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37.波乱勃発(2)

「ユージン先生、聞こえません! もっと大きな声で仰ってください!」


 すなわちその引き金となったのは、騒動によって完全に重々しくなった昼食を挟んだ午後。結局ユリアーデ抜きで始まった歌の授業において、開始間もなく突如静寂を切り裂いたキルデアの鋭い声に他ならなかったのだ。


「え……」


 しかも、その教師見つめる表情がいつにも増して余りに険しい。

 それゆえ当然、言われた本人は思いもよらぬというかまさしく呆然とした感じ。何よりその灰色の瞳も、今までになく大きく見開かれていて。


「あ、ごめんなさい。聞こえなかった……?」

「はい、まったく。これじゃ授業になりません」

「あ、そう……」


 そうしてそのほとんど詰問するような口調は、ユージンをして分かりやすくもはっきりとたじろがせてしまう。


「……私ダメかしら、やっぱり」


 その証拠に、途端教本を持っていた手を、がっくり下へ降ろしてしまったのを見れば。


「あ、大丈夫です先生、ちゃんと声は――」


 それゆえアリーシャなどはすぐに何とかしようと慰める言葉発していたものの、


「とにかくあなたもプロなら、ちゃんと威厳を持ってしっかり教えて頂かないと」

「キルデア!」


 一方のキルデアの追及は今日に限って一向に止むことなく、むしろますますエスカレートしそうな気配すら色濃い。よってそれに反比例してユージンのしょげ返りぶりがいや増していったのも、さもありなん、というやつでしかないのだった。


「うう……」


 しかも途端、泣くような仕草さえ見せてしまったので。


「まあ、ここは少し休憩しよう。午前中にも色々あったことだし、みんな少し疲れているんだ。……ユージン先生も、さあ、そこに座って」

「そ、そうね。コーヒーでも持ってくるわ」


 それゆえややギクリとしながらも、俺とメイルは慌ててその場取り繕うように口を出し――。



「……ごめんなさい。今日はもうできそうにないわ」


 だが、結局自信喪失したユージンはそれからまるで立ち直ることなく、コーヒーも飲まずその日は早退することとなった。まさしくさっきのエドラとは正反対で、怒りというより悲しみに全身包まれた雰囲気で。それゆえその余りの様に俺は大した引き止めの言葉一つも掛けることできず。


「あ、ありがとうございました……」


 ただ、そのいつもよりもさらに細く感じられた背中へ、そんなありきたりな挨拶お茶を濁すように発したのみ。


「……」


 そして何より、俺の背後ではキルデアがいまだ憮然とした表情で何か考えこむように腕を組んでおり。


「……帰っちゃった」

「大丈夫かな……」

「うん――」


 そのセイレーンからやや離れた所では、残された三人の少女が不安げに出入口の方ただただ見つめている……。



「どうするの、レト?」


 するとそうしたとんでもない空気が流れる中、隣からメイルが声を掛けてきた。二連続の教師の退出という非常事態に彼女も面食らったのだろう、かなり戸惑いを露わとした表情だ。むろん手にしたコーヒーにも、結局ほとんど口をつけぬまま。


「……仕方ない。今日は解散だ」

「そう、やっぱり」

「誰も教える人がいなくなったからな」


 むろん対する俺は多分似たような顔示していたはず。つまりはこうなってしまうと、何一つ手立てがないのは全く同じで。そう、良案などまるで浮かびようがない。


「……終わり、なんですか?」


 それゆえそれ耳にしたアリーシャがおずおずと尋ねてきたものの、


「ごめん、こんなことになっちゃって。でも明日からは、何とかするつもりだから。だからみんなも今日は帰ってゆっくり休んでくれ」


 そう、どこか曖昧に返すしかなく。


「……すいませんでした」

「! キルデア」

「私、今日どうかしていたんです。イライラしていたというか」


 そしてこんな状況どう感じたか、その隣から珍しく申し訳なさそうに謝ってきたキルデアに対しても、


「ああ、でも気持ちは分かるよ……」


 俺は結局どっちつかずのそんな言葉でしか、応答することできなかったのだった。


                  ◇


 かくてほとんど得るものはなく、本日のレッスンは中途半端なまま虚しく終わりを告げ。

 間もなくして散り散りに、メンバーたちも仕方なしと自宅へ帰って行き。

 まずはキルデア、次いでリップル、アリーシャ、そしてホーリーという、ユリアーデを除けばいつも通りの順番で。特に最後まで残っていたドワーフ少女は、何だか俺とメイルのこと見て何か言いたげな様子だったが。


「ホーリー、君も今日は早く帰りな」


 俺が優しくそう声を掛けてやると、コクンと小さく頷き、ようやくとぼとぼ白羊亭を後にして行ったのである。


 

――そして第三、つまりはその日最後のトラブルは、そんなプロキオンのメンバーが全員帰り、代わって用事から戻って来たファレル夫妻交えようやく夕食に入るかという、そんな緩やかな時に突然起こったのだった。


