿となるという……。
(くそ、でもここじゃよく分からない……)
とはいえ鏡も何もない現状では、自分の姿、特に顔を詳らかに見ることなどとても不可能。従って両手でその顔を触ってみたりしたものの、そこから得られた情報もほとんどなく。
(……あれ? でもひょっとして)
だが、そうして結局戸惑いばかりが大きくなった、その時だった。
顔に触れた手、座っているため地面に投げ出された状態の足、そして白い服纏った、その上の胴体……。
すなわち視界に入るその全てのパーツが、おしなべて予想外ともいえる様相示していたのだ。
「まさか俺、子供なのか?」
そう、知らず口に出してしまっていたように、間違いなくこの身はまだ幼い、それも十代前半程度の者だとしか思われなかったのだから。そう考えると、確かに身体全体がやけに軽いようにも感じられる。――もちろん実際のところ、その中身は幼少期などすでに遠い38歳のおっさんだったのであるが。
いずれにしても、まさか次なる人生をあろうことかガキの身体から始めなければならないとは、と、その途轍もなく想像外の事態にこの街の調査も忘れしばし頭の中が惑乱で一杯となったのは必然でしかなかった。
「何でこんな……」
当然ながら、同時にそんな文句めいた呟きさえ知らず零しつつ。
そうして俺は薄暗い道の中半ば呆然としながら、相変わらず所々でかしましいカラスの鳴き声、束の間聞くともなく聞いていたのだが。
――しかし、そのめくるめくような一刹那。
「キャアアア!」
「!」
突然、カラスに混じって紛れもない若い女性が恐怖の叫び声放ったのを、しかとその耳は捉えていたのだった。




