3.門の番人
砕け散る骨。
飛び散る脳漿。
辺りを深紅に染め上げる、これでもかというほどの大量の血。
――そして、刹那真っ暗になった、意識。
寸前身体が覚えた筆舌に尽くせぬ痛み、というか衝撃。
そう、あの時道路へ飛び出した俺は、まともに赤い車の直撃受け――。
瞬間間違いなく即死か、重体で病院送りになったはずだった。とにかく、無事であった可能性など1ミリもない。
愚かと言うべきか、やってしまったのだ。まるで自殺行為のような訳の分からぬ行動を。
見知らぬ犬を助けるために、この身犠牲にするという……。
(……何だか、静かだな)
そして世界はたちまちにして、そう、俗にいう走馬灯が駆け巡ることもなくあっさりブラックアウトし、さらになぜかふいに身体がやけに軽くなった感じさえして――。
(でもどこなんだ、ここ?)
ふと気づけば今の俺を、妙に温かい空気が包みこんでいる。
それは衝撃からどれくらい経った頃なのか。一時間後か。数日後か。とにかく静かで、穏やかな。
それゆえ一瞬病院のベッドかとも思ったが、しかしそれにしては寝具の感覚というものが一切なく。すなわち、横たわった身体は何にもくるまれぬ素の状態のまま、いつしか浮遊感めいたものも感じており。
――どことなく、眼を瞑っていてもそれと分かる、周囲が明るいような雰囲気知覚しながらも。
(まさか、ここは……)
そうしてそんな嫌に不思議な感覚が知らずそうさせたのだろう、かくて静けさの中数秒の間が去った後、
(天国、いや、――地獄?)
ようやくぼんやりとした意識裡に両目ゆっくり開いていきつつ、俺はそんな実に奇妙かつ常識的なこと、考えざるを得なかったのである。
◇
「おお、やっと目覚めたか」
「!」
――すると、まさしく目が開いた、その刹那だった。
「何とか再生に成功したようじゃな」
足元の方から、突然声が聞こえてきた。もちろん明らかに俺へ向けてのものだった。
当然ながらビクッと反応示し、慌てて両手地に突きその場から半身起こす俺。そして長く眠っていたためか一瞬頭がクラっとしたものの、すぐに収まったため構わずそちら、声のした方見やる。
それは足先の、さらに向こうの位置。
そこには抜けるような青空の下どこまでもだだっ広い空間、というか緑の草原が広がっていて。
そしてそれを背にして、丈の長い草の中に一つの人影が静かに立っているのが認められる。
真っ白なローブ。左手にはねじくれた長い杖、かつ青石の指輪。
加えて背中まで届きそうな長い白髪と、首まで届く実に見事な白き顎髭蓄えた、
――そう、間違いなく高齢の老人の姿が。
むろん、正確に幾つくらいなのかは実に推測しにくい。ある程度以上年を取ると、大体の老人の見た目なんて区別し難くなるに決まっているのだ。まあ、そもそもこの状況においては、彼の年齢などあまり重大事に当たらなかったのではあるが。
「あ、あんたは……」
いずれにしても大いなる当惑はそのままに、俺は一応誰何の声発している。とりあえずその姿からこの老人が医者の類でないのは明らかだったが、しかしそれ以外の情報一切見つからなかったがゆえ。むろん敵か味方かも、いまいち判別不能な中。
……だが対する老人の答えは、妙に要領の得ないものでしかなかった。
「儂か? ウム、とりあえず此処の管理人とでもしておこうか」
「管理人? じゃあここは、この草っ原は一体どこなんだ?」
「……どこかと言われてものう、答えるのは実に難しい」
すなわち、こんな感じである。俺が刹那知らず苛立ってしまったのは言うまでもない。
「ちょっと待てよ。俺は夜の道で事故に遭ったばかりなのに、何でこんな――」
だが、そうして勢い食って掛かろうとした声は、結局最後まで続くことがなかった。
「あれ? 身体が全然……」
「どうした?」
「いや、傷一つ……ない?」
そう、その時ふと気づいたのは、俺の身体が無事どころか五体満足、完全にピンピンしていたこと。もちろん見たところ骨も折れておらず、包帯、いや絆創膏一つどこにも張られていない。まさしくいつも通りの、白パーカーに使い古したジーンズという姿だ。
当然ながら痛みの類も一切なく、これでは健康体そのものである。まるで、あの大事故が幻だったかのような。つまりは途端、まさに狐につままれたような気分にもなって……。
「フム、ひょっとしてあれは夢だったかとでも思っておるかの?」
「え?」
「だが、そうではない。お前さんは確かにあの時、確実に死んだのじゃよ」
するとまるで俺のそんな心を読んだかのような、老人の一言。一見穏やかで平静ながら、もちろんそれはとても看過しえないとんでもない発言というやつだった。
「確実に、死んだ……?」
むろん俺はかえって呆然とした表情現わしてしまったものの、
「ああ、一匹の犬を勇敢にも助けて、な」
「! そうだあの犬、無事だったのか?!」
「もちろん。何より、お前さんの命と引き換えに」
次の言葉が、そんな俺をして一挙に確かな現実へと引き戻していたのである。
◇
「あの犬が、あんたの孫娘だって?!」