「今日は色々あったようだな」

「そうね。とにかくレトもメイルもご飯を食べて――」

「おっと悪いな、入らせてもらうよ!」

「け、しかし相変わらずしけた店だな!」


 それは一家と居候団らんの時間を不躾に切り裂いて轟いた、オークたちの下品な大声。何より六人ほどいただろうか、革鎧纏った彼らは揃いも揃って実に乱暴な様子でずかずか店の中へ断りもなく入って来たのだ。


「おい、スコット、いるか?!」


 しかも、その中の特に大柄な一人が店の主人の名前、ぶっきらぼうに大上段で呼びつけて。


「な、何だ、あんたら!」


 むろん食卓についていたスコットは突然の事態に狼狽えながら、何とか誰何の声発していたものの、


「お、いるじゃねえか! 今日は話があって来たんだよ!」

「話? こんな時間にか?」

「時間なんて関係ねえ、こりゃ緊急の用件ってやつだ!」


 当然と言うか、対するオーク軍団に遠慮というものは欠片もない。いや、むしろ連中はその無駄にデカい図体をさらに店の奥へ侵入させてきたくらいで。


「き、緊急?」

「ああ、お宅のこさえている、借金についてな」


 そうしてついにはとどめのごとくそんな一言、やたら偉そうに告げてきたのだから。


「借金? まさかボーガンの所のか?」


 対してスコットにたちまち真っ青な顔現わさせ。


「そうだよ、よく分かっているじゃねえか。つまりはボスから借りた五万コラムだよ」

「それが一体――」

「あなた、まさかボーガンから借金したの?」


 するとそれ聞いたジェシカがたちまち夫にもの問う。その様からするに、彼女は全くそのこと知らなかったのだろう、実に驚きが入った表情だった。


「……ああ、その、少しな」

「何であんな男から?」

「仕方なかったんだ。収入が大分減ったおかげで、ギルド加盟金が払えなくなって……」

「でも、だからって」


 むろんそんな妻の様子に、スコットは申し訳ないと言った顔しかできなかったのだが。


「期日が迫っていたからな。他に貸してくれる所もなく、つい。……それで、その金がどうしたんだ?」


 そうして再び無頼のオークどもの方振り返りつつ。


「どうしたもこうしたも、そろそろ返してもらわねえとな」

「何だって? だが返済日は七月のはずだぞ!」

「そりゃ返せる当てが充分あるなら、そこまで待ってもいいんだが」


 だが、当のオークはさらに凄み効かせてくる。いや、むしろ職業的な本能というやつか、その茶色い瞳が異様にぎらつき出したほど。そう、いくらスコットが経験豊かな経営者であっても、それに歯向かうなどとてもできそうになかったくらいに。


「だ、だから、期日までには返せるから……」


 それゆえ亭主のその声音はおのずと震え帯びたものとなり、


「はん、何言ってやがる。こんな閑古鳥の鳴く店、幾らも稼げるはずねえだろう。どれだけ待とうがな。だから5月10日までに、何とか工面して全額払えって言っているんだ。その分利息は少なくしてやるから」

「そんなこと言われても!」

「嫌だろうがとにかくやるんだよ、自分と、そして家族の命が惜しかったらな!」


 そしてそんなスコットに向けて放たれたのは、まさに極め付きの一言。亭主のみならずその家族、そして俺でさえ怖気走らせるに足るクラスの内容持った。何よりそれは間違いなく突然の最後通牒といっても過言ではない、恐るべき放言であり。


「じゃあな、用事は以上だ!」

「ま、待ってくれ!」

「とにかく一日でも遅れるなよ!」


 はたしてその直後、たちまちにして暴風の如きオーク軍団は捨て台詞残し、酒場騒がしく後にして行ったのだった。



「……5月10日、だと?」


 当然その後には食事どころではない、えげつないまでの張り詰めた空気だけが食堂に残り。


「あなた、どうするの?」

「いや、あまりに急な話で」

「相談してくれれば良かったのに。でも、もしその日までに返せなかったら……」


 特に珍しくも揃って暗澹たる面浮かべている、スコットとジェシカの夫妻。やはり先ほどの一件はファレル家にとってかなりの緊急事態となったといえそうだ。


「ボーガンのことだ、まったく容赦はしないだろう」

「そうよね……」

「父さん、母さん……」


 むろんそれ見たメイルも、途端不安に満ちた声、上げており。


「――だが、まだ大丈夫だ、レトの作ったプロキオンが上手くデビューできれば、期日も元へ戻せるはず」

「え?」

「そうね、まだ交渉することは」


 それゆえだろう、ふと夫妻、それにメイルの視線までもがそれまで呆然と事の成り行き見守っていただけの俺へある種の熱こめ、一斉に向けられると――


(あ、いや、でもそんな期待されても――)


 はしなくも俺はそんな実に期待外れの、かつ情けない一言返そうとし、しかし慌てて直前で何とか引っこめていたのである。


「――とにかく頼んだぞ、レト」


 最後にそんなスコットの余りに思い詰めた言葉、耳にしながら。

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