44.老婆再び
プロキオンデビュー公演から三日後のこと、俺はフィンク大路にあるギルドホールへ再び足を運んでいた。
「歌の教師ですか?」
「はい。お願いします」
「しかし、ご予算がそれだけでは……」
その目的はもちろん、新しい教師を確保するためだ。すなわちとにかくエドラとユージンが来られなくなった以上、別の教え役を探すのは、間違いなく今の俺にとって喫緊の仕事だったのだから。
「なら、これでどうにかなりませんか?」
「うーん、ちょっと無理ですね……」
そう、何よりあんな普通ならへこむ程度では済まない悲劇的出来事あったにも関わらず、俺のアイドルグループ作るという情熱は、一向にいまだ衰える兆し見せておらず。つまりグループ再起のためには、やはりちゃんとした教師に教わるのがまずは大前提のはずで……。
「そうですか、すいませんでした」
それゆえ歌手ギルドの受付にすげなく教師紹介断られても、俺のやる気がなくなること自体は決してないのだった。
(ふう、やっぱりだめか……)
予想通りの展開に、心の中でそんな声、密かに零しつつ。
ちなみに初公演以後、白羊亭ではまだ一回もプロキオンのレッスンは行われていない。いや、そもそもメンバーが全員集まることすらなく、すなわちあれ以来一度も顔を見せないユリアーデ筆頭として、状況はもはや完全に開店休業そのものだったのである。
「俺としても、まだやる気があるなら応援したいんだがな」
むろんスコットは気を利かせたのかそんな言葉掛けてくれたが、しかしだからといって少女たちがすぐ元気を取り戻せるとも思えない。そう、今はまだ浅からぬ傷を癒す期間である以上、さすがに無理をさせるわけにはいかず、何よりそのままグループが自然消滅しないためには、とりあえず俺がまた奮起しなければならなかったのだから。
はたして何よりもまずはそのために、僅かな希望求め再びこのギルドホールへやって来たというのもあり。
(うーん。でも、後はどうしよう)
――とはいえそうして勢い訪れたものの、結果はやはり前回同様、つまり眼前に立ちはだかったのは金の余りに高い壁だった。それも多少背伸びすれば届くようなレベルではないような。
もちろんかといってファレル家に相談しようにも、あそこの現在の財政状況考えるととても即効の解決策など見当たらず、結局俺にはまた以前のようにホールの隅っこでしばし呆然とする以外やることがなくなってしまう。
つまりは元の木阿弥、なんだかんだで今さらながら仕事はまた振り出しへ戻ってしまったような観さえ呈してきて。
相変わらず様々な種族の人でごった返した、やたら広々した巨大なホールの中、一人ポツンと。
もちろんかようなグラスランナーの姿は、そうでなくてもただでさえ妙に浮いて見えていたはずであり――。
「おや、あんた?」
そしてそのためだろう、そんな半ばボウっと人の往来見つめるばかりだった刹那、その女性の声は、俺の横からふいに聞こえてきたのだった。
◇
「え?」
当然ながら驚き隠せない俺。むろんそれはいきなりだったこともあるが、しかしそこにはまた同時に異なった種類の驚きも含まれていたのである。
「あなたは――」
すなわちその声音は明らかに俺にとってどこか聞き馴染みのあるものでもあり、
「何だ、また来たのかい」
「は、はい……」
従ってすぐさま、そちらさっと振り返らせていたのだから。
「よっぽどこのホールに用事があるようだね」
――そう、そうして意地悪げに笑み零してきたのは間違いなく、以前ここへダンス教師探しに来た時出会ったあの老婆、オレガに違いなかった。しかもあの時と同じ羊毛上衣+ケープと言う姿、まず見間違える可能性などない。
「あ、どうも」
何より、その特徴的な三つ編みにした栗色の髪を一目見れば。
それゆえ俺は一瞬呆気に取られるも、しかし次にはようやくにして挨拶返していたのだが。
「ひょっとして、また教師探しに来たのかい?」
しかしオレガは相変わらず、そうした社交辞令抜きに単刀直入で話を切り出してくる。まさしく年齢が築き上げた、あるいは生来の傲慢さというやつだ。むろんそこにはまるで遠慮というものがない。
従って対する俺がどことなく気圧されたように応じていたのも、さも当然の反応といえるのだった。
「そうですが……あ、いや、でもそうじゃなくて」
もっともせっかく紹介してくれたエドラに色々あって契約破棄された手前、途端あたふたとさえしてしまっていたものの。
「その、先日はエドラさんを紹介して頂いて、ありがとうございました。……それで、そのエドラさんについてですが」
「はは、何だいそんなに畏まって。でも大丈夫、あたしは大体の事情知っているから」
「え、そうなんですか?」
と、かくて俺が続けて、だがなぜかしどろもどろに弁解じみたもの始めると、老婆は手を振ってそれを軽く制止した。それは予想外にも、疑いなくもはや何もかも承知している、そう感じさせる表情。よってそれ見た俺が意外さと、そして同時に少しばかり安心感覚えたのは当然のことだったといえよう。
「まあ、エドラに会って話を聞いたんだ。はは、それにしてもあんたの所の娘と、えらく派手にやり合ったようで」
「いや、そのことは本当、すいません……」
「いやいや、そんな謝る必要はない。何せエドラはあの烈しい性格、よく教え子と揉めるタイプなんだ」
「へ、へえ」
それも大して気に障った風もなく、話を続けてくる。と、いうことは余程予想された事態でもあったようだ。つまりはこうなるのもさも当然、とばかりの。
(だったら、最初から言ってくれよ……)
だがそうなると、俄然恨み言の一つも言いたくなる俺。まあ、すでに過ぎたことだし、そもそもエドラ自身が契約時にやる気がない奴がいたらやめるとはっきり語っていたので、そんなことしても仕方ないことなのだが……。
「それにこの前の酒場での公演のこともね。大喧嘩のあった」
「え、そこまで!」
「まあ、街中じゃもうすでにそこそこ有名な話だから。ぼうっとしていても、おのずと耳に入って来るよ、あれは」
そして何よりオレガがあのデビュー公演のことも知っていたとなると、その耳の速さにもはや唖然としてしまい。
「でも、今日ここへ来たのを見ると、まだ諦めていないんだね、あんた?」
そのためだろう、老婆が次いでそうした声掛けてきても、俺としてはとっさに反応できなかったのだった。
「え?」
「結構結構、とにかく若いから、いくらでも再起はできる。何よりやっぱりあたしが見込んだだけの男はあるよ」
加えてそう、いかにも楽しげにのたまっても。
そうして駆け出しプロデューサーが突然の言葉に目を白黒させていると、対して老婆はにっと再び怪しげな笑み零し、
「じゃあまた。今度会う時は、グループが軌道に乗っているよう、楽しみにしているよ」
「あ、でも」
「ふふ、大丈夫、あんたなら絶対やれるはずさ」
――そんな大胆な一言置いて、そして次の瞬間、あっさりその場から立ち去って行ったのである。
(何なんだ、あの婆さん……)
後にはその背中ポカンと見つめたままのグラスランナー、一人残し。




