35.思わぬ出会い
(こりゃ、大変なことになったな……)
だが、そうして車輪亭での会合が終わり、白羊亭へと帰る道すがら、俺はなぜかどうにも自分を襲う重圧に苛まれていた。
(さすがに期待が大きすぎる。ちょっとヤバいぞ)
そう、それはもちろん先ほどの話で出てきた、五月一日に他の酒場から客を融通してもらうという一件についてであり。
(これで公演が失敗したら)
俄然、そんな不安さえ頭をもたげてきたのだ。
特に車輪亭に集まった店主たちは皆おしなべてディックへの対抗心が強く、それゆえ何とか今の状況を打開したいと思っている。そしてそのための有効な武器となるのが、今まさに稽古に励んでいるプロキオン、白羊亭再生の鍵でもあるあの歌踊団に他ならず……。
(スコットさんの名前の効果が絶大だったけど、これはひょっとして効き過ぎたかな?)
むろんとはいえそんな大それた計画、そもそも俺みたいなよそ者グラスランナー一人では到底受け入れられなかっただろう。そこには当然、長年メールジェアンで酒場経営してきたスコットの知己という関係性が影響与えていたはずなのだ。それも十分すぎるほどに。
(……あの子たち、間に合うかな?)
従って間違っても俺の実力がもたらした成功ではない。ゆえにレスター大路の途中、ふいに内心強めの焦りすら覚えながらも、
(そうだな、大変だとは思うけど、明日から練習のギアをもっと先生たちに上げてもらって――)
……俺は一人密かに、辺りへほとんど注意払うこともなく、そんな固い決意心に浮かべていたのだった。
「わわ!」
「きゃ!」
だが、それゆえだろう。黙々と歩いていたその時、丁度店から女性が一人颯爽と出てきたため、実にタイミング悪くそんな彼女と出合い頭に正面衝突しそうになってしまい――。
◇
「あ、ごめんなさい! 考えごとしていて」
それゆえ間一髪、何とか衝突回避できたこともあり、俺はすかさず相手へ平謝りに頭下げていた。もちろん完全なる前方不注意、こちらに非があるのはまず間違いない。
「……こちらこそ、すいません」
するとむろん同じくペコリと謝意を見せた女性。そしてそれは、彼女としてもさほど怒っているようには見えない仕草と思われたのだった。
「あ」
それゆえ俺は何となくホッとしながら、相手の様子少し窺ってみたものの、
「あなたは……?」
――だがその瞬間、その視線はなぜか顔を見たところでピタリと、まるで凍り付いたようにふいに停止してしまったのである。
「え」
そう、そこにいたのは、まさしく先日『青銅の盾』で見かけ、途端ただならぬ衝撃受けてしまったあのエルフの舞姫、
「アマランスの――」
他でもない、絶対的センター・ゼノビアだったのだから。
両サイドがくるくるとロールした、肩上まで届く銀の髪。長いまつげが縁取っている、冷たく理知的な緑の瞳。そしてまっすぐで美しい鼻梁と、薄紅色の唇、卵形の顔。何より陶器のように恐ろしく白い、その全身を覆う柔肌……。
服装こそ以前の艶やかな衣装ではなく、白の上衣に焦げ茶のロングスカート、ブーツという簡素な風だったものの、間違いなく心揺らめかす絶世の美少女の突然の出現に、はたして俺は言うまでもなくはっきり動揺示していた。
「……」
そして何より、かように俺が知らずポカンとしてしまうや、その瞳でじっと見返してきたエルフ。その透明かつ鋭利なエメラルド・アイは、まさしくどこまでも鮮烈で。
「あなたは確か、青銅の盾で舞を披露していた」
「見に来てくれたのかしら? それはありがとう」
「あ、いや、その時は、本当に素晴らしくて……」
それゆえ俺はあたかもそれに吸いこまれるように半ばボウっとしたまま、おずおずと言葉を続けていったのである。
「――ちなみにゼノビアさん、ですよね?」
しかもやや図々しくも、初対面の相手の名前、呼びながら。
「ええ、それで、あなたは?」
「え?」
「メールジェアンの街に住んでいるグラスランナー……多分今は白羊亭で生活しているんでしょう?」
――だが、すると対する少女はまるで嫌な顔することなく、さらにかえって俺を驚かせる一言、告げてきたのだった。
