39.デビュー(2)
時刻にして、ちょうど晩課(午後六時)の鐘が鳴った頃。
五月に入って最初の日、空気はいまだどこか冬のひんやりした気配微かに残す中。
「うわあ、凄い人。レト、やってくれたんだ……」
舞台袖口の端からちょこっと顔を出し向こう見ていたリップルが、途端たまげたような声を上げた。よほど強烈な光景だったのだろう、すぐ頭引っこめこっち振り向いたその瞳も、満月のように真ん丸だ。
「リップル、だから見ない方がいいって言ったのに」
「だって、どれだけ入ったか確認したかったから」
「そんなの声を聞けば分かるわ、もう満員だって」
むろんそんな猫娘に対し、アリーシャとキルデアは少々非難がましい。まだ緊張するには早すぎる、そうとでも言いたかった風に。それゆえその言葉耳にしたリップルはリップルで、たちまち憤然とした表情露わにしていたのだった。
「何だよ二人して。これからどんな客の前で踊るのか、気にならないの?」
「まあそれは、気になるけど……」
「でも気にし過ぎはいけない、そう言っているの」
そうしてさらに釘を刺してくる二人。そしてそれは同時に、彼女たちも結局はリップルとさほど変わらない心持ちであることを如実に表していて余りあり。
「緊張に飲まれてしまわないためにも」
すなわちあの大観衆を前にしては、誰であっても必然的に舞い上がるのは避けられなかったはずなのだから。
「ホーリー、大丈夫か?」
「え? あ、うん……」
「とにかく深呼吸、こういう時は」
――そう、はたして何よりも、そんな三人の背後でリップルよりさらに緊張した表情隠せぬホーリーを、先程からずっとユリアーデが珍しく甲斐甲斐しいまでに励ましていたのを見れば。
「何、客なんてみんなジャガイモだと思えばいいんだ」
「ジャガイモ……?」
「そうそう、あのいくらでも八百屋に置いてある」
つまりはこれこそがまさにデビュー公演直前の類まれなる緊迫した状況、というやつそのもので。むろんプロデューサーたる俺自体が初めての。
「――みんな、そろそろ公演だ。だから少しだけ耳を貸してくれ」
それゆえ俺はそんな舞台裏の慌ただしくも手狭な楽屋の中、ついにある強固な意志の下、声を大にして皆へ告げていたのである。
「いよいよこれからが正真正銘の本番だ。みんなもこれまで培ってきた技と力全部発揮して、とにかく悔いだけは残さないように思う存分やってくれ!」
「あ、はい!」
「ああ!」
対して緑色のひらひらしたドレス思わせる、お揃いの衣装――これは以前白羊亭で働いていた踊り子たちのものを再利用した代物――纏った五人は、多少の温度差はあれすぐ応じてくる。やはり焦りや緊張とともに、やる気の方も確かにあるのだろう、それは聞いていてなるほどなかなかかえってこっちが勇気づけられる返事ではあった。
「よし、さあ、行こう!」
もちろんそんな少女たち見て、知らず大きく頷いている俺。内心やっとここまで来た、という感で一杯だ。はたして当然、これまでのトラブル等も次々と思い起こされて。
――だが、それゆえだろう。俺はその直後ついでとばかりにひとつ、もっとも実は前から用意しておいた一言付け加えるのも、決して忘れることがなかったのだった。
「そしてまずは、全員でしっかりと円陣を組むんだ!」
そうしてたちまち、その瞳は五人のメンバーをしかと順繰りに見回していき――。
◇
「ご来場の皆さん、今日はお越し頂き大変ありがとうございます。では、これよりお待ちかね、歌と舞に秀でた少女たち、『プロキオン』の公演を――」
かくてそのしばし後には、楽屋よりステージ上に立った俺の緊張を帯びた声が響いていた。背後にピオト率いる四人の楽士――ヴァイオリン二台、チェンバロ、フルートのカルテット従え、一応、本日の司会進行役としての仕事だ。つまりは青銅の盾でディックがやっていたような。むろんあのゴージャスな店に比べれば客の数はかなり少なめだが、しかしそれなりの人数なのは間違いない。それゆえ俺の声が知らず上擦って聞こえていたとしても、それは決して無理からぬことなのだった。
「もちろんお食事とお酒とともに、ゆっくりと……」
しかもそうした超久方ぶりに満席状態の店の中(ちなみにスコットとジェシカはこの日のためだけに雇ったアルバイト店員二人とともに、完全に客さばきでてんてこ舞いだった)、一番後ろの方の席に真剣な面で陣取っていたのは他でもない、
(ベイルさんたちも、来てくれたのか……)
以前無理を言って客集めを依頼した、あのベイルをはじめとするメールジェアン五つの酒場の店主たちだったのである。要するに今日だけは客を融通した以上自分たちの酒場を閉め、ここでの状況観察しに来たということらしい。つまりは、件のプロキオンが本当にアマランスに対抗できるのか、という。
……とにかく青銅の盾に一矢報いる、その起死回生の策のための。
むろんさすがにいきなりあれを凌駕できるとは思えないが、しかしそれなりの力があるのか、しかと確認するべく。
経営者としての、その冷静で研ぎ澄まされた目で。
「――さあ、ではそろそろお時間です。皆さまも、心行くまで是非お楽しみください!」
よってその気配確かに感じ取った俺は特にそちらの方へ強い眼差し一瞬送るや、次いで期待に満ちた店内ぐるりと見回し、ついにその時が来たとようやくにして小さな身体から渾身の声、響き渡らせていたのだった。
「プロキオンの登場です!」
すなわち、俺にとっての理想のアイドルグループ目指すプロキオンをいざ、最高のステージ、最初の一歩へといざなおうと。
もはや一瞬の躊躇すら、許されない中。
当然戦いはもう、既に始まっていたのだから。
……そして、ついにけたたましいまでの大歓声全身に受けて、
俺が前口上終えさっとその身、再び舞台袖へはけさせるや、
「よし、行こう!」
「うん!」
「おう!」
「は、はい!」
「ええ!」
五人の掛け声一下、代わりに彼女たちが皆の前に初めて、その姿現したのである――。