「うむ、たまたまお前さんのいた世界を視察しに行ったのだがな」
「視察って……」
そうして老人が少しずつ情報を解禁し出すと、その度に俺の驚きは凄いものとなっていった。つまりは、このじいさんはここ、いわゆる『門』と呼ばれる場所の管理人らしく……。
「いわば儂の代理じゃよ。世界のつなぎ目にほころびがないか、つまりは認められてもおらんのに世界間移動を企む者がいないか」
「世界間……じゃあ、そもそも世界っていうやつは俺の住む場所以外に、沢山あるってことか?」
これには老人、つまりは『番人』は至極もっともと大きくうなずく。
「むろん、それこそ数え切れぬほど。そしてここ『門』はその全ての世界に通じるいわば結節点。ゆえにここからなら、どこへでも移動することは可能だ」
「ふうん、それで、車に轢かれて死んだはずの俺はあんたに救われたってわけか……」
「孫を助けてくれたからな。そのお礼じゃよ。ちなみにあいつはあの時世界移動したばかりで消耗激しく、ろくに身動き取れん状態じゃった。だからまさに九死に一生を得たこととなる」
「それで、俺はこれからどうなるんだ?」
と、そこで俺は最も自分にとって大事な疑問を発した。そう、確かに俺の命は何らかの奇跡的方法で「再生」されたらしいが、だからといってずっと喜んでいるわけにもいかない。生活のこともあるし、何より直近には明日の仕事が待っているのだ。……今がはたして何月何日なのかは知らないが。とにかく生きていかなくてはならない以上。
だが、やはり俺のそうした気持ちを読み取ったのか、ふいに老人は声を落とし告げて来たのだった。
「ひょっとして元の世界に戻れると思っておるのか? だがすまんな、それだけはできん。一度死んだ者を、元いた世界で復活させることは大変なご法度なのだ」
「え、そうなのか?」
「うむ、それゆえお前さんに選べる道は……」
そして番人は青色の眼の光をさらにきらり輝かせると、
「まったく違う世界で新しい人生をまたやり直す、それだけなのじゃよ」
さらにそんな不可思議極まる言葉、発してきたのである。
もちろん、対する俺の驚愕は凄まじいものだった。
何せ元の世界、つまり日本国N県S市ではないどこかで、突然第二の人生送れと言われたのだから。心の準備も何もあったものではない。何より、その違う世界というのがまったく得体も知れず……。
「……ど、どこなんだ、そこは?」
当然のことながら、もの問う声も分かり易く震え帯びている。
「うーむ、詳しいことは言えんが、しかし元の場所とさほど変わらない環境、価値観を持った世界じゃ。お前さんにとって多少奇異な点はあるかもしれんが」
「生まれ変わりって、赤ん坊から?」
「いや、その人格、年齢、記憶を持ったまま、まったく異なった存在へ転移することとなる。全てをやり直すわけではない」
「! じゃあこの見てくれでもなくなるんだな」
しかし途端俺が声を大きくすると、老人は訝しげに片方の眉を吊り上げてみせた。
「そうじゃが……妙に嬉しそうじゃの?」
「いや、そういうわけじゃないけど、一応確認のために……」
「まあ、どんな姿になるかは向こうに行ってからのお楽しみじゃ。もちろんその世界に適応した者となるのは確実だが――それで、もう他に質問はないか?」
そうしてあっさりそう応じると、ふいに声音を重くさせた番人。加えて分かり易くも、にわかにその表情まで真剣なもの帯び始めている。それは疑いなく、もう自分からの話は終わったという合図で。
「え、まあ、とりあえずないけど……」
「ならばよいな。ではこれより、転移に入る」
「え、そんなすぐなのか!」
――何よりはたして次いで告げられたその一言が、俺をして途端大いに慌てさせたのだった。
「ま、待てよ、まだ心の準備が……」
「だが、本来この『門』に番人以外の者が入ることは固く禁じられておるのじゃ。だからなるたけ早くせねばならん。何、安心せい。お前さんは必ず向こうの世界で適応できる。儂の方でもそうなるように選んでおいたからな。後、これは儂ではなく、孫からだが――」
しかも老人はそう厳かかつ静かに述べると、ふと何かを思い出したように、
「え、お孫さんから?」
「ああ、命を救われたお礼をしたいらしく」
そこで一つ大きく頷き、
「つまりお前さんがその世界で生きていけるように、ある力を与えたそうじゃ。いわばこれはあいつからの贈り物、大切に使えよ」
――そしてはなむけの如く、最後に一つ重要な一言付け足してきたのである。
「力って……」
むろん対する俺は訳も分からずまたしつこく問い発せざるを得なかったのだが。
「あ!」
しかし丁度その瞬間、身体が突然眩いほどの青い光で包まれ出し――
「あ、ちょっと待って。俺まだ、そこに行くとは――」
たちまちこれから何が起こるかを察知し、はたしてたまらず抗議の声上げていたものの、
「では、達者でな。新しい世界でも、元気でやれよ……」
……老人の方は構わず、むろんあくまで穏やかかつ平静に、そんな言葉掛けてきたのだった。