「な、何でそれを?」
「ふふ、だって青銅の盾のオーナーが言っていたから。あそこには今可愛らしい小人が一人、居候になっているって」
「なるほど……」
それゆえ一瞬あたふたとしてしまうも、しかし説明をよく聞いてみれば確かに納得、つまりはあのディックが色々俺のこと彼女に話していたのだろう。
(あの時、確かに俺のこと少し見ていたからな)
かくて思わずドキリとした心臓も、速やかに収まっていく。なおかつそれでようやく落ち着くことができ、そう、次にはしっかりと相手の顔見返すくらいの余裕、取り戻していて。
「まあ、可愛いかどうかは知らないけど、俺は確かにグラスランナーのレトさ」
……すなわちその答えにも、気づけば妙に気取ったものが含まれていたのだから。
「ふうん、レトっていうんだ。じゃあ君が今、歌踊団を作っているわけか」
「え、そこまで……」
「猫たちを広告代わりに使ったりして、結構有名だよ、君のやったことは。私たちの所へも噂が届いてきたくらい。……結構、やるみたいね」
とはいえゼノビアがそれに構うことは全くなかった。いや、ふいに口辺に悪戯っぽい笑み浮かんだのを見れば、むしろ何か別のことを考えていた可能性が濃厚。
「――それで、一つ聞きたいことがあるんだけど」
――何より、続けてそう実に意味深なまでにすっと訊ねてきたのが、その揺るがぬ証拠なのであり。
「聞きたい、こと?」
「そう、あなたの作っているグループに、ユリアーデって言うエルフの娘がいるはずなんだけど」
「ユリアーデ?」
だが、次の瞬間少女が発した名前は、俺をしてかなり驚かせることとなる。むろん、それが言うまでもなく知り合い――プロキオンの大事なメンバーの一人だったからだ。それゆえ間違いなく、俺の目は真ん丸に見開いていたはずで。
「君、あの子の知り合いなの?」
たちまち、急くように問いは発されていた。
「ふふ、そんなに驚かないで。別に大したことじゃないから。……そう、私とユリアーデは幼馴染み。それこそ昔、一緒にダンスの訓練を受けていた」
「へえ、一緒に。道理で彼女も上手かったわけだ」
「もちろん。あの子のセンスには凄いものがあるわ。ただ――」
対して静かに応じるゼノビア。それは何かを思い出しているのかどこか笑みも含まれたものだったが、しかし途中ふいに声を落としたので、聞いている方としては訊ね返さざるを得ない。
「ただ?」
「一回大きな挫折があって、それで途中で辞めることとなったの」
「え?」
そして実際、その言葉には何とも気になるものがあり、俺がさらに物問いたげな顔となったのは至極当然――。
「挫折? 彼女が?」
何よりそれがあの勝ち気なユリアーデと上手く結びつかず、従って次いで上げた声には、分かり易くも惑乱の響きがこめられていたのだから。
「それは一体……」
「あら、聞いていないの? だったら私から言う訳にはいかないわ。――今度直接訊ねてみたらどうかしら?」
しかしかくて疑問は尽きなかったものの、そこではぐらかすようにゼノビアはふっと不可思議な笑み浮かべ、あっさりそのまま話断ち切ってしまったのだった。
「とにかく私はユリアーデが元気でいるか、それが知りたかっただけ。でも何だかあなたとだったら、上手くやっていける気がする。だから少し安心したわ」
続けて、確かに安堵したとばかり一つ、大きく頷きながら。
そうして銀髪の美しいエルフはどうにも気持ちの読み取れぬ謎めいた眼差しで俺のこと改めて一瞬じっと見つめると、
「さて、ではもういいかしら? 午後の公演もあるし、私そろそろ行かなきゃ」
ふいにその表情柔らかなものとし、
そう、その瞬間だけ、幼い少女のように、
「あなたの作った歌踊団の舞台、楽しみにしているから」
次にはそんな別れの言葉、穏やかに告げていたのである。
辺りには春の陽光がきらきら眩しく降り注ぎ、
いまだ朝の香り残す風が、どこまでも爽やかかつ心地良い中……
「え? あ、うん……」
――はたして対する俺、結局何とも間の抜けた返事しか咄嗟にできなかったグラスランナーが実は内心ドキリとしていたのには、むろん微塵も気づいた風がなく。




